王太子に婚約解消された従兄妹が復讐をする気らしい

餡子

王太子に婚約解消された従兄妹が復讐をする気らしい


 

 招かれていた王宮から自宅であるクルマン侯爵邸に帰ってくるなり、2歳年下の従兄妹マルガレータが泣きながら子供のように俺に抱きついてきた。


「ハイノ兄様……っ。私は絶対に、私を捨てたアロイス殿下達に、世にもおぞましい復讐をしてやりますわ!」


 16歳にもなって、淑女らしからぬ号泣でべそべそになった顔でマルガレータが悔しげに呻いた。

 やや冷たく見えて近寄りがたい雰囲気が堪らないと言われる俺のシャツを、容赦なくぐしゃぐしゃにするのはマルガレータくらいだろう。

 ちょっと吊り目気味の大きな紫の瞳は真っ赤で、可愛い顔が台無しである。しかし本人はそれどころではないらしい。

 とても不穏な宣言である。


(でも、マルガレータのやることだからな……)


 13歳の時に彼女と同じ屋根の下で暮らし始めてから早5年。彼女の性格はよく知っている。だから復讐内容に想像がつくような、逆につかないような。

 思わず浅くため息を吐き出し、マルガレータの頭を撫でてやる。


「でもマルガ、今回婚約解消されたのは仕方がないことだったじゃないか。アロイス殿下が聖女エルナ様とご結婚されるのは、国にとっては良いことだろう?」


 先日まで我が国の18歳になる王太子アロイス殿下は、クルマン侯爵令嬢であるマルガレータと婚約していた。

 マルガレータが10歳の時にアロイス殿下に一目惚れしたことと、家格的に釣り合うということで交わされた婚約だった。

 ちなみにクルマン侯爵は一人娘のマルガレータが王家に嫁ぐ予定となった為、侯爵の弟の息子である俺ハイノを後継とするべく引き取ったわけだ。


 しかしながら去年、ある出来事が起きた。

 突如、魔獣が王都に現れたのである。

 その際に聖なる力を発現させて王太子達と魔獣を倒すことに貢献された男爵令嬢のエルナ様が、このたび聖女認定されたのだ。

 聖女は300年に一度程の頻度で降臨すると言われている。聖女がいるだけで人間の害となる瘴気が浄化される為、国は必ず彼女たちを保護してきた。

 その場合、聖女は王家に嫁がれることが通例だ。

 そして今回も例に漏れず、聖女エルナ様は王太子アロイス殿下と婚姻することが決定された。王家には、男児が王太子しかいなかったのだ。


 つまりマルガレータは、残念ながらご縁がなくなったのである。


 そんな話をつい昨日、クルマン侯爵が家に持ち帰ってきた。

 尚、娘をずっと手元に置いておけることにクルマン侯爵は密かにご機嫌そうに見えた。マルガレータの性格をよく知る侯爵夫人も、実は安堵を滲ませていたりもした。

 マルガレータだけは呆然としていたが、侯爵家が拒否できる話ではない。

 本日改めて王宮に招かれたマルガレータは、正式に王太子との婚約を解消されてしまったというわけだ。


「ハイノ兄様、私はとても傷ついたのです! 今となってはアロイス殿下なんて可愛さ余って憎さ百倍っ。私が受けた心の傷と同じくらい傷つけてやるんだから!」


 泣きじゃくってマルガレータが俺の胸にしがみつく。

 これまでずっとアロイス殿下との結婚を夢見てきていた彼女には、受け入れ難いことだったのだろう。

 好きで好きで大好きで、見ているだけでも幸せそうに見えたマルガレータ。こんなことになってしまい、復讐したくなる気持ちもわからなくはない。

 だから彼女に甘い俺は、「わかった」と頷いた。


「マルガの好きにするといい。後のことは俺が尻拭いしてやる」


 兄貴面をして癖の強い黒髪を指先で撫でてやれば、鼻を啜りながらマルガレータは顔を上げた。


「だからハイノ兄様だいすき……っ」


 人の気も知らずに、安易に言ってくれる。




   ***


 それでも翌日、主に貴族が通う王立魔術学院まで馬車に揺られながら念のために問いかけてみた。


「マルガ、本当に復讐なんてするのか?」


 目の下に不健康な隈を作り、いつもよりはるかに仄暗い目をしたマルガレータはコクリと頷いた。


「止めても無駄よ、ハイノ兄様。私はもう、アロイス殿下もエルナ様も呪った後なのだから」

「! 呪ったのか」

「昨夜のうちに準備は終えているわ。渾身の呪いよ。今日はあの二人の顔が歪む様を思う存分見てやるつもりなの」


 いつもは薔薇色に頬を上気させて笑うマルガレータだが、今日ばかりは強張った顔を青ざめさせている。

 その姿は歪んだ喜びを感じさせることはなく、ひたすら痛々しい。おかげで嗜める言葉は喉の奥から出せなかった。


(呪いか……。どんな呪いか想像もつかないな)


 マルガレータの魔力は弱いが、儀式的な魔術はいつも好成績を収めている。その彼女が呪ったというのならば、失敗することはまずないだろう。

 覚悟を決めながら校門前で馬車を降りる。不意に、頼りなげな声で「ハイノ兄様」と呼びかけられた。

 手を貸してやりながら窺えば、マルガレータが縋る眼差しでこちらを見上げてくる。


「……あの二人を見る時は、一緒にいてくださる?」

「いいよ。マルガがそう望むなら」

「ありがとう、ハイノ兄様」


 マルガレータは微かに笑んで、けれどその表情はすぐに強張った。


「ハイノ兄様、アロイス殿下がいらっしゃるわ!」


 言うなり、強く腕を引かれた。木の影に引き摺り込まれる。

 ……どう考えても相手から見えていたと思うが、アロイス殿下は気を遣っているのか俺たちに気づかないフリをしてくれたようだ。

 それにしても颯爽と歩く様子は、呪われているようには見えない。通常通りである。


「マルガ、呪ったんだよな?」

「もちろん、世にもおぞましい呪いをかけたわ。きっと今に顔を歪ませるはずよ……ほら!」


 言われてみれば、微かにアロイス殿下が眉を顰めるのがわかった。表情を整えることを徹底している彼にしてはひどく珍しい。

 思わず、ゴクリと息を飲み込んだ。マルガレータのことだから、と思っていたが、本当に彼が表情を歪めるほどの呪いをかけたというのか。

 じわりと湧き上がる焦りを覚えて、心臓が脈打つ速度を上げた。

 その時だ。

 アロイス殿下がその場から少し逸れた。通路沿いのベンチへと腰を下ろす。顔は顰めたまま、屈んだと思ったらなぜか靴を片方だけ脱ぎ出すではないか。


「?」


 そっと様子を窺う俺たちの前で、アロイス殿下は脱いだ靴をひっくり返して数回振った。

 この行為は、まさか。


「ハイノ兄様、成功したわ! これぞ、靴の中に小石が入って歩きにくくなってしまう呪いよ!」

「……靴の中に、小石が」

「そうよ! 気になって気になって仕方ないでしょう!? 私、あれは大嫌いよ」


 マルガレータは強く拳を握り締めると、やってやったわ、と言わんばかりに顔を輝かせた。

 ……確かに、地味に嫌な呪いではある。

 眉尻を下げた表情になった俺を見て、マルガレータは「それだけじゃないのよ」と慌てて言い募る。

 

「ほら、見ていて」


 言われるままに見ていれば、靴を履き直したアロイス殿下が立ち上がって再び歩き出すところだった。

 だが数歩も歩かないうちに立ち止まった。今度は傍にある木に手を突いて、バランスをとりながら再び靴を脱いでいる。


「なんと、振ったはずなのにちゃんと小石が出てこない呪いもかけたの!」

「……それは、地味に嫌だな」

「そうでしょう!? じわじわ精神を削ってやるの」


 得意気に言うマルガレータを見下ろして、なんとも微妙な気持ちになってくる。

 呆れた目になってしまったせいか、マルガレータがハッと息を詰まらせる。焦った顔になって、首を横に振った。


「もちろん私にだって慈悲はあるわ。アロイス殿下の手で靴を百回振れば、呪いは解除できるようにしてあるから!」


 そんなに極悪非道ではないのだと、拳を握って力説してくる。

 この程度の行為で、極悪非道なつもりでいるのだろうか。


「それなら殿下の靴に釘を入れようとは思わなかったのか?」


 そんなちっちゃな嫌がらせなんかではなくて。それぐらいしても許されただろうに。

 するとマルガレータは大きく目を瞠って、信じられないものを見る目を向けてきた。


「なんて恐ろしいことをおっしゃるの!? 釘なんて入ったら怪我をされてしまうじゃないの!」

「石でも怪我はするんじゃないか?」

「ちゃんとまろやかな小石が入るように呪ってあるわ。私に抜かりはなくてよ」


 まろやかな石とは……?

 首を傾げる俺の視線の先では、ついに諦めたらしいアロイス殿下が靴を履き直して歩き出していた。まだちょっと眉を寄せたままなので、きっと小石は入ったままなのだろう。

 なんとも言えない気持ちで復讐相手を見送ると、マルガレータは満足したのか大きく頷いていた。

 ……満足したのなら、これでいいのかもしれない。少し後ろめたそうに見えるのは気になるが。


「ハイノ兄様、次はお昼に食堂にいらして。今度はエルナ様よ。あのね、エルナ様にはもっともっとひどい呪いをかけてしまったの……」


 マルガレータが泣きそうな顔で言うので、結局黙ったまま頭を撫でてやることしかできなかった。

 ちなみに、俺はまったく心配はしていない。




 昼になって食堂に行けば、エルナ様の姿がよく見える位置に陣取ったマルガレータが手を振ってくれた。

 昼食である人気のランチプレートを手に隣に座れば、鬼気迫った顔でマルガレータはエルナ様を見ていた。


「ハイノ兄様も見ていてね」


 縋るみたいにぎゅっと手を握られて、思わずひくりと心臓が跳ねる。

 ちなみに距離は近いので、エルナ様は視線に気づいているのだろう。やや居たたまれなさそうにしながらも気にしないフリをしてくれて、去年から食堂に新メニューとして提供されたラーメンを前に箸を持っていた。

 ちなみに港町では平民によく食べられている人気メニューだそうだ。元は異国のメニューだが、どうやらエルナ様はお好きなのか、器用に二本の棒を操って口に運んでいる。

 その時だった。

 エルナ様は不意に顔を歪め、ゆっくりと口から箸を取り出した。


(箸の、先が割れてる……?)


 どうやら食べている途中で箸を噛んでしまったらしい。


「……エルナ様の呪いも、成功だわ」


 そう言いながら、マルガレータは眉尻を下げた悲しそうな顔をしている。

 ということは。


「今度は箸を噛んでしまう呪いなのか?」

「やったことがあるけれど、あれはちょっと痛いの。でも……婚約者の座を奪われて、すごくすごく悔しかったんだもの」


 マルガレータはぐっと口を引き結んだ。


「エルナ様はラーメンがお好きなの。ラーメンを食べるたびに、箸を噛んで駄目にしてしまえばいいのだわ。これからは高級なお箸は使えないで、ずっと割り箸生活になればいいのよっ」

「……それって堪えるのかなあ」


 絶妙に嫌な呪いとはいえ、期待するほど堪えるとは思えない。エルナ様は立ち上がると、すぐに新しい箸を持ってきて再び食べ始めた。

 だがまたも噛んで箸を駄目にしてしまい、小さく嘆息を吐くと今度はフォークを持ってきた。

 それを見てマルガレータが目を見開く。


「そんな……っフォークを使われるのは考えていなかったわ!」


 そんなに驚かれても。

 この国では使い慣れたフォークでラーメンを食べる者の方が多いので、別に箸が使えなくても困らないのだ。

 むしろ律儀に箸を使われていたエルナ様がすごいだけである。俺だってフォークで食べる。きっとアロイス殿下だってそうするだろう。

 マルガレータは愕然としていたものの、だけどその横顔は安堵しているようにも見えた。


(わかっていたことだけど、マルガらしいというか)


 これが、マルガレータなのだ。

 素直で、みんなに愛されて育った明るい娘。本当にひどいことなんて考えつけやしない。


 そんな、俺の誰よりも大事な女の子。


 反射的に愛しくなって頭を撫でてやると、へにゃりと眉尻を下げたマルガレータがこちらを見上げる。


「あのね、ハイノ兄様……。こんな風に人を妬んで呪う私が、私は好きじゃないわ。すっきりすると思ったのに、余計に苦しいの」

「だろうな」


 相手にとってはあまり堪えた様子のない呪いだとは思うものの、マルガレータは凹んでしまったようだ。

 こんなことなら最初から止めてやればよかったと後悔したけれど、ちょっとぐらい彼らは呪われてもいいだろうにと思う気持ちもあった。

 それぐらい、マルガレータがアロイス殿下のことを好きだったのを見てきたから。


「後で俺がアロイス殿下とエルナ様に謝っておくよ。ついでに解呪の方法も伝えてくるから」

「私が自分で謝るべきではないかしら?」

「そこまでしてやらなくてもいいだろ。マルガが傷ついたのは間違いないんだから」

「……ありがとう、ハイノ兄様」


 さすがに二人と面と向かって顔を合わせるのは気が引けたのか、マルガレータは安堵を滲ませて微笑んだ。


「ハイノ兄様は、こんな私でも嫌いにならずにいてくれるのね」

「当たり前だろう」


 ホッとした顔で言うから、大きく頷いてやる。

 相手が王太子じゃなくて、相手も国の為に諦めたんじゃないのなら、俺が奴を殴りたかったくらいなのだから。

 そんな気持ちが滲み出ていたのか、マルガレータはちょっと驚いた顔をした後で微笑んでくれた。


「ハイノ兄様、大好きよ」


 そう言って笑うから、いつも堪らない気持ちになったんだ。


(ああでも、もうこの気持ちを抑えなくてもいいのか)


 可愛いマルガレータ。

 いつだって素直で愛らしく、みんなに愛されていた天真爛漫な従兄妹。

 そんなマルガレータだから、性格的に未来の王妃なんて荷が重すぎると、クルマン侯爵夫妻も、俺も、アロイス殿下ですら思っていた。

 でもアロイス殿下のことが大好きで、奴のことを語る時の輝く瞳とはにかんだ笑顔を見るのが好きだったから、皆で見守っていたのだ。

 いつか奴の元に嫁ぐのだろうと思いつつ、でも彼女のお喋りが聞けなくなる日が来るのをずっと恐れてもいた。

 奴にだけ笑顔を向けられる日なんて来なければいいと、願ってしまっていた。


(奇しくも、それは叶ってしまったわけだ)


 それならこれからは、一切遠慮しないでいいというのなら。

 今まで秘めていた返せていなかった言葉を、口にしようと思う。


「俺も好きだよ。マルガ」


 マルガレータは初めて渡された言葉に驚いてまんまるく目を瞠ると、じわじわと目元を赤らめさせた。


「だ、男性が簡単に好きだなんて言うものじゃないと思うの」

「簡単に言ったりなんてしてないよ。マルガにだけだ」

「わ、わわ私にだけ!? その、それは、もちろん兄様として……よね?」


 動揺したマルガレータが上目遣いに見上げてくる。


「これからはただの兄でいる必要もないんだけどな」


 真っ直ぐ見つめて告げれば、今度こそマルガレータの顔が耳まで真っ赤に染まった。


 俺たちの未来は、明るいかもしれない。



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