第39話 夜空のもとでは仮面を脱いで
夜空。
流れる雲を下に見て、月の明るさをはっきりと視認できる空の上。
月明かりを、まるでダイヤモンドのように反射させて輝く物体が空中に浮いていた。
その正体は、激しく目が悪い人が遠目に見ると宝石に錯覚させるほど、あまりにシルバーの車体のところどころがデコボコに富んでいる
車内では、博士と弥生の二人が、ほぼ背中合わせに腰掛けて作業を行っていた。
博士は歯を打ち鳴らし、唇を青くして震えながら、車内の巨大モニターの前でコンソールを操作していた。
「……やっ、弥生君……少し冷えないかい?」
できれば同調してほしい。
そんな思いで博士が弥生に問う。
「そうですね。直したっていっても、天井の穴をベニヤ板で塞いだだけだし、すき間風が冷たいですもんね。元から隙間だらけっていうのもありますけど」
「やはりエアコンを早急に取り付けなければいけないね。このままでは命の危険がある」
「お金無いの言いましたよね?」
「でも……」
「言いましたよね?」
「でもぉ……」
「……しょうがないですねぇ。じゃあ明日から博士のジュース、量と甘さを半分の半分の半分にしてやっていきましょう。そうしたらエアコン付けてもいいですよ?」
「寒いというのもオツなものだ。頭寒足熱と言うしね。ははっ」
「はい♪ その通りですね」
自分にとっての命の糧である特製ジュースを俎上に上げられては手も足も出ない。
博士は潔くエアコン設置を諦めた。
さすがに不憫かと思ったのか、仕方ないなといった様子で弥生が情けを掛ける。
「あったかいの飲みますか?」
「もらおうかな」
「いつものでいいですか?」
「一昨日のやつが飲みたいな」
「練乳サイダーのカルピチュ原液割り?」
「ああ。濃縮ガムシロップ増し増しで頼むよ」
「は~い。でも、ちゃんと歯を磨いてくださいね?」
「了解した」
博士の応えに、弥生が鼻歌を唄いながら立ち上がり、半歩ずれただけのキッチンスペースへ調理に向かう。
骨董品のような冷蔵庫を開けて瓶などを取り出し、ジョッキに注ぎ終わった頃、何かに気がついたのか、弥生が宙に指を滑らして立体モニターを表示させた。
「……大きな地震が来ますね」
真剣な面持ちで弥生が報告を入れる。博士は腰掛けたまま椅子をくるりと回転させ、弥生の表示させた立体モニターを見つめる。
「アスペリティーが爆発寸前です。でも、たぶん追加剥離で、場所は一昨日と同じ。だから前のは準備運動で、今回が本滑りですね」
「変換前数値は?」
「九を超えます」
「なら確実にエイオンベート化しないといけないな……」
「派遣可能な特殊在宅の方々に連絡入れないといけないし、国にも報告するべきケースですね」
「本来なら、ね。だが今回は……」
博士は迷っているというか、何かを躊躇しているように眉間にしわを寄せる。
「……またもや瑠璃乃と永遠君に任せるしかないと思うのだが……駄目だろうか?」
「だから社長には連絡はしないでくれと?」
社長というワードに博士の眉がひくつく。
「あ、ああ」
「怒られちゃいますよ?」
「……る、瑠璃乃の力であれば十分に対処可能だ。むしろ発生場所が昨日と同じ山岳部なら、太平洋上に誘導すること自体危険だ。二次、三次被害を招くのを避けられない。もしリテラシーレベルの高いアクティブな個体が出現した場合、その場で対処するのが最善だと思う。何より、あくまで活動名目は特殊自然災害、
「そうですね。何回も誤魔化せる訳じゃないですし。鼻が良い記者さんもいますから」
「あ、ああ。本来なら永遠君の心理的負担を考えて少し休憩してもらいたいところだけれど、それほどの驚異を単体で処理できるアザレアージュとなるとやはり……」
「はい。瑠璃乃ちゃんだけになりますね」
「そうなんだそうなんだ! だから明恒へは……」
すがるような目で博士が弥生を窺う。
「しょうがないですね。分かりました。社長にはうまく言っておきます」
「ありがとう! 僕も一筆添えるから頼んだよ。……さて、これで明恒への言い訳はできたけど、やはり連日の派遣要請は忍びないね」
博士の目がデスクの上にある、丁寧な字で親展と記された開封済みの封筒へと移される。
「それにこれだけの規模を変換した個体だと、アザレアージュを捕食してのエルイオン弦安定化をする前でも十二分に強力です。赤木くん達も心配ですね」
弥生も封筒を見遣る。
気のせいか、差出人の心意気を表すように、未だ熱を持っているような気がしてしまう。
「そうだね。彼等の熱意には感謝ばかりだ。敬服するよ。けど、用意したものが使われることがないに越したことはない。……はぁぁ……やっぱり出動をお願いするのは気が重いなあ……」
「ふふっ。正義の味方を仕事に選んだような人達ですよ? 遠慮なんかいりません」
「そうかな? ……でも赤木君はいいとしても、やはり永遠君が心配だ。三年も社会を拒まざるを得ない状況にあったのに、三日連続で極度の緊張を強いられる極限環境に赴かなければならないんだ。負担が大き過ぎる。瑠璃乃だってまだ戦闘に慣れていないだろうし……うむむ……」
重ね重ねの重い唸りが鳴る。
「二人のことも心配ないですよ?」
そう言い切る弥生に、沈んだままの博士が目を移す。
「永遠くんは役割が欲しくて、わたし達に応えてくれたんです。必要とすればむしろ喜ぶと思います。瑠璃乃ちゃんなら、永遠くんの幸せがあの子の幸せに直結してるから、それも全然問題ありません。だから二人にも遠慮は必要ありません。それどころか二人いっしょなら忙しいくらいのほうが丁度良いかもしれませんよ?」
「……そうかなぁ?」
「そうですよ」
頬笑む弥生に断言され、博士は気持ちが持ち上がってくるのを感じる。
「……それに、永遠くんが瑠璃乃ちゃんを変えてくれるかもしれないって期待してるのは、私も同じですから」
胸にしまった希望は同じだと、博士の秘めたる思いに同調するように弥生が漏らす。
博士は驚きと喜びが混じったように目を見開いてから笑った。
「……すまない。僕は君に背中を押してもらわないと駄目なようだ」
「いいえ。慣れてますから♪」
これまた断言され、情けなさを清々しく肯定されたようで博士は苦笑いを浮かべた。
「ところで、おとっ……博士? わたしはいつまで博士って呼べばいいんですか?」
「うぅむ……とりあえず、瑠璃乃の生活が落ち着くまではそう呼んでくれると助かるかな」
「はい。これからも永遠くんの前では博士でいるんですか?」
「ああ。そのつもりだ。このいかにもな形式美的博士像の方が彼も接しやすいだろうしね。何よりこうしていれば私もそれなりにクールに見えるだろう?」
「冗談はよし子さんですよ♪」
和やかに微笑んでの即答。
博士はそれなりの傷を負った。
「……もしかして本当にそう見えると思ってました?」
「…………少しだけ。ただ僕の……私の地金を隠せたらいいなとは……」
「それこそよし子さんですよ~」
「え⁉」
「だって昨日も危なかったですけど、今日なんて、赤木くんに怒鳴られて泣きそうになってたじゃないですか」
「泣いてはいないよ!? ただ萎縮していただけだ……」
「ふふっ。でも永遠くんにも大きな声出されて縮まってましたから、あの子もきっと何となく気付いてますよ?」
「そ、そうか……そうなのか……。がっかりさせてしまっただろうか?」
「う~ん……永遠くんの場合、がっかりって言うより安心してると思いますよ? 怖い人じゃないんだな~って」
そう思ってくれているだろうかと疑問に思い、博士は眼鏡のつるを無意識に二回叩いた。
「……無理しないでもいいんじゃないですか?」
迷っていたり悩んだりする時の彼の癖。それをよく知っていた弥生はいつも以上に優しげに問いかける。
「……怖いんだ。また彼のように、永遠が僕に失望してしまうんじゃないかって……」
想起された過去の出来事に胸を締め付けられ、過去の再来を恐れた博士の表情が曇る。
「でも、永遠くんは永遠くん。あの子とは違うんですよ。誰かになりきらなくていいんじゃないですか?」
「自然体で上手くやれる自信が無い……」
弱気を吐き出し、気落ちして悲しげに俯いた博士を見て、世話が焼けるといった様子で弥生が息を吐く。
そしてゆっくりと歩み寄ると、
「来てください?」
「え?」
博士が顔を上げると弥生が目の前に立っていた。
そして柔らかく頬笑み、同じように柔らかく手を開いて胸に博士を
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