第38話 この決意は空転か
勘違いでなければ、おそらくこの子は人間になりたいはずだ。
そう思うから
ごめんねと心の中で呟きながら永遠は、たぬき寝入りの瑠璃乃の顔を
(整いすぎてる顔立ち……本当に本物のフィギュアみたいだ……)
凝視していると、やはり瑠璃乃の際だって美しい顔の作りに目を奪われる。
そこから連想したのか、永遠の視線は無意識にフィギュアケースという名前のカラーボックスへと移っていく。
やたらに懸賞運だけは永遠は良い。
そんな彼が集めてきたフィギュアが10体近く並んでいる。
華やかなコスチューム。制服。水着。魔法少女。種類は様々だが、どれもがみんな容姿に優れ、たとえ大量生産のプライズ商品だとしても、永遠の目を癒やすには十分な魅力を備えていた。
その中でも学習机の上に置いてある一番のお気に入りのフィギュアに目がいった。
ベッドで寝ている姿勢のままだと、スカートの中が見えるか見えないかのような微妙な位置。
永遠の視線が隣に瑠璃乃がいるのを一瞬忘れたようにスカートの中を探ろうとする。
そんな行為の最中、不意に永遠の頭に瑠璃乃が過った。
すると、永遠の目と体が固まった。
僅かな時間で、その理由を察した永遠は、冷や汗を浮かべながら渋い顔で天井の一点を見つめて息を呑む。
平常な呼吸を取り戻したのも束の間、永遠は自分が如何に無礼で、如何に彼女の尊厳を損なうような考えを浮かべたかを自覚して、大きな罪悪感を覚える。
一瞬でも、瑠璃乃とフィギュアを、近しいものとして見てしまった。
〝人間ではない美しいもの〟として見てしまった。
その思考が、自分の瑠璃乃の捉え方そのものなのではないかと、永遠は猛烈に自分を責めた。
縁側でもそうだった。
瑠璃乃の下着が見えた際、慌てずに目を逸らし、動揺することなく対応できた。
もしあの時、彼女の事情を何も知らずにいたら、平静ではいられなかったはずだ。
(フィギュアは生きてない。
けど、僕はフィギュアをいやらしい目で見てる。
それは人間として見てないから、モノだから安心してそういう目を向けられるんだ。
僕はこの子をそういう目で見る時、フィギュアに向ける目と同じ目で見るのか?
この子はフィギュアじゃないのに……)
寝たふりでも目を閉じていてくれて助かった。
今は、とても顔向けできない。
そうして自責に苛まれて上を向いて力一杯まぶたを閉めた永遠の心のざわつきなど、悪い方への感情の変化に気付いたからなのか、瑠璃乃が寝たふりを続けたまま、永遠の手を心地よい力加減で握った。
その優しい圧がきっかけになって、今更ながらに遅まきに、永遠は自分の〝不自然〟に気がついて、大きく静かに目を見開いた。
そして、ややあって己をことさらに恥じ、軽蔑した。
(鈍いにもほどがあるよ……)
手を握ることが出来ている。普通に。
永遠は過去のトラウマから、女性に自分から触れることが出来ない。
触れられた場合も動悸がするし、酷いと腹に痛みが走る。
そのせいで、トラウマのもととなった事件で心配してくれた幼なじみを傷付けたこともある。
なのに今、胸が同じリズムを刻むことが出来ている。
縁側で手を握る以上のことをされても胸が躍り過ぎたりするなどして苦しまずに済んだのも、きっと同じ理由だ。
それが意味することを理解して、永遠は自分に落胆したのだった。
(なにが対等だ……)
胸が苦しくならない理由は安心じゃない。
みくびっているからだ。
子供のようだ、フィギュアのようだと侮って、軽く見ている。
だから落ち着いていられるのだと永遠は悟った。
女性として、異性として見ない。
それが正面から好意を向けてくれる瑠璃乃の真心をどれだけ踏みにじっているのか。
永遠は奥歯を噛み締めずにはいられないほど情けなくなった。
(とんだウソ吐きじゃないか……)
永遠が自責する。
口では対等だとうそぶきながらも、平静でいられることが、言葉の価値を激しく貶めている。
(この子はフィギュアでも二次元でもない。目の前にいてくれる、普通じゃなくても生きてる女の子なんだ……。なのに僕は……僕は……)
永遠は、とても眠れそうになかった。
瑠璃乃について考えた。
カーテンの端から淡い光が漏れ出す時間帯になっても、永遠は考え続けた。
我ながら自分がかなり面倒くさい性格なのは分かっている。
ただ、自覚したところで性根が一夜漬けで治せる気もしない。
そんな自分なりに、瑠璃乃を一人の普通の女性として捉え、接するための今後について熟考した夜が過ぎた。
その証なのか、両眼共に充血している。
夜中の孤独な格闘の経緯はこうだった。
とてつもなく可愛い女の子が目の前にいる。
ヨコシマな目で見る。
そう考えるのは年頃の異性愛者だからしょうがない。
けれど、瑠璃乃の好意に甘んじるだけではいけない。
彼女は、自分を好きでいてくれる。
しかし、自分に恋愛感情はない。
ただ、魅力的な女性を見た青少年が示す情欲があるだけだ。
要するに体だけでも良いと言い換えられる。
そんなではいけない。
真摯ではない。
フェアなどとどの口が言う。
でも、女性としての機能がないと分かっているからこそ、ヨコシマな目を向ける時のブレーキが甘くなる。
これではフィギュアに接するのと一緒だ。
どうしてもフィギュア相手だと上から目線というか、一方的に自分の欲望をぶつけてしまう恐れ、傲慢な態度が出てきてしまう。
フィギュアに接する自分とフィギュアは対等じゃない。
明らかに彼女を軽んじていることに当たる。
それらとは別に、人間ではないからと、一人前の女性ではなく、子供扱いするように接してしまう事実も永遠にとっては認めがたかった。
異性に添い寝してもらって心臓が一晩もつなんて自分と事とは思えない。
紳士的過ぎて紳士ではないというか、男性として逆に不純で、瑠璃乃に失礼だとさえ感じた。
これらは結局、彼女の尊厳を貶すことになってはいないだろうか?
なっていると自分では思う。
よって、やっぱり彼女には人間になってもらいたい。
たとえ、弱くなっても。
戦う力と支える力、そのどちらもが減ってしまっても、彼女には変われる権利があるはずだ。
ずっと寝たふりをしたまま一晩中手を握ってくれているパートナーに応えたい。
優しく手を包んでくれるこの子のために何かしてやりたい。
支えてもらうばかりじゃなく、少しでもこの子の役に立ちたい。
永遠は、そう強く望んだ。
すると永遠の瞳の奥に静かな決意が宿り、スパークした。
(男としてせめて潔くいたい!
ただそれは今のままじゃ鈍くさい僕には無理がある!
女性の体を正真正銘持ってないから、どうしても三次元の女性を見る目とは違う、フィギュアをヨコシマな目で見るのの延長線上みたいに見てる!
子供扱いしちゃってる!
その解決策として、やっぱり僕はこの子に人間になってもらいたい!
失礼なく堂々と胸を張っていやらしい目で見るために、僕はこの子に女性の体を持った人間になってもらいたいっ‼)
開眼する。覚醒する。悟りを開く。
そう表現するには、あまりに程度の低い訳の分からない開き直りだったが、永遠にとっては彼なりに無い知恵を振り絞った果ての妥協案というか解決策を閃いたのだった。
(これなら、うん! 対等だっ!)
根底にあるのは、これ以上このまま瑠璃乃をペネトレーターの傲慢に付き合わせてはいけないという思いではあったが、永遠はだいぶ空回った気合いを入れていた。
その勢いのまま、上半身を素早く起こす――実際には腹筋が退化してしまっているのでかなりゆっくりと――そして瑠璃乃に声を掛ける。
「起きて、瑠璃乃」
「なぁに? 永遠。……あっ! ……ふ、ふぁ~~~あ……よく寝たな~……」
つい、いつも通りに返事をしてしまった後、瑠璃乃は永遠に心配を掛けないために寝ているという設定だったことを思い出して取り繕うように慌てて大あくびを演出した。
「……おはよう、永遠。どうかしたの?」
「おはよう、瑠璃乃」
永遠に合わせて起き上がった瑠璃乃は、直ぐにパートナーから違和感を感じ取った。
目は真っ赤で、永遠にしてはドモりが少ない口調。
ただ悪い意味での違いではないらしい。
どこか前向きで、自分のことを応援してくれているような温かさも感じ取れた瑠璃乃は、何だかくすぐったくなって唇を巻き込んで目を細めた。
「僕、頑張るよ。頑張ってみるよ!」
何についてかは分からない。が、その気持ちが嬉しくて、
「うん! べ、べつに応援なんかしてないけど、……永遠がやりたいようにがんばってね!」
瑠璃乃は永遠を純粋に励ますのだった。
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