第37話 兆し


 抱きつかれていると分かった。

 分かったのと同時に戸惑った。

 抱擁という強い接触で胸の鼓動が早くなった。

 けれど、苦しいほどじゃない。


〝おかしい〟


 こんなふうにされて起こるべき身体反応が、ほぼ無い。

 その感覚が違和感となって永遠を動揺、戸惑わせていた。


「るっ、瑠璃乃……?」


 ただ、石鹸やシャンプー、香水そのもののような良い香りに包まれて永遠は居たたまれなさは感じていた。


「か、勘違いしないでよね! べつに永遠が好きでしょうがない訳じゃなくて、ただありがとうって気持ちを伝えたくて抱きしめてるだけなんだからね⁉」


「えっ?」


「……だから少しこのままでいさせて……」


 彼女にしては珍しく、はつらつさが感じられない。どこか心許なさを覚える、すがるような要求だった。


 初めて彼女の弱さのような部分に触れた気がした永遠は、きっと思うところがあるのだろうと、のぼせる程のくすぐったさを噛みしめて耐えることにした。


 夜風が火照った頬を冷ましているのが自覚できるぐらい、瑠璃乃の抱擁に慣れを感じ始めた頃、瑠璃乃の腕の力が少しだけ緩み、彼女は呟くように口を開いた。


「……ありがとね、永遠……」


「えっ、なにが?」


「わたしのままのわたしでいていいって言ってくれて。許してくれて……」


「う、うん……?」


「それで今もわたしを心配してくれてる。だから、ありがとう……だよ?」


 優しい抱擁は肯定の印なのだと永遠がとり、先に進もうとする。


「じゃあ、いっしょにさが――」

「――だから、いいの!」


「……え?」


 提案を断られた。厚顔にも思いがけなかったことに永遠は呆けてしまう。


「わたしは今のままで幸せだもん。ごはんが食べれなくっても、永遠が美味しそうに笑ってくれるなら、それもわたしの笑顔だよ? だから、いいの! 今のままで。普通じゃなくても永遠といっしょにいられるなら」


 自身の存在全てを預けるように穏やかに目を閉じての抱擁。

 その行為に、どれだけ信頼され、慕われているかを思い知った永遠は、瑠璃乃の言葉に痛みを覚えた。


 永遠は今日の事を、自分の口にした言葉を思い出していた。



『それはね、自分にとって嫌いじゃない人が、自分以外の人と仲良くしてると感じる、苦しいけど人間として当たり前のモヤモヤなんだよ?』



 あの時、深く考えずにとりあえず瑠璃乃を安心させるために言ったことだった。


 もちろん、生身ではないから人間ではないという価値観は持っていない。

 だが、今、それを口にすると別の意味も含んでくるような気がしてしまっていた。


(僕はあの時、とりあえずで言っちゃったけど、もしかしてとても残酷な言葉を掛けてしまったんじゃ?)


 永遠は悔やんだ。


 それに、もしかしたらこの子はもう自分自身で答えを出しているのかもしれない。

 想像に過ぎないが、優しいからこそ、あえて人間にならないことを選んだんじゃないかと。


 パートナーの提案に感謝しつつ、だが受け入れない。

 何かしらの理由で、人間の体を拒み、これからも人間でないことを覚悟している。

 瑠璃乃の雰囲気や態度に、そんな強い決意のようなものを永遠は感じた。


 なら、やはり自分なんかがおこがましくも、しゃしゃり出たことで彼女を戸惑わせてしまったのではと永遠は更に後悔を重ねようとした頃、


「……って、わたしじゃなくって、瑠璃乃三号が言ってたよ⁉」


 自分の言動にとてつもない恥ずかしさを覚えた瑠璃乃が、永遠の首筋に埋めていた顔を紅潮させながら飛び退くように抱擁を解き、どこかの誰か言っていたことだと、自分が言ったことではないと全力で否定する。


 本心がバレバレでダダ漏れ。

 用法用量が間違っているツンデレ。

 そんな瑠璃乃の態度でも、永遠は助けられた気分で、そっぽを向く瑠璃乃に困ったような笑顔を向ける。


 瑠璃乃が離れた首筋に彼女の温もりをまだ感じることが出来た。

 それに残り香の薄い匂いを嗅ぎながら、永遠は安心していた。

 提案を喜ばしく受け入れた瑠璃乃が人間になって、自分を支援する力が弱まり、またひきこもりに戻ってしまうことは無くなった。それに安堵してしまっていた。


 制御できずに湧き出てくる感情に、何て自分は身勝手なんだろうと自己嫌悪し、永遠は思う。


(最低だな……僕……)


 これで人間じゃないなんて。

 人間だったら良かったのに。

 人間のまま支えてくれないだろうか。


 そうやって自己中心的でもある願望を重ねてしまう自分がまた情けなくて。更に自己嫌悪を重ねるしかなかった。






 

「永遠、いつでも寝ていいからね?」


「あははははっ…………うん」


 会社に戻るらしい博士達を家の前で見送り、ベコベコのトレーラーが空にかっ飛んでいくのを見届けてから、富美子を交えて瑠璃乃と団らん。


 会話を楽しめる余裕はなく、落ち着かない団らんだったが、完遂できた。


 富美子と共に寝室に入る瑠璃乃も見届けてから自分の部屋に戻り、趣味に触れることもなく、疲れて怠い体をベッドに横たえてあっという間に眠りに落ちた。


 が、夢を見るまでいかない間に突然、体の隣に薄桃色の淡い光が灯りはじめた。


 それは徐々に人間の形となっていき、嫌な予感で眺めていると案の定、瑠璃乃がベッドに現れた。


 富美子が眠ったのを確認すると、エルイオンの補給を理由に永遠のベッドに潜り込んできていた。


 そして永遠が寝るまで隣にいると宣言し、今に至る。


 出ていきなさいとはとても強く言えない永遠は、異性が隣で寝ているというシチュエーションに居たたまれなくなっても、断れずにいる。


 永遠の異変をアザレアージュの力で何となくは感じ取ってはいても、原因までは分からず、彼を落ち着かせようとして瑠璃乃はさらに体を寄せる。

 

 気を利かせて体温を高く設定しての密着なものだから、永遠は湯たんぽに温められてるようで暑ささえ感じた。


 狭いベッドの端に追い詰められていた永遠の肩に瑠璃乃が触れる。永遠の心臓が強く脈を打った。


 おそらく彼女に他意はなく、ただ純粋に不自然な自分を気遣って体を寄せたのだろうと推測できるものだから、やはり止めてくれとは言えない。


 おまけに瑠璃乃の手が永遠の手を労るように包むものだから、永遠はなおさら出て行けなんて言えなくなった。


「永遠、なんだか、すごい汗かいてるけどだいじょうぶ?」


 額に汗を滲ませる永遠に瑠璃乃が尋ねる。


「……大丈夫だよ。うん、うん……」


「そう? べつに心配なんてしてないけど、よかったぁ……」


 問題無いことを告げると瑠璃乃は、器用にそっぽを向いてから満面の笑みを永遠に向ける。


 その天使のように愛くるしい笑顔に永遠は目を奪われた。


 同時に、何故ここまで愛らしいのかの真実も思い出さずにはいられなくなって、永遠は今までとは違う視点で瑠璃乃の顔を見つめる。


 この子は人間ではない。

 生物としての機能が備わっていないらしい。


 眠らないのでなく、眠れない。

 だから昨晩のように富美子が寝てしまってからは、どうしても寂しくなって、エルイオンの補給を建前にして、今朝のようにペネトレーターのもとにやってきたのではないかと永遠は推し量った。


(そうならやっぱり可哀想だな……)


 何度おこがましいと自覚しつつも湧き出てくる同情の念の下、瑠璃乃の顔を無意識に深刻な顔つきで見つめていると、そんなパートナーの様子を不思議に思って、寝たまま首を傾げた瑠璃乃が永遠に尋ねる。


「あっ、わたしが寝ないと寝られない?」


「え、あ、いや……」


 気がついたら見つめ合っていたことに照れ臭くなった永遠は口ごもる。それを肯定の意味に捉えた瑠璃乃は、


「じゃあ、わたし、先に寝るね! おっやすみ♪ カっラスミ♪ タっコのスミ~♪ スパゲッティーにはイカのスミ~~♪」


 元から知っていたのか、それとも自分といっしょにいなかった時間に仕入れてきたのか尋ねたくなるようなヘンテコな挨拶を口にして瑠璃乃は目を瞑った。


 だが、明らかに目を閉じているだけで眠っていないのが分かる。

 永遠に顔を凝視され、眠っていないのがバレてはいけないと瑠璃乃は、スピ~スピ~と、これまたわざとらしい寝息を演出してもいるからだ。


 もう放っておくしかないなと覚悟した永遠の目は半開きだが、どこか潔い。


 これ幸い、見つめ合うことはなくなったと永遠は瑠璃乃の整い過ぎた顔を見ながら思案する。


 瑠璃乃とこの先どう生きていくか。

 この先もうまくやっていけるのだろうか。


 闊達かったつとはほど遠い小心翼々しょうしんよくよくを地で行く永遠は、明るい未来ばかりを妄想できるほどポジティブではなかった。


 博士の話や、瑠璃乃のアイデンティティーから考えるに可能性は限りなく低い。

 だがしかし、もし嫌われたらどうしよう? 

 その場合、この子はどうなるのだろう? 

 どこに行くのだろうか? 

 自分のもと去っていくのだろうか? 

 だとしたら立ち直れず、一生をひきこもりとして過ごすことになりそうだな……などなど、心配ばかりが積もっていく。


 そして、自分に落ち度は無いと分かっていながらやはり、人間としての楽しみを共有できる体にしてやれない瑠璃乃への申し訳なさや自分の不甲斐なさが増していってしまう。


 勘違いでなければ、おそらくこの子は人間になりたいはずだ。そう思うから永遠は自分を責めるのを止められなかった。


 ごめんねと心の中で呟きながら永遠は、たぬき寝入りの瑠璃乃の顔を忸怩じくじ溢れる苦々しい顔でまじまじと見入る。


(整いすぎてる顔立ち……本当に本物のフィギュアみたいだ……)


 凝視していると、やはり瑠璃乃の際だって美しい顔の作りに目を奪われる。


 そこから連想したのか、永遠の視線は無意識にフィギュアケースという名前のカラーボックスへと移っていく。

 やたらに懸賞運だけは永遠は良い。

 そんな彼が集めてきたフィギュアが10個近く並んでいる。

 華やかなコスチューム。制服。水着。魔法少女。

 種類は様々だが、どれもがみんな容姿に優れ、たとえ大量生産のプライズ商品だとしても、永遠の目を癒やすには十分な魅力を備えていた。


 その中でも学習机の上に置いてある一番のお気に入りのフィギュアに目がいった。


 ベッドで寝ている姿勢のままだと、スカートの中が見えるか見えないかのような微妙な位置。


 永遠の視線が隣に瑠璃乃がいるのを一瞬忘れたようにフィギュアのスカートの中を探ろうとする。


 そんな行為の最中、不意に永遠の頭に瑠璃乃が過った。


 すると、永遠の目と体が固まった。

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