第36話 月に向かって寄り添って 背中越しには空元気


(情けないにもほどがあるな……僕……)


 永遠とわは縁側にポツンと腰掛け、溜め息を吐いていた。


 林本家は、少しだけ標高の高い位置にあり、気温も僅かばかり低い。

 四月といっても夜になると五度を下回ることもあって、夜風に長い間晒されると風邪を引く恐れも高くなる。

 それでも永遠は、火照った心身を夜風で冷ましたかった。


 自分のキャパシティーを超える思考を要求されることが続いて、心も体も熱を帯び、冷たい夜風に当たっていても寒いとは感じない。


 むしろ気持ちがいい。


 けれど、やはり溜め息は自然と出てきてしまって、10本の指では数えられないほど嘆息を吐き出し続けていた。


 博士や弥生も交えて、三年ぶりの他人との食事。富美子は息子の変化に大喜びし、博士達にしきりに手料理を勧めていた。


 そこで永遠は驚いた。

 博士の食が細過ぎることに。


 枯木のような体が何よりの証拠となっているように、二口、三口食べただけで申し訳なさそうに手を合わせたのだ。


 対して弥生は博士をフォローするように富美子の料理を引き受けていたが、大皿を空にするほどの量を平らげてもまだ余裕がありそうだった。


 その光景に少し吹き出してしまった永遠は、ふと、自分の隣で食事をする皆を笑って眺めている瑠璃乃を見て、笑うのが不謹慎に思えてきて上手く笑うことができなくなった。


(こう言うのもまた上から目線かもしれないけど、かわいそう……だな……)


 食事の前の博士達との会話を永遠は思い返す。


 隣で笑っていてくれるのなら生身の女性でなくても構わない。

 そんな主旨の言葉を吐いた。


 ウソではない。


 ただ、混じりっけのない本心かと問われれば違うと言わざるを得ない。


 格好つけてみたものの、下世話な下心も大きくあったのだ。


 欲求を満たせないという事実をつきつけられると、時間が経ってから、どうしても年相応の悔いのような感情が顔を覗かせてきて、いくら引っ込めてもすぐに上ってきてしまう。


 一人でいてもバツが悪く、永遠は力無く背中を床につけ、月をぼうっと見遣る。


 出会ったばかり。なのに好感度は最高値。それは決して自惚れではなく、自信というものとはほど遠い永遠にとっても確信できるまでに、瑠璃乃の好意は永遠に対して真っ直ぐだった。


(純粋に僕を好きでいてくれるあの子の好意につけ込んで、イヤらしいこと考えてたなんて……僕は何て卑怯なやつなんだ)


 瑠璃乃は可愛い。特殊性癖でも持たない限り、普通の異性愛者なら誰もが惹かれる容姿を持つ。

 豊満な年上の女性が大好きな永遠の目から見ても、とても魅力的な女の子。


 そんな女の子と一生、肉体的な関係は持てない。


 そう知らされて、見栄を張って綺麗事をうそぶいてみたものの、やはり人間としての本心に潜むもう一つのオスとしての本能は残念で残念で仕方がないようで、またそんな風に思ってしまう自分に嫌気が差して、永遠は唸りながら頭を抱えて苦悶していた。


「永遠」


 自分を呼ぶ声に、永遠は反射的にハッとなって寝ずまいを正す。


 最初に目に飛び込んできたのは純白の三角の布地。

 それを瞬時に下着だと認識すると同時に、ニーハイソックス、ふともも、プリーツスカートの内側にペチコート……。


 永遠の青い欲を刺激する情報が同時に襲いかかった。

 瑠璃乃が永遠のほぼ頭上に立っていた。


 惹き付けられる。見蕩れてしまう。視線を動かしたくない。

 けれど、それらは失礼に当たると冷静になり、後々考えれば自分でも不思議になるほど動揺せず、自然に目を逸らし、身を起こした。


「……どうしたの?」


 上体を起こしながら応える永遠の後ろで、瑠璃乃が立ったまま、縁側から見える夜の山々と、それを照らす月を一瞥してから、永遠に視線をゆっくり下げると、


「……食べれなくってごめんね」

「え?」


 思いもよらなかった謝罪に、永遠が瑠璃乃を振り向きざまに見上げると、彼女は、とても申し訳なさそうに彼を見ていた。


「わたしが普通じゃないの、気にしてるんじゃないかなって思って……」


「き、気にしてないよ。気にしてるけど気にしてないよ? ……あれ?」 


 永遠の言っていることを瑠璃乃も理解できていないようだった。


(何言ってるのか自分でも分からないな)


 3年ひきこもっていた人間のコミュニケーション能力と言語化能力は著しく退化し、下手に気遣おうと身構えたら、ひたすらにテンパって上手く口が回らなかった。


 照れ隠しと焦りから永遠は鼻を素早く擦って何とか落ち着くように己を言い聞かせ、これじゃいけないと踏みとどまって続ける。


「ええと……つまり、ぼ、僕は大丈夫。君のほうこそつらくない? 逆に僕達に遠慮してるって言うかさ……」


 この子の場合、必要とされる理由が理由だけに、利他的で献身的。己よりもパートナーを第一に考える。

 そんなところが昨日出会ったばかりの人間にも容易く理解できて、現在の謝罪も、食事を摂れない自分自身への悔しさと言うよりも、やはりパートナーに合わせれない申し訳なさからきているんだろうと永遠は察した。


「遠慮なんてしてないよ? わたし、とってもズンズンチぃよ?」


(ズンズンチ? ……あ、図々しいか)


 瑠璃乃の言葉の翻訳が今朝より速く出来た。それが嬉しかった永遠の頭が少し冷え、余裕が出たようだった。


「……博士からちょっとだけ話を聞いたよ。なんで食べられないのかも」


 これから伝えることを考えると、向かい合い、目を合わせての話はとてもできそうにない。だから永遠は座ったまま、山と星空を眺めながら、意思を固めるように手を組んだ。


「……昨日言ったけど、僕は君がどんなふうでも受け容れられるよ? 君のおかげでこの間までは思いもしなかった今があるんだし、外の空気に触れられたのが何より嬉しかったし、食べたくて仕方なかったカレーも食べられたし、当然だよ。……でも僕はそれでいいとして、君は大丈夫?」


「わたしはだいじょうぶだよ!」


 瑠璃乃はVサインを永遠に向ける。


 背中から気持ちの良い声が聞こえても、永遠にはそれが空元気に思えて仕方なかった。


「……勘違いだったら悪いけど、僕達がごはん食べてる時の君の顔、笑ってるのに何だか寂しそうに見えたんだ。それを見たら大丈夫じゃないんじゃないかって思って……」


「そんなことないよ~、あはは……」


 否定する瑠璃乃のVサインはシナシナと崩れ、永遠に見えてない安心からか目を伏した。


 明らかに本心じゃない。

 そう思った永遠は向き合って話す覚悟を充電するように口調に若干の勢いを載せる。


「博士もアザレアージュのことを全て知ってる訳じゃないらしいんだ。人間にする方法も分からないって。でもそれって裏を返せば、博士も知らなかった人間になれる裏技があるかもしれないってことにもなるんじゃないかな?」


 夜空を見ながら瑠璃乃の反応を待つ。だが彼女からリアクションが返ってこない。


 上から目線が気に障ったのだろうか? 

 喜んでくれているのだろうか? 

 不安に思いながらも、彼女ならきっと後者なのだろうと推測すると続けることを選ぶ。


「僕が何とかできるなんて、おこがましくてとても言えないけど、君がもし人間になりたいって思ってるなら、僕にその裏技探しを手伝えないかな?」


 手伝ってほしいと叫びたい。

 ただ願ってくれればいい。

 それだけでわたしは人間になれる。

 そう伝えたかった。


 だが、瑠璃乃はそれを望まない。それは自分のわがままだと欲求に蓋をした。


 自分本位かもしれないわがままで永遠を守れなくなるかもしれないのはいやだ。


 守れなくなるならこのままでいい。


 嫌われるならこのままを変えたくない。


 だから自分はこのままでも幸せだ。


 この人は本気でわたしを気遣ってくれている。そう思えるだけで今はいい。そう思えるわたしば幸せ者だ……と、瑠璃乃は一抹の寂しさを置き去りにして、胸を喜びで満たしていた。


「どう思う? 瑠璃乃――」


 きちんと向き合い、目を合わせて話をしようと覚悟を決め、永遠は座ったまま振り返って瑠璃乃を見上げる。


 だが瑠璃乃は居たはずの場所に姿がなかった。


 視界に入るはずだった瑠璃乃がいないことに一瞬戸惑いをみせる永遠。

 だがそれは直後に動揺に変わった。


瑠璃乃に背を向けて座っていた永遠を、彼女は背後から両腕で優しく包み込む。


 肌触りの良い金の髪が永遠の頬を撫で、温かで滑らかな肌が密着してくる。


 瑠璃乃は永遠の首筋に顔を埋めていた。

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