第34話 君が君であることを選んだ理由


「……君が見たように、あの子は……瑠璃乃は女性としての機能を備えていない。いや、生物としてのといったほうが正しいだろうか」


「生物?」


 永遠とわの問いに博士はゆっくりと頷いた。


「……彼は……瑠璃乃の以前のパートナーは、女性を特別で神聖な存在として捉えていた。言うなれば、神格化とでも言うのだろうか……」


 それを聞いた永遠は、それだけで大体のことが理解できた。

 前ペネトレーターのことを深く訊くことは失礼にあたるような気がして気が引ける。

 それ以上に、永遠は知る事に対して恐れを抱いていた。

 ただ、先代の彼がどういう女性を求めたのかなどは、博士のその言葉で手に取るように理解できた。


「人間が生きている証として代謝機能がある。食べる。消化する。汗をかく。排泄する……。生きることに伴う当たり前。彼はそんな当たり前を否定した。受け容れることが出来なかったんだ」


 博士の説明通り、ペネトレーターとなる人間が自分と同じような種類の人間なら、同じ穴の狢ならそう考えてもおかしくないと永遠は腑に落ちる気分だった。


「自分にとっての理想像から臭いなど出ない。出てほしくない。そう強く願ったために、瑠璃乃は人間としての機能を持たずに生まれてきたんだ」


 特殊な性癖が無い限り、二次元の女性が画面からそのまま出てきたように、現実に恐ろしい程よく馴染んで実体化してくれるのなら臭いなんて放ってほしくない。

 いつもシャンプーか石鹸、テンプレートに柑橘系の良い匂いがしてほしいと望むに決まっている。


 先代の彼を自分と近しい存在だという推測した前提で推察している。永遠は失礼を自覚しながらも、近しいからこそ、この推察に自信が持ててしまった。


(だから……か……)


 永遠の中で瑠璃乃の不自然に映る事がある振る舞いの理由がパズルをはめ込むように合点していく。


「……それで、その前の人についてを瑠璃乃は忘れてるんですよね?」


「ああ。だが目覚めた瑠璃乃に私達についての記憶はあるのに、何故前ペネトレーターに関する記憶だけ抜け落ちているのかへの答えは、全て推測の域を出ない」


「……抜け落ちてるってことは、瑠璃乃に先代の人のことを訊くのはNGですか?」


「そうしてもらえると有り難い。現在の状況から察するに、あの子の精神にマイナスの影響を与える可能性も充分に考えられる。できるならば、あの子が自分の存在に対する矛盾に自ら気付くまでそっとしておいてやってほしい」


「……分かりました」


 永遠は内心ホッとしてしまった。そんな子じゃないと分かっていても、比較されて自分のもとから去っていってしまうんじゃないかという不安も大きかったからだ。


「……そういった理由により、食べたり眠ったりすることが出来ない。君と体験を共有したいと願っても、それは叶わぬ願いなんだ。だから瑠璃乃は苦しいのだと思う」


「そう……だったんですか……」


 だから食べられない。

 だから〝ごめんね〟とフードコートで言ったのだと永遠は理解した。


 当たり前にできるができない苦しみ。

 永遠にとって、その感覚は想像するしかない。

 

 けれど、たとえば学校の給食の時間、自分だけがみんなと給食を食べる事ができない孤独の光景を思い浮かべるだけでも相当な痛みが胸に走った。


 そうして俯いて眉をひそめる永遠に博士が尋ねる。


「改めて訊きたい。君は本当にいいのか? 欲望を果たせない相手だったとしても、君は瑠璃乃を受け容れられるか?」


 永遠を正面に捉え、優しげだが熱誠も大きく込められた瞳で博士は問うた。


 博士の瑠璃乃に対する愛情と、彼女のペネトレーターとなった自分への心遣い。大きな二つの真心が乗せられた言葉に応えるため、永遠は深呼吸を挟んだ後、ゆっくりと口を開く。


「……慣れてるんです」


「慣れている?」


 呟くような永遠の言葉に、博士が若干考え込むような素振りを見せる。


「……遠距離恋愛ってあるじゃないですか。一年、一月に一回しか会えないとか。でもその人達は会えるんですよ。でも僕が可愛いなって思った女の子の中には絶対に会えない子がいるんです。次元が違いますから……」


「次元……高次元や別ブレーンということか?」


「違いますよ。マンガの女の子ってことです」


 イメージの齟齬に首を捻った博士を弥生がフォローする。


「そうです。何かのモニター越しでしか会えない女の子達なんです」


 俯き気味に話し始める永遠を、博士と弥生の二人が見守る。


「いっぱい可愛いなって思う子がいました。全部が画面の向こうですけど……」


 創造物相手でも〝俺の嫁!〟とはおこがましくて声高に主張できない永遠だったが、他の愛好者同様、そう思えるほど入れ込んだキャラクターもそれなりにいた。


「それでも僕は楽しかった。深く考えると少し寂しかったけど、楽しいんです」


 彼女らとの甘い日々を懐かしむように永遠は博士と弥生の上の掛け時計を見上げる。


「それに比べて瑠璃乃は現実に僕の前にいてくれる。……正直、下心はあっても恋愛的な好きは無いです。可愛いとは思うけど、それはキャラやフィギュアを可愛いと思うのに似てて……。でも瑠璃乃は美少女の形をしてて、話も出来て傍にいてくれて……。モニターが間に無いのに、こんな僕に笑いかけてくれる。もうそれだけで僕は、楽しいです」


 自分の言葉に嘘偽りはない。そう自覚できる本心を吐露できたこと自体が嬉しくて、気が軽くなった気分で永遠は照れるように笑った。


「君の生物として正常で真っ当な欲求を満たせないとしてもか?」


「……はい。……そりゃぁ、そういうことしたくないって言えばモノ凄いウソになりますけど、あんなに可愛い子がパートナーっていう事実だけで、僕はやっぱり嬉しくて、楽しいです」


「永遠くん……」


 弥生が優しげに大きな謝意を込めて永遠を見遣る。

 思春期の彼等にとって、性というものがどれだけの比重を占めるか。それを理解し、加味したうえで、それでも瑠璃乃といることを楽しいと言ってくれる。

 理由はそれぞれあっても、瑠璃乃を肯定してくれている。それが分かった弥生は永遠に大きな感謝を向けた。


 ただ、照れている彼をあまり見つめるのも可哀想だと博士の方を向くと彼と目が合う。お互いに感じたことは同じようで、氾濫しそうな涙を湛えた彼に弥生は頬笑みながら、一度大きく共に頷き合った。


「……それより、むしろ、僕が今の瑠璃乃へ望んだことが悪く働いて、つらい思いをさせてるんじゃないかなとは感じてます」


 どうして? 二人は永遠の言葉を待った。


「……今だからこそ分かります。朝ご飯を食べたとき、瑠璃乃、食べれないじゃないですか? 

 その時は分からなかったけど、今思えば、あの子は自分が食べられなくてつらいんじゃなくて、僕達に合わせられなくてつらいって感じだったんだと思います……。

 自分じゃなくて僕のために苦しんでるみたいだったんです。だから理由を知ったら、うまい具合に人間にできなくてごめんねって感じちゃって……」


 瑠璃乃を思い遣る永遠の優しさに博士達は感謝し、心の中で頭を下げる。


「……だから、今からでも人の体にしてやることって出来ないんですか?」


 だが、いくら謝罪しても彼の望みを叶えることはできない。それを伝えなければいけない二人の表情は暗い。だが、言わなければならないと覚悟を決めて息を吸う。


「……結論から言うと、出来ない」


 甘い考えだと自覚しながら淡い期待を抱いて尋ねた可能性は、はっきりと否定された。


「……そう……ですか……」


「いや、正確に言うと分からない……だな」


「分からない?」


「ああ。アザレアージュが身体構成を誕生時から変化させた前例は無い。

 そもそも私さえアザレアージュの全てを知っているかと言われれば自信を持って頷くことは出来ないんだ。

 それにもし出来たとしても、考えられる影響が必ずしも良いものだとは限らない。

 ……たとえば永遠、君は瑠璃乃のことをどう思う?」


「え⁉ ……可愛いと思いますけど?」


「それは当たり前だ!」


 叫ぶ博士の背中を弥生がスパーンと叩く。ストレス解消用パンチングマシーンのように折れた上半身が畳にぶつかって勢いよく戻ってくると、


「……そうではなく、アザレアージュとしての戦闘能力のことだ」


「あ、あぁ~……はい。強い……ですね。もの凄く」


「ああ。その通りだ。単純な出力で言えば、アザレアージュの中でも抜きんでている。それは間違いなく、人間としての身体機能を持たないからこそ出せる力なんだ。人間としての機能を持った存在が音を遥かに超えて動けはしない。光の速さに対応などできない。耐えられる訳がないんだ」


「……つまり、人間になると弱くなるってことですか?」


「ああ。それだけは断言できる。そして身体能力だけではなく、君への支援……調脳力にも影響が出るかもしれない。それでも君は瑠璃乃に人の体を与えたいと願うか?」


 永遠の顔が強張った。


 博士の問いにはっきりと頷けるほど今の彼は強くなかった。


 彼女の支援が弱くなった時、自分はまたひきこもりに戻ってしまうんじゃないか? 

 

 そう恐れてしまい、博士に何も返せないでいた。





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