第33話 好きだから


「……こういう言い方はどうかとも思うが、あの子は普通のアザレアージュではない。……アザレアージュの誕生についての話を覚えているか?」


 問われた永遠とわは記憶を辿る。


 その最中、どうしても赤木からの厳しい指摘などまで思い出されてしまい、表情も体も強張る。しかし、気にしないように努め、それを振り払うように赤木から伝えられたことも混ぜ合わせながら理解に努めた。


「……あんまり自信ないですけど、ペネトレーターから出る普通じゃないエルイオンをもらわないと生きられない。それで、その普通じゃないエルイオンを効率よく出すためにはペネトレーターがアザレアージュの子を好きでいないといけなくて、そのためにペネトレーターにとっての理想像で生まれてくる……ですか?」


「うむ。基本的にはそれで合っている」


「頭がいいのね、永遠くん♪」


「い、いや、それほどでも……」


 褒められた。特に弥生に褒められたために永遠の鼻の下は伸び放題だ。得意気になった彼は更に付け加える。


「赤木さんから聞いた話だと、瑠璃乃のペネトレーターになった僕の影響で、あの子は前とは違った性格になったんですよね? そもそもそれについてもよく分かってないんですけど、ペネトレーターってそんな大きな決定権があるんですか? 人格を決めるなんて……」


 改めて考えれば人の性質を人が作るなんておこがましいにも程があると、永遠は重圧を感じてしまう。彼の不安を汲み取った博士が一呼吸を置いてから、


「……万能の弦、エルイオン。その凝集体であるアザレアージュだが、ペネトレーターよってこの世界に生を受けた際には感情というものを持ち合わせていない」


「……心が無いってことですか?」


「それに近い。真っ白なキャンパスと例えれば分かり易いだろうか? 

 そこに喜ばしい、楽しいなどの感情の筆で絵を描くことにより、朧気だったエルイオンが人の形を成し、感情を持ったアザレアージュという実体を得る。

 エルイオン供給を円滑にするため、心地良く、幸福だという感情を受け取るための情動機構をアザレアージュに与えるのもペネトレーターなんだ。

 ……生みの親でもあり、育ての親でもある……だから、そこまでの選択権を持っている……と言えばいいのだろうか……」


 どこか歯切れ悪く博士が説明する。


 その様子は奥歯に物が挟まっていて話づらいと言うより、後ろめたさのようなものがあってハッキリと言えないようにも永遠には映った。


 だから理由に傲慢さを感じても、不服を声を大にして申し立てる気にはなれなかった。


「……そう……なんですね……」


 ただ、永遠も器用な方ではなく、態度は隠しきれなかった。それを察した博士が、


「双方にとって、それだけの価値があるものを交換した結果の、それぞれの報酬なのだと考えてはくれないだろうか?」


 とりあえずの理解の一助を提案する。


「そうです……ね」


 とりあえずの理解を永遠は選ぶことにした。


 しかし、納得させるべき博士も、納得するべき永遠も、どちらもが腑に落とすまで充分に納得しているとは言いがたい状況にある。二人の間にバツの悪い空気が流れる。


 そんな二人を前にして、弥生が鼻から息を一つ吐き出してから、一言。


「好きだから」


「「え?」」


 間の抜けた声を出した博士と永遠を前に、さも当たり前の事を淡々と語るように、弥生が継いでいく。


「好きだから、好きになったから、その人に気に入られたい。だから変わろうとする。そんな理由じゃダメかしら?」


 永遠を見つめ、弥生が言った。彼は呆気にとられた。だが間を置いて承諾する。


「そう……ですね」


 シンプル。これ以上ないくらい分かり易い理由だった。だからこそ、自分にも落とし込みやすい。永遠はその答えがフッと腑に落ちた気分になる。


 同時に、責任や重圧が軽くなり、肩の力が抜けていくのも感じる事ができた。


 ただ、その男女関係ない共通の努力を向けられるのが自分である事実と、自分の過去の努力の経験を思い出すと、永遠は羞恥のダブルパンチを喰らった気分になって、顔に熱くなってしまった。


 隣の弥生に振り向き、博士は目礼をする。彼女は目を閉じ、頬笑んで首を振った。


 一件落着。という空気になったのも束の間、永遠の面相に暗さが滲む。


「でも……ですね……」


 俯き気味に話し始める永遠に再度、博士と弥生は注視する。


「なら、本当にこんな僕でいいのかなって、どうしても思ってしまうんです。……あの、ハーレム系って分かりますか?」


「ハーレム系? ……ショーウィンドウの中のトランペットに毎日憧れの眼差しを注いでいた少年の事を毎日見ていた紳士が少年にトランペットを買い与え、後に少年はその音色でたくさんの人々を感動させたという逸話に基づくヒューマンドラマか何かだろうか?」


「違いますよ。たぶん、たくさんの女の子からモテちゃう男の子の物語よね?」


「はい、そうです。そのハーレム系アニメだと、主人公がいろいろな女の子にモテちゃうことも多いんです。極端なのだと会っていきなり好きになって貰えたり。それに重ねる訳じゃないですけど、あの子のアイデンティティーを分かったうえでだと、なおさら罪悪感が出てきてしまうというか何と言うか……」


 自信なさげに語る永遠を前にして、博士達は顔を見合わせててから、頬笑んだ。


「君は真面目だな。そして紳士だ」


「え?」


「うふふっ。そこまで考えてくれる紳士的で優しい人なら、好きになる理由は充分にあると思うけれど?」


「……恐縮です」


 注がれたベタ褒めに、永遠は照れくさくて身を縮こませる。


「それにね、一途で好きになったら一直線でも、アザレアージュだって好きになる理由がちゃんとあってペネトレーターを好きになるの。ただ無条件って訳でもないのよ?」


「そうなんですか?」


「もちろんよ」


 自己肯定感が希薄な永遠は、今は好意を強制しているのではという負い目が先に立つ。だから弥生の言葉は永遠の背中を押すように作用した。


「あの子の好きにどう応えるかは永遠くんの自由だわ。だから、今はまだ、大事にするだけでいい。それだけで大丈夫ってことでどうかしら?」


「……はい。それなら出来そうです」


 ほんの少しだけ緊張の取れた様子で永遠が言うと、大人達は笑顔で二回頷き、彼の意思を尊重することを示した。


「……あの。もう一個いいでしょうか?」


「ああ。出来る限りの質問に応じるつもりだ」


「ありがとうございます。……じゃあ、あの、瑠璃乃は何で瑠璃乃になったんですか? なんで僕がパートナー……ペネトレーターなんですか?」


 その新たな問いに博士は即答しなかった。居間にある古い時計の秒針の音が大きく感じるまでの時間を要してから、それでも答えるのに躊躇するように眼鏡のブリッジを指で押し上げてから淡々とした様子で口を開く。


「……ペネトレーターとなりうる人間は具体的には腹側運動前野領域のミラーニューロンの活動が常人と比べて活発になりやすいその影響からか他者の感情や感覚を過敏に察知してしまい通常生活も困難になるペネトレーターも多いまた前頭極部の活動値も大きく前頭葉内側部の巨大紡錘状細胞が一般人より多く存在し最大の特徴として扁桃体の活動値が高いだけではなく扁桃体自体の容積が常人と比較すると4%ほど大きいことが分かっている扁桃体の容積が減少しているのではなく増大しているにも関わらず5―HTTセロトニン・トランスポーター遺伝子がペネトレーターとなりうる人間はもれなくS型でセロトニン回収能力が常人に劣り感覚情報に敏感なうえアミンオキシダーゼの活動も不安定でやはり情緒不安定になりやすいなど様々な要因が重複しペネトレーターとなる者は現資本主義至上社会到来で求められた均一化された労働力としては――」


「いやっ! そういう難しいことじゃなくってですね!」


 永遠が小さく挙手して博士を制止した。


 一度の息継ぎもなくペラペラと、よくぞそこまで流暢に話せるものだと感心さえしたが、理解もできないし、聞きたいのは知識としての情報ではなかったからだ。


「そうですよ博士。永遠くんが訊きたいのは、そんなお経みたいな話じゃなくて、瑠璃乃ちゃんが瑠璃乃ちゃんな理由です。そうよね?」


「あっ、はい……」


 フォローしてくれる弥生に、永遠は照れながら肯定を示す。


 そんな博士に促す弥生の視線に、永遠は鋭さのようなものを感じ取った。


 それは正しい。覚悟を決めるべきだという思いも込めて、弥生は博士に真実を語るように後押ししたのだった。


「そうか。すまなかったな」


 博士は一言謝ると、またブリッジを指で上げ、居住まいを正し、永遠に向かい合った。


「……もしかしたらまた君を傷付けるかもしれない真実を伝えねばならないが、聞いてくれるか?」


 博士は告白を口にするのにまだ迷いがあるのかどこか苦しげにも映る。


「…………はい」


 だが、真摯な眼差しで向かい合ってくれる博士に、永遠は静かに覚悟を持って応えた。


 永遠から覚悟を受け取った博士も意を決したように一度、長く目を閉じ、永遠を見据えて深呼吸してから重い口を開いていく。








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