第31話 100数えたら出ておいで
瑠璃乃に「100数えたら出ておいで」と、自分の気持ちを落ち着かせるための時間稼ぎの口実を平身低頭に押しつけて、
興奮と混乱で思考が間に合わない。
だから永遠は一番落ち着ける場所、無意識に自分の部屋をまばたき一つせず目指した。
邪な期待は裏切られ、見えるはずのものが見えなかった。見えていてもきっと良心の呵責に苛まれるだろうから今はそれで良かったと思える。心から。
だが、何故あるはずのものが無いのか。性の印が無いのか。今の永遠の頭はそればかりが巡っている。
だから途中、居間から富美子の声とは違う笑い声がするのにも気がついていない。部屋を目指すのに精一杯だ。
ただ、雰囲気のようなものを感じたのだろう。永遠は何とはなしに横目で居間を一瞥すると、家に居るとは思いもしない人物達が目に飛び込んできて、膝の力が抜けてスッ転びそうになったが、何とか堪える。
見間違いじゃないかと、足に力を入れ直し、バスタオルが翻るほどの勢いで体ごと居間を覗き込む。
「はっ、博士⁉ と弥生さん……?」
そこには確かに、外見が印象的な二人が母と談笑していた。
「やぁ、永遠君! お邪魔しているよ」
「……くん?」
「おっと……おほんっ。……永遠、上がらせてもらったぞ?」
素の自分が出たのを誤魔化して、博士は永遠にニヤリと笑いかける。
「お邪魔してます、永遠くん」
「あ……い、いらっしゃい……ませ……」
たおやかな居住まいで笑いかけてくる弥生に、永遠の鼻の下が反射的に伸びた。
張り詰めたタイトスカートから伸びる黒のストッキングに包まれた膝の丸みにも大いに反応して、何故自分の家にいるのかを訊く気が一瞬失せる。
「昨日は、式條さんと弥生さんにお世話になったんですって?」
「あ、うん……」
怪獣を相手にしてました。そんな事実を言ってもいいのか。どこまで話していいのか判断に困った永遠が無意識に弥生の方を見ると、彼女が頬笑みと共にウィンクで応えた。
「本当にこの子がお世話になって」
「いえいえ。こちらこそ永遠くんには助けられてばっかりで」
富美子と弥生がペコペコと頭を下げ合う。
「これからもハルジオンさんや瑠璃乃ちゃんにお世話になると思いますけど、どうかよろしくお願いしますね」
「こちらこそ、林本さんには弊社のワーキングサポーター……瑠璃乃ちゃんを任せることになりますので、あの子のことをよろしくお願いします」
正座で向き合う二人を見て、永遠は家庭訪問や三者面談に似た照れと恥ずかしさを感じた。
「うふふ、身の回りのお世話ぐらいしかできませんけど、どうか任せてください」
「うふふ、ありがとうございます。でも一番にお世話するのはお互い同士なのかも……」
「将来までずっとお世話し合うなんてことも……」
富美子の未来予想図に弥生は嬉々として同調する。二人は顔を見合わせて、
「「やだっ、もう♪」」
共に片方の手を口に、もう片方の手を手招きするように返すという全く同じ動作でシンクロした。永遠は二人にオバサンの一端を垣間見た気がした。
「永遠~! 100数えたよ~~!」
ドタドタドタと騒がしく、瑠璃乃がバスタオル一枚で隠したつもりになって永遠に追いついた。体を拭いてないのか、髪は濡れたまま、床にも足跡がくっきり残っていた。
「なっ、なんて格好で出てくるのっ⁉」
永遠は焦った。あらぬ誤解を大人達に与えかねないと。
「そうよ、瑠璃乃ちゃん! 言ったでしょう? そういうのは自分を大切にしてないように見えちゃうって」
「あ、そうだった!」
弥生に叱られるように指摘され、瑠璃乃はいそいそとバスタオルを体に巻き付けた。
「すみません。この子、ちょっと世間知らずなところがあって……」
「ぜんぜん気にしないですよ~! ほがらかで可愛らしいじゃないですか~」
「ありがとうございます。今みたいに戸惑うことも多いと思いますけれど、どうかよろしくお願いしますね」
「そんなそんな! かえってこの子も喜んでるかもしれないですし……」
富美子が、からかうように永遠を見上げる。
「ちょ、母さん!」
そんなことはないと否定したくても説得力が全く無いものだから、永遠は反論できない。
「でも瑠璃乃ちゃん、気をつけなきゃダメよ? それと、こんな場面になっちゃったときに、どういうふうにすれば永遠くんともっと仲良くなれるかのお勉強もしたでしょ?」
「うん。覚えてるよ!」
弥生に促されて瑠璃乃は何かを思い出したのか、胸に両手を置いて大きく一呼吸すると、
「ごほん。……きゃあ、永遠さんのえっちぃ~~」
腕を絡ませ自らを抱き込んで、まるで国民的アニメに出てくるお風呂大好きなヒロインみたいに言った。台詞と表情が一致しない、恥じらいなど微塵も感じさせない朗らかな笑顔で瑠璃乃が棒読みの演技を披露した。
「いろいろと遅いよ! あ~もうホント、そんなのどうでもいいから服を着なさいっ‼」
皆に囲まれて少し頭が冷えて落ち着いたのか、永遠は瑠璃乃のあられもない姿に興奮し続けることなく、子供を叱るように彼女をたしなめた。
やれやれといった様子で頭を抱える息子に富美子が、
「……永遠もじゃない?」
富美子に指摘され、今更ながら体が、特に下半身がスースーするのに気付いた永遠はゆっくりと視線を落としていく。そしてなにものにも隠されていない自分の分身の姿に、
「きゃ~~~~~~~~~~~~~~!!!」
羞恥で真っ赤にしながらも青冷めて生娘のような悲鳴を上げた。
服を着て、瑠璃乃にも服を着せに行かせ、永遠は博士と弥生と畳の上で正座にて向き合った。
富美子は、邪魔にならないようにと夕食の用意に向かった。手伝うといって瑠璃乃も付いていった。
富美子達の目が無いことを確認すると、
「……何かご用ですか?」
どうしてもぶっきらぼう気味になって永遠は博士に尋ねた。
「これから瑠璃乃がお世話になるんだ。ならば君の親御さんにも一度ご挨拶に伺おうと思ってな……」
博士が弥生に目配せする。
「つまらないものですが♪」
弥生がバスガイドさんの右手に見えますのが――のようにテーブルの上を示す。そこには富美子に差し出し済みであろう贈答品らしきものが置いてあった。
「私のお勧めのスペシャルドリンク詰め合わせだ」
「……それって〝粗茶〟のことですか?」
「ああ。今回は練乳チョココーラから闇鍋甘口カレーあんぱん味など十二種類を用意した」
(100倍ぐらいに薄めて一年ぐらいかけて僕が責任もって処理しよう)
母を犠牲にしないために、少年はひとり決意した。
にこにこ笑顔を絶やさない弥生に比べ、まだ何かあるのか博士は手持ちぶさたなのか何なのか若干挙動不審にキョロキョロしている。その様子に永遠はピンと来た。
「……これだけじゃないんですね?」
「ん? あ、ああ……。他にも少し……な……」
昨日今日と続け様に子供に金銭的負担を強いたまま解決策を示せない。その後ろめたさがあるのだろう。博士と弥生ははっきりと答えたいのに、今現在は答えに窮したままのようで言葉を詰まらせている。
ならば自分から動かなければと、永遠が呟く。
「……50円」
それを耳にした博士と弥生の肩が跳ねる。直後に博士の頭部から滝のような汗が流れ落ちてくる。
「なんで50円なんですか? 紙には七億とか書いてあったのに……」
「それはだな……」
助けを求めるように弥生に目を移す博士。だが、和やかに絶やさぬ笑顔を浮かべてはいるものの弥生は彼の期待に応える用意がなく、そんな笑顔のままゆっくりと首を横に振った。
援護は無し。これから目の前の契約者に事の真相を話せばお叱りを受けるのは確実だ。しかし、もとはといえば自分の落ち度も原因の要因なのだからと博士は腹をくくった。
「……実はだな、対特殊自然災害部隊が動くと、一回で少なくとも億単位のお金が掛かる」
「はい」
「戦闘の中で部隊の装備品が消耗すれば、またお金が掛かる」
「はい」
「エイオンベートに立ち向かうためには常に万端を期さないといけない」
「はい」
「強力なエイオンベートであればあるほど装備の消耗は激しくなり、修理などでお金がことさらまた掛かる」
「はい」
「昨日と今日に現れたエイオンベートに対処するために投じられた装備の修繕費は君への負担という形になるのだが……」
「でも今回は何も壊してないですよね?」
「そう……だな……装備は何も壊れていないな……」
なんとも博士の歯切れが悪い。
「……今回の作戦で、瑠璃乃とエイオンベートが接触した際、巨大な火球が出現したのを覚えているか?」
「はい。熱中症になりそうなぐらい暑かったですね」
「作戦予定になかった防護膜を急遽大規模展開させることにもなったのだが、一部地域に熱波と衝撃波が防護膜の間をすり抜けるように到達してしまってな。その地点の建造物などが多少焦げるなどしてしまって、地権者への保証の支払い義務が発生してしまったんだ……」
「……そうなんですか」
「それは完全なる私の過失で、本来予期しなければならなかった事態を完全に忘却の彼方に置いてきてしまっていたことが原因であってだな……」
今にも押し黙りそうになるような声で博士はその細長い体を縮こませる。
「……つまりだな……そのな……損害を与えてしまったのが私や部隊であっても、それらの諸経費は作戦担当のペネトレーターの報酬から…………引かれることになっている」
「はぁっ⁉」
身を乗り出す勢いを感じられるほどの声を永遠が張った。
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