第30話 座ったところは顔の上


(お風呂に入れた柚とかは、そのあと食べてもいいんだろうか?)


 きれい好きの永遠は念入りに体を洗ってから、柚の香りがする入浴剤で満たされた湯船に浸かり、でどうでもいいことを考えていた。


 それはある意味現実逃避。


 気を抜くと、これからの身の振り方を考えなくてはいけなくなってしまう現実的な問題を考えざるを得なくなるからと。


 それはすぐにやってきた。全身を包む温もりに安心したからこそなのか、不意に突然、50円の報酬と負債問題が永遠にのし掛かってきた。


 気分と同じように体まで浴槽に深く沈む。


(7億が50円って。人生ゲームじゃあるまいし。どうすればいいんだろう? あの子と一緒にがんばっていけば、すぐに返せるかもって思ってたのに……はぁ……)


 朝に見た書類にあった数字を思い出す。


(報酬明細? には確かに7億って書いてあった。でも貰えたのは50円。僕が不甲斐ないからどこかでミスしてたとか? はぁ……みんな優しくしてくれたのに、何だかみんなにも悪いなあ…………みんな?)


 永遠がふと思い出す。博士、弥生、赤木による何らかの密談を。


 きっとそこで何かあったのだろう。


 その何かを推理するために、現場の光景を思い出してみる。


(話が終わった後、赤木さんは不自然に笑ってた。それから隊員の人が段ボールを運んでった。その後、博士も弥生さんもあからさまに何かを誤魔化して汗垂らしながら、やっぱり不自然に笑ってた。そこから導き出される答えは……あの人達、ちょろまかした⁉)


 最悪の可能性を疑って、永遠が眉間にシワを寄せて視線を横滑りさせる。


(いやいや、人を疑うのは良くない。……けど、あんなベッコベコの車乗ってるし、枯木みたいに細いし、赤木さんもやたらにお金が無いって強調してたし、その可能性は高いんじゃ……)


 契約書類をよく見なかった自分も悪い。だが、何かを隠しているような大人達にも真実を伝える義務があるんじゃないかと不服に思った。


(今度会えた時、いろいろ聞いてみるべきだな。うん。……会えるのかな、また)


 永遠が天井を見上げて、大きく溜息を一つ吐き出す。


 するとふと、永遠の耳が玄関の戸が引かれる音を拾った。


 それからすぐに、かすかに聞こえてくる可愛らしい声と聞き慣れた声も聞こえてくる。 


(あ、瑠璃乃帰ってきたんだ。よかった……)


 永遠は目を閉じ、安堵の息を一息吐いて、少しの間だけ一服した。


 それもつかの間、騒がしい音が近づいてくるのに気付く。


 軽快で間隔の空かない足音。戸を開ける音。閉める音。それから人影が磨りガラスの向こうに見えると、すぐに衣擦れの音。


(……ん?)


 そして浴室の戸が勢いよく開け放たれると、


「おっせなか流しにきましたよ~~!」


 一糸まとわぬ瑠璃乃が、得意げな顔を携えて現れた。


 現状の把握も何も、事象の認識さえ出来ないまま、永遠の時間が止まった。


 永遠が動かない。

 しばらく待っても。

 どうしたのかと瑠璃乃が風呂場に足を踏み入れようとした時、


「ちょちょちょちょちょちょっ⁉ 

 まっ、待って待って待って待ってっ‼」


 事態を飲み込めた永遠が立ち上がり、風呂場に侵入してくる瑠璃乃を声だけで必死に制止する。


 凝視するわけにもいかないが、目も逸らせない。


 少し見ただけでも、ほくろはもちろん、染みやくすみ一つ見られない透き通るような白い肌が眩しい。それはまるで、永遠にとって実物大のフィギュアに見えた。


 本人には羞恥心が全く無いのか、瑠璃乃はあっけらかんと笑顔で全裸を晒している。

 永遠は目を奪われながらも、できるだけ見ないように心掛けても無意識にチラチラ見てしまいながら、手を前に差し出し、制止する。


「あ、かゆいところはございませんか~のほうがいい?」


 永遠に止まるよう言われて、とりあえず踏み入れた足を止めた瑠璃乃が見当違いの答えを返す。


「問題が根本的に違うよ!」


 首を傾げる瑠璃乃。


「そもそも知り合ったばかりの男に簡単に肌を見せちゃいけません!」


 一般常識として、世間知らず極まる女の子を叱るように永遠が声を張り上げると、


「知り合ったばっかりじゃないよ! 一泊二日の仲だよ!」


「何となくいかがわしいし、意味が分からないよ⁉」


「それに日本人だから、だいじょうぶなんだよ」


 彼女の言っている言葉の脈絡と意味が理解できない永遠が物聞きたげに眉間にシワを寄せる。


「日本人は裸の付き合いが大切なんだよ!」


 堂々と胸を張って瑠璃乃が言い切った。


「それは例えだよ! そもそも君はあきらかに日本人じゃないでしょ⁉」


「そうなの? ……あ! 永遠は、わたしのこと何人だと思う?」


 瑠璃乃が何かを閃き、期待に満ちた目をさんさんと輝かして答えを求める。


「何人って…………イギリス人?」


「ぶっぶ~! 正解は地球人でした~! 永遠、ナゾナゾ下手だね♪」


 まるで古いマフィア映画のボスのように勝ち誇って偉そうに眉根を引き上げながら、片方の口角を上げてニヤリと笑い、瑠璃乃は凄く得意気だ。

 女性でなかったらテキトウにあしらってもいいと思えるほど、永遠の心はモヤッとした。


「せなか洗いながらナゾナゾ教えてあげるから、さ、永遠もお風呂出て出てっ」


 瑠璃乃は風呂場へと同時に、多少強引に永遠に踏み込もうと試みる。本気で嫌がっている訳じゃないというのが何となくアザレアージュとして汲みとれたからだった。


 まんざらでもない。むしろアニメや漫画に精通する永遠にとっては喜ばしいイベントのはず。


 正直、こうなふうなシチュエーションを妄想したことはある。物語の中で出くわすと、居たたまれなくなるほど顔が赤らんだけれど、目を逸らせなかった。

 が、目の前の光景は現実。創造物の中ではないことに対して猛烈な背徳心も沸き上がってきて、彼はとてもアニメの中の登場人物のようには振る舞えなかった。


「待って待って! ほんとにちょっと待って!」


 嫌な訳じゃなく、二人の絆が深まるなら良いじゃないかと、永遠の拒否する理由がよく理解できない瑠璃乃は思考を巡らす。


「……あ! そっか……そうだった。ごほん…………べ、別に永遠の体を洗ってあげたいわけじゃないわけじゃないけど、二人のこれからのために仲良くなろうって仕方なく洗いにきただけなんだからね!」


「違う違う! 今求めてるのはツンデレじゃなくって‼」


「もう! 遠慮しないでいいんだよ? 背中でも頭でも、好きなとこ洗ってあげるよ?」


 その言葉を受けて反射的に邪なイメージを青い胸の中に視て、永遠は生唾を飲み込んだ。


「ね? だからかたいことは言いっこなしってちゅーとるばってんねん!」


「何語⁉」


「ん~……るり語?」


 不思議な感覚だった。慌てふためいてしまうけれど嫌な気分にはならない。ただ、とてつもなく消耗していくのが自覚できるような感覚に永遠は戸惑い、焦った。


(だめだ! 話が通じない! この子はどうしても背中を流したいみたいだし……それは嬉しいけど、僕の男が直立して僕がダウンするまであまり時間が残されてない。……よし、ここは実力行使だ。目を瞑りながらあの子を強制的に外まで押し出して……はっ‼ それだとこの子の素肌を直接触ることになってもっとピンチに! ど、どうすれば⁉)


 ワナワナと小刻みに震え、俯き気味に苦悶する永遠の様子を見た瑠璃乃が、これは入って良いということだなと解釈して、ついに浴室に完全進入を果たした。


 浴槽の正面に迫ってくる裸体に気付いた永遠が、これ以上の接近を阻止しようと慌てて浴槽から出る。


 しかし震えた膝で急いで瑠璃乃に近付いたものだから、永遠はスライディングするように足を滑らせてしまう。


「永遠!」


 慌てて瑠璃乃が自身の脚の間に滑り込んできた永遠の腕を掴む。

 永遠は反射的にその手を掴んでしまう。


 結果、永遠は瑠璃乃の股の下に仰向けでくぐり込むようなアクロバティックな動きをみせて止まった。


 二本の脚の間にパートナーを受け入れて止めることに成功した瑠璃乃。

 だが、下になった永遠に捕まれた腕を振りほどいて永遠に痛い思いをさせる訳にもいかず、永遠の滑り込んでいく体の勢いのなすがままなって、永遠の顔面目掛けてしゃがみ込むように膝を折った。


 眼前に迫り、鼻から上に柔らかい瑠璃乃の大切な部分が密着する感覚に、永遠は絶句するしかなかった。


 まさにKizyou to the Ganmenである。


「お顔にごめんね。永遠、だいじょうぶ?」


 心配する瑠璃乃の声は永遠に届いていない。


 生まれて初めての女性の部分との密着に永遠は沸騰しそうな興奮を覚えながらも、集中力が高められ、思考は驚くほどクリアになっていく。


 見たい。もっとその先も。青い欲望が永遠を支配する。


 ただ最後の良心が働いたのか、永遠の目は力一杯に閉じられている。


 が、出来ることなら目を全開にして凝視したい、網膜に焼き付けたいという衝動に駆られる永遠は、大きな葛藤とも格闘する。


(目を開けちゃダメだ絶対にダメだでも開ければそこは桃源郷夢にまで見たシャングリラだけど絶対に目を開けちゃダメだそれはこの子の無邪気さを利用して尊厳を踏みにじる最低の行為になってしまうなら僕はこのまま柔らかい感触だけで満足するべきだ魔が差したなんて言い訳は使っちゃいけない欲望に負けてこの子を傷付けるような事をしちゃいけないだから僕に今できるのは全身全霊を持って目を強く閉じ続けるだけだ――)


 不退転の決意を胸に、永遠が目を引き締める。薄いまぶたの下に激しく血走った双眸を隠しながら。


 が、その決意は簡単に打ち破られた。


 天井から滴ってきた水滴が股間に当たり、

「ひゃん!?」と大きく反応してしまったのだ。


 ついでに、不可抗力で目を開けてしまった。


 もの凄く脆い決意であった。


 もの凄く大きな罪悪感に苛まれながら、永遠はそのまま目を閉じることが出来ず、上を凝視してしまう。


 しかし、永遠の短い悲鳴に反応して瑠璃乃が軽く腰を上げたにもかかわらず、がどこにあるのか把握できない。


 思いもしない景色に脳がバグを来たし、思いもしない行動が自分の意志とは違うところで起こるように繰り広げられてしまう。

 どこだどこだと、いつのまにか手放した理性とはまた異質なものに動かされ、血眼になって探していた。


 瑠璃乃の気遣う声をよそに高速で目を何周も回すように這わせる。


 だが見えるのは、色白の臀部だけで、らしきものが見られない。


 何かがおかしい。


 混乱し、思考が沸騰寸前のなか、永遠は全身全霊全力で首を引いて頭の位置をずらす。


 そして遂に目撃する。


「…………なにも……無い?」


 目にしたのは何も無い局部。彼女の性別を明確に示してくれるはずのが存在しない、ひたすらに澄んだ白い肌だけだった。



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