第28話 手放し難い違和感
「……白衣着てるし、お医者さんじゃないですか? 男の子を出張診療で見に来たとか」
対神風対処用地の景色に何を思うか。先輩記者に見立てを訊かれた後輩記者の新垣は、自分が見えるままを答えた。
「医者ねぇ……。俺だったら、あんな医者の不養生を地で行ってるような医者には診てもらいたくねぇな」
「じゃあ、どこかの博士とか? ちょうど助手みたいな人もいるし。……それにしても凄いべっぴんさんですね。見蕩れちゃうなぁ~」
「べっぴんさんって、お前いくつだよ? ……まぁ、確かに美人だな。それだけに何であんな菜箸に白衣着せたような気味の悪い細長い男の隣で、まるで秘書みてぇにスーツで決めて立ってるのか気になるぜ」
「スーツ? ……あぁ、たしかにあっちの人もかなりの美人さんですね」
「あっち? あっちってどっちだよ」
「あっちはあっちですよ」
会話が噛み合っていないと感じた古谷は眉間にしわを寄せる。
「つうか、用地にいるのはスーツの姉ちゃん以外は野郎しかいないだろうが」
「……古谷さん、ボケるにはまだ早いと思いますよ?」
「失礼だな、お前」
「それかやっぱり老眼か目がフシ穴になってるから眼鏡買ったほうがいいですよ?」
「あ?」
舌の根乾かぬうちにそれか? という威圧感たっぷりの顔で古谷が新垣を睨む。
「すみませんすみません! あははっ……あたしが言ってるのは、あの金髪のお人形さんみたいな女の子のことですよ」
自分のやたらに滑りのいい口を押さえて平謝りした後、新垣は金髪の少女を指さした。
「金髪だぁ……?」
古谷は目を凝らすが、新垣の言うような目立つ容姿の女性を用地に確認できなかった。
「ほら、男の子を介抱してあげてるじゃないですか?」
じっくりと注視していると、ぼんやりとした輪郭が視界に現れ、それを人間だと認識出来る頃になってやっと、古谷の目に金髪の少女が映った。
古谷はハッとした。さっきまで見えていなかったものが突然視界に現れたからだった。
同時に、猛烈な違和感に苛まれる。
だが、それを熟考しだす前に、どういう訳か古谷の中から最初からその違和感など無かったかのように、金髪の少女の存在を心が自然と腑に落ちるように受け容れていた。
得体の知れないはずの少女の存在を拒絶することなく、許せるような隙間が胸に去来する。
「お、おう……」
だが胸のつかえのようなもの、引っかかっている何か、胸にぽっかりと穴が開いたかのような空虚感と胸を満たす充足感、それらを混ぜ合わせたような違和感を手放すことを古谷は拒否する。
「おい、一応一枚撮っといてくれ」
拒否しても、すぐに忘れ去ってしまうような違和感の消失を恐れた古谷が新垣に撮影を急かす。
上司の様子が一瞬おかしかった。
そう首をかしげながらも、自分を頼りにしてくれていることがうれしくて、新垣はすぐに嬉々としてカメラに手を伸ばす。
模倣という行為のそもそもは、ヒトの進化や進歩を促してきた善い行いであるはずだ。
現代でも、模倣の極地にある技術にてヒトは救われている。
器官や臓器の再生から、真水、穀物、食肉や人工肉のような高タンパク源の複製。それらは自然にあるプロセスを加速させる事を真似る、事象の高速な模倣によって成り立っているものばかりだ。
模倣によって人類は尊厳を持ち直したと言っても過言では無い。
しかし、扱うのが人である以上、善悪が生じる。
善い極地の真逆に位置する技術として、シン化し過ぎたディープフェイクなどが挙げられる。
大統領が笑顔で陰謀論を肯定し、核のフットボールを作動させて敵対国に発射したと宣言させて世界を大混乱に陥れた。
大企業の代表が突如、人権弾圧とジェノサイドを行う国家に本社を置くとプレスリリースして市場を掻き回した。
人気俳優や声優がポルノ指定作品に出演を快諾。だが、そもそもが最初から実在しない人間が演技していた――などなど、大小多岐に渡る負の側面は重大な社会問題となった。
そして、それらのディープフェイクは深化の一途をひたすらに辿り、その様の真偽を早急に見破るには、最先端のデュアルユースのAIでもスペック不足なのが現状でもある。
随時、高い確度で判別するには、もはやハルジオンの量子アルゴリズムAIにしか任せることができない所まで来ていた。
しかし、ハルジオンだけに重大な判断を任せる事に反発するものもいた。いくつかの報道機関などが異を唱えたのだ。
そんな彼等が現代に選んだ最先端はアナログへの回帰。記録をテープやフィルムに戻す事だった。
稚拙ともとれる逆行でもあるが、意外にも法執行機関のトップやAIはこれを認めた。古典であるから人の手によく馴染み、加工もしにくく“真実”が担保されているらしい。何より、現代ではデジタルよりマシなのだと。
結果、報道各社はもちろん、法執行機関も、ハルジオンが製造するフィルムに焼き付けた映像や写真にアドバンテージを与えるに至っていた。
上司の命令に従うというより、先輩のために流れるような素早い手つきでカメラを構えた新垣が生き生きとフラッシュを焚いた。
「……しかし、お前ぐらいの歳でフィルムに馴染みがあるなんて可笑しな話だよな。撮るにも残すにも一手間かかるってのに」
個人の記録として楽しむのなら、その辺りは頓着しないのが普通の若者だ。
スマートコンタクトやスマホを掲げ、気軽に息をするように記録を残す。それが普通の若者のはずなのにと、わざわざ骨董品のような趣のあるカメラを溺愛する新垣の事を、古谷が物珍しそうに見遣る。
「カメラはフィルムが一番ですよ! それにその手間も愛おしいんです。撮った被写体の確認もいちいち出来ないから、一つひとつの出会いの一期一会を大切にしようと思えるし、撮る側の想像力が試されるしで、何をとってもおもしろいんですよ?」
「ふん……だから地方に飛ばされるんだろうけどな」
皮肉でも貶すでもなく、ぶっきらぼうながらも古谷の気遣いが感じ取れる台詞だった。
新垣は目を伏せて、とても儚いようなほほ笑みを浮かべてカメラを撫でた。
「……東京にいたときもフィルムで食べていきたいって口にしたら煙たがられました。
話を聞いてくれる人もいませんでした。
小さい頃から手元にあったって言っても、これで食べていこうと思ったのは最近だし、先輩達に比べたら生意気なひよっこに映ってたと思います。
でも、あたしだって腕は負けるかもしれないけど、想いでなら負けない自信があったから、どうしてもこの子と一緒に仕事がしたかったんです」
カメラを包む新垣の手に柔らかい力が加えられる。
「それに、自分で言うのも何ですけど、長い間デジタルに浮気してた諸先輩方より、あたしのほうがこの子の個性を伸ばしてやれると思うんですよね!」
「……ほう」
少し鼻が伸びてきて通常運転になってきた部下に、古谷はわざと素っ気なく返す。
「暖かさ……手触りまで感じ取れるような存在感を見る人に抱かせるのは、この子のほうが得意だと思うんです。だから、人に写ったものの感触まで伝えられるような写真を見てもらいたいから、あたしはこの子とこの先もずっと、一緒に生きてきたいです!」
とりあえずの気が済むまでカメラを撫でた新垣は、古谷に屈託の無い笑顔を向けて言い切る。
「なので、ヘマばっかしちゃうけど、こうやって、あたしを新聞のカメラマンとしてお供させてくれる古谷さんには感謝してるんですよ?」
向けられる率直な感謝の言葉に古谷は応えない。
新垣の写真家としての腕は確かだった。用いるのが骨董品でなかったら、数々の賞にも輝いていたかもしれない。
だからこそ、そのこだわりで損をしているのを不憫に思った所もあるのだろう。
身につまされるどころではなく、自分も同じように時代に合わせないせいで、こだわりを捨てられないせいで新垣と同じように厄介者扱いで爪弾きにされたことは十指に余る。
だが、新垣は彼女なりに居場所を見つけて前向きにやっている。
「ふん……何でもいいから手を動かせ。車が行っちまうぞ」
自分を曲げずに、腐らずに前を向く。そんな新人をほんの少し見直し、褒めてやりたくなった古谷だったが、図に乗っても困るからと、やはりぶっきらぼうに撮影を急かした。
「はい!」
左遷紛いの処分で田舎に飛ばされても、そこには理解してくれる人がいた。
新垣はそれも嬉しくて、その人達に応えることができるかもしれない自分の持つ唯一の手段、カメラを意気揚々と構える。
……が、カメラからのリアクション、レスポンスに違和感があることを今更ながらに感じ取った。
故障かな? と新垣がカメラを裏返す。
すると、しっかりと蓋がされていなかった。
その蓋をパカパカしながら、
「あっ! フィルム入れるの忘れてた!」
「おまえブン屋辞めちまえーーっ‼」
見直して損した。
金髪の少女が冴えない少年を抱きかかえてデコボコのトレーラーへと駆け込んでいってしまうことに古谷は焦り、ショルダーバッグの中で行方不明になったフィルムを捜索する新垣を急かし倒したのだった。
賑やかな人達だなと、自転車を引く少女が古谷たちの遣り取りを一瞥して通り過ぎようとすると、ふと目を遣った神風対処用地内に見慣れないものを見つけた。
軽い事故に遭ったようなトレーラーや、背の高い白衣の男性とリクルートスーツの女性。
何より目を惹くのは、流れるような金の髪をなびかせて駆けていく女の子。
特別に惹かれる何かがあった。
遠目からでも惹きつけられる人形のような女の子に少女の目は釘付けになっていた。
そんな女の子が何故か気を失っていると思われる少年を軽々と両腕に抱いてトレーラーの中に入っていく瞬間、彼女の腕の中で項垂れる少年の顔を見た少女は目を丸くした。
「……永遠?」
遠目から見た少年の顔に、自分にとって大切な存在が重なった。
だから確信は持てないまでも、少女は立ち止まり、少年の名をふと零した。
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