第26話 終わることなき胸突き八丁?


「はい。この段ボールの中に現金を用意してあります。永遠くんの口座に直接振り込んで、債務返済にこのまま回せるけど、永遠くんはどうしたいかしら?」


 トレーラーから台車を使って何段かに積み重なった段ボールを弥生が押してきて、永遠の前に置いた。

 段ボールとは風変わりなと思いつつ、永遠はまず自分が生まれて初めて手にする社会的な対価というモノを確認したくて、


「あっ、あの! ……中身を見てもいいですか?」


「うふふ、もちろんよ♪」


「巨額の債務などすぐに返せると楽観視できる証を、是非君の目で確かめてくれ!」


 許可を受けて、永遠は若干上気した顔で段ボールを覗き込む。


 だが開ける前に今回の最大の功労者である、自分を支えてくれるパートナーを差し置いては筋違いだろうと瑠璃乃を手招きすると、彼女はすぐに寄ってきてにこにこと永遠と一緒に段ボールを見下ろした。


「……改めて……ありがとね、瑠璃乃。君のおかげで僕の不安は飛んでいってくれるよ」


「どういたしまして。……そ、それに……とっ、永遠がうれしいなら、わたしも、ほんの少しだけど、ものすっご~~く、うれしいよ!」


 二人で顔を見合わせてから、永遠の礼に瑠璃乃は笑いながら顔を背けて応える。


 さぁ、見たこともないような量の現金と対面だと永遠が段ボールに手を掛けた時、



「…………あの~~」



 身を縮こまらせ、とても恐縮そうに赤木が段ボールの前の四人に声を掛けた。


「どうしたんだい?」


 博士に尋ねられた赤木は、まるで気が咎めるところがあるように、永遠と瑠璃乃と全く目を合わせないまま四人から距離をとった場所で立ち止まる。


「……ちょっと式條さんと弥生さん、こっちに……」


 博士を博士と呼ぶ余裕を無くしたまま、彼等を手招きをすると、博士と弥生は顔を見合わせ首をひねりながら、赤木の要求通りに彼のもとに歩み寄る。


 大人三人が集まってなにやらヒソヒソと秘密鼎談ひみつていだんを開始した。


「なんだろうね~?」

「……ね~」


 今の充実感と懐と心が満たされることが確実な期待を壊したくないと、永遠は押し寄せる不安を誤魔化すように、無邪気に尋ねてくる瑠璃乃を真似て返す。


 密談が開始されて少しすると、弥生が驚いたように広げた手を口元にあてがい、博士がアゴを高速で上下させてソワソワアワアワしているのが永遠の目に入ってきた。


 まるで鏡を見ているような錯覚を覚える永遠。それはすぐに自分が驚いたり怯えたりして動揺しているときの様子にそっくりだと親近感と既視感を覚えた。


 話が終わったのか、不自然なほど爽やかで、ぎこちないような笑顔で赤木が早足で永遠に歩み寄る。


 永遠は反射的に姿勢を正すと、不安を胸に赤木に向き合った。


 赤木は満面の笑みで永遠の肩をたたく。


「や~や~や~! 今日は気張ってくれてありがとな! めちゃくちゃ助かったぜ!」


「あ、いえ、そんな……」


「ははっ、もっと胸を張れって! ところで何か困ったこととか無いか? 金は貸せないけど俺で力になれることなら何でも言ってくれよな! ただし金が絡むのは無しな!」


「あ、いや……じゃあ、別にないです」


「そっかそっか。じゃあ俺達は引き上げるけど、また現場がいっしょになったら頼むな! 俺もふんどし締めてアイス作りたくないし、君の負債をこれ以上増やさないように出来るだけ気張るからさ!」


「……ふんどし? 増やす?」


 意味の分からないワードに永遠が疑問符を浮かべていると、赤木は額から一筋の汗を滴らせ、その場で急に踵を返して、


「お~い! お前ら~! 撤収するぞ~~!」


 隊員達に叫んでから、輸送機へと足早に退散していった。

 その際、彼が一回だけ振り向いて、親指を立ててのウィンクをしていったのが永遠は気になった。

 彼の顔が遠目からでも分かるほど、まるで溜めていたのが溢れたように汗まみれだったからだ。


(まぁ、いいや。今はそれより……)


「あの、これ、もう開けてもいいですか?」


 永遠が博士と弥生に問いかけると、博士の肩が激しく跳ね上がる。


 博士が錆び付いた機械人形のようにギシギシと首を永遠の方へ捻る。

 上に御座おわすその顔は、自分にとってもとても不都合なことが起こっていることが容易く想像できるようで、永遠は漠然とした不安を感じた。


 見ている方が居たたまれない気分になってくる表情で固まる博士の代わりに、弥生が微笑みを浮かべて永遠のもとへ。


「待たせちゃってごめんなさいね」


「あ、いえ……何かあったんです……か?」


「…………うふふ」


 長めの沈黙の後の弥生の微動だにしない硬い印象の微笑みに不安が増しながらも、これは箱を開けてもいいことなんだと受け取ると、永遠は段ボール目掛けて手を伸ばした。


「…………あれ?」


 が、肝心の箱が無くなっていた。


 永遠は狐につままれたような表情で辺りをキョロキョロ見回すと、ちょうど撤収作業を終えて帰路につくために浮かび上がる輸送機のハッチに飛び乗る隊員の腕の中に、自分が開けるはずだった段ボールを見た。


「え?」


 何故だ? そう思うだけで、とても隊員に問いかける暇も無く、輸送機は空を滑るように飛んでいってしまったのだった。


(……どういうこと?)


 何が起こったのか把握できず、目を素早く開閉している永遠の元へ、弥生が柔和なのに、どこか影の差す笑顔で歩み寄る。


「永遠くん。今回の報酬のことなんだけどね……」


 弥生の声にゆっくり振り向くと、彼女がおそらく自分のものだと思われる財布を胸に永遠と向かい合うと、


「手を出してくれるかしら?」

 とても優しげに語りかけた。


 永遠は、ひょっとしたら小切手のような形に変わったのかもしれないとの淡い希望を少し、状況をまったく理解できないのがほとんどで、言うがままに手を出し出す。

 口を半開きに差し出された手の平が地面を向いていると、


「お手々はくるんって上向きにしてちょうだい……うん、そうそう……」


 言うとおりに永遠が手のひらを返すのを見届けると、弥生が自分の財布のチャックを開け、指を差し入れ、小銭を一つ摘まんで永遠の手の平に静かに丁寧に置いた。


 何を手渡されたのか視線を下げると、永遠が目にしたのは穴の空いた硬化が一枚。


「ご……50円になりまぁす♪」


 弥生が財布を持ったまま、首を傾げて頬の前で手を合わせると、永遠に宣言した。


 とてつもない罪悪感があるのだろう。努めて言葉尻をご機嫌に偽っても、隠しきれずに声が上擦っていた。


 手渡されたのは50円。


 これが何を意味するのか。永遠は悲壮感も感じさせる極めて間の抜けた顔で50円に目を凝らす。


「あ、それがお給料?」


 瑠璃乃が永遠の手元を興味津々に覗き込む。


「わ~、すごいね、永遠! それだけあれば卵は買えないけどモヤシが買えるね! 今朝のちらしについてたモヤシならお釣りがもらえるよ!」


 瑠璃乃は無邪気に永遠を褒め称えたつもりだった。

 だが、永遠の耳には“モヤシ”だけが木霊していた。


 提示されていた報酬額と桁が違いすぎる。


 億だったものが、庶民の最大の味方を一つ買える程度になるなんて。


「……が……」

「蛾?」


 永遠の口から漏れた言葉に対して、瑠璃乃が手をヒラヒラさせて蛾をジェスチャーで表している最中、


「ガキの使いじゃあらへんで……」


 あまりにあまりな報酬に、永遠は怒りと呆れが混じり合った複雑な感情を、かすれたような声を、そんな台詞として絞り出した。


(これじゃあ、借金返済の何の足しにもならない! 僕の使ってない貯金箱にだってもっと入ってるよ! ……ああ、もぉ……どうしたら…………あれ?)


 声を絞り出した後、これでは借金返済の目途が立たないという現実を認識せざるを得ない状況を認識すると同時に、永遠の視界が薄らとした灰色にボケていき、真っ暗になったのを自覚できないまま、意識が途切れる。


 気を失って、その場に崩れ落ちそうになる永遠をとっさに瑠璃乃が抱きとめる。


「永遠っ⁉ どうしたの⁉」


 瑠璃乃は腕の中で昏倒する永遠に安否を尋ねる。が、返事は無い。


 永遠が倒れるのを見て咄嗟に駆け寄ろうとしたが、鈍い体が追いつかず結果的に二の足を踏むように瑠璃乃に託すしかできなかった博士は、瑠璃乃が永遠を受け止めたことを確かめると、すぐに落ち着きを取り戻す。

 弥生も同様だった。


「永遠! 返事して、永遠っ‼」


 パートナーを気遣い、心底心配そうに悲痛な面持ちで返事を求める瑠璃乃に、永遠はどうしてやることもできなかった。

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