第25話 泪のむこう
宇宙に現れた大輪が消え去り、今回の窮地はとりあえず去った。
神風対処用地の全員が人心地つき、後は瑠璃乃を待つだけだ。
彼女の無事の帰還を確かめるため20人以上の人間が空を見上げていた。
瑠璃乃の力を間近に見たとしても、いざ現実世界で自分の想像の及ばないスケールの戦いを見せ付けられると、やはり彼女のことが心配になって、永遠は瑠璃乃の帰りを気を揉みに揉んで待っていた。
運動不足の永遠にとっては首が攣りそうな痛みを感じる頃、空の一点に火が灯ったと思うと、その火は驚くべき速さで頭上の防護膜の中央に突っ込んだ。
そして、
――ドゴッ‼――
巨大な岩石同士が衝突したような鈍い音が用地に木霊する。
上を見ていた皆が音の発生源を追いかけると、そこには小規模でも地面が陥没していて、その中心を隠すように煙が舞っている。
永遠は何が起こったのか把握できないのかキョロキョロしているが、彼以外は何が起こったのか分かっているようで落ち着いている。
皆が見守る中、すぐに煙は晴れていき、直径五メートルのクレーターが形作られているのが永遠の目にもはっきり確認できた。
その中央には両手を後ろ手に尻餅をついて、静かに驚いているのか目をパチクリさせている瑠璃乃の姿があった。
「……えへへ~~、しっぱいしっぱい~~」
言葉とは裏腹に笑いを浮かべながら、瑠璃乃が力を使って宙に浮き、体勢を整えてからゆっくりと地面に足を着く。
「……お……おかえりぃ……!」
アザレアージュというもの自体と瑠璃乃を信じていない訳ではない。それでも永遠は瑠璃乃の無事をその目で見るまでは無事を確信できずにいた。
だから少し離れた場所に降りた彼女の浮き世離れしたような姿を自分の中でゆっくりと確認できた時、永遠は情けない間の抜けたような声で彼女を出迎えた。
「ただいま~!」
瑠璃乃は遠くにいる永遠の声をしっかりと拾い、元気いっぱいに大きな声で応え、凄まじい速さで永遠へ駆け寄った。
迫る瑠璃乃から受ける風圧で目が反射的に閉じ、口が無理矢理広がるのが収まると、永遠の目の前に頬を桜色に染めた愛くるしい姿があった。
見たところ、大きな怪我もないようだ。永遠は改めて安堵する。
何かとりあえずでも褒めてあげるべきなのかと永遠が口を小さく開け閉めしめいると、瑠璃乃は体が両手を顔の前まで上げてみせた。
それが意味するところを永遠は間を置いて理解した。けれど、気恥ずかしさから両手をなかなか上げられず、腹と胸の辺りで彷徨わせる始末だった。
そんな中、二人が手を交わすより早く、永遠と瑠璃乃の二人に向けられて拍手が沸き起こった。
反射的に二人が辺りを見渡すと、号泣しながら博士が、柔和に弥生が、健闘を称えるように赤木が、険しい表情を崩した隊員達が、皆が笑いかけて成功を祝福してくいれていた。
それは自分にも向けられたものでもあると永遠は思うと、一番に照れ臭さが、遅れてささやかな誇らしさが胸に去来する。
自分を無条件で肯定できる今現在。もちろん自分一人の力などではなく、心強いパートナーの支えがあるからだと永遠は興奮した様子でソワソワと瑠璃乃に向き直る。し損じてしまった苦笑いも浮かべて。
瑠璃乃は、心残りがあるかのように表情を固くするが、永遠の溢れ出る喜びを汲み取ると、すぐに頬を綻ばせて満面の笑顔を浮かべて返した。
「うううっ……瑠璃乃、偉い! 偉いぞぉぉぉ……‼」
鼻水を滴らせるほどに泣いて喜ぶ博士がゆっくりとした足取りで二人に駆け寄る。
随伴する弥生が和やかに笑いながらしょうがないといった様子でスッとハンカチを手渡す。
大人が本気で涙を滝のように溢れさせないている光景に、永遠は何だか切ないような申し訳ないような思いを抱いて博士を見上げた。
すると突然、永遠の頭を柔らかい温もりが撫でた。
ハッとなって優しい感触を辿っていくと、弥生が見るものを癒やすように温和に、でも少し困ったようにも笑いながら、子供をあやすように永遠の頭を撫でていた。
「永遠くん、よくがんばっわね。とっても偉いわ。本当はわたしからも何かご褒美をあげたいんだけど、何もプレゼントできなくてごめんなさい」
胸を満たす心地よさ。鼻腔を満たすいい香り。年上の可憐な女性からの撫でられ。永遠はあまりにも夢心地な状況に生きててよかったとさえ思うのだった。
(いいです! この手の温もりが最高のプレゼントです!)
パートナーのだらけきった面持ちを見ていた瑠璃乃は、自分から沸き上がってくる感情がヤキモチだということを思い出す。
普通で当たり前のことだと理解していても、やはりモヤモヤとする。
色で例えるなら黒っぽい渦巻きのような衝動を瑠璃乃は持て余し、うまく処理できずにいた。
それが弥生に鼻の下を伸ばす永遠をしょっぱい目で睨み付けることで無自覚に発揮されてから、瑠璃乃は自分も永遠の頭を撫でようと試み、実行する。
が、彼女の腕力でそれをすると、どうやっても常人なら脳震盪にならざるを得ない。目を回して足下も覚束ない永遠の様子に、瑠璃乃は慌てて謝ってから介抱に走る。
「……昨日もおんなじようなことありましたね」
既視感を報告する赤木に、
「そうだな」
「うふふっ♪」
大切な事の繰り返し。尊い二人の遣り取りに博士と弥生は頬笑みあう。
見える景色が歪むなか、皆の笑い声を聞きながら永遠も笑顔を浮かべていた。
皆に褒められる。皆に認められる。これ以上ないくらいに自分を肯定できる状況に、永遠はくすぐったさと満足感を得て、鳥肌を伴う充実感を噛みしめた。
そんななか、ふと間近に迫った瑠璃乃の横顔に目を遣ると、彼女の頬に何か違和感を覚えた。
うっすらと水の伝った跡のようなものがあった……ように永遠には視えた。
直後、永遠の思考に、とあるイメージがノイズ混じりに介入してくる。
そのイメージの中の瑠璃乃は、宇宙の
永遠は眉をひそめる。
この現象は事実なのか。自分だけが見た幻なのか。彼は判断に困った。
泣く理由が分からない。現についさっきまで博士からべた褒めされながら笑っていたというのに。
もしかしたら自分に原因がある可能性も考慮しながら、永遠は純粋な心配をこめて探るように瑠璃乃に尋ねることを選ぶ。
「えっと……瑠璃乃?」
「な~に?」
「間違ってたらごめん。でも、その…………泣いてた?」
しまった。失敗した。そんな動揺が一目で分かってしまうような顔で瑠璃乃が目を見開いた。そして動揺を悟られないとすぐに慌てながら言い消す。
「なっ、泣いてないよ⁉ わたしなんて生まれてこのかた、涙君さよならなんだからっ!」
上気し、鼻の穴さえ膨らませて否定する瑠璃乃に、永遠はこれ以上追求できない、してはいけない雰囲気を感じ取り、追求を止める。
「……そっか……ごめんね……」
高揚感が落ち込み、永遠は少し気まずくなったが誤魔化すように微笑んでいる。
二人のやりとりを目の前で見ていた博士の目からは涙の分泌が止まっていた。
代わりに眼鏡のレンズ越しの眼差しは、悲哀と慈愛を含んだ複雑なものになって瑠璃乃に向けられている。
赤木も上手い対応に迷って、硬い笑顔のまま立ち尽くす。
そんな中、弥生が手をパンと合わせて、上り調子にごきげんな様子を作って口を開いた。
「そうだ! さっそくだけど、報酬についての話をしましょう!」
(報酬! 給料! 借金返済‼)
ジュラルミンケースの中の大量の札束を連想し、目をきらめかせて反応する永遠の様子に、博士も赤木も、とりあえずよかったよかったと胸を撫で下ろす。
が、頬笑みを浮かべる隊長とは裏腹に、後方で待機していた隊員達の肩が、弥生の言葉を耳にした瞬間に跳ね上がっていた。
「永遠くん、報酬のことが書いてある書類は見てくれたかしら?」
「あ、はい。あの凄い金額が書いてあるやつですよね?」
「そうそう。複雑な手順とか難しいことは置いておいて、とりあえず書面に書いてある金額がそのまま、あなたに支払われる報酬になります」
「でも、多すぎないですか? ……むにゃむにゃ億円ですよ?」
「ふふ、それだけ永遠くんががんばったってことよ。命の危険があるのに、瑠璃乃ちゃんを応援してがんばってくれた永遠くんへの正当な対価です。だから胸を張って受け取って。ね?」
「……はい!」
弥生に褒められて生まれた少しばかりの自信が永遠の表情を明るくさせる。
いい笑顔だ。
赤木が永遠の喜びようを温かく見守っていると、彼の背後から申し訳なさそうな居たたまれないような、とにかく複雑で暗い表情の隊員一名が近寄った。
「どうした?」
その貌の理由を教えろと赤木が尋ねると、隊員は神妙な面持ちで耳打ちをする。
部下の言葉を聞いた瞬間、赤木の顔が青ざめる。
そして、すぐに部下と同じ表情を形作るしかなくなった。
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