第20話 墜ちる天蓋


「エルイオン・レジリエンス確認。柱が立ちます」

 

 そう弥生が報告すると同時に、遠くの山間から濃い濃紫色の光の柱が立ち上る。

 

 しっかりとした一本柱の本柱の他に、柱から漏れ出た光の粒は螺旋を描きながら柱に取り巻くように上昇し、次第に空中で本柱に合流して消えていく。


 毒々しい光柱の本筋から漏れるそれらの光の粒が呑まれるように消えゆく様は、まるで自身の純粋さを捨て去り、雲を突き抜けどこまでも邪道を突き進むために、諦観と絶望さえかてとする愚直な毒蛇のようでもあった。


 用地内の全員が柱を見上げる。


 ただ永遠とわだけが柱を直視できないでいる。


 そんな永遠が心配になって博士が駆け寄ってくる。


「巨大なアサーションを確認。エイオンベート、出ます」


 弥生の報告を受けて、対策部隊員全員が身構える。


 10メートルそこそこの距離を走っただけ息切れしている博士は光の柱を見上げながら、永遠を励ますように彼の肩を叩く。


 叩かれた永遠は、これから訪れるであろう昨日と同じか、もしくはそれを上回る恐怖に身がすくみ、目からは涙が溢れそうなのに口が渇いてしょうがなかった。


 そんな彼の手が温かくも柔らかい何かに包まれる。

 いきなりのことで永遠は全身を使ってビクついた。


 自分の手のほうに視線を下げると、柔らかいものの正体がすぐ分かった。

 瑠璃乃の手だった。


 手の主を追って顔を上げると、瑠璃乃が少しでもパートナーの支えになろうと、永遠の不安を打ち消すような頬笑みを浮かべていた。


 その笑顔に永遠の恐怖心が少しだけ晴れていく。

 

 そして頼もしいパートナーからの支援を受けて奮起し、永遠は意を決して博士と同じように光の柱を見上げた。


 その場にいる全員がエイオンベートの出現を待ち受ける。


 ……だが、濃紫の柱は徐々に消えていくというのに、エイオンベート自体がなかなか姿を現さない。


「おかしいっすね。どこにも姿が見えない。これだけの規模で出現するエイオンベートなら大概大型だろうに……」


 大型。

 その言葉に永遠は怯えて肩を跳ねさせた。


「〝上〟だ」


「上?」


 博士の言葉に、赤木が首を捻る。


「はい。そのとおりです。静止軌道に出現して……あ、今、降ってきてますね」


「降ってくる?」


 光の柱を見上げていた全員が一糸乱れず、さらに上を仰ぎ見た。


 空に丸が見える。


「あ、あれか」


 視力に優れる赤木が最初に見つけた。


 発見したと同時に、エイオンベートと思わしき丸はジワリジワリと大きくなっていく。


「けっこう……大きいっすね」


 真上を向くと、空に真昼の月のような大きさのドス黒い色をしたエイオンベートらしき異質なものが視認できる。


「……あの。宇宙にいるんですよね? なのに俺達の目でも見えるなんて……大きすぎやしませんか?」


 湧き上がってくる懸念由来の冷たい汗をうっすら額に浮かべながら、赤木が博士に問う。


「ああ、無理も無い。内包するエネルギーが凄まじいからな。おそらくは見かけ上の体積以上に質量も桁外れだろう。弥生君、特徴など分かるかい?」


「はい。体からエルイオンを利用した推進力を発生させて、どの方向にも加速できるものだと思います」


「なるほど。軌道上で顕現するのだから十中八九そうなるとは思っていたが……落下速度はどうだい?」


「現在は時速10000㎞から徐々に加速してますね。このペースだと最終的には100万㎞を超えると思います」


「ふむ……まるで神が落とした隕石だな。厄介だが、瑠璃乃がいれば何の問題も無い」


「そうっすね。確かに大きいですけど、お嬢ちゃんなら……ん? あれ?」


 注視していると、ものの1〜2秒でエイオンベートのサイズが変わっていくのを見上げる誰もが認識した。

それは遠近法に則って、巨体が近付いてきていることを意味していた。


 もとから大きいことが分かっていた。

 月が二つになったかと思うほどに。


 だが、そう思えたのは束の間で、瞬きの間に目に映る大きさが増していく。

 あっという間に、出現したエイオンベート天空にありながらも蓋となり、用地に届くはずの光を遮った。


「デカいっ! うわっ、デカいっ‼」


 赤木は二度同じ言葉を繰り返して驚嘆し、永遠は声が出せずに身を固まらせた。


 遥か上空にいるであろうに、その巨体を確認でき、尚かつ地上に近付くにつれて視認できる大きさは増していく。


 博士も大きく目を丸くしながら弥生に尋ねる。


「正確なサイズは分かるかい?」


「えっと……端から端まで5万156メートルですね」


「ごまんっ⁉ 50㎞ですか⁉」


 驚愕のあまり赤木が声を上げる。


(無理! 今だけ頑張るのも無理! 帰りたいぃっ‼)


 ゴゴゴと、大気を震わせて迫る脅威に、永遠はアワワと怯えに怯えている。恐らく瑠璃乃の支援がなかったら白目を剥いて卒倒しているだろう。


 非常事態。

 自分達に出来ることは何だ? 

 赤木は思考を巡らす。


 たじろぐ今も刻一刻と目に映るサイズは大きさを増し、異常な速さで落ちてくる50㎞もある相手には、たとえ大口径大出力のレールガンであっても焼け石に水だ。


 むしろ瑠璃乃と巨体が空中で相対した時にかえって邪魔になる可能性が高い。


 ならばどうする? 

 自分等にできることは何か?


 赤木が熟慮し、対応策を探す。

 

 が、すでに答えは最初から一つしかないとも分かっていた。


 あれほど強大な目標に対抗できる手段を自分の隊は持っていない。


 それを受け入れると赤木の顔から焦りが消え、潔い覚悟のようなものが瞳に宿る。


 彼は瑠璃乃と永遠を一瞥する。


 瑠璃乃は少しも怖じ気づく素振りを見せず、口から魂のようなものが出かかっている永遠を励ますように永遠に朗らかに笑いかけている。


 そんな二人に頼もしさを見いだすと、視線に気付かない二人に笑いかけてから赤木は博士に訊いた。


「あれをどう見ますか?」


「アサーションレベルから推測するに、彼は何の駆け引きも無しに、とにかく瑠璃乃を目標にしてやってくる。変換前数値は限りなく10に近い。驚異の程は言わずもがなだ。私達にできることはもう……」


 そう言って博士の視線が瑠璃乃と永遠に向けられる。


「ははっ……情けないけど、やっぱりそれしかないっすよね」


 博士の思うところに同意して、赤木が困ったように笑った。


「まったくだ……永遠! 瑠璃乃!」


 瑠璃乃に握られていない方の半身だけを器用に震わせている永遠と、彼を支援するために力一杯目を瞑って応援を送る瑠璃乃に博士が呼びかける。

 永遠は錆び付いた機械のように、徐々に首を曲げて博士の方を向いた。


「正直に言おう。私達に出来ることは何もない。現状を全て二人に委ねることしかできない」


 博士が少しだけ身を屈め、永遠に手を差し出した。


「だから、力を貸してくれないか?」


 その場に居る大人達、博士や弥生、赤木や部隊員。

 全員の眼差しが頬笑みを載せて、永遠と瑠璃乃に集まっていく。


 大人に頼られる言いようのないくすぐったさと、おこがましさから身を縮めたくなっても、それは今に相応しくないと永遠は意識的に背筋を伸ばす。


 永遠は博士の手を取るように腕を上げていく。 

 が、博士の手に近付くことはあっても、重ねることができない。博士の手を取って即諾することができないでいた。


 本当にできるのか? 

 負債を賄える程の報酬を目にした時は気持ちがはやった。

 喜び勇んでいた。

 なのに現在は膝が笑って仕方ない、この不様。


 瑠璃乃に支えてもらわないとここにだって居られない自分なんかが。

 赤木に応えて決意したはずなのに、今は逃げ出したいとさえ思ってしまっている自分なんかが。


 そんな永遠にとっての通常運転である卑屈さが先立って、時間が無いのを充分に理解しつつも応えることに迷って差し出される手を掴めない弱々しく開かれた永遠の手が宙を彷徨う。


 情けない自分に嫌気が差し、この場にいること自体が申し訳なくて涙が溢れそうになって俯き始めたその時、永遠は自分の手が他人の手に強く触れている感触を感じた。


「え……?」


 永遠が顔を上げると、手は博士の折れそうな細い指の、か細い力に握り込まれ、包まれていた。

 

 同時に博士ではない他の温かみの感じる。


「はい! がっちゃんこ!」


 瑠璃乃が永遠と博士の間に立ち、二人の手を拝むように挟み込んでいた。


 三人の重なった手と、瑠璃乃の顔を交互に見遣ってアタフタする永遠に、瑠璃乃は柔らかに笑いかける。


「永遠? 永遠はみんなの力になりたいんだよね?」


 それは間違いなかった。


「う……うん」


 だから永遠は強く頷く。


 アザレアージュとして永遠を支えたいと願う瑠璃乃は、永遠の言動の端々から彼の真意を汲み取るように努める。


 すると、彼女の体から薄い桃色の光の粒、エルイオンが静やかに淡く輝き出てくる。


 エルイオンを介し、永遠の願いが瑠璃乃の視界に漠然とした、非道く不確かな何となくのイメージとして映し出される。


 彼の力になりたい。

 だからその永遠の真意と思われるものを頭をフル回転させて理解しようと試みる。


 永遠から瑠璃乃の中に入ってきた最も大きな感情は恐怖。

 共有される恐怖に、瑠璃乃も心が掻き乱されるのを感じた。


 押し潰されそうな恐怖を何とか押しやって瑠璃乃は、永遠のイメージの奥に見えるであろうその先を探る。


 すると、瑠璃乃の求めた永遠の望みはすぐに見つかった。

 とても簡単な答えだった。


 身の毛もよだつ恐れを超えた先にあったのはただ、誰かの役に立ちたい。力になりたい。そうすることで自分で自分を肯定したい。人として当たり前の欲求があるだけだった。


 永遠の心を探る過程を、彼にとっては瑠璃乃が何かをしたとさえ知覚できない一瞬で済ませると、瑠璃乃は永遠としっかり目を合わせる。


 今の永遠は答えは出ているのに、やりたいことは分かっているのに、恐れが立ち塞がって邪魔をしている。


 なら、それを取り除き、彼がやりたいことを最大限自由にできるように支援するのが自分の役割だと、瑠璃乃は永遠に柔らかく語りかける。


「……力になりたいと思える人がいるんだもん。なら自分を疑う自分より、頼ってくれるみんなに応えたいって思ってる自分の方を今は信じてあげよう?」


 瑠璃乃の励ましに永遠は既視感を覚える。

 彼女の力を受けて、自分の弱い部分が引きおこす大きな恐怖が小さくなっていく感覚だ。


「あ……で、でも……」


 それでもまだ寒心かんしんは消えない。

 自分の情けなさ、不甲斐なさを自覚し、図々しさも多分に感じながら永遠は瑠璃乃にすがるように最後の一押しを願った。


 瑠璃乃の笑みがさらに温かなものへと変わる。


「勇気がいるなら、わたしの勇気をおすそ分けするから、ちょっとだけ、がんばろう? ね?」


 瑠璃乃の心からパートナーである永遠の力になりたいという意思以外を感じさせない澄んだ笑顔に、永遠は大きな一押しを貰った。


 恐怖が立ち向かえるほどのサイズに変わり、何とかなるかもしれないと前向きに考えられる気分に永遠の想いが変化する。


 膝も笑うのを止め、しっかりと立てている。


 上を向くと、空を覆い隠すほどの巨体がすぐ近くまで迫っているのに、やれそうな気がする。


 そんな風に思える自分が嬉しくて。

 有り難くて。

 永遠は瑠璃乃の青く済んだ瞳を見据えると、


「……ありがとう、瑠璃乃。君は偉いね」


 照れや立前、本心を包み隠すのを忘れて、今思っていること舌に載せた。


「本当に尊敬するよ」


 穏やかに永遠が瑠璃乃と目を合わせ、素直な賞賛を贈る。


 それは、とてつもなく瑠璃乃に響いた。

 永遠の褒め言葉が何度も何度も思考のなかでエコーし、彼女の心が永遠で満たされていった。

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