第18話 僕らが僕らの理由


 万物の弦、エルイオン。


 それは何者にも成れる最小の素粒子であり、生物の快不快情動に反応し、この世界に存在を定着させることができる、この世界でも最も自由な存在。


 瑠璃乃のパートナーである永遠とわは、ペネトレーターと呼ばれている。


 あらゆる疾患を克服した世界において、ただ一つ治すことが難しい難治性脳疾患2b8を煩い、これを患うからこそ脳の様々な部位が変異し、特に扁桃体と呼ばれる感情を大きく司る部位が肥大化しているのが彼等だった。


 そんな2b8患者は、だからこそ、彼等にしか全うできない役割があった。


 扁桃体が肥大化している影響からなのか、共感能力に特化した脳内物質ミラーニューロンを常人の10倍以上も保持し、それ故にエルイオンを大きく脳に取り込み、感情動と多大に反応させ、瑠璃乃たちの燃料とすることができる。

 

 永遠の脳に接触して変質したエルイオンを命綱とする瑠璃乃は、アザレアージュと呼ばれる存在だ。


 ペネトレーターから受け取るエルイオンの量はそのままアザレアージュの胸を満たし、力になる。


 自分の一部を分け与える対価に、ペネトレーターはアザレアージュからの最適な脳内物質処理支援を受け、心の安寧を得る。


 そのためなのか、彼女だけでなく、全てのアザレアージュはペネトレーターから変質したエルイオンを円滑に受け取れるように、際だって優れた容姿を持つ。パートナーから向けられる情愛の深さによって自身の生命線の長さが決まるからだ。


 自分が押しつけ、決定してしまったアイデンティティー。


 だから博士はアザレアージュを見る度に、彼等にとても酷いことをしているんじゃないかという罪悪感に苛まれるを止めることができなかった。


 今も、白目を剥いて項垂れる永遠を介抱する瑠璃乃の顔を、複雑な思いを交えて眺めている。


 特に瑠璃乃には、特別強い罪の意識を感じずにはいられない。


 最愛であるはずのペネトレーター……以前のパートナーと別れるしかない状況に追い込んでしまったからだ。


 だが、アザレアージュ達の笑顔を見る度、罪悪感を一時的にでも上書きしてくれる救われたような気持ちになるのも事実だった。皆、幸せそうに笑っていてくれるからだ。


 愛娘のように思う瑠璃乃も今、笑っている。


 顔色に赤みが戻ってきた新しいパートナーの回復を喜び、笑っていてくれている。


 それが何より嬉しくて、博士は瑠璃乃の笑顔に背中を押されるように前向きになることできた。気付けば、向こう脛の痛みからだけではない涙が更に分泌され、博士の目から溢れて落ちていた。


「博士、だいじょうぶ⁉ どこか痛いの⁉」


「しきじょ……博士、骨までいっちゃいましたか⁉」


 心配して永遠の手を引きながら博士に駆け寄る瑠璃乃と、呼び名を間違えそうになる赤木。


 永遠も瑠璃乃にものすごい力で引っ張られて軽々と宙に浮きながらも、大の大人が泣いているので何事かと博士の顔を窺う。


 誰もが博士を見下ろし、気遣っている。博士は皆を心配させてしまい申し訳なく思いながら、何とか立ち上がってから如何に自然に何の問題も無いことを伝えようかと固まっていると、


「永遠く~~ん、瑠璃乃ちゃ~~ん、いらっしゃ~~い!」


 弥生が二人の名を呼びながら駆け寄ってきた。その手には粗茶を載せたお盆があった。

 尻上がりにご機嫌に上がっていく弥生の語調と様子に釣られて永遠達は弥生に顔を向ける。

 博士は弥生のそれとない助け船に胸を撫で下ろした。


「二人ともお疲れ様。今日もがんばってね♪」


 そう言って弥生は穏やかな笑顔でお盆に載せた湯飲みを永遠に差し出す。


「あ、ありがとう……ございます……」


(あぁ、弥生さんやっぱ良いなぁ。綺麗で可愛くて年上で良い匂いするし、何より雰囲気からして優しいし)


 永遠は自分の好みにスタイル以外が直球ストレートでストライクな弥生に差し出された湯飲みを礼を言ってから手に取る。


 弥生に会えただけで、昨日の出来事……莫大な債務を強制的に押しつけて逃げるように去って行った博士達への不信感は払拭されてしまう。自分で思う。チョロいと。けれどそう思ってしまうのだからしょうがなかった。


 そして永遠は自分では気付かないうちにデレデレと鼻の下を伸ばして何の疑いも持つことなく湯飲みを口に運んだ。


 そんな永遠の様子に瑠璃乃は、また自分でも正体の分からない、どうしようもないもどかしさが苦しくて、唇を巻き込み、ただ無意識に永遠に若干キツイ視線を向けていた。


 緩みきった顔のまま湯飲みを傾けると永遠は何か大切な事を思い出していた。


 が、経験から学んだ知識が思考に上る前にはもう容赦の無い甘さが口いっぱいに広がり、昨日と同じように口から激しい水鉄砲を噴射していた。


「……まぁ、それが普通だよな」


 吹き出す永遠を咎めることなく、赤木は永遠の気持ちが分かるようで彼に同情するように呟いた。隊員達も弥生が永遠の口を拭うため駆け寄ったタイミングで彼女に見えないよう、深く一斉に頷くのだった。


「げほっ、げほっ……ごっ、ごごごめんなさい‼」


「全然いいのよ、気にしないで。不味かったかしら?」


「いやいや違います! ……ただちょっとだけ甘いかな……って」


「そっかそっか。永遠くんは辛党なのね」


 せっかくのおもてなしを台無しにしてはいけないと、永遠は口の中に居座り続ける甘さを噛み潰し、何とか苦い愛想笑いで応えた。


「永遠、おかわりがいるのなら遠慮するんじゃないぞ?」


「結構ですっ!」


 何の悪意も無く勧めてくる博士に、永遠は自分でも驚くくらいの大きな声で拒絶した。


「ふむ。そうか。……ん? そろそろ時間だな。弥生君」


 大きな隙間を空けてはいるが辛うじて枯れ枝のような手首に装着されている腕時計を確認すると、博士は弥生に何かを要請する。


 それを受け、弥生が小脇に挟んでいた銀縁のお盆の、ある一点を押し込む。するとお盆が桃色の光を零しながらその場に浮いて留まった。


「はい、準備できました。赤木さんに皆さん、どうぞ触ってください」


 赤木と隊員等の顔がまるでこれから起こることに備えるように締まった。緊張の色を見せる人間もいる。


「ご苦労様です。おしっ! おまえら、しっかり触らせてもらうぞ!」


「「「了解!!!」」」


 まず隊長である赤木が率先して宙に浮くお盆に触れる。そして次々に隊員が続いていく。触れられたお盆は浮いているのに縦軸をしっかり持って回転している。


 地面から浮いている、古めかしいデザインの銀のお盆にイカつい男性が次々と触れていく。

 そんな光景を、お寺のマニ車を順番に廻していく観光ツアーの団体さんの姿と重ねつつシュールに感じながら、永遠は空気が変わるのを肌で感じた。

 隊員の顔つきが鋭くなっていくからだった。


「……エイオンベートセンサー・ハルジオンの一つ、モデル・オボンだ」


 不思議な光景を口を開いて見つめる永遠の疑問を汲み取った博士が前を向いたまま説明する。


「あれに触れた人間は例えペネトレーターでなくてもエイオンベートを目視できるようになる。パッシングによって通常の生物には知覚と認識を妨害されてしまうがこれを使えば階層的領野構造で構築された脳の外界情報ベースに介在し低次領野において前駆コードを選択制御することにより高次領野の内部表象に影響を及ぼし認知記憶過程情報を――」


 せっかくの詳しい説明は、ありがたいとも思う。

 思うのだが、博士に悪いと思いつつ永遠は、すぐに理解するのを諦めた。


(えっと、ほとんどの人には見えないエイオンベートだけど、あのお盆に触れば見えるようになるってことだよね? だとしたら、そんな大事なものお盆に使っちゃダメしょう?)


 永遠はとりあえず自分で納得して、博士のまるでお経のような説明に時折相槌を打ちつつ、ぽけ~~っと、お盆を廻す皆を見ていることに専念する。


「お待たせしました! ばっちり触らせて貰いました!」


 部隊の全員がお盆を回転させ終えるのを確認した赤木が報告する。


「よし。では弥生君、モニターの方をお願いする」


 博士の要請を弥生は笑顔で頷くと、永遠から湯飲みを受け取るとオボンをお盆として再利用し、簡易観測設備に足早に戻っていく。

 博士も第三者から見ると心細くなる足取りの早足で続いた。


 その際、弥生は永遠と瑠璃乃に向かって柔らかく頬笑み、小さく手を振った。


 今この場所でパートナーである瑠璃乃以外に一番の安心を得られる人が行ってしまう心細さを一発で払拭してくれる彼女の仕草に、永遠はまた鼻の下を伸ばして手を振って弥生を送り出した。

 再度チョロいと自覚しながらも、永遠はそうせずにはいられなかった。


 だからパートナーから向けられる厳しい目つきに気付くのも遅れてしまう。


 瑠璃乃の視線を痛く感じる。


 永遠は自分の偏った知識の中から今現在の状況を分析する。答えはすぐに出た。その応え通りなら、これは……


(……もしかしてヤキモチ?)


「わたし、オモチなんて焼いてないよ?」


「なんで考えてること分かったの⁉」


「……分かんないけど、さっきから弥生さん見て、目とホッペと口がタレタレな永遠見てたら、永遠の方から口から出てない声が聞こえてきたの」


 瑠璃乃は気持ちぶっきらぼうに答える。


 嫉妬という感覚さえ自覚できていないでも心が掻き乱されるのは事実で、そのせいで一時的に能力にも乱れが生じ、瑠璃乃は永遠から流れてくる情動を言葉としても感じとってしまっていた。


 永遠は慌てて口を押さえる。何も考えないように努めるが、それはむしろ逆効果だった。


 異性からヤキモチを焼いて貰えるなんて初めてのこと。だからむしろ光栄でもある。だが、全力で好意を向けてくれる瑠璃乃に対しては失礼な感情でもあるような気もする。大事な存在ではあるが、まだそういった男女の仲になった訳ではない。


 焦って戸惑いすぎた結果、永遠の喜びと罪悪感が混ざり、自分でもどうしたものか分からない永遠は、両手で口を塞いで挙動不審に体を揺らし、小さく細切れな唸り声を出していると、


「……なんだかわたし、胸の真ん中がモヤモヤするの。おかしくなっちゃったのかな?」


 切なげに、瑠璃乃が永遠に尋ねる。


 その質問に永遠は面食らう。

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