第9話 丸くなるな、星になれ。でも、星ってだいたい丸いよね?

『……あ、あはは……すみません。こんなにたくさんの方々を迎えるのは久しぶりなもので緊張してしまって……』


 情けないところを見せたと、静まりかえるホールの新入社員に向かって社長がペコペコ頭を下げる。

 実質的な富の頂点に御座おわす存在が何を話すのか。期待と緊張が交じって身を硬くしていた一同が頬を緩ませる。

 会場の雰囲気が少し和らいでいった。


「なんか、間抜けな人ですね」


 率直な感想が新垣の口からフッと出てしまう。


「お前にだけは言われたくねえと思うぞ? ……それと思ったことをすぐ舌に載せるな。せめて垢抜けない人ぐらいにしとけ」


 たしなめる古谷に、新垣は笑いながら謝り、とりあえず一枚。


 壇上では、まだ気まずそうな社長が汗をハンカチで拭き、緊張を誤魔化すようにマイクテストを繰り返す。何度目かで平静を取り戻したのか、一呼吸を置いてマイクに語り出す。


『皆さん、はじめまして。社長の四月一日明恒わたぬきあきつねと申します。言いたいことはたくさんありますが、僕なんかの耳汚しで時間を奪うのは気が引けます。何より有望な皆さんの瞳には、冴えないおじさんよりも、今この瞬間も未来を映していてもらいたいですから、ちゃちゃっと済ませちゃいましょう。……何だか少し恥ずかしいこと言っちゃいましたけど、呆れないでくださいね? はははっ」


 四月一日の立ち振る舞いに、会場の少なくとも半数ぐらいから笑い声が零れる。


『あ~、おほん! では改めまして……。桜の季節の新しい門出。人生の新たなスタート地点。そんな喜ばしい場所に我が社、ハルジオンを選んで下さった皆さんを、私は心より歓迎します。ありがとうございますね』


 四月一日が柔和な笑顔を浮かべる。

 それは見る者に安心感を与えるものだった。


『私が皆さんに望むことはただ一つ。輝ける一つの星になって下さい。誰かの光を受けて光る星ではなく、自分一人で輝ける人間になって下さい。そして、いつでも大切な人を照らし、助けられる用意のある、しっかりと自立した人間になって下さい』


 社長というより、まるで校長先生のような語り口で四月一日は言った。

 そして会場全体を見回し、星の候補生等を見渡し終えると一度、誰に向けてでもなく大きく頷き、続ける。


『……星は惑いません。いつでも道標となり、輝き続けなければなりません。誰にでもできない事、明日の最善への選択を絶えず要求されます。社会へのソリューションを常に提供するのが、ハルジオンの存在意義だからです』


 新入社員たちが居住まいを正す。

 双眸が慧眼だと主張するように張りを増す。


『ですが、私は信じています。輝き続ける事のプレッシャーさえ楽しめるフレキシブルな明星こそが、ここにいる皆さんであるのですから。ですよね?』


 笑顔での問いに、そこかしこで頭が縦に振られる。

 気構えを持ちながらも、一往に皆、口角が上がっている。


「……社長さん、古谷さんと同じようなことゆってましたね。おつむレベルが近いんですよ、きっと!」


「お前に言われると、褒められてるのかけなされてるのか判断つかなくて不愉快さだけが残るぜ。……それはともかく、さすがに選び抜かれたエリート様共だ。鼻から余裕を吹き出してやがる。使えない奴は、きり捨てるって言われてるのによ」


 四月一日の腹を見通した古谷が、彼とは別の視点で会場を見通す。


「人の皮を被った天狗ってのは始末が悪い。平等を謳いながらも上に立ち、常人じゃ逆立ちしたって鼻を折ることはできねやしねえ」


 真なる平等の上で、その頂に立ち、中腹を遥かに見下ろす事ができる者たちの集まり。古谷はそれを現代の伏魔殿と捉えた。


「……ま、政治より選挙しか考えない政治家より、優れた独裁者に気付かないうちに支配されてた方が幸せって事もあるけどな……ふんっ」


「さっきから何をブツクサ言ってるんですか? えっ、いきなり来ちゃいました? ボケ」


「ボケてねえよっ!」


 失礼極まる部下の言葉に古谷が不意に怒鳴ってしまった。すかさず会場スタッフに分かりやすい咳払いを向けられ、古谷は愛想笑いで頭を下げて、その場をやり過ごす。


『……そのために、運良く庭で拾った小石が魔法の石だっただけの私を見習わず、みなさんは石ころを探すために下を向くより、チャンスと未来を掴むために前を向いて下さい。それでは皆さん、これから一緒に頑張っていきましょう』


 締め括りに四月一日が控えめなガッツポーズを示すと、会場が拍手で包まれた。


 小さく手を振りながら小走りで降壇する四月一日に向けられる拍手が鳴り止まない中、続いて貴賓席の総理が登壇し、スピーチを始める。


『オクミカワが人類に与えてくれる恩恵は計り知れません。楽観的と言われた持続可能な開発目標も達成され、格差そのものを――』


 総理の声が響く以外、会場に再び静けさが戻る。


 総理のスピーチの最中、あんたには興味が無いとばかりに古谷の目は降壇していった四月一日を追った。

 だが、もう会場にその姿はない。


「ふん……国のトップを差し置いてお帰りとは、イイご身分なこって」


 皮肉を口にする古谷は不満そうだ。 


「よさそうな人でしたね!」


 新垣も撮影対象がいなくなってしまい、集中力を切らしたのか、カメラを構えるのを止めて古谷に社長の印象を率直に伝えた。


「あのなぁ、お前。仮にも記者なら良いの一言で済ますなよ。……まぁ、表面上はな。でも、ああ見えて中々に食えないタマだぜ」


 随分、含みのある物言いだった。


「じゃあ、凄い人ですね! なんたってオクミカワ造った人ですもん」


「結局一言じゃねえか。……まぁな。オクミカワ関連技術をオープンソースで公開していても、社会を回せるまで飼い慣らせるのは結局ここだけ。紛うこと無き現代の王なんだろうさ。もっとも、王一人に、ここまでの奇跡が起こせると俺は思っちゃねえけどな」


「どういうことですか?」


「……公表されている社長殿の経歴からじゃあ、納得できない所がいくらか覗く。出身は国立。専攻は経済。工業も医大も出てねぇのに、この奇跡を一人で起こしましたなんて無理があんだろう。だから社長殿とは別のプロフェエショナルがムーンショットを連発させたんじゃねえかと俺は踏んでる」


「つくったのは社長じゃないってことですか?」


「ああ。名前も規模も正直掴めん。ただ、王国は一人じゃ立ち行かねえ。必ず王に魔法を授けた伝道師がいるはずだ……」






 その頃、ハルジオン本社社長室にて、弱々しいクシャミをする長身痩躯の白衣の男性がいた。

 傍らのリクルートスーツの女性に鼻を拭いてもらっている姿は、中々に中々だった。






「いや、古谷さん。いくら優しいワタシでも、その歳で魔法使いがどうだとか本気で言ってる上司を前にするとヒイちゃうのを隠しきれませんよ……ゾゾっ」


「うるせえないいだろ表現の自由だこんちくしょう!」


 大真面目に語る上司に何たる仕打ち。古谷は若干上ってきた熱を、怒鳴り一つで飲み込んだ。


「……まぁ、いくらとびっきりの虎の子を従える鼻持ちならないスタートアップだったとしても、確かな結果を出す経営手腕は本物だ。史上類を見ない功労者には違いないだろうさ。それは認めてるけどよ、底を隠すような物腰だとか、俺はあんまし好きになれねぇ……」


 そう語る古谷の顔は、少し苦みを示していた。


「古谷さん……大丈夫ですよ! ぜんぜん芽が出ない遅咲きの花だって、いつかは咲くんですから! 鳴かず飛ばずでひがんでないで、前を向いていきましょう!」


 何を勘違いしたのか、新垣は古谷がやっかみからイジケているものと思い、気遣いをみせた。


 親指を立てて下手なウィンク。その仕草と勘違いに激しく苛ついた古谷は声を荒げる。


「大きなお世話だバカヤロウ! 人生相談のテンプレートみたいな締め方すんじゃねえ! ちっ! 撮るもん撮ったなら、とっととずらかるぞ!」


 大きく怒り肩を作って肩を揺らしながら会場を去ろうとする古谷を新垣が小走りで追いかける。


「あ、待ってくださいよ~! ずらかるって、この後どこに行くんですか? もうお家帰っていいんですか⁉」


「ちげぇよ! ……昨日、ショッピングモール横の神風対処用地で、鎧の社員以外の人間が目撃された。白衣の細長い大人と、冴えないガキらしい。宙に浮いて走るボコボコのトラベルトレーラーの情報も多く入ってる。それが気になる」


「え~、そんなの放っときましょうよ~。今からなら推しの配信間に合うし」


「お前、今のうちにそのお気楽お花畑思考治さなねぇと、この先やべぇぞ⁉ ……とにかく記者なら記者らしく、気になったら即行動だ。付いてこい!」


 先輩記者が何故怒っているのか分からない後輩は、口をへの字に曲げながらも先輩の後を追うのだった。


 スピーチを終えた総理が貴賓席へと戻ると、隣に座っていた財務大臣が、すこぶる機嫌の悪そうな顔で迎えた。


 国の代表を呼びつけるだけならまだしも、総理を軽んじるように、用が済んだら挨拶も無しに退散する四月一日に対して、大臣は心底腹を立てていた。


 だが、そんなことが許される事実を覆すことも難しい。


 だから、誰にも聞こえぬように悪態を吐いた。


「ふん。成金ふぜいが……」

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