第8話 社長の挨拶

 式が始まり、真っ先に社長の挨拶となる。


 ホール一階を埋め尽くす新入社員の瞳が一点に集まって間もなく、ホール中央のステージに登壇する人影が現れた。


 社長は「普通の男性」だった。


 背は高くもなく低くもなく。体型は太ってもなく痩せてもなく。


 どこにでもいる中年男性そのもの。


 頭髪に少し白髪が混じっており、若々しいとは言い難い。アンチエイジングとは無縁に映る。


 では、威厳があるのかと問われたら、肯定しづらい。


 社長に相応しく、背広を着こなし、颯爽とした立ち振る舞いをしているかと訊かれても、とてもそうとは言いにくい。


 着古した地味な黒の背広に、味気ないネクタイ。靴も尖っていたり、それらしいものではなく、一昔前でも通用する黒の革靴。


 指輪やカフス、富を連想させる貴金属類も一切身に付けておらず、チーフさえ胸に挿さっていない。


 社長というより勤続三〇年ぐらいのベテラン課長……よくて部長。とても一目で社長と判断するのは至難の業の外見だった。


 オフィス街の人混みに紛れれば直ぐさま馴染み、見つけ出すことが困難になるであろう、どこにでもいる気の良さそうな中年サラリーマン。そう呼ぶに相応しい容姿だった。


「……誰ですか? あのメガネかけてないマスオさんみたいなおじさん」


「お前、本当によく記者になれたな⁉」


 記者失格の頭を持つ新垣に、古谷は今日一番の落胆を叫んだ。


「社長だよ、社長!」


「え⁉ あんな何の特徴もない冴えない普通のおじさんが⁉」


 本当に顔を知らなかったようで新垣はシャッターを押すのを忘れて驚いた。


「……ったく。ああ、あれがハルジオンの社長だ。オクミカワのもたらした莫大な利益で国の医療費と社会福祉費の全てを背負う代わりに、世の中の弱者の望む自由を叶える手助けが出来る特権を持った唯一の人間だ」


「特権?」


「さすがにハルジオンの在宅職は知ってるだろ?」


「……あ~、あの~その~……あれですよね! あれ!」


 知ったかぶりさえ貫き通せない新人を任されてしまった。今年は厄年だったかと古谷は頭を横に振った。しかし放っておくのも新人のためにならないと、渋々口を動かす。


「現代の障害者福祉の全てを引き受けた際、ここが決め直した弱者の定義は……まぁ、簡単に言やぁ、ニートやひきこもり、心身に医学的に明確な障害があるわけじゃねぇけど、傷付きやすい人間……どっち付かずの半端もんってとこだな」


「あ~、そう、それ言おうと思ってたんですよ! で、在宅職っていうのは……?」


 横目で窺うような新垣の視線に、こいつは本当に学校出たのか? と疑わしくなってきたが、新人教育の一環と割り切って古谷は続ける。


「……人の手を経ないと精錬できないオクミカワを自宅で加工するっつう、そこそこの幸せなら掴めるぐらいの収入を得られる真っ当な仕事だ。まぁ、恩恵だけじゃなく、救われても報われねえ奴らがいるっちゃいるんだけどな……」


「あ、思い出しました。何だかその事で怒ってるコメンテーターの人いましたよ。甘やかしすぎだって」


「そういう奴らもいるな。けどな、そういった口動かしてるだけで儲けてるうさんくさい金持ちが納めたもんには一切手を付けてない。あくまでハルジオンの一業務だ。何もしてない奴等が口挟むのは、お門違いもいいとこだぜ。これだから金持ちは気に食わねえ……。オクミカワにコア技術の全てでお株を奪われた途端、社会貢献のしゃの字も忘れて下請け孫請け平気で切った大企業も多分に漏れず――」


 文句が関係各所に飛び火した。ブツブツ言い出した古谷に、新垣が容赦のない指摘を入れる。


「古谷さん、うだつの上がらない平社員で安月給だから、お金持ちが嫌いなんですね!」


「うるせぇバカ! お前はもう黙ってシャッターきってろ!」


 場を弁えて出来る限りの小声で古谷が怒る。すごく怒る。


 新垣が古谷のおしかりを受けたと同時ぐらいに、社長が壇上の中央の机の前に移動を終える。そして、まるで机を叩くような勢いで両手を机上にのせると、少しの沈黙のあと、第一声が放たれた。



『…………ェほへぇ~~~~‼』



 緊張のため、腹の底から出てしまった社長の上擦った声がマイクに乗せられてホール内に響く。

 

 会場が、静まりかえっていく。

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