第3話 食べたいけれど食べられない理由

(豪邸一〇軒以上建つような借金背負っちゃたんだから)


 そうやって回顧を終えて現在に戻ってきた永遠とわがひとり、頭のなかで涙を流した。


「そのあと小声で、ただいまって呟いたかと思うと、ユラユラって家の中入っちゃってね。それで瑠璃乃るりのちゃんと一緒に追っかけたら居間に座り込んでたのよ」


 永遠は居間のテーブルに片肘を突いて口を掌で覆った。記憶が無い。二日酔いするほどの深酒とはこういうものなんじゃないかと推し量ってみる。


「二人で永遠に話しかけたんだけど、ごめんって呟くだけで、しゅんとしてたわ。昨日は疲れてたみたいだし聞けなかったけど……何かあった?」


「えっ⁉ あっ、いや! べつに⁉」


 富美子の問いに動揺を隠せない永遠は上擦った声で返してしまった。息子の態度が心配になった母は、瑠璃乃にも尋ねるように視線を移す。


 瑠璃乃はすぐに察して、


「お仕事のしゃっき――」


 無邪気に答えようとする瑠璃乃の声を、永遠は咄嗟に腕を伸ばして遮った。


「な、何でもない、何でもない。はははははっ……」


 息子は何かを抱えてしまっている。親としてそれはすぐに分かった。それがどれほどのものか分からなかったが、少なくとも今はまだ隠し事として処理できている。


 本当に弱ってしまった時の、あのひきこもり始める前日の時のような顔をしていない。


 せっかく自分なりの前進の道を手繰り寄せることができた息子に、自分の心配を押しつけないよう、富美子は努めて納得した表情を作り、これ以上は深く訊かないよう永遠を気遣った。


「そう。それならいいんだけど。……あっ、それからよね。永遠、だんだんと横になっていって、そのまま寝ちゃったの」


 では何故、部屋で目覚めたのか? 富美子の小さい体が、六〇キロはある人間を二階まで運べる訳が無いと推測した永遠は思い当たることがあって視線を横に移す。


「はい! わたしが抱っこしました~!」


 瑠璃乃は得意げに手を挙げた。


「瑠璃乃ちゃん凄かったのよ~。軽々とお姫様抱っこしちゃうんだもん。見かけによらず力持ちでびっくりしたわ!」


(恥ずかしくて情けない。眠りながら女の子にお姫様抱っこされる。ふつう逆なのにぃ……)


 永遠は赤らむ顔を隠しついでに、テーブルに額をグリグリと押しつけて唸った。


「それからね、永遠を部屋のベッドに下ろしたら富美子さんに呼ばれてね、いっしょにいろいろお話したんだよ」


 瑠璃乃と富美子は向き合って声を合わせて笑い合う。その様子に永遠はヒヤリとした。瑠璃乃が富美子を心配させるようなことを言ってしまったんじゃないかと気が気でなかった。


 そんな永遠の心配を察した瑠璃乃が永遠に耳打ちをしに近付く。


『だいじょうぶだよ。言っちゃダメなの知らなかったけど、言ってないからね?』


 耳元で囁く瑠璃乃にドキドキしつつも、永遠はホッと胸を撫で下ろした。


「それでテレビ見たり、お風呂入ってもらったりしてから、客間に寝てもらうことにしたんだけど……瑠璃乃ちゃん、なんで永遠の部屋に?」


「あ……ちょっと眠れなくって……。すぐ隣で永遠の顔見てたら、時間が経つのが早くなるかなって思って永遠の部屋に行っちゃいました。えへへっ」


 笑いながら瑠璃乃が答える。


 だが永遠には彼女が少しだけ困ったように笑っている気がした。


「まぁ! もう、永遠! 愛されてるわね!」


 囃し立てるとかでは無く、あくまで本気の富美子は、永遠と瑠璃乃の関係を心から祝い上げた。招き入れるように手首を曲げる動作に、永遠は母に分かりやすいおばさんの片鱗を見た。


「べっ、別に好きとかじゃなくて、大好きだけど、そんなんじゃなくて……」


 全く否定になっていない文句を付けてから、瑠璃乃は頬を赤らめて俯き加減に、


「わたし、永遠の出すものがないと生きてられないから……」


 親子を震撼させる一言をつぶやいた。


 富美子は吸い込んだ息を吐き出すのを忘れ、永遠は顔面を引きつらせる。


 居間の空気が固まった錯覚さえ感じさせる中、瑠璃乃だけが空気の変化を察せず、親子の様子の変化に目をパチクリさせていた。


 このままでは二人の関係がただれた仲なのではないかと母を心配させてしまう。


 永遠は回転の遅い頭をフル稼働させる。


 そして閃いた起死回生のもっともらしい言い訳を舌の載せた。


「……かっ、かかっ加工品のことだよ⁉ 納品する加工品のことだからね⁉ 瑠璃乃に会社に届けてもらうからって意味だからね‼ ね、瑠璃乃⁉」


 急ごしらえの言い訳にしては我ながら良く出来た。冷や汗で額を濡らし鼻を鳴らす永遠。


「え? そんなことしないよ? わたしのお仕事はエイオンベート――」


 永遠の言い訳をぶち壊しにする悪意の全く無い否定が瑠璃乃の口から出てきてしまう。


 永遠も瑠璃乃がウソが苦手な性格なのも知っているものだから始末が悪く、言い聞かせることもおこがましいので、また咄嗟に瑠璃乃の口を腕で遮る。


(お願い! っほんっとお願い!)


 今にも泣き出しそうな情けない顔で永遠が瑠璃乃に訴えかける。


 その顔から、パートナーの心情を大掴みに理解した瑠璃乃は、


「……あ! そうだったー。納棺のうかんしてお金もらうんだったねー。忘れてたなー」


 とても棒読みに永遠に同調することを選んでくれた。


 永遠も富美子も、納棺とは何だろうと少し首を捻ったが、それぞれがそれぞれに納得して一息吐いた。


「……なんだそうだったのね。ちょっと驚いちゃったわ。ふ~」


 富美子は驚きで上気した顔を冷ますように両手で風を送る。


 そこでふと、富美子は瑠璃乃が昨日から一度も、寝るときでさえ帽子を脱いでいないことに気付いた。


「ところで瑠璃乃ちゃん。帽子は脱がなくて平気? のぼせちゃわない?」


「はい、だいじょうぶです!」


「それならいいけど。でも家の中なんだから帽子脱がないと禿げちゃうかもしれないわよ?」


「えっ⁉」


 禿げる。その言葉に反応した瑠璃乃が頭を帽子越しに押さえながら、真偽を問うような目線を永遠に向ける。永遠は、そんなわけ無い無いと、ゆっくり二回、頭を横に振って応えた。瑠璃乃に再び笑顔が戻る。


「カッパさんは好きだけど、髪の毛がなくなっちゃうのはイヤだからビックリしました」


「なるほど! ここでキュウリに繋がるのね。上手いわ~!」


(上手いのかな? それに二人の会話についていけないのは僕が悪いのかな?)


「私、ちくわにキュウリ詰めたのが好きでね~~。と言うわけで、朝ご飯にしましょう♪」


(唐突だよね?)


「永遠も昨日帰ってきてから何も食べてないし、お腹空いてるでしょ? みんなで一緒に朝ご飯食べましょ?」


「……うん。そうだね」


「瑠璃乃ちゃんは何食べたい? あるものだけだけど、何でも作っちゃうわよ」


 富美子の問いかけに瑠璃乃の表情に一瞬、曇りが見えた。


「え? えっと……わたし、だいえっと中だから、いらないです。……ごめんなさい」


 せっかくの申し出に応えられないのが心苦しくて、瑠璃乃は言葉の最後に謝罪を付け加えた。無理に笑って紛らわしたが、永遠達には尚更その笑顔が、何故か寂しそうに映った。


 その顔を永遠は見たことがあった。一緒に出かけたショッピングモールのフードコートだ。


 あの時見せた顔と同じ寂しそうで申し訳無さそうな表情。


 食べないではなく、食べられない理由があるのだろうかと永遠が推し量り始めると、


「ううん、いいのよ全然。ダイエットは大切だものね。……じゃあ、永遠、ちょっと手伝ってくれる?」


 富美子が努めて明るく話題を変えるように、永遠に申し入れた。


「あ、うん」


 永遠は頷くと、富美子を追って立ち上がる。瑠璃乃も従って付いてこようするが、富美子の様子が気になったものだから、永遠は瑠璃乃に待っていてもらうよう促し、母を追った。


 流しの前まで来ると、富美子が気遣わしい表情で片手で頬を押さえ、小声で永遠に語りかける。


「永遠はそんなこと言わないって信じてるけど、瑠璃乃ちゃんに太ってるとか言った?」


「えっ⁉ 言ってないよ! 今だって充分痩せてるし。……どこがとは言わないけど、むしろもうちょっと太っても良いと思ってるぐらいだし……」


 不用意に女の子を傷つけていないかと息子に問いただす富美子に永遠は釈明する。


「そうよねぇ……むぅ……」


 富美子が心配から唸りを零す。


「昨日、永遠を部屋まで運んでもらってから、瑠璃乃ちゃんといろいろな事話したの。あ、お仕事の内容とか、家族への説明とかを済ませてから軽く世間話はしたけど、二人の仲とかプライベートなこととかは話してないから心配しないで?」


 その世間話の中に、自分の恥ずかしい過去――絶対に似合わないであろうゲームの主人公が着けていたライオンをかたどったシルバーアクセサリーを小遣いはたいて通販で購入して学校に着けていこうとするも直前になって痛々しいことを自覚して思いとどまったこと――などを話されていないだろうかと永遠は戦慄した。


「それでね、晩ご飯の時に、瑠璃乃ちゃんと一緒に食べようと思って誘ったらダイエット中だから食べないって言ってね。その時はそれで納得したけど、朝ご飯も食べないなんて体に悪いと思うのよ?」


「……そう……だね……」


 瑠璃乃は人間ではない。


 母なら多分、そう正直に言っても、瑠璃乃という存在が目の前にいることが何よりの真実と捉え、接し方を変えたり気持ち悪がったりすることはないだろう。


 それでも永遠は、母を信じる自分を信じ切ることができなくて、富美子に事実を伝えるのが怖くてはっきりとした返事ができなかった。


「だからね、永遠からも言ってほしいのよ。食べないと禿げちゃうって」


(母さんのなかでは瑠璃乃には禿げるって言葉が有効ってことになってるんだな)


 狭量で柔軟性に欠ける自分の親とは思えない少しズレた母の言葉に、永遠は安堵をもらった。


「あ、あははっ……。大丈夫だって。仕事の合間にカロリーメイツみたいなの食べるって言ってたし」


(ウソを作るのが上手くなってる自分が憎い……)


「そうなの? じゃあご飯食べてくれないのは、わたしの作るご飯が不味そうだからかしら……?」


 見るからにシュンと、富美子が肩を落とした。


「違うって! なんでも、ハルジオンのワーキング・サポーターの人は必要な栄養が普通の人とは違うみたいで、慣れないもの食べるとお腹壊しちゃうらしい……よ?」


(そういえば博士から、瑠璃乃がなんで食べないのか聞いてないな。あの子のキャラなら大食いなのがセオリーなのに……)


 自分の偏った知識と照らし合わせながら、昨日の博士達、瑠璃乃の保護者と思わしき人々との会話の中に、瑠璃乃が食事を摂らない理由を探るが、結局は憶測と想像でしかない。だからとりあえず、


「……だからさ、きっと食べたい時がくれば食べてくれるって。それまではこっちも何も言わないでおこう?」


 母を励ます嘘の後、瑠璃乃からのアクションを待とうという旨を永遠は母に促した。


「……そうね。そうよね。押しつけちゃダメよね。なら私は瑠璃乃ちゃんがこの家で何不自由なく働けるお手伝いをするわ! それじゃあ、とりあえず、ご飯作っちゃうわね。腹が減っては戦はできぬだから!」


「ははっ……ありがと。その意気その意気……」


 めずらしく自分が力付ける方に回れたことを少し喜ばしく思った永遠は、ガッツポーズを決めてから冷蔵庫に材料を取りに向かった母のために、適当な皿を用意することにするのだった。




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2024年11月30日 19:00

空色オメメはくもらない‼ ほのかたらう僕らは普通になれない2 牛河かさね @usikawakasane

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