第21話 じゃあな! お前、強かったよ!
意識が遠のきそうだった。
リサリアさんの召喚が成功した、それだけは分かった。きっと、この場はなんとかなる。
根拠のない安心感を覚えた僕は、力を失って再び地面に膝をつく。
「よくも」
メイド服の女は大量の血を流しながらも、致命傷には至っていない。手に握った剣を振り上げ、僕に向かって下ろそうとする。
しかし、それはかなわない。剣が振り下ろされる直前、後ろから飛んできたナイフが女の腕を突き刺した。
「家畜風情が!」
女は激昂して遠くを見る。投げられたナイフの先に魔法を放とうとするが、すでに遅い。
――キィン!
空間を切り裂くような高音が響く。雷光が奔り、女の身体を貫いた。
「ああああああああ!」
それから、メイド服の女は一方的に蹂躙された。
女の反撃は、すべて雷にかき消される。光の爪が彼女の腕を裂き、牙が肉を抉る。
逃れようと背を向けるとその爪で腱を断ち切り、女を地に伏せさせた。
その圧倒的な暴力に目を奪われていると、リサリアさんが駆け寄ってきた。
「しっかりして!」
彼女の手から温かな光があふれ、僕の身体を包み込む。傷口が塞がり、滲んでいた視界がはっきりと戻ってきた。
僕たちは肩を寄せ合って、目の前の凄惨な光景をただ眺めていた。
「も、もうやめて……」
血と涙を流して懇願するメイド服の女にカイリンは容赦しない。幾度となく雷を撃ち続け、ついに女が動かなくなると高らかに咆哮を上げた。
血の匂いが立ち込める中、沈黙が支配する。
「ありえません。どうして、わたくしが」
メイド服の女はぶつぶつと言葉を漏らす。絶対者であるはずの自分が、追い詰められるなんて微塵も考えていなかったのだろう。
「おい、さっさと殺っちまってくれ」
いつの間にかエドワードさんが後ろに立っていた。その表情は疲れきっている。
「わたくしを殺す……?」
「ああ、そうだよ。恐ろしいモンスターだったぜ」
「モンスター……」
その言葉に、女の肩が小さく震える。聞き取ることができないほど小さな声で何かを呟いたあと、急激に言葉を強めた。
「モンスターなどではありません! わたくしは第伍階級魔人シルヴィア! あなた方のような下等な存在に殺されるなど――」
「聞いてねえよ。黙ってろ」
エドワードさんは動けない女の顔を躊躇なく蹴り上げた。その一撃に言葉を失った彼女は嗚咽を漏らす。
「気味が悪くて仕方ねえ。なあ、頼むぜヴィンハンス」
リサリアさんと目を合わせると彼女も小さく頷いた。
あと一歩でダンジョンを攻略できるというところまできていた。そんな僕たちの期待感を裏切って、絶望に陥れるというショーを作ろうとしたのが目の前の女だった。
迷う必要はない。
青い剣を振り上げると、女の瞳が恐怖に染まった。
「さようなら」
躊躇わず剣を振ると――目の前に長髪の男が現れた。剣は壁に当たったかのように男の前でピタリと止まる。
「悪いが、これにはまだ役割がある」
男の声は底冷えするような冷たさを帯びていた。
耳に届いた瞬間、全身を覆う静寂と凍てついた空気が僕を縛りつける。それはこの世のものではない、存在すること自体が異質な何か。
その男が何気なく手を振った。すると、見えない衝撃波が部屋全体を襲い、僕たち三人は壁際まで吹き飛ばされた。
内臓が揺れるような衝撃に思わず呻き声を上げる。
「かはっ……!」
カイリンが雄たけびをあげて、男へ向けて雷撃を放つ。メイド服の女を圧倒したその青白い光は、まさに必殺の一撃となるはずだった。
しかし、男は指先を軽く振るだけでそれをかき消してしまった。
「邪魔だな」
男が静かにそう言い放つと、腕を伸ばした。その動きに呼応するように黒い渦が空間に生じ、直線上にいたカイリンを飲み込む。
威厳と雷光に包まれていたカイリンが、その場から完全に消滅した。
「ああ、王よ……」
メイド服の女が恍惚の表情を浮かべ、目の前の男を見上げる。その顔には、さっきまで見えていた恐怖の欠片もない。
「何があった」
男がメイド服の女を睨めつけると女の表情が張り詰める。
「わ、わたくしにも分かりません。あの男に、結界を破られて」
「……魔人殺しか」
男は呟くように言葉を零すと、視線を僕に向けた。鋭く冷たい眼差しが突き刺さり体が硬直する。
だが、次の瞬間にはメイド服の女へと目を移し、その頭を無造作に足で踏みつけた。
「っ……!」
女は苦痛に顔を歪めながらも声を上げない。
「ど、どうかお許しを」
「まあいい」
メイド服の女が解放される。男がこちらに振り返って――僕の口から「あなたが六王なんですね」と漏れた。
リサリアさんとエドワードさんは、正気を疑うような目で僕を捉える。
「いかにも。俺が森の王エルドラだ」
「僕たちは……あなたによって作られた?」
問いかけるような言葉が自然とでてきた。このめちゃくちゃな世界を作ったのがこの男というのなら、納得できるような気がしたから。
「厳密にはそうではない。しかし、俺の召喚術によってお前らがここにいるという認識は正しいものだ」
「いったい、何のために」
「古い人類が使っていた秘術の再現。それだけだ」
淡々と語るエルドラからは、僕に対しても悪意のようなものはない。ただ、彼はこの空間にいる自分以外のすべてに価値を感じていない。
「ここはもういい。後処理はお前に任せる」
「はい、喜んで……」
その瞬間、男とメイド服の女の姿が消える。空間が揺らぎ歪んでいって、気がつくと僕たちは元の部屋に立っていた。
部屋は荒れた様子は一切なく、いつもの姿を保っている。
「なんなのよ、いったい……」
リサリアさんが胸をなでおろす。彼女と同じように、僕も安堵を覚えていた。
「今回ばかりは僕もダメかと思いましたよ」
心の奥底からの本音だった。
ひとりでは絶対に敵わない相手だった。彼女の召喚術がなければ、僕たちはここにはいない。
「その割には、真っ先に突っ込んでいってたな」
エドワードさんは床に座り込んで僕らを見上げた。いつも冷静な彼があそこまで取り乱していたことも、それだけ状況が深刻だったということを証明していた。
「悪かったな、俺なんか早々に諦めちまって」
「そんな、助けてくれたじゃないですか」
あの時、攻撃が通らないという可能性もあったのに彼は動いた。結果的にナイフは彼女に突き刺さったが、おそらくそれは――
『脱出の条件が追加されました』
突如と流れる機械的な音声。悪い予感がする。
全員が耳を傾けた。
『転生者マグナスの殺害。達成パーティーは、脱出の権利を得ます』
条件がさらに緩和された。これは今以上にダンジョンを激化させると確信していると、機械的な音声はさらに続けた。
『転生者リサリアの殺害。達成パーティーは、脱出の権利を得ます』
『転生者ヴィンハンスの殺害。達成パーティーは、脱出の権利を得ます』
『転生者エドワードの殺害。達成パーティーは、脱出の権利を得ます』
『転生者フルーネの殺害。達成パーティーは、脱出の権利を得ます』
「おいおいふざけんじゃねえぞ」
エドワードさんが思わず声を荒げる。その怒りが届くことはなく、機械音は淡々とアナウンスを続けた。
『ダンジョン消滅のお知らせ』
「消滅って、そんな急に」
リサリアさんの訴えも、当然意味をなさない。
『一定時間経過後にダンジョンは消滅します』
王のいっていた「ここはもういい」とはこのことだったのだろうか。命の扱いがあまりに軽い。
ショックを受けて呆然としていると、エドワードさんが血相を変えて詰め寄ってきた。
「フルーネを殺るぞ!」
彼の声には焦りと恐怖が滲んでいる。
「待ってください、それは」
「議論してる時間なんかねえ! お前らなら簡単だろ。それに、俺らがやらなくても他の奴にどうせやられる!」
感情を抑えた説得などではない。彼の言葉は、絶望の中から生まれた本能的な叫びだった。
しかし同時に、現実的な脱出手段はそれしかないようにも思えた。
「あなたが決めたことなら、わたしは従う」
リサリアさんが優しく微笑む。どんな結末でも受け入れるというという彼女の決意が僕の決定を後押しする。
「ダンジョンのボスを倒しましょう」
自分でもよく分かっている、甘すぎる判断。
「……馬鹿野郎」
エドワードさんが苛立たしげに吐き捨てる。その短い言葉が、どれほど彼の葛藤を映し出しているかは痛いほどわかった。
「決まったなら行きましょう。ここでぐずぐずしてるわけにはいかないわ」
「ええ、もちろんです」戦闘に備えて剣を抜く。
扉を開けると、ホールが戦場と化していた。転生者たちが入り乱れ、剣と魔法が飛び交っている。
その一角で男たちに守られながら、フルーネさんが佇んでいた。
彼女は僕に気づいて視線を合わせる。これまで見た中で、最も美しい笑顔を見せて――その首を跳ね飛ばされた。
「ハハハハ! やった、やったぞ!」
首を落とした転生者が歓喜の声をあげる。その声はホール中に響き渡り、フルーネ組の女たちが絶叫で応えた。
怒りに突き動かされた戦闘特化の男たちが復讐を試みる。
だが、無情にも首を落とした男を含む4人がその場から光のように消え去った。
彼らはダンジョンから脱出した。
この場にいる全員がそう思ったはずだ。そしてターゲットを失った転生者たちの視線は、いっせいに僕らに集まった。
「あいつらだ!」
その叫びが合図となった。矢と魔法が雨のように降り注ぎ、僕たちを無差別に狙う。
「下へ!」
的になると判断して、すぐさま1階に飛び降りた。
「誰でもいい! ひとり連れてこい!」
エドワードさんはそういうと、この場を駆け抜けてホールの外に出た。転生者たちが追おうとするが、〈逃走術Ⅴ〉を習得している彼には誰も追いつけない。
的確な判断だ。乱戦では彼が足手まといになるのは避けられない。エドワードさんがこの場を離れたことで、僕たちは目の前の戦闘に集中できる。
次々と襲い掛かってくる転生者を僕たちはひたすら斬り払う。召喚の詠唱をする隙はないが、それも大した問題ではない。
「くそ、この女!」
リサリアさんの戦闘力は、並みの転生者を大きく上回る。
このままこの場をやりすごして、適当な転生者を脅して無理やり加入させる。先で待つエドワードさんと合流して、ボスを倒す。
そんな打算が頭をよぎる中、突如強烈な一撃が飛んでくる。
「っ!」
間一髪、盾で受けることができた。
「今のは死んどけよ」
ドラゴンニュートの男がニヤリと笑う。反撃を試みるも、横からティーフリングに槍を突かれてタイミングを失った。
一度距離をとって彼らと向き合う。そこには人外組の4人がいた。
「見逃しては……くれませんよね」
「ああ、悪いな」
短い言葉を交わすと、彼らは再び武器を振るった。人数の差があるうえに、ドラゴンニュートの攻撃が苛烈で防戦一方に追い込まれる。
横で戦うリサリアさんも同様で、反撃のきっかけが掴めない。
「ヴィンハンス、このままじゃ……」
時間だけが過ぎる。そんななか、放心していたはずのフルーネ組の男たちも戦線に加わった。
「はっ、いい加減諦めろ!」
ドラゴンニュートの男は戦闘特化の男たちを利用して僕を追いつめる。相手の数を減らそうにも、反撃のタイミングで必ず彼の一撃がくる。
一手。たった一手だけど、決定的に足りていない。
僕の焦りを見透かすように、ティーフリングが足元を狙って槍を突いた。僕は咄嗟に後ろに飛んでしまって、瞬間的に動けなくなる。
その隙を、ドラゴンニュートの男が見逃すはずもなかった。
「じゃあな! お前、強かったよ!」
一瞬で距離を詰められる。懐に入った男は斧を構えた。
「ヴィンハンス!」
リサリアさんの悲痛な叫び声。盾を構える間もなく男の斧がなぎ払われようとした刹那――
「ファイアボール」
爆炎が視界を奪い、ホールに轟音が響き渡る。ドラゴンニュートの男が吹き飛び、無残にも壁へ叩きつけられた。
舞い上がる煙の中、一つの影がゆっくりとその存在を示す。次第に輪郭が浮かび上がり、その姿が視界に刻まれるたび、僕の心に深い震えが広がる。
視線を交わすと、彼は低く言葉を吐き捨てた。
「借りを返す」
最強の転生者、マグナスがそこにいた。
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