第19話 言葉なんていらないの

 フルーネ組の支配力が揺らぎ、情勢は大きく変貌を遂げていた。


「てめえらふざけんじゃねえぞ! 俺らに奴隷みたいな生活を押し付けやがって!」


「魔石を恵んでやって気持ちよかったのか!? なんとかいってみやがれ!」


 これまでスライム狩りに縛られていた転生者たちが、今度はフルーネ組へと詰め寄る。


 戦闘特化の男たちが壁を作って必死に押し返しているものの、怨嗟の声は止まらない。


 フルーネさんの顔は僕たちの位置から見えないが、この雰囲気では決して穏やかではないはずだ。


「へへ、フルーネのやつ、ざまあねえな。血相変えてるだろうな、あれだけ調子こいてたんだからよ」


 エドワードさんは楽しげに鼻で笑う。その態度にリサリアさんは眉を寄せ、嫌悪を隠さない。


「悪趣味よ。そもそも自分たちの無能は棚上げして、ただ叫んでいるだけの輩に同情する気なんて起きないわね」


「いいじゃねえか、そういう惨めさも含めて眺めてると面白ぇんだよ」


 エドワードさんは心底愉快といった様子だが、リサリアさんが不機嫌になるのも無理はない。この二人が笑いあう日は、多分来ない。


「まあ、これでしばらくは観客に退屈だと思われることもないでしょう。僕たちは粛々とボスのエリアを探しつつ、パーティーメンバーを吟味する。いいですね」


「異論はないわ」


 エドワードさんは無言のままだが、反論しない時点で了承したも同然。


 彼としては、この状況を存分に煽り楽しむ気なのだろうが、それで僕たちに損がないなら放っておいていい。


「残りのメンバーに関してですが、元々の方針通り魔法使いを探します。可能であればマグナスをもう一度勧誘したいところですね」


 友好的ではなかったが、僕たちに敵意を抱いてもいなかった。辛抱強く粘ってみるのも悪くない。


「物好きだな……」


 エドワードさんは相変わらず否定的だ。ナイフを投げた件がある以上、マグナスに対する負い目もあるのだろうか。


 そんな曖昧な合意のまま、僕たちのダンジョン攻略は進んでいった。


 しらみつぶしに通路を歩き、可能性ある道筋を潰していく。たまにすれ違う人外組とはあいさつ程度に言葉を交わすだけ。相変わらず、情報は得られない。


 エドワードさんを警戒しているのだろう。


 効率よく物事を進められているわけではないが、それでも探索は順調に思えた。結局、競合は人外組とフルーネ組のごく一部だけ。他の転生者とは大きな差をつけている。


 僕たちの問題はメンバーの補完に限る。マグナスとはあれから1度も会えず、たまに声をかけてくる連中はどれも当てにならない者ばかり。


 それでもゆっくりと探せばいいと考えていた。妥協しようと思えば、選択肢はいくらでもある。


「ごめんなさい、やっぱり召喚は難しいわ」


「色々試せば、そのうち光が見えますよ。現状モンスター相手に困ることもないですし」


 リサリアさんが手に入れた【召喚術カイリン】は依然未発動だが、慌てる段階ではない。


 フルーネ組からの圧力ももはや微弱。いずれダンジョンを突破できる──そんな安心感が胸を満たしかけた、その時だ。


 機械的な声が響き、幻想を断ち切った。


『脱出の条件が追加されました』


 嫌な予感が背筋を走る。


 マグナス絡みの混乱が落ち着いたと判断したのか、新たな不本意な条件が突きつけられる。


『転生者リサリアの殺害。達成者1名は、脱出の権利を得ます』


 リサリアさんと目を合わせ、即座にエドワードさんへ剣を向ける。


「待て待て落ち着け! 俺がお前らに手を出すなんて、そんな無謀をするような奴だと思っているのか」


「しかしあなたはマグナスを殺そうとした」


「それは事情が違うだろうが。あの時はお前らに危害を加えず、脱出をするチャンスがあった。だから動いた。敵対する意思がないことぐらい、お前だって分かってるだろ」


 彼の言い分は分かる。しかし、脅しておく必要はあった。


 僕らと敵対する気はないといいながらも、マグナスが殺されていれば本来の『強力な魔法使いを加入させる』という目的を失うという状況ではあった。


 エドワードさんの目的はパーティーでの脱出ではなく、あくまでも彼自身がダンジョンから脱出する、ということは明白だ。


 僕やリサリアさんが大きく傷を負ったという局面になれば、行動を起こす可能性は十分にあるといえる。


「冷静になってくれよ。俺が適わないことは理解してるし、ここから出るのにお前ら以上に頼れる奴らもいないんだ。俺が彼女を狙う理由はないだろう」


「……分かりました。取り乱してしまって、失礼しました」


「いや、分かってくれりゃいいんだよ」


 剣を一旦収めてその場は落ち着く。彼に対する牽制はこれで十分だと思いたい。


「リサリアさん、大丈夫ですか」


「平気よ」


 言葉と態度には微かなズレがあるが、あえて指摘しないでおこう。


 ここは普段通りを装い、彼女の不安を少しでも和らげたい。


 僕たちはいつも通り探索を続け、そして宿屋へ戻ることにした。


 エドワードさんとは距離感を覚えながらも、関係の維持は難しくないだろうという楽観がある。彼が感情で動くようなことはない。


 とにかくリサリアさんが心配だ。


 帰り道も十分に警戒して通路を歩く。


 ――ヒュッ!


 矢が走るが、それを冷静に盾で受ける。


 案の定、宿屋付近で襲われた。襲撃者との距離を一気に詰めて、剣の腹を思いっきり打ち付けた。


 男は簡単に地面にうずくまった。


「う、ううぅぅ。か、勘弁してくれ……俺にはもう、これぐらいしかチャンスがなかったんだ」


 往生際の悪さが苛立ちを誘う。自分の境遇を声高に訴え、正当化しようとする彼に心底うんざりした。


 容赦なく蹴りを入れると、情けない悲鳴が響く。


「初めからチャンスなんてありません。これほどの、圧倒的な差があるんですから」


「あ、ああ。分かった。もう分かったよ」


「僕たちに敵わない、と皆に広めてください。約束するなら見逃しましょう」


「約束する。約束するさ……!」


 剣を収めて男を見下ろす。「行ってください」と伝えると、男は身体を抑えながら弱い足取りで宿屋に逃げ帰った。


「あいつ、また来るぞ」


 エドワードさんが背後で低く呟く。彼がいうのだから間違いないのだろう。


 しかし、脅しを広める役は必要だったし、殺しも可能な限り控えるつもりだ。


 出来ることをやったと思いたい。


 振り返ると、リサリアさんは特に取り乱していないものの、少し陰った表情を浮かべている。


 襲撃されるかもしれない、なんて疑念が確信に変われば心が重くなって当然だ。


「僕が守ります。だから、安心してください」


「……ありがとう」


 短い会話に、彼女の瞳がわずかに柔らかくなる。


 僕たちはそのまま宿屋へ戻った。


 中に入ると周囲がざわつく。


 『リサリア』が誰かということは、既に周知の事実らしい。絡みつくような視線が鬱陶しい。


 ここで食事をとるというわけにもいかないので、運ばれてきた料理を部屋に持って上がることにした。


 料理を待つ間、リサリアさんが、すまなさそうに提案する。


「部屋を分けてほしいの」


 不意打ちの言葉に胸がチクリと痛むが、彼女がこう感じるのも無理はない。彼女には、周りのすべてが敵に見えてしまっているのだろう。


「分かりました。僕たちとリサリアさんでふたつ部屋を取りましょう。幸い、魔石には余裕があるので」


 鞄から魔石を取り出そうとすると、リサリアさんが小さく首を振る。


「違うの。わたしとヴィンハンスで部屋をとってほしいの……ごめんなさい」


「いや、妥当だ。俺からも頼む。お前らに変にプレッシャーを与えたくない」


 彼女の提案にエドワードさんが気を悪くするんじゃないかと心配したが、杞憂だった。合理主義のこの男は、選択をすることに感情を挟まない。


「エドワードさん、ありがとうございます」


「気にすんな。信用がないのは、そもそもおれのせいだろう」


 彼の軽口で、空気がわずかに和む。


 料理が届くと、リサリアさんと二人で部屋へ向かった。


「二人きりは久しぶりね」


 彼女は部屋に入るなり、ぽつりと呟く。


「そうですね。初めて部屋をとった時を思い出します」


「あの時は、わたしが泣き言をいったのよね」


「僕が幼すぎました」


 彼女との初めての衝突だったと思う。今思えば、アイテムのドロップにいちいち浮かれていた自分が恥ずかしい。


「あなたは初めから余裕があっただけよ。例えばそう、3人組の男だって簡単に斬り捨てて」


「そう見えましたか? 実は、振り返ってみるとあの時が一番危なかったような気がします」


「それもそうね」


 リサリアさんが小さく微笑む。ふたりでこれまでの事を振り返った。


 スケルトンに苦戦した。一歩間違えればという状況だったが、協力して乗り切れた。手に入れたヒールはいまだに重宝している。


 大量のスライム。青い剣は桁外れの性能で、ゴミのように思えた魔石はここでは重要なアイテムだった。


 おかしな宿屋があって、追いはぎと疑われて、エドワードさんに脅迫された。十分に強くなっていた僕たちは中ボスなんて敵じゃなくて、宿屋に戻ると女性たちに囲まれて。


「はっきりとは聞いてなかったけれど、フルーネとは何もなかったの?」


「実は、ベッドに押し倒されました。でも、それ以上は何もなかったんです」


「……そう」


 冷たい声。


 リサリアさんは立ち上がると、ゆっくりと歩いて僕の隣に腰を下ろした。僕の瞳をじっと見つめる彼女からは感情が読み取れない。


 怒らせてしまったのだろうか。


 少し小突かれるぐらいはあるかと覚悟を決めると、リサリアさんが手を伸ばして強引に肩を押される。僕はベッドに背中をつけた。


「あの女とは、ここまでなのね」


 突然の状況に思考が追いつかない。「はい」とだけ返事をして彼女を見つめると、彼女の手で視界を遮られる。そしてそのまま――彼女の唇が、僕の唇と重なった。


「あなたを誰にも取られたくない」


 何が起きたのかは分かっていた。だから、何かいわないといけないと思った。「僕は……」というと、リサリアさんにもう一度口をふさがれた。


 さっきよりも激しく、熱を帯びた口づけだった。


「言葉なんていらないの」


 彼女は僕の右足に跨った。身体を押し付けて、そして耳元で低く囁く。


「わたしを求めて」

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