第18話 俺を殺すのか
「彼女が崇拝されている理由は、アビリティ〈魅了〉のためでした。彼女と話しているうちに、彼女のすべてを肯定したい気持ちになって……恐ろしい力でした」
僕たちはフルーネ組から解放され、宿屋の別室でパーティーメンバーだけの時間を持っていた。
エドワードさんが珍しく神妙な表情を浮かべ、口を開く。
「俺も気をつけるべきだった。さっきまで、『注意を払っていれば大丈夫だ』なんてタカを括ってた。簡単にお前とフルーネをふたりきりにするなんて」
「エドワードさんの責任というわけでは」
「ああ、これも〈魅了〉のせいかもな」
部屋の空気は沈んでいた。洗脳される一歩手前だったと伝えると、ふたりも深刻にとらえているようだった。
そんな中、リサリアさんが沈黙を破る。いつも冷静な彼女が、珍しく怒りを滲ませた口調だった。
「フルーネの狙いはヴィンハンス、あなたと見て間違いないわ。仮にあなたがパーティーから抜けるようなことがあれば、わたしたちの脱出は絶望的。彼女たちへ対策は一刻を争うと考えましょう」
その一言に、部屋の空気が一段と重くなる。
リサリアさんがいう通り、僕を引き抜くことが目的だったと見て間違いない。
今思えば、彼女の言葉や行動は、僕を取り込むためだけに緻密に計算されていたようにすら思える。
「次に同じようなことがあれば、戦闘になるのでしょうか……」
そう呟いた自分の言葉が、妙に現実味を帯びて聞こえた。あの人数を相手にして、僕たちが無事でいられる可能性はどれほどあるだろうか。
相手にだって同じようにリスクはある。だけど、一度〈魅了〉の力を体感してしまうと、フルーネさんの命令に誰も逆らえないと思えてしまう。
それほどに強力な暗示だった。彼女がその気になれば、衝突は避けられない。
「探索の速度を上げる必要があるわ。こんな事に付き合ってられないもの。ねえ、人外組とは情報を共有できないの?」
リサリアさんはエドワードさんに問いかける。鋭い視線に気圧され、彼は苦笑しながら質問に答えた。
「あいつらは駄目だな。今の状況を都合がいいと考えている。取りつく島もないって感じだ」
それはそうだろう。このまま順当にいけば、最も早くダンジョンを抜けるのは彼らだ。
人外組は僕たちを除いて先の探索を続けられる唯一の勢力だ。フルーネ組に横やりを入れられないほど戦闘力が高く、圧倒的な優位を維持している。
彼らが状況を変える必要はどこにもない。
「現状を受け入れるしかないということでしょうか」
フルーネさんの気分次第で、危機に陥る状態を。
僕はリサリアさんとエドワードさんの顔を見渡す。どちらも返事をしない。重苦しい沈黙が流れる中、突然聞き覚えのある声が響いた。
『脱出の条件が追加されました』
それは、真っ白な空間で流れた機械的なアナウンスと同じ声。
重要な情報に違いない。全員が、声を聞き取ることに集中した。
『転生者マグナスの殺害。達成者1名は、脱出の権利を得ます』
「ついに来たか」エドワードさんがぼそりと呟く。
彼のいっていた通りだ。ダンジョンの停滞を理由として、転生者たちにペナルティが与えられた。
ボーナスのように聞こえるが、実際には混乱を起こすための罠でしかない。僕たちが、観測者にとって刺激を与える存在になるように仕向けている。
「しかし転生者同士の殺し合いを示唆するなんて」
「本当に悪趣味だな。ターゲットの人選も最悪だ」
「マグナスを知っているの?」
リサリアさんが問いかけた。彼女と同様に、僕もその名前には心当たりがなかった。
「修羅の部屋組の男だよ。赤い髪で、種族はランク4のエレメンタル。俺の見立てじゃ、単独ならあいつが最強の転生者だ」
「それは……確かに趣味が悪いですね」
大量の犠牲者を出したいという意図が透けて見える。
「まったくだ。俺がペラペラ喋ったおかげで、マグナスを把握できてるやつも一定数いる。余裕のないやつは動きをみせるぞ」
一発逆転の手であるのは間違いない。スライム狩りで必死になっているような人たちは、行動に出るってことだろう。
でも、全滅すると思う。その程度の相手なら僕だってせん滅できる。
「……マグナスを仲間にできるんじゃないかしら」
「はあ?」反射的に言葉を吐いたエドワードさんは呆れたように続ける。「俺の話を忘れたのか。あいつは、脱出なんて考えちゃいないって」
「でも、状況が変わったでしょう。転生者に狙われるようになっても、ここに籠っていてもいいなんて考えてられるのかしら」
「そいつは……しかしリスクもある。こんな状況だからこそ、パーティーを組むなんて出来ないんじゃないか。仲間に裏切られるかもしれないって、俺だったら考える。最悪戦闘になるかもしれないぞ」
どちらの考えにも理はあった。マグナスが仲間となる線も、疑われて敵対するということも、どう転ぶかは分からない。
僕の判断は――
「マグナスを勧誘しましょう。彼が仲間になるのであれば、フルーネさんだって僕らには手を出せないはず。エレメンタルという種族にも魅力があります」
強い魔法使いは僕たちのパーティーが元々求めていたものでもあるんだ。この機会を失いたくない。
「マジでいってるのか? あいつ、まともに話なんてできるようには見えなかったぜ」
「戦闘になるようなら僕が守ります。後ろにさえいてくれれば、問題は起きませんよ」
力強く断言して、エドワードさんに有無をいわせない。
僕たちはタイミングを見計らって、マグナスの勧誘を決行することになった。
7人死んだ。
条件が追加されて3日が経過していた。エドワードさんが情報を集めた結果、少なくともそれだけの人数が返り討ちにあっていることが確定した。
「頃合いだな。そろそろ行こうぜ」
タイミングに異論はない。マグナスも、この数日間の襲撃でストレスを感じているだろう。疲弊しきった今なら、話をする余地があるかもしれない。
「ええ、案内してください」
エドワードさんが修羅の部屋までの道筋を示す。
彼の記憶力と観察眼には驚かされるばかりだ。
集めた情報だけで正確な順路を把握し、危険区域を避ける様子を見ると、彼の加入がそこまで悪いものでなかったような気がしてくる。
罠の警戒こそ苦手なようだが、頼りになる能力だ。
今となっては僕が盾役を務められるし、もしマグナスが仲間になってくれれば僕たちのパーティーは理想の形にぐっと近づく。
「しっかり盾は構えるんだぞ。防御が間に合わなくて焼死なんて、そんな話はやってないからな」
「分かってますよ。さっきから何度も同じことを……そこまで強力なんですか?」
「聞いた話だけどな。やられた奴の仲間は、爆炎の魔法を使うなんていってたぞ」
エドワードさんは僕の後ろから離れようとしない。ばったりとマグナスに出会ってしまっても、可能な限り安全な位置にいたいようだ。
リサリアさんが「みっともないわね」と冷たくいうが、もっとも弱い彼が怯えるのは仕方がないことかもしれない。
「ねえ、フルーネとのことだけど」
通路を進んでいると、不意にリサリアさんが口を開いた。
「なんでしょうか」
「あなた、あの女のことをどう思っていたの」
リサリアさんにしては曖昧な言い回しだ。〈魅了〉について詳しく聞きたいのだろうか。
「初めは、普通の女の子かなって思ったんです。それが、彼女と話をしているうちにだんだんと存在が大きくなって。姉のようで、母のようで、フルーネさんが世界のすべてだと。そんな考えが」
「もういいわ」リサリアさんの冷たい声が遮る。
その鋭さに、僕は思わず口をつぐんだ。話はこれで終わりらしい。
明らかに機嫌が悪い。だが、その直後、彼女が僕の服の袖を掴む。
「……?」
無言で僕に寄り添いながら歩く彼女に戸惑いを覚えつつ、何も言えないまま足を進めた。
すると、遠くの方から音が聞こえてきた。
「ねえ、この音……戦闘じゃないかしら」
進むにつれて音は明確になっていく。誰かが叫ぶ声、何かが爆発する音。間違いなく、戦闘が起こっている。声が複数あることから、集団での戦闘であることが分かった。
この場の緊張感が一気に高まった。
「ふたりとも、僕の後ろに下がってください」
盾を構えて慎重に進む。こちらに敵意がなくとも、興奮したマグナスに不意に攻撃されるかもしれない。
精一杯警戒していると、突如音がなくなった。
「終わったみたいですね。一応、引き返すという選択肢もありますが」
「進みましょう。都合のいいタイミングなんて、あまり期待するものでもないわ」
「分かったよ……」エドワードさんだけが気乗りがしない様子だった。
そして突き当たりを曲がった瞬間、衝撃的な光景が目に飛び込んできた。
大量の血を流して壁にもたれかかる赤い髪の男――マグナス。そして、10を超える転生者の死体の数々。
息を飲む。
「……信じられない」
呟く僕の声は震えていた。死体となった転生者はその辺の有象無象の者たちではない。フルーネ組の、戦闘特化の男たちだ。
それを、たったひとりで。
マグナスの赤い髪が血に染まり、彼の目には憔悴が浮かんでいた。しかし、その中には深い孤独と何かを諦めたような虚無が見えた。
「俺を殺すのか」
弱々しいが、それでも冷ややかな声が響く。僕たちを睨みつけるその瞳には、一切の希望がなかった。
「違うの、すぐに回復するから」
リサリアさんが駆け寄るが、同時に後ろで何かが風を切る音がした。マグナスに向かっていたそれを、咄嗟に剣で振り落とす。
地面に転がったのは、鋭い投げナイフだった。
「エドワードさん……」
ナイフを放った本人が視線を逸らす。
「つい反射的にな。悪かった」
「次同じことをすれば、あなたの首を落とします」
「……もうしない」
エドワードさんは両手を挙げて降参の意を示す。
本当に油断のならない人だ。このタイミングで、自分の脱出を最優先に動くなんて。
僕がエドワードさんを警戒しつつ、リサリアさんがマグナスの傷を治療した。ヒールを3回も重ねてかけると、マグナスの傷口はふさがった。だが、それを受ける彼の表情は微動だにしない。
やがて彼は、静かに立ち上がる。
「何か用があるのか?」
治療を受けたにも関わらず、礼を言うような様子はない。エドワードさんのいうとおり、難しい性格なのが良く分かる。
駆け引きはなくていいだろう。
「単刀直入にいいます。僕たちのパーティーに入ってください」
正面から彼の赤い瞳を見据えて告げた。
短い沈黙。
「断る」
「何故ですか。パーティーとして動くだけで、こんなふうに襲われることはずっと少なくなりますよ。それとも、僕たちの能力が信用できないということでしょうか」
自分でも必死すぎると思うほど、声を張り上げてしまった。だがマグナスは、どこか遠くを見るような目で冷たく答えた。
「お前たちがどんな奴でも関係ない。俺はダンジョンの攻略なんて、すでに興味を失っている」
攻略に興味を失った?
その言葉の真意を探ろうとする間もなく、彼は奥へと歩き出した。『修羅の部屋』へ向かっているのだろうか。
こうも相手にされないなんて。脱出における希望だっただけに、僕は肩を落とすしかなかった。
しかし、数歩進んだところで、マグナスが不意に足を止めこちらを振り返る。
「だが……」
彼の声が静かに響く。
「お前たちには借りができた。1度だけ、力になることを約束する」
それだけ告げると彼は再び歩き出した。その背中を、僕たちはただ黙って見送るしかなかった。
徒労に終わった疲れから、僕たちは重い空気のまま宿屋に帰り着いた。1日を無駄にしたという実感が心にのしかかる。
部屋を取ると、エドワードさんが力なくベッドに倒れ込んだ。
「マジでしんどい1日だったな」
当てつけのような言葉を口にする彼をリサリアさんは無視していった。
「フルーネ組の彼ら、あんな人数で挑んで何がしたかったのかしら」
彼女にいわれてハッとする。マグナスを殺しても脱出できるのはひとりだけだ。それをわかっていて集団で挑むというのは――
「フルーネさんに、マグナス殺害の権利を与えるためでしょうね」
あらゆる手段を用いてダンジョンから脱出しようとするその姿勢には頭が下がる。しかし、洗脳されていれば僕も同じように使われていたと思うとゾッとする。
疲れ切った僕たちは、それ以上言葉を交わさず眠りについた。
翌日、状況は大きく動き出した。
数を減らしたフルーネ組の魔石の独占体制が崩壊した。スライムエリアを占有できなくなったのだ。
彼女たちの事情に気づいたエドワードさんが噂を流す。すると、これまで停滞していた転生者が一斉にダンジョン攻略に向かって動き出した。
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