第17話 ヴィンハンス様……私は、ひどい女なのでしょうね
僕たちは通路の先を探索して、宿屋に帰るという日々を数日過ごした。いくつか危ない罠もあったけれど、成果は上々。ボスに辿り着くのも、そんなに遠くないかもしれない。
ただ、問題があった。モテ期が来た。
宿屋に戻るたびに女の人たちに囲まれて、あれこれと話を聞かれるのだ。大半、いや、きっとすべてがフルーネ組の人たちだ。
しかしフルーネ組だと分かっていても、彼女たちの丁寧な対応は、どうにも無下にしづらいものだった。
僕を……救世主か何かのように慕っている。
そのせいで、リサリアさんとの関係がなんとなくギクシャクしている、気がしている。嫉妬してくれているのかもしれない。
そうであるなら嬉しいけれど、僕が望んで作り出した状況ではないだけに、もどかしいものがある。
そんな日々を過ごしていたある夜。深い眠りに落ちていた僕を、突然の声が引き戻した。
「起きろ、ヴィンハンス」
耳元で低く囁いた。エドワードさんだ。
「……いったいなんですか」
「バカ、声を抑えろ。とりあえず表に出るぞ」
しぶしぶ、彼の後について部屋を出る。部屋の扉を閉めたところで、僕は彼と向き合った。
「要件を手短にお願いします。寝直したいので」
「そんな事務的に言うんじゃねえよ、悲しいだろーが」
エドワードさんの都合なんて知ったことか。女性たちの件もあって、僕は疲れがたまっていた。
さっさとベッドに戻りたい。
「いいか、ヴィンハンス。今夜お前は男になる」
「はあ?」
「お前が実はやることをやってないという事実に、俺は深い悲しみを覚えたわけだ」
リサリアさんとの関係のことだろうか。数日一緒に過ごした彼は、僕と彼女の微妙な距離感を感じ取ったのかもしれない。
「余計なお世話ですよ。戻ってもいいですか」
別に気にしてなんかいない。僕が考えていることは、彼女と共にダンジョンを無事脱出すること。それだけだ。
「バカ、話を最後まで聞け。俺はだな、お前にとって、いい話をもってきたんだぜ」
「だから、それを教えてください」
冗長な表現ばかりを好む、彼の面倒なところが出ている。
僕がイラつきはじめたことを察したのか、エドワードさんは本題に入った。
「お前に抱かれたがってる女がいる。それも、ひとりやふたりじゃねえぞ」
「えっ」
話ぐらいは聞いてみるか。
「お前のモテっぷりを考えりゃ分かる話だろうが。これからすぐにだって取り合うことができるんだが、どうだ?」
僕がその気になれば、すぐに関係を持てるということだろうか。唐突すぎて、話の意図をつかみかねる。
「なあ、ヴィンハンス。俺たち、明日死ぬかもしれないんだぞ。このまま女を知らずに逝くなんて、お前はそれでいいのか」
どうして僕が女を知らないことを、いや。〈情報収集Ⅴ〉の力か。
エドワードさんはガラにもなく真剣な表情で迫るが、僕はひとつ疑問を持った。
「この話を持ち掛けて、エドワードさんに何のメリットが?」
この男は善意で動くような人ではない。僕を連れていくことで、何らかの恩恵を受けるのだろう。
内容はだいたい察しが付く。
「そりゃお前……優しさだよ」
声にまったく力がなかった。
「その女ってフルーネ組の人たちですよね。こんなに分かりやすい罠ってありますか?」
核心を突くと、エドワードさんは覚悟を決めたように表情を引き締めた。
「罠だっていいじゃねえか! お前、気にならないのか。エルフの女たちの豊満な体がよ」
開き直るな。
興味がないわけじゃない。けれど、妙なトラブルに巻き込まれたくないし、リサリアさんを裏切るような感覚もある。
「僕はもう寝るので。また明日」
「お前、マジかよ。馬鹿野郎」
エドワードさんの嘆きに背を向け、部屋へ戻る。ため息を漏らしながらベッドに入ると、向かい側から小さな声が聞こえた。
「あなた、大人気ね」
リサリアさんの声は静かだった。それ以上何も言わない。
会話は聞こえていたらしい。悪い事なんて何もないのに、罪悪感を覚えながら再び僕は眠りについた。
翌日、フルーネ組が動きを見せた。
探索を終えて宿屋で食事を取り終えた後、フルーネさんが直接やってきたのだ。彼女の後ろには、屈強な男たちがずらりと並んでいた。
その光景は挨拶というより、明確な意図を感じさせる訪問だった
「ヴィンハンス様、お久しぶりでございます。少しお時間をいただいてもよろしいでしょうか?」
穏やかで柔らかい笑みを浮かべるフルーネさん。しかし、その声色に隠された圧力は隠しようがない。背後の男たちの視線もまた、こちらを鋭く見据えていた。
「ええ、どうぞ」
内心の動揺を押し隠しながら、極力平静を装って席を勧める。フルーネさんは軽く礼をして、エドワードさんの隣に腰を下ろした。
一瞬の沈黙の後、彼女が口を開く。
「ご活躍は耳にしております。あなた方は、もうすぐダンジョンの攻略も適うのではないでしょうか」
「分かりません。ですが、着実に進んでいるという自信はあります」
事実だけを答え、彼女の意図を探る。フルーネさんは小さくうなずきながら、言葉を続けた。
「羨ましい限りです。我々はまだ攻略の目途がたっておりませんから……そこでひとつ、お願いがあるのです」
その言葉に、自然と身構える。嫌な予感がするが、逃げ出すわけにもいかない。
エドワードさんをチラリと見た後に、フルーネさんと視線を合わせた。
「いったい、どのようなものですか」
「魔石を譲っていただきたいのです。私たちもかなりの人数を抱えておりますので、可能な限り多く保持しておきたくて。もちろん、脱出の直前でも構いません」
エドワードさんが右手でこめかみをかく――嘘。
「譲るというだけでは交渉にならないわ。わたしたちに、何か提供できるものがあるのかしら」
リサリアさんが鋭く言い放つ。彼女の声には、明確な拒絶の意思が込められている。
「もちろんご用意はありますが……ここでは少々。よろしければ、ヴィンハンス様とおふたりでお話させていただいてもよろしいでしょうか。上の部屋を取っております」
「そうやって、彼を襲うつもりじゃないでしょうね」
「まさか。そんなことは誓って致しません」
エドワードさんが右手の中指を2回叩く――本当。
「彼女たちにも手を出さないと約束していただきたいのですが」
「ええ、争いごとにはなりません。約束致します」
エドワードさんが右手の親指で指をこする――本当。
「分かりました。案内をお願いします」
事前に話していた、エドワードさんのサインで危険性がないことは確認できた。彼女とふたりきりになること自体は、問題がないらしい。
いずれにせよ、選択肢があるようには思えない。相手の人数を考えれば、断るのは得策ではない。
「では、こちらへどうぞ」
フルーネさんは静かに立ち上がり、僕についてくるよう促す。その姿には隙がない。僕は気を引き締めながら、彼女の後をついていった。
部屋に足を踏み入れると、フルーネさんはベッドの端に腰掛けた。背筋を伸ばし、どこか物思いにふけるようなその姿に、僕も自然と向かい側のベッドに腰を下ろした。
「ヴィンハンス様は……どのような未来を夢見て、この地に降り立ったのですか?」
彼女の問いは、思ったよりも深く突き刺さる。
ただ、あまりに唐突で答えるべき言葉が見つからない。それは間違いなく僕の過去と現在を振り返らせるものだった。
黙っている僕を見て、フルーネさんが微笑みながら続きを話し出す。
「わたしは、愛されたいと思っていました。それは恋人でも、家族でも、隣人でも。どんな形でもいいのです。ただ、わたしを愛してほしかった」
その声には、かすかな震えがあった。彼女の言葉は静かだったが、その内側に押し殺した感情が垣間見えた。
「転生のパネルを見て、これは祝福だと感じました。私が長い間願い続けていた夢が、ようやく叶う機会を得たのだと。剣も、魔法も、そんなものには目もくれず、私は……」
彼女は視線を落とし、自嘲気味に笑う。
「エルフという種族、そして〈魅了〉というアビリティを選びました。それ以外は、何も持っておりません」
〈魅了〉はランク4のアビリティ。彼女もダイスロールでクリティカルを出して、特殊な選択をしていたようだ。
「そうはいっても、あなたの影響力は計り知れません。ここで生活していて、あなたを意識していない人なんて、ひとりもいないでしょう」
「……結果的には、そうなっているのかもしれませんね」
彼女は少し落ち込んだ様子を見せて言葉を続ける。
「ですが、まるで安心なんてできないのです。皆さん、今でこそ慕ってくださりますが、何かがうまくいかなくなったときにどうなるか……誰も分かりません」
その言葉には、彼女の不安が滲んでいた。
か弱い一面を見せられて、少し意外に感じていた。フルーネさんはどこか完璧に見えていたから。
案外、普通の女の子なんじゃないだろうか。
「ヴィンハンス様のように、上手くいけばいいのですが」
「そんな、僕だって失敗を繰り返してますよ」
「そうでしょうか? ヴィンハンス様のお話をお伺いしていると、とてもそうは思えないのですが……。もしよろしければ、その歩みを教えていただけますか?」
「僕は……」
彼女の言葉の通り、これまでの経緯を語る。
「ダイスでは全てクリティカルが出たんです。それで――」
「ええ」
「大量のスライムは魔石を落としました。大きいスライムは剣を――」
「ええ」
「リサリアさんは――」
フルーネさんは一つひとつ丁寧に相槌を打ちながら、真剣に話を聞いてくれる。話すほどに心が軽くなる気がして、次々と言葉が溢れた。
いつの間にか、彼女が僕の隣に移動していたのに気づく。軽く触れる手と手。そのぬくもりが、不思議と安心感を与えてくる。
「ヴィンハンス様……私は、ひどい女なのでしょうね」
唐突に口にした彼女の言葉は、耳に痛いほど真っ直ぐだった。
「自分がこのダンジョンを抜け出すために、他の方々を利用している。それをあなたもお気づきでしょう?」
「仕方のないことですよ。誰だって、こんなとこにずっといるわけにはいかないと考えています」
全員が脱出できるわけではない。彼女の判断はいたって普通だ。自分の能力を最大限発揮して、ダンジョン攻略を目指しているだけ。誰かに責められるようなことじゃない。
そんなことはあってはならない。
「……あなたは優しいのですね」
そうつぶやくと、彼女はそっと僕の手を握り、もう片方の手で優しく肩に触れた。柔らかい力に押され、僕はベッドに背中をつける。
「フルーネさん……?」
「ヴィンハンス様。私はずっと……あなたをお慕いしておりました」
彼女の言葉が耳に届くと同時に、彼女がそっと僕の上に覆いかぶさる。彼女の熱が、じわりと伝わってきた。
そうか、彼女は僕を愛していたんだ。
自身の弱みを打ち明けて、僕の話を熱心に聞いてくれた。こうやって肌を重ねていることは、何の不自然もないじゃないか。
「最後は……どうか、わたしを連れて行ってください。あなたと共にいたいのです」
フルーネさんの声が耳元で囁くように響き、心がざわつく。首筋に触れる唇。彼女の熱い息が肌にかかり、頭がぼんやりとしてくる。
「フルーネさん、僕は――」
カラン!
不意に床から聞こえた音が、夢から覚めるように僕の意識を引き戻した。フルーネさんの装備が倒れた音だ。
「部屋を出ます」
掠れる声で告げると、僕は彼女の肩を押して、強引に距離を取った。
頭が割れるような痛みが走る。強烈な暗示にかかっていたのだろうか。いや、間違いない。
何の繋がりもなかった彼女を、僕は受け入れようとしていて、それで。
どうなるところだったんだ?
「また……お話ししましょう」
フルーネさんの声はどこまでも穏やかで、僕を引き留めるようなことはしない。
それ以上何も言葉を交わさず、僕は部屋を後にした。
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