第15話 そこで『修羅の部屋』がでてくる
リサリアさんの目には驚きと困惑が入り混じり、その視線はテーブルに釘付けだった。
目の前には料理が並んでいる。それは、これまで見慣れた質素な食事――水気の多いスープや硬いパン――ではない。熱を保った鉄板の上で、分厚い肉が音を立てながら焼けている。漂う煙は芳醇な香りを放ち、食欲を強烈に刺激してくる。
焼き上がったパンの香ばしい香りが漂い、スープからは豊かな具材の旨味が湯気とともに立ち昇っている。
「へへ、試してみるもんだな」
エドワードさんが肉を大きく切り分け、気にせず豪快に食べ始める。その様子に触発されたのか、リサリアさんもおずおずと一口目を口に運んだ。
彼女は口元を隠しながら食べているが、その手は止まることがない。慎ましい所作を見て、僕は思った。リサリアさんは、きっと真っ先に食べるのをためらったのだろう。
「美味しい……」
ぽつりと漏れたその一言に、彼女の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいた。
夢中で食べ続けるその姿からは、これまでの味気ない食事への抑えきれない感情が溢れ出ているようだった。
僕も肉を一口。口の中いっぱいに広がる塩の味に驚きつつ、思わず笑みがこぼれる。
これまで味のないスープを毎日食べていたからか、単純な味付けでも高級な料理のように感じてしまう。
きっかけはエドワードさんの一言だった。
力試しを終えて宿屋に戻った僕らは、いつもどおり食事をとろうとテーブルを囲んだ。すると「なあ、色違いの魔石を使ってみないか」と彼に提案された。
青い魔石以外はまったく用途がなかったので試してみることにした。
赤い魔石をテーブル中央の穴に入れてみたところ、肉をメインとした料理がテーブルに運ばれてきたというわけだ。
「たまんねえな。まあ、他のやつらに悪い気もするが」
気遣いの言葉を口にしながらも、エドワードさんは意に介さず堂々とした態度を崩さない。
部屋中に煙が広がっているためか、周囲の転生者たちは僕たちに釘付けだった。
リサリアさんも夢中で食べているからか周りを気にする様子はなくて、視線を感じている自分だけが小心者のような気分になる。
「その、いくつか聞きたいことがあるのですが」
あまりにも居心地が悪いので、たまっていた質問をぶつけてみることにした。
「なんだ? いってみろ」エドワードさんは食事の手を止めることなく返事をする。
「扉の大外れ、修羅の部屋組、そして強行突破についてですね。いずれも詳細を伺っていないので」
「ああ、いいぜ。まずはそうだな……大外れについて話そうか」
彼は肉を飲み込むとグラスの水を一口。肘をついて、話し始めた。
「扉の中には『絶対に勝てない敵』が現れることがある。それがいわゆる、大外れだな」
絶対に勝てない、とはなんだろう。あまりにも抽象的すぎる。
「それは、ものすごく強い敵が出るということでしょうか。扉を回っている印象では、今より多少敵が強くなっても対応できる気がしますけど」
「ものすごく強い『絶対に勝てない敵』と表現するのが正しいな」
彼は指を組みながらじっとこちらを見据える。
その視線には、どこか重々しさがあった。
「ヴィンハンス、確かにお前はこのダンジョンでは強者に位置する。だが、『絶対に勝てない敵』だからお前でも勝てないと俺は考えている」
「曖昧な表現ね。もっと分かりやすくいいなさい」
口を挟んだ彼女の皿はすでに空になっていた。僕は半分も残っているのに。
「悪いな、言葉遊びが好きなもんで」
ニヤニヤと笑うと彼は言葉を続けた。
「つまりその『絶対に勝てない敵』ってのは、攻撃が全く効かないらしい。剣で斬ろうが、魔法をぶち込もうが、服に汚れひとつ付かないそうだ。それでもって、こっちを一撃で殺せるような攻撃手段をもっている。そーいう奴らだ」
少し矛盾があるんじゃないか。
エドワードさんは相手の嘘を100%見抜けるのだから、騙されることはない。しかし、何故こんな情報を持っているのか。『絶対に勝てない敵』に出会ってしまえば全滅は必死なはずだ。
「誰からそんな話を聞いたの?」当然リサリアさんも疑問に持つ。
彼からの情報が全て正しいとは限らない。僕とリサリアさんは彼を信用しすぎないという合意をすでに持っていた。
「理由は分からんが、大外れの部屋は必ずひとりが生かされる。生き残りから直接話を聞いたってだけさ」
一応、それなら話の筋は通る。ただ……
「ひとりを生かす理由って、いったい何なんでしょう?」
「予想はしてるが確信はない。俺も詳しく聞きたいんだが、生き残りの4人のうち3人は既に死んじまった。残りのひとりも、めったに顔を出さない。お手上げだよ」
彼は言葉を締めくくると、再び肉を口に運んだ。その何食わぬ態度が、話の真実味を強めているようだった。
リスクを過小評価していたかもしれない。彼の言う通りなら、大外れは引いてしまった瞬間に終わりを意味する。
【幸運の星】に今までのように依存するかどうかは、考える余地があるかもしれない。
「3人が死んだ理由は?」
少し話が逸れるかもしれないが、どうしても気になってしまう。
「廃人みたいになっちまったんだよ。部屋を出た後、完全に正気を失ってな。それが原因で、ほとんど自滅に近い形で死んだ。最後のひとりは――まあ、繋がるからそのまま話すが、こいつが『修羅の部屋組』だ」
「ひとりで『修羅の部屋組』なの?」リサリアさんは少し眉を寄せて問い返した。
「ああそうだ。4つの勢力に関しては便宜上、組と表現していたがこいつは単独で動いている」
「そのひとりには、僕らや他の人たちに匹敵する能力があるということですか。簡単には飲み込めない話ですが……」
エドワードさんはそれぞれの勢力が、なんらかの強い力を持っているとみて話を進めてきた。フルーネ組はダンジョンの支配力、人外組はおそらくだけど戦闘力。僕たちは……膨大なリソースかな。
どうしたら、たったひとりの『修羅の部屋組』がそこに並ぶというのだろうか。
「そこで『修羅の部屋』がでてくる」
エドワードさんはテーブルに肘をつき、声を低める。
「ダンジョンを先に進むと現れる一角に『修羅の部屋』とふざけた文字で書かれた扉があってな。そこのモンスターは桁外れに強いが、レベルが上がるのも段違いに速いらしい」
「……その修羅の部屋を、ひとりで回しているの?」リサリアさんが確認するように聞いた。
「ああ、厳密には独占だがな。フルーネ組の戦闘特化の奴らがその部屋を管理しようとしたが、二人も殺されて引き下がった。それ以来、誰も手を出そうとしないってわけさ」
なるほど、と合点がいった。戦闘特化の転生者を凌駕する力を持ち、自己利益のためにはためらいなく殺しもできる。
その適応力と存在感は、たとえ個人であっても勢力とみなすにふさわしい。
「彼と組もうとしなかったのは?」
単独であるなら、エドワードさんが取り入る隙はあるはずなのに。
「こいつは飛びぬけて強い力を持っているが、目的がダンジョン攻略で無い節がある。先に進むことはなく、誰ともパーティーを組もうとしない。まあ、関わらないのが一番だな」
エドワードさんが話を締めくくると再び料理を口にする。
僕も同じように食べながら考えを整理する。
話を聞く限り、僕らがとっていた『現状維持』の方針は正解だったように思える。
積極的にダンジョンを攻略していればフルーネ組と揉めることはまず間違いないだろうし、魔石を大量に持っているがゆえに強い転生者に襲われていたかもしれない。
恨み妬みの的にはなったが、スライム狩りを日課とするような弱い転生者とのいざこざなんて、それに比べればかわいいものだ。
エドワードさんのパーティー加入というあまり歓迎できない要素はあったものの、装備は充実しているしレベルもかなり上がっている。
ダンジョン攻略に着実に近づいているのではないだろうか。
「次は強行突破の話よね。わたしからひとついいかしら」
「なんでもどうぞ」
彼女の言葉に応じるように、エドワードさんがフォークを置き、テーブルに肘をつく。
「言葉のニュアンスから、ダンジョンの先に進むという意味なのだろうけど。今の状況って、わたしたちにも悪くないと思うの。あなたはどうして、先を急ごうとしているの」
彼女が確認しなければ、同じことをいうつもりだった。
フルーネ組のダンジョンを停滞させる行為は、自分たちにとってむしろ好都合ではないかと考えていた。
周りが脱落していく中で、装備を充実させレベルを上げることができる。実際に今日までは上手くいっていて、エドワードさんから見ても『強すぎる』といわせるまでの状態を作れている。
扉の性質からアビトリウムの僕は『大外れ』を引くリスクも低い。なんだったらフルーネ組と協力関係になることだって考えてもいい。
多くの転生者にとって、この停滞は脱落を余儀なくされる、過酷な状況だ。
だが、このダンジョンが全員を救済するために設計されているとは思えない以上、それも仕方のないことだと割り切るしかない。
「お前ら、本当に要領がいいな」
エドワードさんが、僕とリサリアさんを交互に見ながら微笑を浮かべた。
「確かに今の状況を利用して、さらに戦力を整えるってのは考えてもいい。だがそれは、このダンジョンに意思が介入しない場合のみ成立する」
「意思って……」
リサリアさんが困惑するが、気持ちは分かる。ダンジョンの中にずっといると、この世界には転生者しかいないような錯覚を覚えるから。
「あまり聞きたくない話ですね」
出来るだけ考えないようしていた。これは、僕たちが何故ここにいるかという話に繋がってくるのだろう。
メイド服の女は『悪しき六王を討ち倒すため』なんていっていたが、そうであるならこんな意味の分からない空間を用意しない。
王様の命令でも、勇者としての使命でもなんでもいいが、さっさと六王を倒す旅に送り出せば済むはずだ。
「勘づいていたのか? まあ、お前が色々と考えたところで、予想の範囲は抜けていないんだろ」
彼のいう通り、大まかな予想しか出来ていない。そして、そのどれもがあまり気持ちのいいものではなかった。
「俺は真実に近い情報を持っている。それをすり合わせて出た結論は――このダンジョン、いや、この空間の映像は外の世界で配信されているというものだ」
「配信……ですって?」
リサリアさんが不快そうに言葉を漏らすが、僕も同じように感じていた。
予想していたものの中でも、最悪に近い答えが返ってきたから。
「つまり僕たちは、その観客を楽しませるため……」
「そうだ、見世物さ。俺たちがもがき苦しむさまが、エンターテイメントになってるんだよ」
エドワードさんの表情はどこか投げやりで、他人事のように言葉が軽い。
「お前ら、自分が観客なら変化のないショーなんて退屈で仕方がないだろ。停滞が続けば、間違いなくペナルティが発生する。俺は巻き込まれるのはごめんだね」
エドワードさんはそう言うと、立ち上がり部屋を取るよう促した。今後について、さらに詳しく話をしたいのだろう。
その背中を視線で追って、僕はリサリアさんの顔を覗き込む。
彼女は何も言わなかった。ただ静かに立ち上がり、エドワードさんについて歩き出す。
僕も後ろをついていく。
早くダンジョンを攻略しなければならない。
彼らと同じく、僕もそう考えるほかに選択肢はなかった。
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