第13話 やめて

 敵ではないと思っていた。


 エドワードさんは転生後、最初に言葉を交わした人物だ。宿屋のシステムを教えてくれたし、魔石と情報を交換していた。互いの利益を尊重した、適度な距離感のある関係。


 そう、少なくとも僕はそう思っていた。


「ふたりしてなんだその間抜け面は。怒鳴り散らすなり、殴りかかるなり、いくらでもやり方があるだろう? そっちの方が気が楽になるんじゃねえか」


 言葉に込められた茶化すような調子。それでも、ただの冗談ではない何かを感じさせる言い回しだった。僕とリサリアさんは言葉を失い、ただ視線を交わすだけだった。


「まあいい……上にあがろうか。ここだと都合が悪い」


 誰かに聞かれたくない話をするつもりらしい。彼に促されるまま2階の部屋に移動した。


 部屋に入るなり、エドワードさんは当然のように椅子に座り、余裕の笑みを浮かべていた。その振る舞いは堂々としていて、まるで悪いことをしただなんて思っていないのは明らかだ。


 一方で、僕たちは突然の告白にどう反応すべきかすらわからず、ただ硬直するばかりだった。


「どうして、そんな噂を流したんですか」


 もっと踏み込んだ質問をすべきなのに、動揺のあまり月並みな言葉しか出てこない。


「そりゃお前たちをいじめたかったから……ってのは冗談で。そうだな、賭けに出てみようと思ってな」


「賭け、ですって?」


 リサリアさんがエドワードさんを鋭く睨む。


 僕たちを不条理に苦しめた張本人であるにもかかわらず、その事実をまるで他人事のように語る態度に思うところがあるようだ。


「ああ。このダンジョン、格差こそあれどどこか安定してきたと思わないか。スライム狩りに勤しむやつ、扉を周回するやつ、先を探索するやつ。それぞれやることは違うが、ルーティン化してしまっている。なぜだと思う?」


 理由なんてあるのだろうか? どれも必然的に起こっていることのような気がする。


 スライム狩りはただの魔石不足、扉を周回するのは安全策を取っているからで、探索は――おかしいかも。これは良い結果でも悪い結果でも、何らかの変化がでるはずだ。


 本気で攻略を目指しているなら。


「探索が停滞しているから?」


「その通りだ。攻略組に進展があれば、お前らのように安全策をとっている連中も動かざるを得ない。それに、魔石に関しても本来なら枯渇することはない。先の通路にスライムが山ほど出るエリアがあるからだ」


 僕の中で、噂話を広められたことへの怒りが薄れていった。


 彼の話に引き込まれている。


「誰も気づいていないようだが、意図して作られたこの状況に俺は強い危機感を覚えている」


「……詳しく話して」リサリアさんが身を乗り出す。


「フルーネが戦闘特化の奴らと組んでスライムエリアを独占している。ダンジョンの探索と魔石の供給を止めて、誰も動けないような状況を作るために」


「それが本当だとして、戦闘特化の人たちに何のメリットがあるの? 彼らだって早くここを抜けたいでしょう。フルーネと組む理由が見当たらない」


 彼女の疑問は最もだ。この話には、彼らが動きを止める合理的な理由が見えてこない。


「フルーネはあいつらに女をあてがっている。連中、毎日楽しくヤってるよ」


 言葉の意味を理解するまでに数秒かかった。フルーネさんが、そこまで非道な手段を取るなんて。


 けれど、単純なだけに強力な交渉術であるのは間違いない。閉鎖空間に閉じ込められたストレスは、皆強烈に実感している。


 飢えた男たちが、その提案を断れるとは思えない。


「自分の信者を道具のように扱ってるの? 最低ね……」


 リサリアさんは強い嫌悪感を示したけれど、エドワードさんは冷静そのものだ。


「道徳的にはそうだが、本人たちも嫌な顔はしてないぜ? フルーネ教の女たちって、〈舞踏の才能〉とかそんなんばっか選んだお花畑ばかりでよ。この空間で役割を持てることに満足しているようにすら見える」


「そんなの、足元を見られているだけじゃない」


「そうであっても、フルーネは信者の食を保証している。乞食になるよりマシなんじゃねーか」


 彼女はあまり納得できていないのか、同調を示さない。二人の視線は強く交錯したままだ。


 このままでは話が進みそうにない。僕は仕切り直しを提案した。


「一旦話を戻しましょう。彼らはどうして停滞するように仕向けているのですか」


「格差を作るのがまず1つ。転生者の一部は、スライム狩りをするだけで手一杯になっている。それに……自然と数が減るのを待っている。ライバルが減った状態で、ゆっくりとダンジョンを攻略したいらしい」


 なるほど、流石は戦闘特化というとこか。時間さえかけられるなら攻略に自信があるってことだろう。


「でも、そんなに上手くいくものでしょうか。その一部の転生者が、徒党を組んで彼らに対抗するってことも起きうるんじゃないですか」


「無理だな、数に差がありすぎる。フルーネが作った基盤は盤石だ。あいつら……上手くやってるよ。何も知らない転生者は、扉での事故に加えて魔石を巡る争いで、今日までに30人近くが死んでいるんだぜ」


 全体の1/5、あるいは1/4ぐらいだろうか。そういわれると、着実に間引きが進んでいることがわかる。


「現状は理解できました。でも、僕たちの噂話を広げた理由に繋がりません。それに賭けってなんのことですか」


「まあ、最後まで聞いてくれ。ダンジョン内の勢力は、俺の見立てでは4つに分かれる。フルーネ組、人外組、修羅の部屋組、そしてお前たちカップル組だ」


「何よ、カップル組って……」彼女は不満げだけど、ほんの少しだけ頬が赤い。


 最近、彼女との距離が縮まっていたという実感は一方通行ではなかったらしい。


「フルーネがこんな戦略を取る以上、生き残るにはどこかに属する必要がある。他の転生者ではまず無理だ、対抗するだけの力がない。俺は当然、最も支配力が強いフルーネ組に取り入ることを考えたんだが……」


「失敗したというわけですね」


「ああ。仲間に入れてくれと直接話をもちかけた。だがフルーネのやつ、『ぜひ一緒にここを抜け出しましょうね』なんて綺麗事をいいながら、まるでそのつもりはないようだった。最後は戦闘特化の奴らと組んで自分だけ脱出する算段だろうな」


「その『ようだった』とか『だろうな』ってなんなの。あなたが感じた印象が全て正しいってわけではないでしょう」


 リサリアさんが強く非難するが、僕だって同じように考える。事実ならそのまま受け入れられるが、個人の感想なんてあてにできるものではない。


 そんなにふわっとした話であるなら、彼の言葉に耳を傾ける必要はない。


「俺はアビリティ〈情報収集Ⅴ〉を習得している。このアビリティのおかげで、質問のイエスノーが100%判断できる。たとえば、お前。ヴィンハンス」


 彼は僕と目を合わすと机をトン、トン、トンと叩きだす。記憶を探っていたのだろうか。


 彼の中で何かがまとまると話し始めた。


「お前が俺についた嘘はふたつ。ひとつ目は種族、そしてふたつ目がダイスの結果だ。いや、黄金の宝箱も含めると3つだな。お前、明らかに興味を持っていなかった」


 言葉が出てこない。隠していたことのすべてが見透かされている。


「沈黙は肯定と捉えるぜ。話を続けるが……とにかく、フルーネ組に取り入る方針は無くなった。人外組は4人きっちりのパーティーで動いていて俺が入り込む余地がない。修羅の部屋組は……これは後で説明する。話が長くなるからな」


「それで最後に残った候補が、僕たちということですね。噂話を広めたのは僕たちの力試しをするために、ということでしょうか」


「そういう面もあるが本質はそうじゃない。噂話を広めたのは、お前たちを脅迫するためだ」


 脅迫だなんて言葉を淡々と述べる様子に、僕もリサリアさんも飲まれていた。その場に漂う緊張感が一気に張り詰める。


「お前たちが盾役と魔法使いを探しているのは知っている。そのうえで言うが――俺をパーティーに入れてくれ。断れば、この先の探索がさらに困難になるようにお前らを追いつめる」


 リサリアさんと目を合わせる。彼の脅しに、僕たちは答えを出せないでいた。


 僕も彼女も、この提案を受け入れがたいと感じている。〈情報収集〉の習得に必要なポイントは12。つまりそれを5段階まで伸ばした彼は、それだけで60ポイント消費している。残りの40ポイントで戦闘力を強化するのは難しい。


 役に立つわけがない。


 一方でこの提案を断ると、さらに困難な状況に追いつめるといっている。転生者たちが団結して襲ってくるような状況を作られたりするのだろう。


 彼の提案を受けることも断ることも、どちらもマイナスばかりが目立つ。


「受け入れてくれるなら、今の状況はすぐに改善することを約束する。3日以内に噂を収束させてみせるぜ」


 選択に迷っているところでメリットを打ち出されると、前者の案がマシなように感じてしまう。


 駆け引きでは、何枚も上をいかれているようだ。


「承諾するしかないということかしら」


 リサリアさんはほとんど気持ちが折れかけている。けれども、僕は違った。この二者択一をそのまま飲むつもりはない。


「殺しましょう。エドワードさんを」


 そう、彼を殺してしまえばいいのだ。


 そうすれば足手まといが増えることもなく、悪評がこれ以上広がることもない。焚きつけ役がいなくなるというのだから、噂が収束することだって見込めるはずだ。


 ここは死体だって残らない。最も丸く、話が収まる。


「なあ、ヴィンハンス。俺から妥協案を引き出そうってことなら無駄だぜ」


 彼の声には余裕があった。しかし、僕と目を合わせると一変して表情が引き締まる。


「僕があなたと交渉を行う理由がありますか?」


「……おいおいマジかよ。お前、本気で俺を殺せるのか」


 彼の〈情報収集Ⅴ〉が瞬時に状況を理解させたらしい。暴力による脅威はないと考えていたのだろうか、僕に一片の迷いがないことを感じとると露骨に狼狽える。


「待て待て。そーいうことならこの話は白紙に戻す。お前らの噂は収めて、俺は今後干渉しない。それでいいだろう」


「残念ですが、僕はそれを許容できない。あなたは自分の利益に素直すぎるから。少し扇動しただけで、周りを敵だらけにするほどの影響力も持っている。ここから脱出するために今後障害にならないとは考えにくい」


 さっきまでの話を聞いて、彼が手段を選ばずに目的を達成しようとすることは良く分かった。善人ぶって彼を許すなんて、悪手としか思えない。


 リサリアさんが吐き出した不満を思い返す。僕はこのダンジョン攻略に、なんらかの妥協をする気は一切ない。


「見逃すという線すら無いってか……お前らがそこまで合理的じゃないことを祈っていたんだがな。どうやら俺は賭けに負けたらしい」


 彼もこうなる可能性は考慮していたようだ。抵抗するそぶりも見せず、潔く死を待っていた。


 どうにもならない戦力差を理解している。


 これで話はまとまった。彼を斬って、この騒動は終わりを告げる。


 覚悟を決めて剣の柄に手を伸ばす。しかし、リサリアさんの手がそれを抑え込んだ。


「やめて」


「どうしてですか。これが最もいい方法だって、リサリアさんも分かっているでしょう」


 リサリアさんは頭のいい人だ。僕たちにとっての最良を理解できないはずがない。


「あなたのことを、怖いと思いたくないの。だからやめて」


 彼女の声には強い意志がこもっている。


 この人に本心から恐れられるというのは……それはこの場を収める以上にひどい痛手だ。今日までに短くない時間を共に過ごしてきた。僕は彼女を好いているし、彼女にも同じ思いでいてほしい。


 僕は腕から力を抜いて、この状況が決定的になったことを理解した。


「へへ、そっちに止められるってのは予想外だったぜ」エドワードさんの額から汗が垂れる。


 彼女の説得により、僕は排除する意思を完全に失った。彼の出した提案は二択であるなら、受け入れるほうがマシだという考えを否定するつもりもない。


 この日僕らのパーティーに、エドワードさんが加わった。


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