第11話 ふたりで頑張るの、辛くないですか? 私たちもそうでした。でも、フルーネ様に出会って変わったんです。一緒にいると、不思議と元気が湧いてきて、笑顔になれるんですよ

 ダンジョンの二日目が始まった。


 陽の光がなければ時計もない。本当に一日が過ぎたのか確信はないが、とにかく一度寝て起きた。


 ランプの光が一定の明るさを保っており、時間の流れを感じさせない。


 それでも、体調は随分と良くなった気がする。


 深い眠りではなかったものの、最低限の休息は取れたようだ。ベッドから体を起こし足を地面につける。


 冷たい床の感触が、目を覚ましたばかりの体にじわりと染み込んだ。


 向かい側に目をやると、リサリアさんがすでに目を覚ましていた。ベッドの上で膝を抱え、壁に寄りかかって座っている。


 その姿はどこか穏やかで、昨日の様子からは考えられないほど落ち着いているように見えた。


 昨日の事は……もう平気だろうか。


 彼女の様子を気にしつつも、まずは自分の身支度を済ませることにした。


 水が張られた小さな桶が部屋の隅に置かれている。その横には布が8枚畳まれていて、そのうち2枚は使われた形跡があった。リサリアさんがすでに体を拭き終えたのだろう。


 僕は布を水で湿らせ、服の隙間から滑り込ませる。布越しに汗と垢が落ちる感触が心地いい。


 ずっと引きずっていた泥臭い感覚が少しずつ消えていく。


 リサリアさんの視線を感じ、振り返ると彼女がこちらをじっと見ていた。


 そして、思いのほか軽い口調で話しかけてくる。


「さっぱりした顔ね。それ、そんなに気持ちいいの?」


「まあ、そうですね。汗が取れると、なんだかリセットされた気分になります」


「そう。それなら私も、もう少し丁寧にやっておけばよかったかしら」


 どこか冗談めいた口調で、昨日の沈んだ様子は微塵も感じられない。


「リサリアさん、調子はどうですか?」


「悪くない。落ち込んでいても仕方ないでしょ」


 彼女は軽く肩をすくめて続けた。


「昨日は……八つ当たりしちゃったの。あなたに当たってしまったこと、後で考えてすごく恥ずかしかった。周囲の目がない安心感のせいかしら。気が緩んで甘えてしまったの」


 その言葉に少し驚いた。昨日の様子からは想像もできない強さを感じたから。


 精一杯の強がりかもしれないが、それでも彼女が前を向こうとしていることに胸が熱くなる。無理に深堀りせず、僕は彼女の意思を尊重することにした。


「気にしていませんよ。いつでも頼ってくださいね」


「……ありがとう」


 リサリアさんの表情が引き締まり、彼女の中にある冷静さが戻ってきたように感じる。これなら、今日の探索もできそうだ。


「さて、リサリアさん。僕たちの現状ですけど、実はもの凄く有利ですよね?」


「ええ。他のパーティーが必死に集めている魔石を私たちは大量に持っている。それに、私たちほどレベルが高い人たちはいないはず」


「僕もそう思います。あれだけのスライムを倒してようやく1つ上がるものでした。よほど高速で扉のモンスターを狩ったとしても、せいぜいレベル5が限界かと」


 そのレベル5だって、不眠不休で扉を開け続けてやっとってとこじゃないだろうか。レベル飴が簡単に手に入るなら話は変わるけど。


 少なくとも、同じ条件でエドワードさんは手に入れていないようだった。アイテムのドロップは、アビリティによって歪になっている可能性が高い。


「私がヒールを使えることもあるし、あなたの剣だって強力かもしれない。今のところ順調すぎるくらい。だから……」


 彼女が少し言い淀む。


「次のメンバーは厳選しましょう」


 リサリアさんの言葉に、僕は深く頷いた。確かに、昨日のように誰でもいいわけではない。今の僕たちの状況は、恐らく選ぶ立場にある。


「賛成です。具体的には――」


「盾役が必要ね」


 盾役か。確かに、僕一人で前衛を務めるのは無理がある。昨日の戦闘でも攻撃を受けるたびに動きが鈍くなり、その度にリサリアさんに負担をかけてしまった。


 〈武器精通Ⅴ〉だけでは、本職のそれには及ばない。


「誤解しないでね。あなたが頼りないとは思ってない。ただ、昨日の戦闘であなたが攻撃を受けているのを見ると……私、すごく不安だったの。目の前に、死が迫っているって」


 彼女の率直な言葉が痛い。やっぱり、状況に浮かれて僕は客観視できていなかった。〈盾術〉を持つメンバーは必要だろう。


「分かりました。残りの一人に関してですが、魔法使いはどうでしょう」


「理由を聞かせて」


 リサリアさんが興味深そうに問いかけてくる。


「物理的な攻撃に強い敵が出る可能性があると思うんです。僕たちの武器はどちらも近接向けで、魔法は一切使えません。何か想定外の敵が出てきたときに対応できないのはリスクだと考えています」


 彼女は少し考え込むように目を伏せたが、納得して頷いた。


「分かったわ。私は高レベルな〈探索〉を持っている人がいいと思っていたのだけど。そちらを優先しましょう」


「ありがとうございます。でも、どうして〈探索〉が必要なんですか?」


「昨日の、えっと、エドワード。彼の話にあった大外れの部屋が気になるの。もしかしたら、それを避けることができるかもしれないでしょう」


 彼女の言葉に、僕は一瞬考え込んだ。確かに、エドワードさんの話には何か引っかかるものがあった。


 ただ、僕たちに関しては無縁なはずだ。


「ああ、それなら大丈夫ですよ」


 リサリアさんは疑いの眼差しを向けてくる。


「何を根拠にそんなことが言えるの?」


 ここまで黙っていたけれど、今なら彼女にも信用してもらえるだろう。僕は思い切って、自分の特異性を明かすことにした。


「僕、アビトリウムなんですよ」


「……何の話?」


 リサリアさんが困惑した表情を浮かべる中、僕は彼女に自分の種族やダイスロールの結果について語り始めた。


 ランク5の種族、異常なまでに集まる魔石、レベルアップの飴、さらには魔導書や剣のドロップ。これまでの経緯から、それらがいかに普通ではないかは明らかだった。


「どうしてもっと早く教えてくれなかったの」


「信用されないだろうし、自慢にしかならないと思って」


 僕の言葉に、リサリアさんは少しだけ呆れたような顔をしたが、それ以上は何も言わなかった。


「……まあいいわ。それなら確かに、大外れのリスクは低いのかもしれない」


 彼女は僕の言葉を受け入れた様子で、冷静に次の指針を語り始めた。


「今後の方針だけど。しばらくは――"現状維持"がいいと思うの」


「現状維持ですか? でも、僕たちは圧倒的に有利だって話をしたばかりじゃないですか」


「理由は3つよ」


 リサリアさんは指を一本立てて、理路整然と語り始めた。


「1つ目は、ダンジョンが長期戦になる可能性が高いこと。食事や宿泊施設が用意されていることを考えると、すぐに終わる仕組みとは思えないわ」


 それはそうだ。でも、これだけでは先に行かない理由にはならない。


「2つ目は、他のパーティーが先に進むことで得られる情報があること。危険な未知の通路を焦って突き進むより、彼らの動きを待つ方が安全よね」


 1つ目の理由と話が繋がった。確かに、ボスまでの道のりが長く、危険であるなら先頭に立つ必要なんて全くない。


「3つ目は、現状で十分な利益が期待できること。剣や魔導書、不思議な飴。どれも貴重なアイテムばかり。通路を戻って扉を回るだけで、十分に戦力を整えられると思わない?」


 現状維持といっても、何もしないという事ではないらしい。力をつけながら様子を見るって話なら大賛成だ。


「分かりました。ただ、少しだけ先の通路も確認させてください。すぐにボスに辿り着くようなことがなければ、リサリアさんの意見に従います」


「元々そのつもりよ。それじゃ、さっそく確認しましょう」


 宿屋の扉は2つある。


 僕たちはそのうち先に続く扉を開き、ダンジョンの様子を確認することにした。1日かけて進んだ先には、行く手ごとに複雑な分岐が現れる。


 どこまでも続いていくようで、先が見えない迷宮だ。ボスが現れる様子はない。


 リサリアさんの「現状維持案」が妥当だと結論づけ、僕たちは探索を切り上げて宿屋に戻った。


 じっくりと扉を攻略しながら、必要な素質を持つパーティーメンバーを探すことにした。


 翌日、僕たちは元の通路に戻って、既に一度開けた扉を再び調査することにした。


 中には犬のようなモンスターが現れたが、青い剣を振り下ろすとまるで豆腐のように斬り裂かれた。スケルトンやスライム、あるいはハズレの看板は見当たらない。


 さらにもう一度同じ扉を試してみると、今度はスライムが1匹だけ出現した。聞いていた通り、扉の中は毎回変化するらしい。


「どういう基準で中が決まってるのかしら」リサリアさんが独り言のように呟く。


 扉に何らかの法則性があるのではないかと考えるが、結論には至らなかった。結局何も分からないまま、僕たちは探索を切り上げて宿屋に戻ることにした。


 宿屋に着くと、他の停滞しているパーティーの姿が目についた。見慣れた顔も多い。


 それぞれが様子を伺いながら、慎重に動いているようだ。


 4日目のことだ。


 通路で乞食と化した転生者に出会った。彼は地面に頭をこすりつけながら、「魔石をくれ」と必死に懇願してきた。


 あまりの哀れさに僕はつい魔石を渡しそうになったが、リサリアさんに静止される。


「駄目よ、無視しなさい」


 彼女が冷たい口調で促した通り、その場を離れようとすると「ファック! くそビッチが!」と怒声が飛んできた。


 振り返ると、乞食は顔を歪め中指を突き立てていた。


「二度と取り合わないで」


 リサリアさんの低い声が妙に鋭く、僕はそれ以上何も言えなかった。


 その日あたりから、宿屋で「パーティーに入れてくれ」と声をかけられる機会が増えた。


 僕たちが持つ魔石の量を察してか、何もしなくても人が寄ってくるのだ。


 だが、聞いてみるとアビリティはどれも盾役や魔法使いには程遠い。非戦闘系のアビリティを持つ者ばかりだ。こうした人々がパーティーに入れず、あぶれている理由は明白だった。


 少人数構成を強いられるこのダンジョンでは、非戦闘系の需要が著しく低い。それは、ダンジョン探索が始まった時から変化がないようだ。


 7日目には、ついに魔石の取り合いが勃発している現場を目撃した。


 必死にスライムを狩っている人は何度も見かけたが、こうした露骨な争いを見るのは初めてだった。


 僕たちはその光景を少し離れた場所から眺め、大変だな……と気の毒に思いながらも、まるで他人事のように受け流した。


 さらに宿屋に戻るたびに誘いの声をかけられるようになった。


 パーティーじゃない。宗教だ。


「ふたりで頑張るの、辛くないですか? 私たちもそうでした。でも、フルーネ様に出会って変わったんです。一緒にいると、不思議と元気が湧いてきて、笑顔になれるんですよ」


「フルーネ様は、あなたに特別な素質があるとおっしゃっていました。仲間になれば、その力を最大限に引き出せるでしょう。選ばれた人だけが、この恩恵を受けられるんです」


 フルーネ教の勧誘。勝手にそう呼んでるけど、その熱量は宗教と言って差し支えないものだ。誰もが本心からフルーネさんを敬っており、『良い事』をしているつもりで声をかけてくる。


 彼らにとってフルーネという存在は神に等しいのだろうか。


 この短期間で、これほどまでに崇拝される状況は異常だ。エドワードさんが忠告していたことの意味を、ようやく理解した。


 背筋がゾッとする感覚を覚えながら、僕たちは静かに彼女達を遠ざけた。


 10日経っても、ボスを見たなんて話は出てこない。代わりに、追いはぎに関する噂とフルーネさんが乞食に魔石を与えるところを見た。


 僕たちはともかく、どうしてフルーネさんが魔石を余分に持っているんだろう。


 異常を感じたのか、リサリアさんも「あまり関わりたくないわ」と遠巻きにする。


 そして12日目についに――僕たちは他のパーティーに囲まれた。


「へへ、随分儲かってるじゃねーか。追いはぎ野郎がよぉ……」


「えっと、今なんておっしゃいました?」


 僕が問い返すも、男は槍を僕たちに向かって突き出してくる。


「とぼけたふりしてんじゃねー!」


 その声を皮切りに、周囲の緊張が一気に高まる。僕は即座に剣を抜き、リサリアさんと背中合わせになって彼らに対峙した。


 いや待て待て。おかしいじゃないか。


 僕たちが追いはぎだなんて。

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