第9話 あなた、なんともないの


「ところでお前ら……腹が減ってないか?」


 エドワードさんが腕を組んで僕たちを見た。口元が緩んでいて、何か面白いことでも思いついたような表情だ。


「空いてる」


 リサリアさんの返事は矢のように飛んできた。今まで見せたことのない素早い反応に、僕は思わず吹き出しそうになる。


 厳しい表情で通してきた彼女が、ここまで必死になる姿は意外で――正直、愛らしかった。


 確かに、僕も空腹だ。ダンジョンに入ってから何時間が経ったのだろう。


 空間に広がる料理の香りと周囲で食事をする人々の姿が、それをより強く感じさせている。


「そりゃ丁度良かった。気付いていると思うがここは飯も出る。料理を持ってくるのは人形でどうやって調理されてるかは分からんが」


「気にしないわ。それで、どうすれば注文できるの」リサリアさんは早口で言う。


 道中での無口さは、空腹によるものだったのかもしれない。


 エドワードさんはテーブルの中央を指差した。丸い穴が空いている。


「スライムの魔石を3つ入れてみな。そうすりゃ人形が料理を運んでくる」


 リサリアさんと目が合った。魔石を持っているのは僕だ。


 特に迷うことなく、青い魔石を3つ取り出して穴に落とす。キィン、と耳を刺すような高音が響き、しばらくの沈黙が訪れた。


「……これで良かったんでしょうか」


「焦る気持ちは分かるが、まあ待ってな。そのうち来るさ」


 エドワードさんに言われた通り待つことにした。数分すると、2人の給仕――良く見ると人に似ている人形――が料理を持ってきた。ぎこちない動きで、皿を並べる。


 パンは湯気を立て、スープからは香ばしい匂いが立ち上る。サラダの葉は瑞々しく、水は冷たそうだ。料理の見た目は申し分ない。


「オマタセシマシタ」


 人形の片言の声が場の異様さを際立たせる。この異常に効率化された仕組みも、誰かが僕たちを観察しているような錯覚を与えている。


「ゴチュウモン ハ イジョウニ ナリマス」


 人形はぎこちなく頭を下げ、退席した。


「とまあ、御覧の通りよ」


「しっかり自分の分まで頼んだんですね」


「情報料ってやつだな」


 エドワードさんは悪びれた様子もなく食事に手を付け始めた。僕たちもそれに続く。


 料理に手を付けてみると、見た目に反して味は薄かった。スープは温かいのに風味がなく、パンも香ばしさの割に素っ気ない。


 リサリアさんは何度も眉をひそめながらスプーンを動かしている。


「あまり美味しくないですね」


「だが食えるだけマシってやつだな」エドワードさんは残りのパンを手で千切りながら、「お前ら、ここに来る途中でスライムを狂ったように狩ってる奴らを見ただろう?」と切りだした。


「ええまあ。スライム狩りが楽しいのは分かるんですけど、ちょっと普通じゃないなって」


 僕だって延々と狩りたいぐらいだ。リサリアさんに嫌われたくないから、そうは出来ないというだけで。


 エドワードさんはパンを指先で弄びながら、声のトーンを落として話し始めた。


「あいつら、魔石が足りねーんだよ。飯が食えないってきついから、死ぬほど退屈なスライム狩りをやっているんだろうが……あまり上手くはいってないな」


「魔石が足りない?」


 リサリアさんはスープから手を離し、真剣な面持ちで問い返した。


「当たり前だろ。スライムを10匹狩っても魔石は1つ出るかどうか。どういうわけか、お前らは余るほど持ってるみたいだが」


 その話に僕たちは思わず顔を見合わせる。魔石がここまで貴重だなんて、考えもしなかった。


 当然僕はすぐに見当がついたけど、彼女はどう捉えているだろう。


「それどころか」エドワードさんは周囲を見渡してから続けた。「この辺りの通路じゃスライムの取り合いが始まってる。『俺が先に見つけた!』って殴り合いになってる連中もいるぐらいだ」


 その言葉に背筋が寒くなる。僕たちは運に恵まれすぎていた。他の転生者たちがどれほど過酷な状況に置かれているのか、想像すらしていなかったのだ。


「エドワードさんのパーティーは大丈夫なんですか」


 思わず口にした心配に、彼は片眉を上げてニヤリと笑った。


「ん、まあな。俺のとこは魔石を3つ持っていて、それは他の奴らにゆずったよ。俺はこうやって無事飯にありついてるし、食いっぱぐれた奴はいないな」


 エドワードさんは自慢げに胸を張るが、リサリアさんは不服そうだ。


「私たちが持っていた魔石が、たまたま余分にあっただけじゃない」


「お前たちが魔石を多く持っていたのは偶然だが、俺が飯を食えているのは偶然じゃない。他にやりようはいくらでもあったさ」


 肘をついて笑うエドワードさんは妙に余裕があった。


 その言葉には根拠があるようで、軽々しく否定できない雰囲気がある。


「適当なことをいってるわけではなさそうですね」


「どうだろうな」


 彼の返答はあいまいだったが、それ以上問い詰める気にはなれなかった。のらりくらりとかわされることが目に見えている。


 今は目の前の食事に集中したほうがいい。


 パンの最後の一切れを口に運んでいると、エドワードさんが突然、上階を指差した。


「ちなみに上の部屋には鍵がかかっている。カウンターの人形に魔石を10個渡すことで使えるようだが、お前らはどーするんだ」


 その言葉にリサリアさんがすぐさま反応する。


「あなた、どうしてそんなことを知っているの。魔石がこんなに貴重なら、部屋を使えるほど余裕のあるパーティーなんているとは思えないのだけど」


 確かにリサリアさんの指摘のとおりだ。


 パーティー全員の食事分の魔石を用意するのが困難である状況で、部屋を使うために魔石を10個も用意できるパーティーはそうはいないはずだ。


 ひょっとすると、まだ誰も部屋を借りてないのではないか。


「俺はなんでも知っているのさ」


 エドワードさんは薄く笑みを浮かべたまま、それ以上の説明を加えようとはしなかった。その表情には何か隠された意図が感じられる。


 でも、追及しても無駄だと思う。


「リサリアさん、部屋を取りましょう」


「どうして。あれもこれも言われたとおりにするなんて」


「休める時に休んでおくべきです」


 僕は彼女の顔を見つめながら続けた。


「このダンジョン、いつまで続くか分からないんですから」


 その言葉に、リサリアさんの表情が一瞬凍りついた。


「いつまで……」


 彼女は掠れた声でつぶやく。自分たちの置かれた状況を、今まで必死に考えないようにしていたのかもしれない。


 長い沈黙の後、彼女はゆっくりと顔を上げた。


「……分かったわ」リサリアさんは急に気力を振り絞ったように立ち上がる。「行きましょう。ここにいても仕方ないわ」と歩き出した。


 僕も重たくなった鞄を背負い直した。


「じゃあな。飯、ありがとよ」


 エドワードさんは椅子に体重を預けたまま、片手を軽く上げた。


「こちらこそ。色々と話を聞けて良かったです」


「そりゃ何よりだ」


 背を向けて数歩歩くと後ろから「ああ、待て待て。最後にひとつ」と呼び止められた。


「お前、フルーネって女と話していただろ」


「ええまあ。それが何か」


 思いがけない話題に意表をつかれる。エドワードさんの表情は、さっきまでの余裕を失っていた。


「どうだった、あいつ? 話をするだけで気持ち良かったんじゃないか?」


 その問いに、僕は言葉を詰まらせた。確かに、フルーネさんと話している時は不思議な心地よさがあった。頭がぼんやりとして、全てが良い方向に進んでいるような錯覚に包まれていた。


 そうだ、僕はおかしかった。他人から指摘されると、浮ついた感情は自身の性格によるものではないと強く思うことができた。


「彼女と話していると、なぜか心が安らいで」僕は言葉を選びながら続けた。「頭の中がぼやけて、でも心地よくて。提案も、すごく良いものに思えて……」


 僕が正直に答えると、エドワードさんは苦い顔で息をついた。


「だろうな、俺もそうだったんだ。いつの間にかあいつのペースで、頭の中で霧がかかったみたいになって。今もその種が何かは分からない。俺、あいつの言葉が嘘だと分かっていたのによ」


 常に余裕を見せる彼が、こんなにも険しい表情を見せるとは思わなかった。


「あの女はやめとけ。これはガチの警告だぜ」


「……覚えておきます」


 エドワードさんは手をひらひらと振ってから席を離れた。また別のテーブルに向かうようだ。


 僕はリサリアさんに追いつくと、カウンターの人形に魔石を渡した。部屋の鍵を渡され、案内されるまま2階に向かう。


 廊下を歩きながらリサリアさんを見た。小さく震える彼女の背中を見て冷静になる。


 思ったより、疲れていそうだ。ふたりきりだからって、浮かれていられる感じじゃないな。


 扉が開くと1階のフロアがざわついてた。でも、僕たちは無視して部屋に入った。


 ぱたりと部屋の扉を閉めると同時に、リサリアさんはその場に崩れるように座り込んだ。


「リサリアさん?」


 返事はない。彼女は膝を抱えたまま、うつむいている。


 僕は重い鞄を下ろしながら、部屋を見渡した。


「あなた、なんともないの」


 なんともないとは、なんのことだろうか。


「わけが分からない場所に飛ばされて、男達に囲まれた。はじめての戦闘ではすさまじい数のスライムに囲まれて、周りでは死人も出てる。こんなふざけた宿まで用意されていて……ここから出られる保証もないのに」


 彼女の言葉に、僕は返答に窮した。彼女の恐怖や不安は、全て理解できる。でも――共感することができない。


 スケルトンとの戦い、スライムの大群、終わりの見えないダンジョン。どれも僕には、ゲームのような非日常として楽しめてしまっている。


 剣を振るう感触は爽快で、アイテムドロップは運特化の証として誇らしかった。


 全てが、ただの冒険のように思えていた。


「ごめんなさい……弱音を吐いたわ」


 慰めるべきだったのだと思う。でも、僕には言葉が出てこなかった。


 疲れ切った様子の彼女はよろよろと歩いて部屋の脇にあるベッドに腰かけた。そのまま布を被ると壁を向いて何もいわなくなった。


 気まずさだけが残っている。


 彼女の不安をもっと感じ取るべきだった。僕とは違って、彼女は特別な種族ではない。幸運など、約束されてはいないのだ。


 この世界に本気で向き合おう。


 もう二度と、彼女を不安にさせたりはしない。


 そう誓いながら、強く拳を握りしめた。

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