第5話 選んだわけじゃないのよ
リサリアさんにアビトリウムに関して話すべきだろうか。
ダイスロールで20を3回も出した。こんな、冗談にしか聞こえない話を。
自分で思い返しても信じがたい事実だ。これを彼女に話したところで、アビリティを都合よく偽っていると疑われるのが関の山じゃないだろうか。
僕だって、他人から同じ話を聞いたらきっとそう考える。
「どうしたの」
リサリアさんが僕をじっと見て、不思議そうに首を傾げた。そんな単純な仕草すら、免疫のない僕には眩しくてまともに考えられなくなってしまう。
「いえ。思い返すと、大変なことをしたんだなって」
あんまり喋るとうろたえてしまいそう。適当な言い訳を口にした。
「そう」
冷たい声だった。こちらの浅い言葉を見透かしたような、刺さる一言。
浮かれているわけにはいかないらしい。冷静に思考を整理する。
僕が3人を殺した直後も動揺しなかったことを、彼女はどう見ているのだろうか。直後の表情を思い返すと、好意的でないのは間違いない。
だからといって、今さら「大変だ」と口にしたところで説得力があるわけないか。これ以上、下手に自分の状況を弁解するべきではないと思う。
「リサリアさんはどうしてハイエルフを選んだんですか」
話題を変えようと、気になっていたことを尋ねてみる。リサリアさんは少しだけ考えるようなそぶりを見せると、小さくため息を漏らしてから答えを吐きだした。
「選んだわけじゃないのよ」
彼女の声には微かに苦々しさが混じっていた。
「ここに来る前にダイスを振ったでしょう? あれで1を出してしまったの。そうしたら『ファンブル』って言われて……気がついたら、ハイエルフになっていたの。信じてもらえるかしら?」
「信じられます。ジャイアントになった人からも同じ話を聞きました。ダイスで1を出して、勝手に種族が決まったって」
「ジャイアントに……」
「リサリアさんはハイエルフだったのだから、そんなに悪い結果じゃないかもしれません。少なくともジャイアントの人は、すごく荒れていましたから」
僕はリサリアさんを不安にさせないよう言葉を選んだが、ジャイアントの彼が語った苦しみを思い出してしまう。
彼が『種付けジャイアント』になりたいと真顔で語っていた姿が脳裏をよぎった。あの話をここで持ち出すのは流石に無神経すぎる。
「でも、ダイスの話には続きがあるの。次のダイスもその次のダイスも1が出て、全てがランダムに決まってしまったの。パネルを操作して種族、アビリティ、アイテム、どのボタンを押しても灰色に表示された一覧が見えるだけ。薄い布1枚にカバンと重たい盾を持って転生をするしかなかったの」
彼女の言葉を聞いて、僕は絶句した。
これまでの自分がどれだけ恵まれていたかを痛感する。選択肢が豊富で、ポイントを自由に使えた僕と彼女では、まるでスタート地点が違いすぎる。
「なんというか……ついてないですね」
「本当に散々だったわ。メイド服の女には晒し上げられて、そうしたら誰も私と目も合わしてくれなくなって」
「それであの3人組の勧誘に乗ってしまったんですね」
「そうね。一目で嫌らしい奴らだと思ったのだけど……不安だったのよ。このままずっとひとりなのかもって。馬鹿なことをしたわ」
リサリアさんは目を伏せた。その表情には後悔が滲んでいた。
「仕方がないと思います。僕が同じ立場だったら、みっともなく慌てていたのは間違いないです」
「そうかしら。でも、ありがとう」
「いえ、本当にそう思っただけで」
「……違うわ」
彼女の声が少し低くなった。
「助けてくれてありがとう」
その一言に、僕は少し驚いた。
彼女の声には、深い感謝が込められていた。それがじんわりと胸に染み込むような気がした。
「こちらこそ、僕を信用くれてありがとう」
「それはこれからよ」
「え」
「わたし、安っぽくないの」
飴と鞭を使い分ける人なのだろうか。
僕はただ呆気にとられるだけだった。
その後、僕たちは通路を進みながら、お互いの情報を少しずつ交換していった。
僕はゲームや漫画が好きだったことを話し、彼女は音楽が好きだったことを教えてくれた。リサリアさんが楽器の演奏を嗜んでいたという話を聞いて、少し優雅なイメージが彼女に重なる。
アビリティの話もすると彼女は少し気まずそうにしたけど答えてくれた。
「戦闘向きのものは、ハイエルフの〈光の加護Ⅱ〉と〈治癒力Ⅰ〉にランダムに選ばれた〈召喚術Ⅳ〉と〈短剣術Ⅱ〉ね。もっとも、魔法はひとつも覚えていないし、短剣術なんて……私に向いているとは思えない」
彼女は苦笑を浮かべる。確かに、STRとVITが低いハイエルフで〈短剣術Ⅱ〉を生かすのは難しそうだ。
それでも、男たちが持っていた短剣を手にしている姿は少しだけ頼もしく見えた。戦闘に全く参加しないつもりではないらしい。
「ねえ、あれって」
リサリアさんが指を指す。その先には透明感のある青いゼリー状の生き物がいた。
「スライムですね。ゲームでも定番のモンスターですよ」
スライムはゆっくりと地面を這うようにしてこっちに向かってくる。敵意があるのかは分からないが、警戒して剣を抜く。
「敵なの?」
「まあ、一般的にはそうですね」
「あんまり怖くはないけど」
僕だってそう思う。けれど、メイド服の女が「非常に危険」と警告していたのを思い出す。どんなモンスターも油断は禁物かもしれない。
スライムは一定の距離まで近づくと唐突に僕に向かって跳ね上がった。
飛びかかってくるような動きだったが、その勢いを逆手に取るように剣を振るうと、スライムを真っ二つに割った。
ゼリー状の体は地面に落ち、そのまま淡い光に包まれると完全に消えてしまった。
「モンスターも消えるのね」リサリアさんは少し驚いたようだが、それ以上関心はなさそうだ。
代わりに彼女は足元を見て、何かを拾い上げる。
「宝石かしら」
透明感のある小石のようなものを指先でつまみ上げたその瞬間、僕の興奮は一気に頂点に達した。
「見せてください!」
勢いよく彼女の手からそれを受け取り、じっくりと観察する。
「……これ、ドロップアイテムですよ!」
目の前の光景に理性が吹き飛び、思わず声をあげてしまう。
たった1回の戦闘でアイテムを拾えるなんて。あの不運続きだった僕が……
これも【幸運の星】か〈幸運の持ち主Ⅴ〉あるいは両方の影響か。気持ちを抑えることができない。
「綺麗な形ですね。確かに宝石のように見えますけど、ゲーム的に考えるなら魔石と表現するのが妥当だと思います。売ったらいい値段になるのでしょうか。いや、何か特別な武器を作る素材になったりするのかな」
興奮のあまり早口になりながら、あれこれと可能性を考え続ける。
「嬉しそうね」
リサリアさんは呆れ気味。
「ええ、だってドロップアイテムですよ! 異世界に来たとはいえ、モンスターがアイテムを落とすシステムがあるなんて……」
アビトリウムを選択したことが間違いではなかったと実感する。
「良くわからないけれど、その白い宝石みたいなものがいいものだったの?」
「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれません。モンスターがアイテムを落とすという事実――それ自体が重要なんです!」
「……分からないわ」
彼女は首をかしげるが、僕は気にせずさらに力説する。
「とにかくモンスターを探しましょう! もっといいアイテムが出るかもしれません。それに、いいものが出ればリサリアさんだって良さが分かりますよ」
リサリアさんは少し呆れたようにため息をつきながら、「どうぞご自由に」とでも言うように肩をすくめた。
アイテムが得られるという高揚感を僕は抑えることができなかった。
とにかくスライムを狩りたい。頭の中はそれだけだ。
奥に進むとスライムは多く出るようになった。見つけては勢いよく斬ってドロップするアイテムをひたすら集めた。
道中、僕たち以外のパーティーと何回かすれ違ったり扉があったりしたけれど、どちらも無視してひたすらスライムを斬った。
ダンジョンを攻略するという目的も忘れてスライムを斬り続ける。
30匹ほど倒したところで、ついにリサリアさんの忍耐が限界に達した。
「もういいでしょう」
彼女の声は低く、疲れのようなものがあったかもしれない。
けれど、アイテムドロップで高揚している僕に彼女を気遣う余裕はなかった。
「聞いてくださいよ! 白い魔石が4個と青い魔石が15個、それに青い欠片が8個。ほとんどのスライムがアイテムを落としました。最初に出た白い宝石はレアなものだったのかな。青い宝石との違いが分かればいいんですけど。それに、青い欠片も気になり――」
「もういいと言っているでしょう」
彼女の目は笑っていない。底知れない圧力に負けて「はい」と答えるしかなかった。
リサリアさんが深く息をつく。少し落ち着いたのか、次の言葉は冷静だった。
「とりあえず……そうね、目的をはっきりさせましょう」
「えーっと、ここから出ることですよね」
「そうね。でも私たちはふたりじゃない。脱出の条件になっているボスを倒すためには4人パーティーでないといけないのでしょう。まずは4人にならないと」
「ええ。ですから僕は、僕たち以外のふたり組を見つけることができればって考えてました」
「私も同じよ。そしてそれは、そこまで難しくないと思ったわ」
そこは僕と考えが違う。僕たち以外の人たちは4人パーティーを組んでいるはずだから、何かが起きない限り他のふたり組が見つかるとは思えない。
その何かが起きるまで、根気強く待つ必要があると考えていた。
僕の表情からそれを察したのかリサリアさんは話を続けた。
「ここに来るまでの道中でいくつか扉があったこと、覚えている?」
「えっと……確かにありましたね」
「その扉の前に居座る、3人組のパーティーを何度か見たわ。どの3人組も必ず暗い表情だった」
「まったく気付きませんでした」
「あなたはスライムに夢中だったから」きつい視線を送られる。
リサリアさんが怒るのも仕方がないかもしれない。アイテムドロップは素晴らしいけどもスライム"だけ"では飽きてしまったのだろう。
もっと多様なモンスターが出現する場所にいかないといけないかな。
「すみません」素直に謝って彼女をなだめた。
「まあいいわ。ここからは推測なのだけど……いくつかあった扉の奥は危険なのよ。メイド服の女がいったように強力なモンスターがいたり罠があったりする。そこで人数を減らしたパーティーが、さっきみたいに扉の前で途方に暮れているのでしょうね」
彼女の言葉に思わず息を呑む。それも十分に考えられる話だ。扉の先で戦力を削られたパーティーが、戦闘不能になった仲間を欠き、進むも戻るもできずにいる。
「なるほど、それでふたりになったパーティーを探すってことですか」
「理想はそうね。まあ、ひとりでもいいし、場合によっては3人組と交渉してもいいわ。あの様子ならどうせ、この先は人の入れ替わりが起こるのだから」
彼女の言葉には確かな説得力があった。その冷静さに安心すら覚えた僕は、彼女の提案を受け入れることにした。
その結果見事にふたり組が見つかって……交渉は決裂した。
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