第2話 彼女のような例を挙げましょう

 何人かが僕を見たけど、すぐに視線を逸らした。

 いきなり現れる人間なんて珍しくもないという態度だ。


 足元を見下ろすと、僕が立っている場所だけが白く光っていた。その場に立ち続けるのも落ち着かないので、僕は人混みの中に紛れるように歩き出した。


 周囲の様子を窺ううちに肩を軽く叩かれた。


「みんなお前と一緒だぜ」


「えっと……はい?」


 驚いて振り返ると、軽い調子の声が響く。僕に声をかけてきたのは、二十代半ばくらいの男。気さくな笑顔と、何でも気にしなさそうな雰囲気が漂っている。


「ダイスを振って、パネルで選んでってやってきただろ。いろんな奴と話をしたんだが、ここにいる全員がそうだ。そんな情報をわざわざ教える、親切な俺の名前はエドワード。さっきそう決まった。お前は?」


「ヴィンハンス、です」


「かっこいいねえ。俺ほどじゃないけど良い名前だ。で、ヴィンハンス、お前はしっかりと人族を選んだクチか」


「はい。まあ」


 適当に相槌を打つ。僕のダイスロールの結果や選択を逐一説明するのは面倒だったから。


「そりゃ正解だ。種族に必要なポイントは高すぎる。人族でない限りアビリティもアイテムもロクに選べないだろうよ。でも、あそこを見てみろ」


 エドワードが指をさす先に、尖った耳を持つ男女がいた。先が細く、やや長い耳は特徴的だ。一目でエルフと分かる。

 彼らは明るい表情で談笑しており、状況を楽しんでいるように見えた。


 エルフは種族選択だけで60ポイントを消費する。【長命種】という魅力はあるけど……


「転生って言われてもよ、何が起きるか分からねえってのに。よくもまあ悠長に構えてられるもんだよ。人族が無難ってことぐらい、考えたら分かるだろ」


「……気持ちが分からないでもないですけど」


 目の前のエルフたちは誰もが美男美女だった。人によっては、それは大切な要素となるだろう。


「そーいうもんかね。けどな、人族以外が物好きばっかってわけじゃないらしい。ダイスで20を出した奴はボーナスポイントが40も貰えたって話だ。そんだけあれば種族選択の余裕もある。羨ましいぜ。俺のダイスなんて4、16、12でボーナスポイントはたったの5だぜ」


 さらっと重要なことをいわれた気がする。


 僕と同じように全員がダイスで20を出したわけではないらしい。自分の結果は特殊だということがやっと分かった。


「お前は?」とエドワードさんが催促するように訊ねてきた。


「僕は4,6,3でした」


 咄嗟に嘘をついた。運よく20を3連続で出したなんて話しても信用されないだろうし、余計な詮索を招きたくなかった。


「ふーん。そりゃあツキがなかったな」


 エドワードさんの表情が微妙に曇った気がした。僕への興味を失ったのか、周囲を見回し、新たな話し相手を探し始める。


「ま、俺はその辺をうろついているからよ! なんかあったら声をかけてくれ」


 そう言い残すと、エドワードさんはさっさと別の人に話しかけていった。その無邪気さには少し感心する。


 真似しようとは思わないけど。


 一方で僕は居心地の悪さを感じていた。周りの人たちは誰かとコミュニケーションを取っている人ばかりだ。


 そんな中、僕は自分の居場所を見つけられないままだった。


 仕方なく広場の外れまで歩いて壁際に腰を下ろす。僕と同じように座っている人も何人かいるけど、彼らもまた他人と話す気配はないみたいだ。


 この空間には扉が無ければ窓もない。

 ずっとここにいることになったらどうしよう。


 白く光る床からは数十秒ごとに転生者が現れるのが見えた。そのうち何人かは僕と同じように、エドワードさんにからまれていた。


 悪魔のような羽をもつティーフリングが出てきたときはちょっとざわついた。ティーフリング本人も困っているような様子だった。


 人族と同じ見た目にこだわって正解だったと安堵する。


 変化があったのは僕が座ってから20人目ぐらいの転生者が現れたとき。突然、辺りの雰囲気が変わった。白い床の光が揺らめき、不穏な静けさが空間を包んだ。


 それから誰も出てこなくなり、光もゆっくりと消えていった。


 何かが起きる――そんなふうに身構えていると、松明が一斉に消えて辺りは真っ暗になった。


「皆さまようこそ! この素晴らしい世界に転生されたことを心より歓迎いたします!」


 暗闇を裂くように一点だけ光が灯る。そこに立っていたのはウサギの耳を持つメイド服の女だった。彼女は満面の笑みを浮かべ、手を胸元に当てて優雅に一礼する。


 彼女の登場によって、場内の喧騒は一瞬で頂点に達した。


「うるせー! ここから出しやがれ!」


「転生ってなんなんだ!」


「説明しろ、バカ野郎!」


 誰もがこの状況を受け入れていたわけではないらしい。怒声が一斉に飛び交った。


 しかし、ウサギ耳の女は微塵も怯まない。彼女の笑顔は、一切崩れる様子がなかった。


「皆さま、どうかご静粛に。まずはこの場をお伝えしなくてはなりません」


 声は柔らかいが、どこか底冷えするような響きがあった。その言葉に、騒ぎは徐々に収まって広場に再び静寂が訪れる。


「さて、皆様。実は、皆さまはただの人間ではありません。この世界に選ばれた特別な存在なのです。そして、その使命は……この世界に存在する悪しき六王を討ち倒すために他なりません!」


 彼女の言葉にざわめきが広がる。誰もが顔を見合わせ、不安と疑念を共有していた。


「ですが、その前に。一つ大事な試練がございます」


 ウサギ耳のメイドがふわりと手を振ると、広場全体が薄暗い青い光に包まれた。彼女の言葉が重々しく響いてくる。


「ここから無事に脱出するためには、このダンジョンの奥にいるボスを倒さなければなりません」


 その一言に、誰もが息を呑む。『無事に』という言葉が、先行きを不安にさせた。


 でも、ダンジョンってなんのことだろう。この何もない広場がそうだとは思えない。もしそうなら、始まるのはデスゲームだ。


「ボスがいる部屋には4人でしか入ることができません。ですので、まずは4人のパーティーを組んでいただく必要がございます」


 周囲が再びざわつき始める。見知らぬ人々の中から仲間を探せと言われたからだろうか。


 確かに難しいと思う。記憶がかなり曖昧で、自分の人となりすら分からない。そんな状況で誰かと協力しろだなんて。


 それがみんな同じなら……戸惑いは当然だった。


「ご注意ください。一度ボスを倒しただけで全員が脱出できるわけではありません。ボスは復活いたしますので、それぞれが脱出のために戦う必要がございます。そして、このダンジョンは非常に危険です。強力なモンスターや罠が至るところに待ち構えていますので、パーティーの編成はしっかりとお考えを」


 広場を漂う緊張が一気に高まる。誰もが無言でウサギ耳の女を見つめていた。


「たとえばそう!」


 彼女が手を振ると、スポットライトのような光が広場の一角を照らす。その中心には特徴的な耳を持つ、エルフの女の子がいた。


「彼女のような例を挙げましょう」


 その言葉にエルフの女の子は驚いた表情を浮かべたが、すぐに下を向き身を縮める。


 彼女は薄い布一枚だけを身にまとって、大きなカバンを背負い、右手に持った盾で胸元を隠していた。


「彼女の種族はハイエルフ。優れた知性を持ちますがやや力が弱い種族です。それなのに、盾装備に加えて何に使うのかも分からないカバン……選択のバランスが悪すぎます。こうした組み合わせは、戦闘では致命的な欠点になり得るのです」


 広場の空気が一層重くなった。致命的な欠点という表現が、自分たちの身に危険が迫ってくるような気分にさせる。


「どうかご理解ください。パーティーメンバーを選ぶ際は慎重に判断をすることを。このダンジョンでは命がけの戦いが待ち受けています。モンスターたちはあなた方の悲鳴や命乞いなど、それに何の容赦もありません」


 その言葉に、多くの人がごくりと喉を鳴らした。今にも押しつぶされそうな緊張感が広場全体を支配していた。


「お互いに力を合わせて、この試練を乗り越えてまいりましょう! 私も皆様の成功を祈っております!」


 ウサギ耳の女はそう言い切ると灯りが消える。変化が起きるのを待っていると、再び光が灯り彼女は再登場した。


 広場全体が彼女の言葉に耳を傾ける。


「一つ大事なことを言い忘れておりました。ボスの復活には限りがあります。つまり、脱出できる人数にも限りがあるということです。ボス討伐はお早めに。では、健闘をお祈りしております」


 今度こそ光が完全に消え、辺りは真っ暗になる。その直後、松明が再び灯り広場に元の明るさが戻った。


 さっきまでいたメイド服の女はもういない。


「お、おい! 扉があるぞ!」誰かが大きな声でいった。


 声に振り返ると、そこには先ほどまではなかった木製の巨大な扉があった。


 誰が見ても明らかなダンジョンの入り口だ。


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