第16話 国喰らいのエルガ

「そういえばシンデリカ、大森林にはスライムはいたか?」

「いえ、見たことないわね」


 そうか。

 なら、簡単にスライムについて説明しておこう。


 ―――本来スライムのサイズは大きくても、精々数十センチ程度だ。


 見た目は透き通った水色で、色付きのガラスのように、向こう側を視認できる。                                                                                                            

 洞窟や濡れた草むらなど湿気のある場所に好んで潜む。


 獲物は主に虫や小動物だ。

 そのゼリーのような体の中に獲物を丸ごと取り込み窒息死させると、ゆっくりと時間をかけて消化していく。身体全体が胃袋みたいなものだ。


 人間を見ると魔物の特性として、積極的に襲い掛かってくる。


 スライムには打撃が全く通用しない。衝撃はそのぷるぷるした体で殆ど吸収されてしまう。斬撃は一定の効果があるが、切った部位を本体と切り離さないと、瞬く間に再生する。動き自体は緩慢だが、物理攻撃しかないパーティーには厄介な相手だと言えるだろう。


 スライムの倒し方は3通りに分かれる。


 ―――雷や炎、氷などの属性魔法による攻撃。

 スライムは属性魔法に非常に弱い。魔法使いがパーティーにいるならば、これが一番簡単で確実な倒し方になる。


 ―――心臓を突き刺す。

 スライムの身体をよく観察すると、体の中にコインほどの大きさの黒い物体が浮かんでいるのが見える。それはスライムの心臓や脳が集合した部位であり、そこを槍などで勢いよく突くことでも倒すことができる。


 ちなみに魔法で攻撃するか、心臓を壊すと、どういう理屈かスライムの身体は蒸発する。


 ―――体を細かくみじん切りにする。

 例えばスライムを2つに切り分けても心臓のある方は活動を続ける。ただ、滅茶苦茶細かく切り分けると活動を完全に停止する。ちなみに普通の冒険者では、この方法は凄く手間がかかる。



 

 そんなことをシンデリカに説明する。


「なるほど……」

「国喰らいのエルガも一応スライムだ。色は真っ黒でサイズはとんでもないが、それでもスライムであることには変わらない。つまり魔法が弱点の可能性が高い」


 今回の戦いではシンデリカとマリアンヌという2人の魔法使いを中心に攻めることになっていた。心臓の位置は巨体と体色ゆえに見付けるのは難しいだろうし、体を細かく刻むのは現実的ではないと、マルさんたちは考えたようだ。


 マルさんたちの立てた作戦はこうだ。


 ①前衛がエルガを取り囲み、攻撃しその場に釘付けにする。

 ②魔法使い2人が大規模な属性魔法でエルガに攻撃する。

 ③エルガが死ぬまで①と②を繰り返す。


 うーん、シンプルでいいね。


「がんばるわねアレイン!」

「期待してるよ」


 シンデリカはやるき満々だった。



 ◆


 小麦畑に到着し俺たちは馬車を下りた。マルさんが俺に問う。


「ところでレイン、お前武器は?」

「ない。俺の無敵の肉体が武器だ」


「……いや、何言ってんだ。エルガの身体は触れると溶けるんだぞ。ほら、俺の予備の槍かしてやるから。壊したら弁償な」


「いや、必要ないが」

「いいから、ほら!」

「…わかった」


 そこまで言うなら。恩に着ます。



 黄金の海が地平線の先まで広がっていた。中々風情のある光景だ。


 そんな小麦畑の中で真っ黒でぶよぶよした何かがうごめいていた。

 徒歩で俺たちは少しずつそれに近づいていく。距離を詰めるごとにそいつの巨大さが否応なしに分かってくる。


 じゅうう、と肉が焼けるような音を立てながら、黄金の海を黒く横断をする姿は、大きさも相まって現実感がいまいちない。子供の落書きみたいだった。


「でかすぎんだろ」


 誰かかが呟いた。これがエルガ。国喰いのエルガ、か。


 エルガがその巨体をぶるりと震わせた。

 俺たちに気付いたようだ。方向を変え、こちらに近づいてくる。


 マルさんが叫ぶ。


「いくぞ、お前らぁ!」 

「うらああああああ!!!!」


 冒険者たちは雄たけびを上げながらエルガに突進していく。近づくと鼻を突き刺すような刺激臭が漂ってきた。


 エルガの周囲を囲い、奴の身体に触れないように冒険者たちは槍で突いたり、剣で斬ったりする。


「体には触れるなよ! 焼けただれるぞ!」

「もちろんだぜ、マルさん!」


 マルさん達はそんな会話をする。


 ……ふむ、試してみるか。


 俺は槍を左手に持ち、右手でエルガの身体に拳を軽く叩き込む。水面に投げ込ませれた石が波紋を生むように、拳の衝撃でエルガの身体が震えた。


「レイン!? お前なにやってんだ!?」

 マルさんが馬鹿かこいつ、みたいな顔で叫ぶ。


「すまん、試しにやってみた」


 言いながら俺は自分の手の甲を見る。少し赤くなっていた。そしてエルガの巨体を見上げ、音を立てて溶けていく奴と地面との接触面を見た。


 なるほど。


 ……これは


 国喰らいのエルガ、こいつは俺の天敵かもしれない。



 仕方がないので、俺も他の冒険者たちにならって、慣れない槍を見よう見まねで振るう。


「おお、レイン! 中々の槍裁きだな!」

「お褒めに預かり光栄だ」


 エルガにとってはこれらの攻撃も、体を蚊に刺されるような煩わしさしか感じないかもしれない。今はそれで十分だ。


 注意を周囲の冒険者たちがひきつけている間に、魔法使いたちが詠唱を開始する。

 

「闇焦がす業火を此処に。滅せ。燃やせ。灰となれ。ボクケニックトルネード!」

「エレクト・サウザンド・アロー!!」


 シンデリカとマリアンヌが魔力を溜め、大規模な魔法を発動させた。


「おまえら、魔法がくるぞ! 一旦、退避ィ!!」


 冒険者たちは魔法に巻きこまれないように、咄嗟に後方に下がる。

 瞬間、エルガの巨体を覆いつくさんほどの、炎の渦と雷矢の雨が奴を襲う。


「へえ、やるじゃないエルフ? 伝承は嘘じゃみたいね?」

「貴女こそ、他種族にはしても中々いい魔法の腕を持ってるみたいね!」


 魔法使い組は軽口を叩き合う。


 悲鳴こそ上げないが、エルガは大分応えているようだった。身もだえするようにその巨体を震わせた。その拍子にエルガの身体から小さな飛沫が飛び散り、大地と小麦を焦がす。


「あっつ!?」

 体に掠って火傷のような傷を負う冒険者もいた。


「よし、きいてるぞ! もう一度だ! ひるむな!」

 

 マルタンは負傷した肩を庇いながら吠えた。


 エルガは魔法を放ったシンデリカとマリアンヌの元まで移動しようとするが、他の冒険者たちが攻撃を加え、その歩みを遅らせようとする。


「闇焦がす業火を此処に。滅せ。燃やせ。灰となれ。ボクケニックトルネード!」

「エレクトリック・サウザンド・アロー!!」


 再びの魔法攻撃。炎と雷の魔法がエルガに直撃する。エルガが再び身もだえする。色が少し薄くなってきた。効ている証拠…だと思いたい。


 その時、マリアンヌが膝から崩れ落ちた。ぜえぜえと肩で息をする。


「やっば、魔力なくなってきたかも……」

「これあげる! エルフ特製の魔力ポーション。効果は保証するわ!」


 シンデリカは鞄からポーションを取り出してマリアンヌに渡した。紫の液体を彼女は躊躇わずに飲み込む。


「ほんと! ありが――まずっ!? でもすごい効果ね。もう一回いけるわ!」


 魔力欠乏の後遺症か、ポーションの味のせいか、顔を少し青くしながらマリアンヌが笑った。


「闇焦がす業火を此処に。滅せ。燃やせ。灰となれ。ボクケニックトルネード!」

「エレクトリック・サウザンド・スピアァァー!!!」


 三度目の魔法がエルガを襲う。

 今度こそ、どうだ。


 エルガはまるで、瀕死の獣のようにふらふらと体を左右に振る。






「やったか!?」



 マルさんが祈るように叫ぶが―――。






 エルガが

 正確に言うならば、体積はそのままに自分の形を変えた。


 不定形のスライムだからこそできる芸当。


 縦に縦に―――、天を衝く塔のごとく、上に伸びて――ー。




 そのまま、前に、倒れてきた。


 力尽きたわけではない。

 それは自分を痛めつける冒険者たちを飲み込もうとするエルガの攻撃だった。

 

 当然そこには、エルガの正面で戦っていた冒険者たち、そしてその先にはシンデリカとマリアンヌがいる。

 

「逃げろ逃げろ逃げろ!!!」


 冒険者たちは、慌ててエルガが倒れてくるであろう場所から退避する。


 その重量だけでも脅威であるし、何よりエルガの身体に触れれば焼けただれる。もしゼリーのような体に飲み込まれれば肉も骨も溶かされるだろう。



 マリアンヌもその場から、走り去る。

 

 ………シンデリカ?


 どうしてその場から動かない?


 まさか、この魔力が切れたのか…!? このタイミングで!?




 俺は地面を全力で蹴り、シンデリカの元で駆けつける。彼女を抱えて逃げる暇はなかった。


 仕方がないので、彼女が大けがを負わないくらいの強さで突き飛ばす。


 ―――生ぬるいぶよぶよしたエルガの身体に背後から包まれる。生理的な不快感。


 じゅうっ、という自分の肌に焼ける匂いと音。足が地面につかないため、踏ん張りがきかない。手足をバタバタと泳ぐように動かして、俺は何とかエルガの体内から抜け出した。


「あ、あれいん……」

 呆然とした表情でシンデリカが俺を見ていた。

 

 よかった、無傷…ではないな。色んなところを擦りむいている。俺が突き飛ばしたからだ。


「すまん。まあエルガに飲み込まれるよりはマシだろ。お前は俺みたいに最強じゃないからな」


 ……そういえば、頭にかぶってるずた袋は無事か?

 

 触って確認してみるが、やはりびりびりに破れていた。

「だ、大丈夫?」

「ああ、ちゃんと予備は持ってきてる」


 俺はポケットから予備のずた袋を取り出して被る。


「そ、そうじゃなくて、わ、私っ、ごめんなさいっ!!」


「いいや、お前のおかげで勝てる」


 謝る必要なんて何もない。

 俺の傷なら心配ない、薄皮1枚が少し赤くなった程度だ。


 それよりも、


「見てみろ。どういう理屈か知らないが、エルガの体色が薄くなってきた。最初は墨を垂らしたような真っ黒だったのに、今はな灰色だ」


「え、ええ」

「見えるか?」


 エルガの身体の真ん中あたりを指さす。

 正確にはそこにあるコインほどの大きさの黒い物体を。


「奴の心臓だ」


 俺は唇の両端を釣り上げた。


「これなら、殺せる――」




 ―――正直な所、エルガを殺すだけなら最初から俺の打撃でできた。エルガの身体が木っ端みじんになるくらい、全力の拳を叩き込めばいい。


 しかし、それをするとエルガの巨体は飛沫となって四方八方に雨のように降り注ぐことは予測できた。


 一応試しに一回軽くパンチをしてみたが、どう考えてもエルガを殺しきるには、エルガが数キロにわたって飛び散るくらいの威力を叩き込むしかなさそうだった。


 エルガの飛沫に当たったとしても、俺は無事だろうが、この小麦畑は壊滅することになる。それはロンドの人々の生活を壊すことと同じだ。それは可能な限り避けたい。


 だから魔法での攻撃か、心臓を狙う必要があったのだが、エルガは漆黒のスライムだ。心臓の位置は俺の視力をもってしても分からなかった。


 だが。


「その巨体でも、心臓は普通のスライムみたいに小さいんだな?」



 今なら―――。



 予めエルガに溶かされないように、少し離れた場所に転がして置いた槍を拾う。


 

 槍投げの要領で、助走をつける。


 そして。

 心臓を狙って、槍を全力で投げつけた。


「死ね! ぶよぶよ野郎がッ!!」


 一筋の光と化して、槍はエルガの身体に吸い込まれ―――。

 槍はエルガの体内で完全に溶かされる前に、奴の心臓に到達した。


 心臓を壊され、エルガが息絶える。


 その体は通常のスライムのように、白い煙となって蒸発していく。その巨体故に、煙の量も尋常ではなかったが、十秒も立たないうちにその煙も大気に混ざって、消えた。



「すっげ……」


 誰かが呟いた。


 こうして俺たちは国喰らいのエルガを討伐したのだ。

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