第2話その1 明堂院沙織がやってくる

夕方は逢魔が時とも呼ばれ、現世とあの世が交錯し魑魅魍魎が動き出す時間帯だとされている。


夕暮れのうすぼんやりとした明かりに包まれた視界では、はっきりとものを見わけるのが難しいかもしれない。あなたがみているのは、本当に人なのだろうか。



……ここにも一つ。


これから消えていく薄明りに包まれた町の中を、湊家に向かって歩いている"もの"がいた。


「かお君……、かお君……。……かお君。」





ベランダに出る窓から、夕日が差し込んでいた。


「寝ちゃったか……。」


ややため息交じりにスマホを取りだし、ソファーで寝ているクロリアさんたちの写真を撮る。


クロリアさんがこの家に泊まることが決まった後、三人はずっとゲームで遊んでいた。


ゆうくんと藍ちゃんはずっとはしゃいでいたし、それに付き合っていたクロリアさんも結構疲れたのだろう。



『今のうちに、クロリアさんが寝られる場所でも用意しておこ。』


階段を上り、藍ちゃんの部屋に入って、電気をつける。


藍ちゃんの部屋はもともと両親が使っていた部屋で、クローゼットが大き目だから、お客さん用の布団をしまっているのだ。


『あれ、これって……。』


藍ちゃんの部屋であるものを見つけたとき。


部屋の電気が消えた。



「な、なに?」


突然の停電に驚いて辺りを見回す。


夕暮れの、橙色と紫の混じったような薄暗さが、少し私に不安を抱かせて……怖かった。



「皆、大丈夫……!?」


急いで階段を下りてリビングに向かう。皆はまだぐっすり寝ていた。


……大丈夫、なんて言って降りてきたが、その実私が安心したかったのだろう。


それぐらい、何故か、不安な感じがしていた。



ーーピンポーン


チャイムだ。恐る恐る、映像をオンにする。


「ひゃぁっ!」


映ったのは、暗闇の中にひっそりと浮かぶの面。


怖くて声も出ず泣きそうになっていると、お面が横にずれ見覚えのある顔が現れた。



「……ここに、かお君はいらっしゃいますか?」


同じ学校・同じ学年の有名人、明堂院沙織さんだった。


4月に入学して以来、いつも狐のお面をつけて登校している変わり者だが、温和で明るく、優しい印象の人だ。


私は少し安心した気持ちで質問に答える。



「えっと、かお君……ですか?すみませんが知らないです……。」


「……そうですか。」


そう答えた明堂院さんに、……違和感を覚える。


その返事には、怒りのような負の感情が込められていた気がした。少なくとも私の知る限り、まだ知り合ってたった1、2カ月ではあるが、明堂院さんが怒ったところをみたことはない。


いや、それよりも。


まだ夕暮れなのに……、なぜインターホンの映像は、こんなにも真っ暗なのだろう?



「今、客人が来ていますよね?」


……なぜ、知っているのか……などと、そんな言葉は口にできなかった。


代わりに別の言葉で、咄嗟に返事をしてしまった。


「き、きてません。」


そう答えた瞬間、私の映像が見えていないはずの彼女の目が、私の目をじっと覗いた気がした。


そして画面越しに、「はあ……」と大きい嘆息が聞こえてくる。


その息は間違いなく、怒りの感情とともに吐き出されていた。



ーーパンッ


柏手かしわでの音が一つ、耳に届く。


猫だましをくらったように、蛇に睨まれたように、私の体は動けなくなった。


明堂院は再びお面をかぶり、面越しに呟いた。



「……とりあえず、ドアを開けてください。」


明堂院さんの声が脳に響いた。


私の手から、冷や汗が流れ始める。


……私の体がひとりでに、玄関の方へ向かい始めていたからだ。


まるで自分の体が、誰かに乗っ取られたようだった。


自分の手によって鍵が開かれ、キィと音を立てて、扉が引かれる。


先も見えないほどの暗闇の中、明堂院がたたずんでいた。


何もしゃべらず、ピクリとも動かない。般若の面が不気味だった。



『何でなにもしゃべらないんだろ……。』


押し黙った緊張感が、逆に私を冷静にさせていた。


明堂院さんは、学校では人気者だ。


まずもって美少女であり、少し高めの背とスタイルのよさ、儚げでミステリアスな雰囲気が人気を誘っている。


そして、実家が神社であり、自身も巫女をやっているというもの珍しさ。


人当たりの良い性格もあって、彼女を慕う人が結構多い。


だからというわけでもないが、今の彼女の様子には驚きを隠せない。


本当に同一人物なのか、疑いたくなるほどに。



「変わらず、縁が深いですね……。」


しばしの沈黙のあとに、彼女が口火を切った。


しかし、何を言っているのかわからない。意図を聞こうにも、声を出すこともできない。


「試させてもらいます。あなたの思いを。」


そういって彼女は、青い紐に繋がれた、真鍮の鈴を取り出した。



ーーちりんっ


鈴の音が耳に届いたとき、気づけば明堂院さんはいなくなっていた。


開いたままのドアから、風が吹いて来る。少し冷たい。


風に当たって、自分の体に意識を向けてみると、自由が戻ったのを感じる。腕を振ってみて確認した。


「終わった……?」


しかし、ドアの向こうにまだ、おぞましい暗闇が残っている気がした。


ドアを閉めて、リビングに向かう。



「あれ、みんな……?」


リビングで寝ていたはずの三人が、どこにもいなかった。


家中見渡すが、どこにもいない。スマホを確認したが、なぜか圏外だった。


『もしかして、外に行っちゃったんじゃ……。』


慌てて外に出たが、辺りは真っ暗だった。


街灯の明かりはかすかに映るが、それを遮る何かが漂っているような暗闇。


スマホのライトが使えたので、辺りを駆け回ってみたが。



『だれもいない……。』


藍ちゃんやゆうくん、……クロリアさんはおろか、他の人がいる気配すらしなかった。


さすがに、もう気付いている。


皆がいなくなったんじゃない。んだ。


明堂院が鈴を鳴らしたときからなんとなく感づいてはいた。私は何かに巻き込まれてしまったんだ。



「試すって……、何のこと……?」


明堂院さんの言葉を思い出す。訳が分からなかったが、きっと重要な言葉だったのだろう。


だって、あのときの彼女の表情は……例えようもないぐらい、峻烈な怒りを伝えていた。


あれ?いや、明堂院さんはお面をつけてたよね……。



『あ。そうだ、神社……。』


彼女の実家が神社だったことを思い出す。


彼女に関係のある所に行けば、なにかこの状況から抜け出す手がかりが得られるかもしれない。



『急ぎだから、仕方ないよね。多分、誰も見てないし。』


私は塀に登って屋根の上にあがり、屋根から屋根に飛び移りながら、最短経路で住宅街を抜けていった。


目指すは秋葉山の山頂にある、秋葉神社だ。

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