第1話その2 ダークエルフと悪代官助兵衛
本を選び書店を出た後は、今週分の食材を買いにスーパーへと向かった。
いつも日曜には四日分ぐらい買っておいて、火曜や水曜辺りに日曜までの分を買う。
藍ちゃんやゆうくんが食べたいものを指定してくるときに備えて、少し臨機応変に対応できるように。
ちょっと大変だけど、まあ二人のうれしそうな顔がみれるなら安いものだ。
いちごとさくらんぼがいつもより安かったので2パックずつかごに入れた。
『藍ちゃん、ペロッと食べちゃうんだよね。』
いちごとさくらんぼを、もう一つずつかごに入れた。計3パックずつ。
二人は、とくに藍ちゃんは果物に目が無く1パックぐらいはペロッと食べてしまう。
後は野菜、お肉、切れかかってた調味料や日用品を買って家へと向かった。
赤信号で立ち止まっている間、手に提げている本を見て、少し後悔していた。
"ダークエルフと悪代官助兵衛 2"、今朝読んだ本の続きをもう買ってしまった。
普段の私ならもう少し自制できたはずなのに……。
『今朝は……、藍ちゃんが起きてきちゃったからな……。』
イメトレを途中で止められて、なんだか変な気分だったから……。
……、はっきり言っておくが、もんもんとした気分とかではない。私は性欲におぼれたりしないから。
信号を渡り住宅街に入ると、いつもとは違う不思議な香りがすることに気づいた。
『森の香り……?』
大樹を思わせるような香りがうっすらと漂っている。
まだ5月だというのに、木々が青々と茂った夏の森のような匂いがするのだ。
『家の方からだ……。』
自宅に近づいていくと、その香りは少しずつ深くなっていく。
しかも、その香りの中に、花の匂いのような甘くかぐわしい香りが混じっていった。
とうとう家につくと、なにやらぼろきれを纏った人がウチの前で倒れている。
その人は花畑のような得も言われぬ香りを纏い……
蜘蛛や蜂にたかられながら、泥まみれで行き倒れていた。
「だ、大丈夫ですか?!」
「……うぐう……。」
近づいて体をゆすってみる。どうやら息はあるようだ。
体を掴んで持ち上げ顔についた泥を跳ねのけると、褐色の肌色が覗いた。
『き、綺麗な人……。』
そのお姉さんは、大人の女性の美しさを持ちつつも、どこか可愛げのある顔つきをしている。
花のような甘美な匂いが鼻を突きさし、ちょっと変な気分に……。
『いや違うから。私はそういうんじゃないから。』
頭を十分に振ってからお姉さんを見つめなおすと、その人は、目をパッチと開いて、唇を動かし始めた。
「み、水……。」
フードのお姉さんはこちらに目を向けて、カラカラにしわがれた声でそういった。
トパーズのように輝く黄色の瞳、褐色の肌といい、日本語はしゃべれるようだが純粋な日本人ではないようだ。
こちらを見つめるお姉さんの表情は、永く森の中にたたずむ大樹のように動きがない。
ただただ、その瞳がじっとこちらを見つめていた。
「えっと……、のどが渇いているんですか?」
「……いや……。水浴びがしたい……。」
「でしょうね……。」
同情するぐらいにそのお姉さんは悲惨な姿だったし、困ったときはお互い様だろう。
浴槽は洗っていないので使えないが、シャワーぐらいなら貸すことができる。
……しかし後に思えば、私はもっとよく考えるべきだったのだ。
知らない人に深く関わることはある種のリスクを伴う。それが息を呑むような美しい人であれば、とくに気を付けた方がいいかもしれない。
美しい花には棘があるのだから。
「もし良かったら、うちのお風呂を使いますか?」
「……ほんと……?……助かる。ありがと。」
お姉さんは表情の変わらないまま、しかしやや顔を下に向けて……、上目遣い気味にそう言った。
フードがはらりと落ちて、銀髪の髪が露わになる。
褐色の肌に、黄色の瞳、銀髪の髪の毛。
よく見てみれば、その肢体は豊満で柔らかげだった。
そして何より、その端正な顔立ちをピクリとも動かさない、その無表情さ。
何かが自分の中で、沸き立つような音がする。
『ゾクゾクッッッ……』
お姉さんは、今朝のイメトレの際に使った文献の、"ダークエルフ"そっくりだった。
"ダークエルフと悪代官 助兵衛"。
無気力・無表情のダークエルフが、悪代官に捕まってしまうお話。
『……、…………、…………。…………。』
目の前にいるお姉さんの、文献そっくりな容姿や気だるげな無気力さ。
そして助けを懇願するような上目遣い。
『……、…………、…………。…………。』
ふと気づくと、お姉さんはこちらをジトっと見つめていた。
「……なんか……いやらしい目つき。」
「ッッッッッツ!!!!??? ち、違っ……!」
我に返り、思わず目をそらす。顔が赤面していくのを感じる。
お姉さんの視線が痛い……。
『落ち着かないと……。私はいやらしい子なんかじゃない!』
決して、初めて会った女の人の体を、隅々までじっくり見たりなんかしていない!
……していない!
息を整えてお姉さんの方を向きなおす。
「こほん。あ、あの、お風呂どうしますか?使っていきます?」
「……体めあて?」
「いやそう意味じゃなくてですね……!」
弁明しようと体を動かすと、手に提げていた袋から本が落ちた。
"ダークエルフと悪代官 助兵衛 2"が、お姉さんのもとへ滑っていく。
「……この絵の人、私に似てる。それに……なんでか縛られてる。」
『ぎゃ!?』
お姉さんは"ダークエルフと悪代官 助兵衛 2"を拾い、表紙と私を交互に見つめてくる。
「……エッチ。」
「ち、違います!別に私はそういうのに興味があるわけじゃ……!これはイメトレのための文献で……か、勘違いしないでください……!」
お姉さんは無表情にこちらを見つめてくる。
ただひたすらに、じっと。
そして、口を開いた。
「……お風呂。」
「え?」
「……お風呂、使わせてほしい。」
「え、ええ。いいですけど……。」
正直、もう私にはお風呂を借りようとはしないと思っていたから、意外だった。
お姉さんの変化しない表情からは、どんな意図があるのか読み取れない。
「……よろしく。……えっと、エッチちゃん。」
「え、エッチとかじゃないんです……。」
私はもう、消え入りそうな声でそう答えるしかできなかった。
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