第1話その1 同人ショップに行く理由は?
私、湊由愛は同人ショップの成人向けコーナーにいた。
齢15歳である私は本来、成人向けコーナーののれんをくぐるのを許されていない。
学級委員長である私が、クラスのお手本となるべき存在の私がそんな禁忌を犯し、今ここにいるのにはなにか、推し量りようもないほどの深い理由があるのだと、考える人もいるかもしれない。
そのとおり。
私にはここに来てしまう、のっぴきならない事情がある。
……当たり前のことだが、この行動は決して、"性欲が理由の行動"などではない。
『誰もいない……、よね……?』
辺りを見回しつつ、知り合いがいないことを十二分に確認して、通路を進んでいく。
周囲を警戒しながらも、頭の中では何故私は今こんな場所にいるのかについて考えている。
"性欲が理由でない"からこそ、自分が同人ショップを訪れている理由を再確認するのは重要だ。
"性欲が理由でない"、では一体なぜこんなところにいるのか。
それを考えるのには、私の過去を振り返る必要がある。
『そのきっかけは忘れもしない、中学2年生のときのことだった。』
弟と妹の姉として、人一倍責任感の強かった私は学校でも委員長を努めていた。
みんなが健全な学校生活を送れるように。
そんなことを全力で考えて、クラスの秩序を守ろうとしていた。
『あれ、なんでこんな早い時間に男子が集まってるんだろ……?』
ある日、始業前の教室で数名の男子が集まって、何やらコソコソとしているのを見つけた。
様子を伺っていると、彼らはいかがわしい表紙の漫画本を取り出した。
「おお、これが例の"ブツ"か……。」
「ああ、丁重に扱えよ、なんせこれは……。」
「それ、アウト。没収です。」
「「「「 湊 !!??? なぜここに!? 」」」」
「なぜもなにも……。私は遅くても始業の30分前にはいつも来てるし。」
問題を起こしたりしない印象の男子達だったので意外だったが、ルールはルール。
明らかに校則に違反するその漫画本は一旦没収し教師に渡そうとした。
が、値段を聞くとその漫画本は、その薄さに反して2千円もするらしい。
『高っっ!』
さすがに戻ってこなかったら可哀そうだと思って教師に報告することはせず、放課後まで預かってそのあとに返すことにした。
『どんな内容なんだろ……。』
それは、昼休みのことだった。
昼休み、値段の割に量が少ないことが気になって、私はそれを開いてしまった。
タイトルは『生真面目女子の非日常~痴漢編~』。
『……。……!』
『……、……。………………!???』
『……。…………。』
……いつの間にかチャイムが鳴っていた。
放課後、その本を返す時、私はそいつらの顔を見れなかった。
ただ顔を背けて本を押し返した後、私はその場から逃げ帰った。
「湊、中見たのかな……。」
「あの反応は見てるんじゃないか?」
「見ただろうな。」
「絶対見てるな。」
『何なのよ、あれ…………!?』
自分の部屋に着くと、すぐに布団の中にもぐりこんで目を閉じたが、あの内容は頭から消えなかった。
むしろ目を瞑ると、その内容は鮮明に思い出された。
『……、…………、…………。』
『って、違う違う違う!』
危うく持っていかれそうになった意識をなんとか取り戻し、脳みそを回す。
ああいった本の存在は知っていた。
中二の男子には、ああいう、Hな本が必要なのだ。
でも、私には?
『あんな本、私には必要ないはず……。』
ああいうのは、性欲にまみれた"男子"たちだけが読む本だと、友達が言っていた。
女の子は性欲にまみれたりしない。
Hな女の子なんて、フィクションの中にしかいない存在だと、彼女は言っていた。
話を聞いたときはよくわからなかったが、いまは強くそう思う。
あんな、あんな……。
『……されて……で…………になっちゃって、最後には……しちゃう女の子なんて、いるはずないから……!』
……わからない。
自分のキモチがわからなかった。
『…………、…………。…………。』
しばらく経って、部屋のドアを叩く音が聞こえた。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
声が聞こえて布団の中を出てみると、部屋は真っ暗だった。
時計を見ると、もう20時になっている。いつまでもリビングに来ないのを心配して、妹の藍ちゃんが様子を見に来てくれたようだ。
急いで起き上がりドアを開けると、藍ちゃんと弟のゆうくんが立っていた。
「お姉ちゃん、大丈夫?ちょっと顔赤くない?」
「だ、大丈夫!具合が悪いとかじゃないから!」
「ホントに?」
「もちろん!それよりお腹すいたよね、いまご飯作るから!」
ゆうくんにそう指摘され、慌てて否定し、話を逸らす。
そして、急いでキッチンに向かおうとした。
が、二人に袖を引き留められた。
「お姉ちゃん、無理しないでいいんだからね?」
「そうだよ。僕だって家庭科の授業受けてるし、……料理ぐらいできるから。」
そんな頼もしいことをいってくれる二人。
嬉しくて、胸に暖かいものが広がるようだった。
腰をかがめて、二人を抱きしめる。
「ありがとう。でも、大丈夫だから!」
できるかぎり力強く言葉を出して、ニッコリと笑顔を見せる。
そうだ、私はこの二人の"親代わり"なんだ。そんな私が……。
『私が、Hな女の子であるはずがない!』
藍ちゃんとゆうくんの、立派なお手本であるこのお姉ちゃんが、まさかHな女の子なわけがない。
Hな女の子なんて、ただのフィクションだ。
頭の中で何度も繰り返し、自分に刷り込む。
『私はクラスで一番真面目な優等生、弟と妹二人のお姉ちゃん。』
『だから、だから絶対、性欲におぼれたりなんかしない、していない!』
次の日、学校で、例の4人が私のところにやってきた。
「……なに?」
「な、なんか怒ってる?いま俺にらまれてないか?」
「別に……。それよりなんか用?」
「あ、ああ。湊もしかして昨日、あの本を……。」
「なに? (ギロッ 」
「ヒッ……。いや、なんでもないです!」
正直に言えば、私は彼らに怒っていたと思う。
そもそも、彼らが学校にあんな本を持ってこなければ……。
……でも、私の役目は怒ることではなく指導することだ。
責めたい気持ちを抑えて、彼らに改めて注意する。
「次。」
「はい……?」
「次にあんな本持ってきたら……。許さないからね!わかった!?」
「はい……。」
「……次、移動授業だから。遅れないようにしなよ。」
少し気まずかったので、足早にその場を立ち去った。
「湊にあの同人誌が見つかった時は終わったとおもったけど。意外と大丈夫だったな。」
「ああ、湊にだけは見つかっちゃいけないと思ってたのに。」
「あの本に出てくる女子って……、湊そっくりだもんな。」
それからというもの。
私は心を引き締めて、より一層委員長としての活動に励むようになったのだが、一方でなぜか男子に話しかけられることが多くなった。
もともとは、男子は私に近づくことはあまりなく、遠巻きに噂しているだけだった。
おおよそ、規則に厳しい私の文句でも言っていたのだと思うが。
「……最近の湊、アリだよな。」
「それな。もともと、顔はすっげー可愛いし。ちょっと体が小さいけどな。」
「いやむしろ小さいのがいいだろ!」
「うわ、ロリコン。」
「違うって。あの見た目で委員長の仕事を頑張ってるのがいいんじゃん。」
「ああ、わかる。最近、下ネタとか、性的なことに厳しくなったのがいいよな。」
「さしずめ、『本当はムッツリな委員長』って感じだな。押しに弱そう。」
「「「 それだ! 」」」
……なぜかこの辺りからラブレターをもらうことも増えたが、その全員が邪な目つきをしている気がしたので、全てお断りした。
『余計なことまで思い出してる気がする……。』
改めて、何を考えようとしていたのか思い出してみる。
そうだ、"なぜ私が同人ショップの成人向けコーナーに訪れているのか"、それを思い出そうとしていたんだ。
お目当ての本を見つけた私は、周囲を警戒しながら手を伸ばしつつ、自分に言い聞かせる。
『私がこれを買うのは、性欲が理由なんかじゃない。』
クラスの優等生として、そしてもちろん、二人のお手本になる立派な姉として。
性欲におぼれたりなどしないのだ。
では、なぜこれを買おうとしているのか!
…………、えっと……。……、まあ、いいや。
どうやら誰にも会わなそうだし、言い訳……、じゃなくて、これを買いに来た深い理由を誰かに説明することはなさそうだ。
"性欲が理由ではない"、今はこれだけはっきりしていれば大丈夫、大丈夫。
あ、そうだ。イメージトレーニングのために買っている、なんていう理由とかどうだろう。
痴漢とか、ナンパとか、NTRとか、催眠とか……。そういうのに巻き込まれないためにイメージトレーニングが必要なんだ。……多分。
……もしくは……、勉強……?
彼氏ができたときとか、何にも知らないウブな女の子だと色々困るかもしれないし……。
『彼氏、彼氏か……。』
彼氏はおろか、高校1年生になった今となっては、友達もあまりいない。
彼氏なんてのは、おおよそ私に関係ないことであった……。
『……と、とにかく、私は仕方なく!この本を買うの!』
改めて、買おうとしている本に手を伸ばす。
決して自分の欲を満たすために買うわけではない。仕方なく、仕方なくだ。
「あのー。」
「ひゃい!」
突然背後から声をかけられて驚いた私は、背筋を伸ばして返事をする。
その後、相手に向き直りファイティングポーズをとる。
知り合い?知り合いなのか?
「……。あの……、そこにあるの見たいんで、買うなら早く買ってもらっていいですか?」
「あ、すいません……。」
おそらくずいぶん長い間悩んでいたことを反省しながら、本を手に取ってそそくさと立ち去る。
それにしても、知り合いではないようだ。良かった。良かった。
そう安堵する由愛だったが、帽子に眼鏡にマスクをつけたその姿は、周囲の目にはかなり不審に見えていた。
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