07:診療所のエルフ
「なんであたしが人間の治癒をしないといけないのよ」
自分の家ではなく、村の診療所にいたメルトリンデさんは流暢なユーグレスト語でそう言った。
腰まで届く長い銀色の髪。
黄金に縁取られた神秘的なアメジストの瞳。
陶器のように白い肌。尖った耳。
彼女の背丈は私より頭二つ分は低い。
幼女にしか見えないけれど、実年齢は百歳を超えているのだという。
メルトリンデさんは椅子に座って腕と足を組み、私とエリオスさんは彼女の前に並んで立っている。
ここは診療所の一角にある調合室。
壁には見たこともない薬草や木の実がぶら下がり、棚には薬の瓶が所せましと並べられている。
手先が器用で優れた鍛冶能力と建築技術を持つドワーフが建てたという診療所は、二階建ての立派なものだった。
裏を返せば、それだけ治療を必要とする患者が多いということ。
この村で最も多いのはやはり瘴気病患者らしい。
瘴気病とは、その名の通り、瘴気に侵されることで発症する病。
最初は軽い眩暈と吐き気、動悸や身体の倦怠感から始まり、重度になると昏睡状態。最終的には死んでしまう。
現在診療所には四人の重度瘴気病患者がいて、そのうちの一人はエリオスさんの親友だそうだ。
いくらメルトリンデさんが頑張って治癒魔法をかけたところで、病の原因となる瘴気を除く手段がなければ焼け石に水。
――メルトリンデの力をもってしても延命だけで精いっぱいで、実質ただ死ぬのを待つしかできない状態なんだ。瘴気のせいで、体力のない幼児や老人がこれまで何人も死んだ。助けを求めて人間の教会に行ったこともあるんだけど、人間もどきの犬畜生が寄るなと石を投げられたよ。聖女様には会うこともできなかった。
頭の耳を垂らして悲しそうな顔をするエリオスさんに、私はかける言葉が見つからなかった。
「よくもまあ、あたしの前に人間を連れてきたわね。いくら頼まれたところで、はいそうですかとあたしが治癒を引き受けると思う?」
メルトリンデさんは射殺すような目で私を睨んでいる。
診療所までの道中、エリオスさんはメルトリンデさんの過去を教えてくれた。
マルカ帝国の森に住んでいたメルトリンデさんは里を人間に焼き払われ、父親や同胞を軍人に殺された。
――だから多分、ユミナに冷たく当たると思うけど、根は良いやつだから。
悪く思わないでほしい、できれば嫌わないほしい。
そんな思いがエリオスさんの言葉からは読み取れた。
「思わなかったら連れてこない。なんだかんだ言っても、メルトリンデは優しいから。最終的には治癒してくれると信じてる」
優しいというのは本当だと思う。
だって、メルトリンデさんは私でもわかるようにユーグレスト語を話してくれている。
いくらエリオスさんに頼まれたところで、突っぱねることもできたのに。
「当てが外れたわね。あたしは毎日、診療所を訪れる亜人たちに治癒魔法をかけて疲れてるの。亜人たちの面倒を見るだけで手いっぱいなの。人間に貴重な力を割いてやる義理なんてないわ。忙しいから帰ってちょうだい。話は終わりよ」
メルトリンデさんは私たちに背を向けて薬草を手に取り、薬の調合を始めた。
「……エリオスさん」
帰りましょう、と私が言うよりも早く。
「頼む、メルトリンデ。この通りだ」
エリオスさんは床に跪き、深く頭を下げた。
私は目を見張った。
そこまでする必要なんてないのに、メルトリンデさんの治癒を受けられてなくても命に別状はないのに、恥も外聞もなく頭を下げている。
その必死さに胸を打たれ、私は泣きそうになった。
こんなに私のために一生懸命になってくれた人は初めてだった。
――もういいですエリオスさん、行きましょう。メルトリンデさんの力は亜人の皆さんのために使うべきです――
そんなことを言ったら、エリオスさんが苦労して私を連れてきた意味がない。
彼の厚意を無碍にするわけにはいかない。
「……メルトリンデさん。お願いします。どうか助けてください」
私はエリオスさんの隣で跪き、頭を下げた。
様々な薬草や薬品の匂いが複雑に入り混じり、なんとも形容しがたい匂いがする部屋に沈黙が落ちる。
ややあって、メルトリンデさんはため息をついた。
「ああ、もう。仕方ないわね。エリオスに免じてやるわよ。助けるのはこれきりだからね」
メルトリンデさんは顔をしかめて立ち上がった。
近づいてきて、私に手のひらを向ける。
ぱあっ――と、メルトリンデさんの手のひらから金色の光が解き放たれた。
過去にローズマリーの治癒現場を見たことがあるけれど、それと全く同じ。
金色の光は私の身体を包み込み、みるみるうちに両手首の傷が癒えていく。
足腰の痛みも倦怠感も何もかも、身体の不調が嘘のように消え去った。
「どう?」
仏頂面で、メルトリンデさんは身体の具合を問うてきた。
私がまだどこか痛いと言えば、再び治癒魔法をかけてくれるつもりらしい。
やはり彼女は優しいエルフだった。
「はい、もう大丈夫です。どこも痛くありません。本当にありがとうございま――」
――ぐうきゅるるるる。
頭を下げると同時、盛大にお腹の虫が鳴った。
なんともいえない空気が流れる。
「……食事の用意なんてないからね。この診療所によそものに食べさせる余裕はないのよ」
「はい。承知しています……」
私は真っ赤になって俯いた。
「大丈夫。それはこっちで用意する」
羞恥で動けずにいる私の手を引き、エリオスさんは立ち上がった。
「ありがとう、メルトリンデ」
「ありがとうございました」
「ふん。貸しだからね」
メルトリンデさんはぷいっとそっぽ向いた。
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