酸素マスクは血で染まる

海猫

第一章:アフガニスタン編(2024年)

アフガニスタン編①

 ニューヨークの二棟のビルに旅客機が突っ込んで、イラク戦争で母が戦死して、ハリケーン・カトリーナで家中が水浸しになって、その三日後に父は射殺された。


 暴徒と州兵の銃撃戦に巻き込まれたんだ、とだけ伝えられて、子供だからと遺体を見せてもらえないまま、二歳上の兄と一緒に施設に入れられた。まだ自分の歳を両手で数えられた頃の昔話だけれど、あの頃からすでに、私も兄も変わり者だったのだと思う。能面のような表情を、二人そろっていつまでも貼り付けていたのだから。必死に慰めようとしてくれた大人たちが機嫌を損ねたのも無理はないし、他の子たちからいじめられたのも今思えば当然のことだ。


 私と兄には、ある種の先天的な能力でも備わっていたのだろうか。そう考えることで、己の感情を処理しようと試みたこともある。人が成す共同体に昔から溶け込めなかったのは、それに対する本能的な恐怖感があったからだ。海兵隊に入り、AV-8B攻撃機の操縦席に座り、テロリストに誘導爆弾やミサイルを贈る仕事に就いてもなお、その恐怖感は拭えない。一度だけ飛行隊の仲間たちにそんな話をして爆笑されてしまったことがある。軍隊こそ、共同体の最たるものですよ、と。


「あの時は決して、貴女を……大尉をバカにしたわけじゃないんですよ」

「謝罪?  今更?」


 揶揄い半分にそう返すと、ロイは本当に申し訳なさそうな顔をしていた。後輩を弄ぶ趣味はないので、ポンポンと肩を叩く。あの時は私だって、我ながら奇妙な話をしているなあと思ったわよ。


「答えられる人がいたら聞きたいわよ。この際だから言ってしまうけれど、兄さんも私みたいな、人の集まりを厭う変人だった。だけど兄さんは陸軍に入隊して、しかも特殊作戦部隊に配属されたの。本当に、不思議ね……」

「ええ、存じ上げています」


 ロイはパイロットとしても、人間としても優秀だった。私の兄の名を知っても、変わらずに接し続けてくれている。ロイだけではない、みんなそうだ。飛行隊で唯一の女である私を対等に扱い、合衆国を裏切った男の妹だと知ってもなお、共に空を飛んでくれている。


 曲がり角から子供たちが飛び出してきた。その小さな両手で胸の前に抱えたもの——色とりどりの、大きな凧。子供たちの掌に血が滲んでいるのは、凧糸にガラス粉を糊付けしているからだ。切れ味抜群の凧糸を使って他の凧を「撃墜」するのが、この国の子供たちの遊び方だと聞かされた。


 アフガニスタンに派遣されてから、今日でちょうど一年になる。


 砂埃を巻き上げながら我先にと駆けていく子供たちに、露店のスイカ売りが声をかけていた。道路の対岸の精肉店は切り落とした牛の頭を客寄せに使っていて、その隣のパン屋は窯で焼いたナンを二十セントくらいで売ってくれるらしい。衛生上の理由からここでの買い物は推奨されていないのだが。外出前に飛行場でピザとコーラを胃に流し込んでおいたのは賢明な判断だった。


「見つけましたよ」


 ごった返す通りの先を、ロイが指さす。

 人波をかきわけながら、彼女がやってくる。

 コバルトブルーの服を纏い、白いヒジャブを巻いた少女。


 私たちはムスリムじゃないの、と彼女は教えてくれた。文化的な影響は受けているけれど、社会規範はまるで違う。ソルド人にはソルド人のやり方があるの。異国へ追いやられてもそれをやめるつもりはない——それが差別と対立の土台ともなることは彼女自身もよく分かっているようだった。


「ザラ」


 人混みを抜けて、彼女が現れる。

 ヒジャブから覗く黒髪。吸い込まれそうな青い瞳。

 花のような笑顔を浮かべながら、小さく右手を振って、


「久しぶり……です、ミッチェル大尉」

「マチルダでいいって、言ってるでしょ」


 このやり取りも何度目だろうか。それでも、初めて出会った頃に比べれば随分と丸くなった。

 ザラの両隣に私とロイが並ぶ。歩き出してから、彼女がやや駆け足気味になっていることに気づいてそっと歩幅を狭めた。


 日差しに肌を焼かれながら、なだらかな上り坂を行く。背後から乗り合いバスのエンジン音が近づいてきて、ザラの肩を抱いて寄せる。タリバンが仕掛けた即席爆弾を街中から一掃して、足元に怯えずに済む生活がもたらされたのは、ここ最近数少ない明るいニュースの一つだった。


「気を付けてね」

「……はい」


 肩から離した掌に、彼女の体温が残る。

 被りを振って、雑念を追い払う。この街の人々との信頼醸成は、いまや私たちにとって最優先事項となっていた。


 風で舞い上がった砂塵が晴れて、坂の向こうに石造りの家々が見えてきた。そのいたるところにソルド人の血が染みついていると知らされてもなお、今の私たちがアフガニスタン奪還という使命を放棄することは許されない。


「あなたたちは」


 無意識のうちに口が開いていた。ザラが顔を上げる。綺麗事だと分かっていても、彼女だけには伝えておきたかった。


「あなたたちは、決して、『汚れた余所者』なんかじゃない」







 隣国のパキスタン軍が「群体」相手に大敗を喫したというニュースは、今や臨時首都となったこの街の盛況に微塵も影響を与えなかった。そんな類の出来事を、この国の人々は何十年も前から何度も見聞きしてきたからだろうか。40年前にアフガニスタンへ侵攻したソ連軍も、その後の内戦で武装勢力として台頭したタリバンも、隣国の人々を殺して新たに誕生した「群体」も、この街の人々の目にはそう差異のないものとして映っていたようだった。


 人によっては私たちもそのリストに加わっているのだろうと想像する努力は怠らないようにしている。崩壊寸前のアフガン政府を継いだ新北部同盟が軍事力を増強する必要に迫られ、撤退直前だった米軍やNATO軍を取り込んだからといって、長年の諸問題が全て水に流されたわけではないだろう。


 アフガニスタンは多民族国家だ。パシュトゥーン、タジク、ハザラ、ウズベク。その他にも様々な民族がいて、その中にソルド人も加わっている。隣国ソルディスタンが対テロ戦争で壊滅してからは、難民となったソルド人の流入も続いている。新北部同盟は各地の民族の連合として生まれたわけだけれど、長年の民族間対立はおいそれと消えるものではなく、決して一枚岩とは言い難い。


 パキスタン軍に大打撃を与えたのは、パキスタンとの国境線デュアランド・ラインを超えてアフガニスタンにも侵攻しつつあるパシュトゥーン系の「群体」だけれど、彼らがこの国の諸民族をどのように取り込んでいるのかは——屍の山を築いているのかもしれないが——全く分からない。新北部同盟の目下の脅威は、いまやアフガンのほぼ全域を支配しているタリバン勢力だけれど、連中が我々と「群体」に挟まれた「緩衝勢力」であることは、不幸中の幸いなのかもしれない。







 管制塔からの離陸許可を復唱し、エンジン出力を上げていく。


 ブレーキを解除すると、弾かれたようにAV-8B攻撃機が加速し始める。身体が座席に押し付けられる感覚。操縦桿を手前に引いて、滑走路から離陸。ふわりと浮く感覚を味わった数秒後、ハリアーを上空へ向かって急上昇させていく。


 飛行場での待機任務中に突然、近接航空支援の要請を受ける機会が最近はやけに増えていた。パトロール中の海兵たちがタリバンに包囲されたとの知らせを受けて、機首を北方の山岳地帯に向ける。


《Crow 1, report your type of aircraft and weapons.》

(クロー1、そちらの機種と兵装を知らせてくれ)

《Crow 1, roger. Crow 1 2 by AV-8 B Harriers, with 4 by GBU-38 and Gunpod each.》

(クロー1、了解。こちらはAV-8B攻撃機が二機、兵装は両機ともに四発のGBU-38誘導爆弾及びガンポッドを搭載)


 私の一番機、ロイの二番機の兵装を伝えると、地上のJTAC──統合末端攻撃統制官が海兵たちの状況を伝えた上で、指定した座標を二機同時に爆撃するよう要請してきた。激しい銃撃音が無線の向こうから聞こえてくる。


《IP Hotel, target, platoon of infantry and single Humvee on highway, location 821 531. No mark, friendly east 900, egress right pull, back to IP Hotel——.》

(爆撃目標はハイウェイ上の歩兵小隊およびハンヴィー一両だ。座標は821 531。目標へのマーキングは無し、友軍の位置は東900メートル、爆撃後は右旋回して攻撃開始地点に復帰せよ——)


 数千年をかけて削られた渓谷の、その奥底で部隊は追い詰められていた。JTACは冷静だが、同伴している海兵たちは苛ついているだろう——どこを呑気に飛んでいやがる? 俺たちは殺されてかけているんだ。さっさとあのクソ野郎共を吹っ飛ばせ。


 ハンヴィーに撃たれている、とJTACが立て続けに報告してきた。アメリカ製の軍用車両は今やほとんどタリバンに奪われている。鹵獲車両もあれば横流しされたものもあるが、いずれにせよ見つけ次第破壊していく他ない。連中も決して、日本車に手作り爆弾を載せて自爆攻撃するだけの能無しではないのだ。


 JTACから伝えられた情報を復唱してから、爆弾の投下ポイントと信管を設定。カラーディスプレイを操作すると爆弾の投下可能範囲が円形で表示され、HUD上で攻撃目標が菱形の枠に囲まれる。


《Crow 1 flight, IP inbound.》

(クロー1、二番機と共に攻撃開始地点から進入する)

《CONTINUE.》

(そのまま進入を継続せよ)

《Crow 1 flight, IN heading 190.》

(クロー1、攻撃進入、方位190)


 指定された方位の範囲内で進入したことをJTACに伝える。爆撃目標へ接近していくにつれ、祈るような気持ちが芽生える。


《Crow 1 flight, CLEARED HOT.》

(クロー1、攻撃を許可する)


HUD上に表示される二重の円のうち、内側の円が回り始めている。ハリアーの機首で大気を切り裂きながら、渓谷へと接近していく。投弾可能範囲の中心に近づいた時、ピックルボタンを押して爆弾を投下した。


 ガチャン、と音がして機体が軽くなる。


《Crow 1 flight, 2 AWAY, proceeding to IP Hotel.》

(クロー1、爆弾二発を投下、攻撃開始地点へ退避する)


 二番機も爆弾を投下するや否や機体を傾けた。指定された空域へ向かいながら、ふと渓谷に目をやった瞬間、勢いよく立ち上る黒煙が見えた。500ポンドの火力二発が、タリバン兵たちをミンチにしたはずだ。無意識に早まった呼吸音がヘルメット内に響く。


 ほどなくしてJTACが爆撃効果判定を終え、タリバン兵が無力化されたと伝えてきた。ホッと肩の力が抜ける。


 スロットルレバーを押しやり、操縦桿を引く。翼端から航跡雲を引きながら高度を上げていく。

 

 酸素マスクの呼吸音とエンジンの甲高いジェット音が耳に響いた。

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2024年11月29日 06:00
2024年11月30日 06:00
2024年12月1日 06:00

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