第10話 皇女の英雄【リリアナ視点】
「貴方は……? っ、それよりも危険です! 早く逃げてください!」
突如として現れた少年に向かって、リリアナは思わず叫ぶ。
簡素な布地で作られた服と、腰に差した一振りの短剣。
その装備からして、偶然居合わせただけの学生だろう。
あれでは悪魔種を相手取るなど到底不可能。
自分たちの事情に巻き込みたくはないと、そう考えての発言だったのだが――
「拘束用の魔法を準備してください!」
「――――!?」
少年は強い眼差しでそれだけ叫び、そのまま魔物に突撃していった。
乱暴に薙ぎ払われる巨大な尻尾を見事に回避。
まるで動きを予測していたかのような躱し方に、リリアナは思わず息を呑む。
そのまま懐に飛び込んだ少年は、魔物の傷口に手をかざし、詠唱を告げた。
「――ヒール!」
『グルゥゥゥ!?』
魔物が悲鳴を上げる。
聖属性の回復魔法であるヒールが悪魔種の弱点を突いたのか、自動再生が止まっただけでなく、さらにはダメージまで発生していた。
「………………」
その光景に、リリアナは思わず言葉を失う。
少年のヒールが魔物に通用したことへの驚きは、もちろんある。
けれど、それ以上に衝撃を受けたことがあった。
最初に駆け出した際のスピードや、放った魔法の出力を見る限り、彼の実力は決して高くない。
本当にただ、このダンジョンを攻略していただけの学生のはず。
にもかかわらず、彼よりも明らかな強敵を前にして、怯むことなく突き進む。
そんな覚悟と勇気が、真っ直ぐに伝わってくるのだ。
その光景を見るリリアナの心臓が、ドクンと跳ねる。
(――いいえ、いつまでも呆けているわけにはいきません)
まだ分からないことだらけだが、考えるのはあとだ。
彼の指示に従い、リリアナは残りの魔力を絞り出し、術式構築を行う。
頭上に浮かび上がる幾重もの氷の紋様が、その構えを示していた。
その間にも少年はヒールを発動し続け、魔物の体を蝕んでいく。
耐えかねた魔物が巨椀を振り上げ、一気に叩き潰そうとした瞬間――
――――今だ!
「アイシクルバインド!」
『――グゥゥ!?!?!?』
氷の鎖を放ち、魔物の動きを止める。
リリアナの拘束魔法が、完璧なタイミングで命中した。
それを見た少年は小さく笑みを浮かべると、これまでで一番の魔力を込めた詠唱を告げる。
「――――ヒールッッッッッ!」
轟音と共に、魔物の体が内側から真っ白な光に包まれていく。
漆黒の巨躯が崩壊し、魔物は一片の魔石となって消滅した。
歓喜の声を上げる間もなく、リリアナは少年の異変に気付く。
体がふらつき、膝から崩れ落ちようしていたのだ。
「大丈夫ですか!?」
慌ててその場に駆け寄り、優しく抱きかかえるようにして支えるも、少年は既に意識を失っていた。
しかし、その表情には役目を果たしたことへの満足げな微笑みが浮かんでいる。
確かにこの少年は、命を賭して自分たちを守ってくれたのだ。
「ありがとう……ございます」
名前も知らないその少年に、リリアナは幾度となく感謝の言葉を紡ぐ。
傍らのローズもまた、深々と頭を垂れていた。
その後、リリアナたちは気を失った少年を抱えてダンジョンを後にした。
アカデミーの休養施設に運び込んだ後、直ちに学園長に今回の一件について報告を行う。
「まさか、そのような事件が発生していたとは……お怪我はありませんでしたか?」
「はい。この者が、命を賭けて守ってくれました」
ベッドで眠る少年の方を目で示しながら、リリアナは答える。
詳しいことはまだ分かっていないが、悪魔種の襲撃はアイスフェルト皇国に関連する事件であることは確かだった。
アカデミーの敷地内でそのような事態を引き起こしてしまったことについて謝罪するも、学園長は穏やかな笑みを浮かべて首を横に振る。
「貴女のせいではありません。どうか、気に病まないでください」
学園長からは、こうして許しをいただくことができた。
最後にぽつりと、「似たようなことはよく起きますからね……」と呟いていたのは気がかりだったが、それはさておき。
現実問題として、皇国を出たにもかかわらずリリアナの命が狙われたという事実は重く受け止めねばならない。
諸々の報告と調査のため、留学は一時中断し、皇国へ帰還することが決定した。
それからさらに数日が経過。
リリアナの心に重くのしかかっていたのは、自分たちを助けてくれた少年がまだ目を覚まさないという事実だった。
後から聞いた話によると、少年の名前はアレン・クロードと言うらしい。
ヒールを使用していたことから分かるように、ジョブは【ヒーラー】。
リリアナと同じ新入学生で、入学試験の結果も決して芳しくなく、ギリギリで合格できた程度の実力しか持たないとのこと。
そんな彼が、自分たちのために命を賭して戦ってくれたのだと知り、リリアナは改めて深い感謝の念を抱いた。
「保健医の話では、ただの魔力枯渇による後遺症のようですね」
「ええ。あと数日もすれば意識を取り戻すとのことでしたが……」
ローズの言葉に、リリアナは静かに頷く。
だが、そんな会話を交わしている最中にも、帰国の時は刻一刻と迫っている。
直接お礼を伝えられないことが、リリアナにとっては心残りで仕方なかった。
そして帰国する馬車の中、ローズがおもむろに切り出す。
「殿下、これからいかがなされますか?」
窓の外に広がる夕暮れの景色を眺めながら、ローズは続ける。
「他国でも襲撃があるとなれば本来の目的が果たせません。これならいっそのこと、留学を取り止め、守りの多い本国にいたままの方が安全かと思いますが……」
ローズの言葉は正しい。
こうなった今、自分が国を出る必然性など存在しない。
しかし、
「当然、戻ってきますよ」
本国で面倒事を片付けた後、必ず再びこの地にやってくるつもり――リリアナはそう心に決めていた。
今回の一件で、自分自身にも、今以上の強さが必要であることを痛感させられたからだ。
そのために、ステラアカデミー以上に適した場所など存在しない。
そして、何より――
「彼に直接、感謝を伝えなければなりませんから」
アレンの安らかな寝顔が、まぶたの裏に浮かび上がる。
次に顔を合わせた時は、自己紹介とともに、心からの感謝を伝えさせてほしい。
(どうかその時を、待っていてください――アレン様)
馬車の窓から見える茜色の空に向かい、リリアナは静かな誓いを立てる。
自分を救ってくれた英雄に、思いを馳せながら。
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