19話 森の怒り
ノクシオン領から家へと戻ったあと、私はすぐに両親へと相談した。ウルベルトから正式に婚約の申し出があるだろうことと、この婚約を両親がどう思うかといった内容である。……まあ、結果は目に見えていたというか、分かりきってはいたのだが。
「そうかい、ようやくか」
「ええ。メルアンは少し上位貴族としての振る舞いを学ぶべきよ、良い教師は探してあるわ」
むしろ決定事項だったかのような反応に私は苦笑した。両親は端からその気であったし、私とウルベルトの合意があるなら全く反対する理由はないのだろう。
ちなみにこの話を聞いた弟のオスカーも納得顔で「ああ、あの姉上のことが大好きでたまらない公爵閣下ですね」と言っており、婚約の話など二度と出ないだろうと思っていたのは私だけだったらしい。
「姉上は少し思い込みの強いところがありますからね。こうだ、と思ったら中々自分では気づかないではありませんか」
「……私の悪いところね」
「いえ。そうやって素直に己を顧みることができるので、欠点というほどでは。……ただ他人事にもすぐ首を突っ込もうとする、お人よしすぎるところは心配ですが、公爵閣下が一緒なら守ってもらえそうですね」
十五歳とは思えないほどの冷静な分析には驚かされる。この弟がいれば我が家は将来安泰だろう。大人になれば立派な官吏になるに違いない。
家族は皆、むしろこの婚約を後押しする考えであったため、正式な婚姻を申し込む手紙が届いた後はすんなりと婚約の手続きや、婚約式の準備などが始まった。
そんな中、その事件は起こった。我が家に日参していたウルベルトはその日、珍しく難しい顔で現れて『まずいことが起きた』と言い出した。
「何があったんですか?」
『北部にある、ルクシアの森を知っているか?』
「ええ、勿論。森の王のおかげでとても豊かな自然のある地域ですよね。……そこが何か?」
森の王、と呼ばれているのは古くから存在し、大きな力を持った精霊である。こういう精霊王は各地に点在しており、彼らが治める区域は聖域とも呼ばれ、あらゆる祝福に満ちた土地なのだ。
最も王都の近在にある聖域がルクシアの森であり、数年に一度は王族が直接訪れて、森の王を祀る儀式を行っている。
『どうやら誰かがその森の王を怒らせたらしい。……異常事態が起きている』
「精霊王を怒らせたのですか……!?」
王と呼ばれる精霊は強い力を持っているのだ。それこそ、その一体だけで何百、何千という人の命を奪う災害を起こすことができるほどの力を。
そんな相手を怒らせればただではすまない。森の王の支配区域は大変なことになっているはずだ。
『森の周辺は茨で道を塞がれて入れないうえに、毒を持った虫や蛇が森から出てくる。森を通る川にも毒もちの生物が潜むようになり、水辺に近づけない。……あの一帯は人が住める場所ではなくなった』
「……森の王を怒らせた原因は?」
『禁猟日に森へ入ったものがいるという目撃情報はあるのだが……猟をしたらしき人間も見つかっていなくてな』
現代では精霊の見えない平民も多い。平民の間では精霊に対する信仰も薄れつつあるという。……そのせいなのかもしれない。森の王の禁を破る者が現れたのは。
『私たちで解決してほしいと兄上から頼まれている。そのための助力は惜しまないので、必要なものがあれば何でも用意すると』
「国王陛下直々、ですか。……できるかどうかはともかく、私たちしかいないのは事実です。行きましょう」
『ああ。……無事に解決しなくては、婚約式も執り行えないからな』
ウルベルトにとってはそちらも重大な問題らしい。真剣に呟く彼の姿に、私は少しだけ肩の力が抜けた。もしかすると力みすぎている私を気遣っての台詞だったのだろうか。……本音混じりのようだが。
こうして私たちは北部、ルクシアの森へと向かった。精霊馬車でも約半日、朝に出発して到着するのは日暮れ前という距離だ。
ウルベルトが居れば馬の精に頼んで好きな時に休憩を入れられるので、かなり快適に移動ができる。普段は馬の精の気分次第で休憩が入るので、間隔が空いてしんどいこともあるのだ。今回は特に問題が問題なので、情報が制限されており従者も連れてくることができなかったし、休憩だけでも自由にとれるのがありがたい。
(聖域の異常なんて、事態の把握ができるまで下手に知られるわけにはいかないものね……)
近隣の住民は一か所に集められ、簡易な村を作って住まわせつつ、外部に情報を漏らさないよう出入りを禁じられている。この事態を知っている人間は少ない方がいい。私も両親に詳しくは話せていないが、ウルベルトの様子から非常にまずいことが起きていることは察してくれたようだ。
異性と二人きりの旅行など本来なら許されないことだが、緊急事態とこれまでの仕事と婚約寸前の関係などあらゆる面を顧みて許可された。服装も身軽に動けるもので、自分で着替えられる服を選んでいる。……この仕事のおかげで貴族令嬢らしからぬ行動には随分慣れてきたと思う。
「ここがルクシアの森、ですか……」
馬車から降りた先、すぐにその森が目に入った。絵で伝わるこの森は、淡く光を帯びたような美しい緑の森だった。しかし実際に見たそれは暗く深い、闇のような森に見える。
入る者を拒むように刺々しい茨が森を取り囲んでいるが、こんな植物は見たことがない。毒々しい紫の蔦には大小さまざまな棘が生え、触れる者を傷つけるだろう。しかもその蔦は非常に太いもので、斧で切り付けても断ち切るのは難しそうだ。
『以前に見た時はもっと美しい森だったがな。……さて、どうしたものか。森の王と話すにもこれではな』
「呼びかけても出てきてはくださらないでしょうね。そもそも聞こえる範囲にいるかどうか……」
鳥の鳴き声一つせず、周囲に生物の気配がない。不気味に静まり返った森には動物どころか精霊もいないのではないだろうか。
『王に会うにも精霊の協力が必要そうだな……』
「……呼ぶだけ呼んでみますか? 近くに精霊が居れば話ができるかもしれません」
『そうだな。……誰かいないか! 森の王と話がしたい!』
ウルベルトの声は森の奥へと響いて消えていく。しかし、しばらく待ってみても森から誰かが姿を見せる、なんて都合のいいことはなかった。
『仕方がない、別の方法を考えよう。まずはあの茨をどうにかしたいが……精霊の力を借りられないか? 同じ植物の精霊ならあれを動かせるかもしれない』
「植物の精霊とは何人か知り合いましたが、彼らは土地から動けないものですからね。……むしろ、あの茨を刈り取れるような精霊がいれば……刃物を扱う精霊となると、鉄の精でしょうか。鍛冶場に行けば会えるやもしれません」
『切る、か。たしかにあの茨を切れば前に進めるな』
『あれを切っても無駄だと思うなぁ。すぐに伸びるだろうし、人間じゃ絡めらとられて穴あきになりそうだ。それに茨の先に進んでも、人間に毒になる花粉が飛んでるからやっぱり死んじゃうと思うぞ』
突然会話に参加してきた声に驚いて振り返った。ウルベルトには聞こえていなかっただろうが、私の行動につられたように背後を見る。そこには頭の後ろで手を組んで、ふよふよと浮きながら得意げな顔をした風の精霊がいた。
「……もしかしてこの前の風の精でしょうか」
『お前、私の邸で水の精にいたずらをした風の精か?』
『うわ、それはもう言わないでくれよ。反省してるんだから……』
「間違いないようです。……何故こんなところにいるのかは、分かりませんが……渡りに船、ですね」
この場で知り合いの精霊に会えたのはかなりの幸運だ。彼に頼んで、森の王と話せないか交渉してもらうという手段がとれる。
それを頼んでみようと思っていたら、風の精霊がいたずら小僧のような顔で笑いながらこう言いだした。
『茨と毒の花粉を越えたら先はいつもの森だったし、中に入りたいなら俺が飛ばしてやるよ! 恩人たちには借りがあるし、ちょうどいい恩返しの機会だ!』
「あ、ちょっと待って……ッ!」
私の制止を求める声は精霊に届かない。しかしこの慌てた声は、隣のウルベルトには聞こえている。彼はとっさに私を強く抱き寄せた。
『じゃあ、またなー!』
ドンッと音を立てるような強風。それに突き飛ばされるように私とウルベルトは空へと舞い上がり、そして――上がるところまで上がってから、落下した。
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