17話 梔子の花
邸の中に入ろうとした時、ちょうど雨が降り出した。しかも大粒の強い雨だ。通り雨のようだが、この雨の前に水晶を見つけられなければあの水の精は「雨水になった」かもしれないと思うと、本当に間に合ってよかったと思う。
風の精は室内に入ると姿を見せたので、ウルベルトも『話があるのはこいつか』と納得したらしい。彼の話を聞く前に使用人たちに指示を出す必要があるため、風の精には少し待つように伝えた。
水晶探しをしていた使用人たちに「事件は解決したからそれぞれ休憩するように」と命じ、私たちは応接室へと入った。ユタやウルベルトに付き従っている老紳士は精霊が見える人間であり、水晶探しをさせていたので休ませているところで、代わりにノクシオン公爵家の侍女がお茶の用意などをしてくれている。
『そろそろ俺の話を聞いてくれるのか?』
「……ウルベルト様、話を聞いてほしいと言っているので返事をお願いします。都度、内容は伝えますね」
『ああ、分かった。話を聞こう』
風の精はテーブルのあたりをふよふよと浮遊し、私とウルベルトはソファに並んで座りながら彼の相談とやらに乗ることになった。
『ちょっと悪戯しようとしただけだったんだよ。まさかこんなことになるなんて……』
一時王城の中に閉じ込められていたこの精霊は、しばらくは城のあたりに居て私たちに助けられたことを辺りの精霊に話しまわっていたらしい。そしてもう城中の精霊に話して満足したので、別の場所に行こうとノクシオン領までやってきた。
そこでこの池に住んでいる水の精を見て、一目で好きになったのだという。
「……精霊にも一目惚れがあるんですね。でも水の精が好きなら何故命に係わるような大事な物を盗んだのか、よく分かりません」
『水の精が好きならどうしてあの水晶を盗んだんだ?』
『ちょっと困らせて、すぐ返すつもりだったんだよ。仕方ないって顔で笑うのが可愛くてさ。……俺はまだ生まれたばっかりの風だし、水のことはそんなに詳しくなくて……まさかそこまで大事な物だったなんて知らなかったんだよ』
よく分からなくて尋ねてみたが、風の精霊というのは様々な土地に移動し、あらゆる話を聞いたり、逆に他の精霊に話したりして情報の収集と拡散をする性質をもっているようだ。
だがこの精霊はまだ生まれて間もなく、そこまで多くの情報を持っている訳ではない。水の精霊についても詳しくないため、ちょっとした悪戯のつもりが彼女の命取りになってしまったのだという。
『どうしてすぐ返してやらなかった?』
『だって……すごく悲しんでただろ。あんなに泣いて……俺が盗んだって知ったら、嫌われて恨まれると思った。そう思ったらなかなか返せなくて、どうしようかとウロウロしてたら声の君が居たからびっくりして……気づいたら失くしてたんだよ』
ウルベルトの声が聞こえて驚き、その際に持っていた水晶を落とした。すぐに探したが見つからなくて途方に暮れていたのだと言う。恐らくその時、近くにあった水に引き寄せられたのだろう。それが一輪挿しの花瓶か、それに水を差したジョウロだったのではないだろうか。
『あの水が死んだらどうしようかと思って、俺はすごく怖くて……だからありがとな、助かったよ。あの子にはほとぼりがさめてから会いに行くかなー』
にかっと笑う精霊の顔は無邪気だが、さすがにこれは笑って済ませてはいけない気がする。ウルベルトに頼んで私の言葉を、この精霊に伝えてもらうことにした。
『好きだから、構ってほしいからと悪戯をしたり、からかったりするのは間違っている。……好意はちゃんと伝えるべきで、察してもらおうとするのは怠慢だ。今回のことは正直に話して謝り、今度こそ向き合うべきじゃないか?』
『うっ……でも、嫌われないかなぁ……俺、悪いことした自覚はあるんだよ』
精霊は自分のしでかしたことにちゃんと罪悪感を持っているらしい。今度はしょんぼりと肩を落として見せたので、少し応援してあげたくなった。
『罪悪感があるならなおさら謝るべきだ。それを隠しながらこの先、ずっと水の精と話すのか?』
『……そうだよなぁ……分かった。じゃあ、ちゃんと謝る。……雨が上がったら行こうと思うけど、なんか心細いからお前たちも一緒に来てくれよ、な? 謝るのを手伝ってくれ』
小さな両手を合わせて頼み込まれ、仕方ないと了承する。すると風の精霊は『じゃあ頼んだぜ!』と言って窓際に移動し、外を眺めながら雨が止むのを待ち始めた。
ひとまずこれで休憩できると一息ついたところで、隣のウルベルトの様子がおかしいことに気づく。……何故かがっくりと項垂れているのだ。
「ウルベルト様、どうされましたか? ……お疲れでしょうか?」
『……耳が痛くてな』
「え、耳が……? 医者を呼びましょう」
『そういう意味ではない。……自分の軽率な行動を反省しているところだ』
何やらウルベルトも自己反省をしている最中らしい。あまり声を掛けない方がいいかと思い、そっとしておくことにした。
温かいお茶や甘い菓子でゆっくりと休憩を取り、疲れなども重なって眠気を感じるようになった頃、雨が上がったらしく風の精霊が『さあ行くぞ!』と元気な声で私とウルベルトの服を引っ張り始めた。
「ウルベルト様、行きましょう」
『……ああ』
まだ少し元気がないというか、思いつめた様子の彼を気にしつつも風の精霊についていく。庭に出ると雨上がりで地面がぬかるんでおり、少し歩きづらい。
柔らかくなった土にはまってバランスを崩したところをウルベルトが支えてくれたおかげで泥まみれにならずに済んだ。
『私に掴まれ。……精霊に置いて行かれたくなければな』
「すみません、ありがとうございます」
腕を組むようにして支えてもらいながら風の精霊についていき、池の前まで来た。彼が池に向かって呼びかけると、子供の姿のような水の精霊が顔を出す。
『あら、風の貴方。最近見なかったわね』
『だって、ずっと顔を覆ってただろ』
『ああ……そうだったわ。泣いていて、何も見えなかったんだった』
『……あのな……その…………お前の水晶持って行ったの、俺なんだ。ごめんな……』
私たちは無言で二人のやり取りを見守る。風の精霊は謝りながら水晶を盗んだ理由を正直に話していた。そこまで大事な物だと知らずに、構ってほしくて盗んだこと。どうやって返そうかと悩んでいたら途中で失くして返せなくなったこと。
水の精霊は静かにうなずきながらその話を聞いていたが、次第に風の精霊の方が泣き出してしまった。
『本当にごめんよぉ! お前が死んだらどうしようって、ずっと怖かったよぉ……!』
『まったく、仕方ない子なんだから……』
『うう……何でもするから許しておくれよぅ……』
『そうねぇ……じゃあ、ここに居る私の代わりに、たくさんの場所を見ていろんな景色の話をしてちょうだい。それなら許してあげる』
『うん……うん……どこにでも行くし、なんでも話す……』
水の精霊が差し出した子供のように小さな手を、さらに小さな風の精霊が両手で握った。彼らのやりとりが聞こえていないウルベルトにも、その光景で仲直りできたことは伝わっただろう。
そんな二人の精霊は、雲の隙間から差した光に照らされてキラキラと輝いて見えた。ふと見上げた空には雨上がりの虹が掛かっていて、なんだか私の心もすっきりと晴れたようなすがすがしい心地だ。
「ウルベルト様、虹が掛かっていますよ。綺麗ですね」
『……そうだな。私はお前の方が美しいと思うが』
「……またそういうことを……」
またいつもの冗談が始まった。そう思って見上げたウルベルトの表情が何故かとても真剣で、言葉を継げなくなる。
数秒見つめ合ったまま動けずにいたが、先にウルベルトの紅色の瞳がすっと逸れたので私もつられて同じ場所を見る。視線の先にあるのは庭に咲く梔子の花だった。
「……梔子が、どうかしましたか?」
『ノクシオン家の紋章にも使われている花だ。知っているか?』
「ええ。紋章に使われたということは、ウルベルト様は梔子がお好きなのですか?」
『そういう訳ではないがな。……だが、兄上から教わったことだ』
彼はそっと近くの梔子の花を手折った。その振動で、先ほどの雨で花についていた雫がはじけて落ちていく。その一輪をウルベルトがそっと私に差し出してきた。
『好きな女には花を贈れ、と。……私はお前が好きだ』
その声は、初対面の夜に聞いたような弾んだ声ではなくて。低く、静かで落ち着いているのに、強い熱が込められて、魂に火でも注がれるような音だった。
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