15話 枯れる池


 ウルベルトの治める領地、ノクシオン領は王都の隣にある。緑や水が豊かな美しい街で、観光地としても有名な都市だ。街中に走る大きな水路をゆったりと船で移動できる水の街でもある。

 夏真っ盛りの今、私はウルベルトに招待されて彼の領地にある公爵邸へと向かっていた。しかしノクシオン領は水が多いおかげなのか、街に入ってから王都よりも涼しいように感じられる。


 私は侍女のユタを連れて、家まで迎えに来た王家の馬車に乗り込み、約半日の移動時間を経てこのノクシオン領へとやってきた。精霊馬車でなければ十日はかかる距離なので、こればかりは精霊様様だと思う。


(最近はそこまで嫌い、という訳でもなくなった気がする)


 精霊の吐いた嘘によって偽耳と呼ばれるようになり、精霊を嫌いになった。何故騙されたのか理解できなかったし、それで私がひどい目に遭っても精霊たちは気にしていないのがさらに嫌悪を煽った。

 分からないもの、理解できないものは不気味で恐ろしい。同じ言葉を話していてその声は聞こえるのに、会話のできない彼らは強烈な存在感を放つ不気味な隣人だった。

 だがウルベルトに出会ってから、精霊と言葉を交わせるようになり、人間とは違う彼らの価値観に戸惑ったり、彼らの事情を知って同情したり、今まで知らなかった精霊を知ることができるようになって、少しずつ考えが変わってきたのだ。


(それで……今度はどんな事情があるのでしょうね)


 馬車の速度が落ち始め、やがてぴたりと止まった。目的地に着いたようだ。扉のノックに返事をすれば御者が扉を開けてくれる。

 差し出された手を借りて馬車を降りると、そこにはウルベルトの輝かしい笑顔があった。……なんだかこの光景も見慣れてきたように思う。



『よく来たな。待っていたぞ』


「お招きいただきありがとうございます、ウルベルト様」


『荷物はホテルへ運ばせておこう。……しかし、本当に邸には泊まらないのか?』


「ええ。そこまでお世話になるつもりはありません」



 今回の調査対象はウルベルトの邸。移動も半日掛かりのため、宿泊が必要になる。しかし公爵邸に泊れば例の噂を肯定するようなもののため、宿泊には街のホテルを借りる予定だ。

 ウルベルトには部屋くらい用意すると言われ、両親もそれで構わないと言ったような口ぶりだったがしっかりとお断りした。

 私たちはただの仕事仲間だ。……いや、これ以上にない相棒ではあるのだけれど。ウルベルトももう婚約の話を持ち出さないし、お互いにその気はないはずである。


(国王直々に命じられた仕事があるんだもの。私はもう、修道院に行く必要も結婚する必要もないわ)


 貴族の令嬢で公爵の相談役という役職に就けることは非常に稀だ。そしてこれは、誰かと結婚する以上に確かな身分である。修道院に行かずとも家のお荷物になることもなく、結婚しなくとも堂々と胸を張れる。今まで偽耳と蔑んできた家になど嫁ぐ気になれないし、このままウルベルトと共に精霊の事件と向き合う日々が続けばいいと思っていた。



『では邸へ案内しよう。長時間の馬車は疲れただろうからな、少し休むといい』


「お気遣いいただきありがとうございます」



 ウルベルトに先導されて応接室へと通されたのだが、しかし――やたらと使用人たちの視線を感じる気がする。それも、悪意ではなく非常に好意的な、熱っぽい視線である。

 応接室は品の良い調度品が使われていて全体的に落ち着いた雰囲気で、テーブルの上には一輪挿しの花瓶に飾られた梔子の花があり、その花からほんのりと漂よってくる甘い香りも心地よく、とてもくつろげる空間だ。……しかしやはりどうも使用人たちがそわそわしているような気がする。



「……あの、ウルベルト様。使用人の様子がおかしくありませんか?」


『私の愛しい人が来ることは伝えてあるからな、皆はりきっているのだろう。……ほら。料理人も非常に手の込んだものを用意している』



 使用人がカートを運んできて、お茶と菓子がテーブルに並べられた。三段のケーキスタンドには彩りの美しい軽食とケーキが載せられており、その一つ一つの装飾までたいへん細かく、かなり手が込んでいるのは一目で分かった。張り切っているというのは事実らしい。



「使用人にまでその冗談を? あの噂が消えなくなりますよ」


『ははは』


「笑い事ではありません。これでは良縁を逃し……いえ、ウルベルト様になら縁談はいくつも届くでしょうが」



 その声は聞こえずとも筆談はできる。無口で非社交的なのではなく、また話せない訳でもなく、ただ特別な声を持っていて、それは特殊な能力であることが知られたのだ。

 しかも国王の弟で公爵位、そのうえ類まれなる美貌の持ち主。縁談がこないはずはない。伯爵家以上の家からきっと多くの婚姻話が持ちかけられていることだろう。


(私には来ないのだけど……噂の相手がウルベルト様だからでしょうね)


 偽耳という汚名はそそがれたはずだが、私は縁談の「え」の字も聞いていない。恋人とされているのが公爵であるウルベルトなので、それより低い位の家は遠慮しているのだろう。元々結婚できるとは思っていなかったし、別に構わないのだけれど。



『私の縁談が気になるか?』



 何故か嬉しそうに尋ねてくるウルベルトから、私をからかおうとする気配を感じたために笑顔で首を振った。



「いえ。……ああでも、理解のある奥方でないときっと私たちの噂を気にされますね。私はこれからもこの仕事をしたいですから、それは困るかもしれません」


『……そうか……』



 からかって遊ぼうとしたのに不発に終わったせいだろう、彼は残念そうに呟いた。

 出会った当初からこうして私をからかって遊ぼうとするのは彼の悪い癖である。私も慣れてきたし、ウルベルトが私を怒らせてでも会話しようとする理由も分かったので今なら簡単に流せるけれど。……何故か彼の背後に立ついつもの執事まで残念そうな顔をしているのが気になる。


 そうしてしばらく休憩したのち、屋敷の裏手にある池を見に行くことになった。問題の精霊はずっとその池に居て、動かないらしいのだ。

 裏庭に近づくと誰かのすすり泣くような声が聞こえるようになる。それは酷く悲しげで、胸が締め付けられるくらい悲痛な声だった。

 もしこれが聞こえていたならウルベルトも放置はしなかっただろう。私は自然とその声に駆け寄るように、速足になっていた。



『どこにいったのかしら、どうして見つからないのかしら……ああ、どうして……』



 水が消えて枯れた池の中に透き通る青い体の精霊が立っている。人間の三倍はある、見上げるほど大きな精霊だ。

 彼女は両手で顔を覆っていて、その手から水が大量に溢れて零れ、地面に落ちると足元からその体に吸収されて消えていく。声が聞こえなければ顔を洗っているようにも見えるかもしれない。……しかし彼女はこうしてずっと泣いていたのだろう。



「ウルベルト様。何を探しているのか訊いてください。……とても、可哀想です」


『分かった。……そこの水の精、何を探している?』



 それでこの精霊が泣いていることに気づいたらしいウルベルトの声も真剣そのものだった。声を掛けられた精霊はゆっくりと顔をあげ、こちらを見下ろす。

 光を受けて揺らぐ水面のような瞳に私たちの姿を映すと、彼女は体を折り曲げてすぅっと顔を近づけてきた。



『大事な物を失くしたの。……それがないと、私は水を操れなくて……触れた水をすべて吸って、どんどん大きくなってしまうわ。お願い、助けて』



 ……どうやら今度は精霊の失せ物探しをすることになりそうだ。


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