14話 大事なもの
『カッ! カカカ! お前、聞こえてるなァ!』
特徴的な笑い声。どこにも姿は見えないが、確かにすぐそばから聞こえてくる。これがきっと、メイド姿の精霊が言っていた「笑い声の子」だろう。
「聞こえていると伝えてください、ウルベルト様」
『……彼女にはお前の声が聞こえている』
『カカ。へぇ、それでこっちが声の君か。なるほど、そりゃお前にとっては宝だろうよ。気持ちは痛いほど分かるぜぇ。俺のことが分かる人間だって、コイツだけだからなァ』
精霊は人間と関わりたがっている者も多い。この声の精霊もそのタイプなのだろう。しかし彼の声は人間に聞こえることはない。体を持たない彼は、精霊の声を聞けない人間から認知されないのだ。
(なるほど……それで寂しがっている、か。……でもどうして盗みを?)
寂しいから盗む。感情と行動がうまくつながらなくて謎だった。盗みをしているのはこの精霊なのか、そうだとするなら何故盗むのか。ウルベルトにそれを尋ねてもらった。
『大事なモンを盗まれたら、人間は気付くだろ? 俺がいるってことによ。カカカ! だから人間が大事にしてるモンを盗んでやるんだ。それがたとえ人間でもなァ』
「人に気づかれるために大事な物を盗んだと言っています。……もう気付いたので返してもらえないか、頼めないでしょうか」
『私たちがお前の存在に気づいたんだからもういいんじゃないか? 盗んだものを返してくれ』
『あーそれはどうしたもんかなァ……どうせお前たちがいなくなったら、また忘れやがるだろ。人間はすぐ死ぬからよ。今までもそうだったぜ、聞こえるやつは時々出てくるけどすぐ死んで、みんな俺を忘れちまうのさ』
人間よりもずっと長い時を生きる精霊にとって人の命は儚いものだ。彼は声だけの存在なので、彼が居ることに気づく人間は私のような耳を持つ者だけ。そんな人間は数百年に一度しか生まれず、七十年もすれば死んでしまう。
この耳を持つ人間が存在しない時間、彼は「人の世」に気づかれない。知られない。認識されなければそれはいないも同然だ。
城に住んでいるならなおさら、人間と関わる精霊を多く眺めているだろう。彼はそれが羨ましいのかもしれなかった。
「ウルベルト様。この精霊に……彼を人間が忘れないように、彼が居ることを必ず伝えていくから陛下を帰してほしいと交渉してみてください」
『忘れないようにする、か?』
「はい。文字や口伝で伝えたり、もしくは……城の習慣の一つにするとか」
精霊が見えなくても関わる方法はある。家に代々伝えられている通りに供え物をして、精霊に仕事を手伝ってもらっているような家だってあるのだ。そういう習慣があることで見えなくてもそこに“居る”のだと理解することはできる。
だからこの精霊にも、決まりを作って供え物をする。その代わりに城で何か危険な目に遭う者がいればその能力を使って隠してやるとか、何か手助けをしてくれないか。
ウルベルトからその話を精霊に伝えて貰う。するとけたたましいと表現するしかないほどの大きな笑い声が響いてきて、思わず耳をふさいでしまった。
『カカカッ!! そいつはいいなァ、カカ!! なら絶対俺を忘れるなよ。もし忘れたらまた、人間たちに一番大事にされてる人間を隠すからなァ!』
笑い声がはるか遠くへと駆け抜けるように遠ざかっていく。ふと気が付くと、中庭に様々な物が散乱していた。走り去りながら隠していたものを放り出したかのように、一直線に。
そして私たちのすぐ目の前に落ちていた、丸まった布の塊がもぞもぞと動き出す。その布から見覚えのある顔が出てきた瞬間、変な呼吸の仕方をして喉からひゅっと奇妙な音が出た。
「へ、陛下……!」
『兄上!』
私は慌ててベンチから離れ、地面に膝をつき首を垂れる。国王であるヴォルトが地面に座り込んでいるのに、伯爵家の令嬢でしかない私が高い位置に座っている訳にはいかない。
ウルベルトがヴォルトを立たせようとしているのが視界の端に映る。そんな弟に対し「ありがとう」と穏やかに声を掛けているのが聞こえた。
目の前に手が差し出され、恐る恐る顔を上げる。そこには優しく笑うヴォルトの顔があり、寝間着姿の国王を目にしていいものか困惑し動けずにいた私は「さあ、立ちなさい」という声に反応してその手を取った。……まさか国王陛下に立たせてもらうとは。
「あ、ありがとうございます」
「いいや、こちらこそ助かったよ、ディオット嬢。君の声は聞こえていたからね。弟と協力して私を助けてくれたのは知っているよ」
どうやら声の精霊を通じてヴォルトにも交渉している様子が伝わっていたらしい。それならば私が交渉した内容は知っているだろうし、話は早いだろう。と思っていたら、ヴォルトの方から切り出してくれた。
「先ほどの精霊を子孫たちが忘れないように、何かしらの行事を催してみようじゃないか」
「ありがとうございます、陛下」
「何、いつも弟が世話になっているからね。……ところで弟とは上手くやっているかな?」
『兄上』
ウルベルトの咎めるような声は私にしか聞こえない。しかし兄が弟を心配するのは当然だろう。ウルベルトのような特殊な声を持った弟なら、なおさらだ。ここは私がしっかりと上手くやれていることをアピールし、安心してもらうしかない。
「ええ、ウルベルト様と私であれば精霊と話すことができます。どのような問題でも、二人であれば立ち向かえるかと。ウルベルト様はとても頼もしいお方です」
「……それは、この仕事のことだね?」
「はい。……噂のことならどうかご心配ならないでください、陛下。私は分をわきまえております」
「……そっかそっか、ではこれからもよろしく頼むよ」
にっこりと深く笑ったヴォルトは頷きながらそう言った。国王に仕事を頑張れと励まされたことは、私としても誇らしい。
これからどんな事件を前にしても逃げずに立ち向かって行きたい。ウルベルトと一緒であれば、どんな事件でも怖くないような気がしてきた。
「ウルベルト。私に相談したいことがあるなら今夜部屋に来なさい」
『……了解した、兄上』
「では、皆が私を探しているだろうからそろそろ行くよ。ではまたね、ディオット嬢」
「はい。国王陛下をお見送り致します」
軽く手を振って去っていくヴォルトに向かって礼をし、彼を見送った。しばらくして城の方から騒ぎが聞こえてくるようになったので、帰るとしたらあれが収まってからにしようと再びベンチに腰を下ろした。
『メルアン。……疲れたか』
「はい。でも……陛下を取り戻せてよかったです。ウルベルト様も安心できましたか?」
『ああ。お前のおかげでな』
そう言いながらウルベルトはベンチに座るのではなく、私の前に立った。何かと驚いているとそっと手を取られ、熱を感じるような紅色の瞳で見つめられる。
『兄上は私にとって数少ない理解者の一人だ。攫われたと聞き不安で仕方がなかったが……お前が居てくれたから、冷静でいられたんだ。ありがとう、メルアン』
声に込められた感情が私の魂でも揺さぶるようだった。ウルベルトから強い感謝を感じたせいだろうか、ゆったりとした動作で身を屈めた彼が私の手に顔を近づけても嫌だとは思わなかった。
出会った日のパーティーで同じように手を取られた時は逃げたくなるほど嫌だったのに、不思議なものだ。指先に示された敬愛を、今日はすんなりと受け入れられた。
『……逃げられないのは嬉しいものだな?』
「今は貴方を知っていますからね。……でも、ウルベルト様は逃げようとした時も嬉しそうでしたよ」
『ははは。あれは……お前が私の声を聞いてくれたことが嬉しくてたまらなかっただけだ。何を言ってもお前が反応してくれるからつい、な』
今ならあの時の彼の態度も理解ができる。誰にも聞こえない声で孤独を抱えていたウルベルトが、思いがけず自分の声を聞ける存在に出会ってしまったのだ。驚きと興奮と喜びで、ちょっと昂りすぎたのだろう。……何も知らなかった頃はその好意が理解できずに気味悪く感じたけれど、今は違う。
『そういえば贈り物は届いたか?』
「はい。素敵なティーセットをありがとうございます」
『……ああ。では、手紙は読んだか?』
「いえ、ちょうど読もうとしたところでこの騒動でしたから……」
『そうか。実は次の仕事の相談だったんだが、今日は疲れただろうからしばらく休んでくれ。急ぎでもない』
急ぎではない仕事。精霊の起こす事件で緊急性のないものということだ。家に帰って改めて手紙を見るより、直接聞いた方が早いと思い概要を尋ねた。
『一晩で綺麗に池の水が消えてしまってな。水の精が何かをしているようなのだが……私では聞き取れんからな』
「……あの、もしかしてその池の場所とは……」
『ああ。私の邸だ』
……どうやら次の仕事場は、ノクシオン公爵邸になりそうだ。
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