5話 初めての交渉



 精霊と会話するには、私が精霊の言葉をウルベルトに伝え、ウルベルトが精霊へと語り掛け、精霊が応えたら私がその内容をまたウルベルトに伝える、という手順を踏む必要がある。

 単純に会話できる訳ではないので時間がかかり、さらに精霊と人間では常識が違うため、交渉は難航を極めた。

 


『この子供は家に帰りたがって泣いている。帰れなければ泣き続けるだろう』


『まあ。でも、この子は花を見て笑顔になったのよ。私、花を見て笑う子供の顔が好きだわ! でもここに居ればたくさん花を見られるのに、泣いてしまうの』


『それは親が、家族が一緒に居なくては意味がない。人間の子供は親を求める』


『じゃあ私が親になってあげる! ああ、それとも親もつれてきたらいいのかしら?』



 この精霊には本当に悪意はなく、ただ子供の笑顔を自分が見たいだけ。何が悪いのかが分かっていない。

 子供が花を見て笑った顔を気に入った。だから花を見せて笑わせたい。その欲求を満たすためならなんでもやるというやる気に満ちていて、子供が悲しんでいるなら帰してやろうという考えはない。

 私とウルベルトはこの精霊にどう伝えれば子供を返してくれるのか、非常に悩むことになった。



「……どうすれば帰してくれると思います?」


『精霊の望みは花を見せて笑わせることのようだが……』


「……なら、それが叶わなくなることを伝える方向性がよさそうですね。人間は"飽きる"生き物です」


『ああ、そうしよう』



 話し合って精霊への伝え方を決め、再び交渉に臨む。今のやり方では精霊の希望が叶わないことを教えて、代替案や他の方法を提案してみる。……これで彼女の考えが変わってくれるといいのだが。



『精霊は人間の親にはなれない。親を連れてきても、人間は花ばかりの場所では生活できないぞ』


『まあ、どうして?』


『人間は同じものばかり見ると飽きるからだ。……その子供が花を嫌いになってもいいのか?』


『まあ! それはよくないわ! ……でも、この子が帰ったら、もう来てくれないでしょう? 子供はあまりこの花園に来ないのよ』



 この精霊は人間の子供が好きらしい。ミルセナの花園に訪れるのは確かに成人が多いだろう。彼女はそれを不満に思っていて、子供を攫えばずっとその笑顔が見られると思っていたのだ。……自分が住処を変えて子供の多い場所に移動するのではなく、子供が来たので帰らないように攫うところが精霊らしいといえば精霊らしい考えだ。

 どうすれば彼女の要望を満たし、この子供を無事に返してもらえるだろうか。何かないかと必死に考えた。



「子供もたくさん訪れるような花園になるよう、管理者と話し合ってみるのはどうですか? 親子連れのためのイベントを催してもらうとか、そういう庭も造らせるとか」


『ああ、そうだな。精霊にも話してみよう』



 子供がたくさん訪れるような花園に作り変える。少し時間はかかるが、いずれはたくさんの子供がこの花園で笑顔を見せてくれるようになるはずだ。それを精霊に伝えてみると、彼女はぱっと明るい顔をして手のひらを打ち合わせた。



『まあ! 子供がたくさんくるのね! それはとてもいいことだわ! それなら、泣いてばかりのこの子は返すわね!』



 変わり身の早さというか、先ほどまで執着していたこの子への関心の消える早さに驚き、何とも言えない人との感覚のずれに少し寒気を覚える。

 この精霊はただ、人間の子供の笑顔が好きなだけ。人間の感情を考慮するつもりも、その個人の感情を大切に思ってくれることもない。……やはり精霊と人間は違う生き物だ。できるだけ関わらないのがお互いのためではないだろうか。



『そうできるようにするから、二度とこうして人間の子供を連れて行くな』


『子供たちがたくさん笑っているならいいわ。ああ、でもそれには少し待たなくてはいけないのでしょう? ちょっとつまらないわね。……あ、そうだ、それをちょうだい? 影に花が咲いて美しいわ! それを楽しみながら待つから』



 精霊が差したのは私の日傘だった。これは傘に使われているレースによって、その影はまるで花が咲いたように見える物で自分でも気に入っていたのだが、子供の安全には代えられない。日傘などまた買えばいいだけの物だし、精霊の要求を呑むことにした。



「ウルベルト様、その傘を精霊へ」


『……いいのか?』


「はい。子供の方が大事ですから」



 ウルベルトが日傘を差し出すと、精霊は嬉しそうにそれを受け取った。自分で傘を差し、くるくると回して遊んでいる。……もうこの子供には興味がなさそうだ。

 私たちが見えない何かに話しかけている様子を不安そうに見守っていた少年の手を握り、涙の溜った大きな目を見つめながら頷いた。きっともう、本当に大丈夫だと。



『じゃあ、約束よ。私は楽しみに待っているから』



 瞬きの間に景色が変わっていた。一面の幻想的な花畑から一転、元の場所へと戻されたらしい。道の真ん中に突然現れた私たちを、通りかかった客が驚いたように見つめていた。

 無事に元の世界に戻ってこられた安心感でほっと息をついた時、となりからはじけたように泣き声が上がって驚いた。

 少年は私の手を強く握りながら大きな声で泣いている。怖かっただろうし、元の世界に戻ってきても親の姿がなくて不安なのかもしれない。どう慰めるべきかと迷っていると、ウルベルトが少年を抱き上げた。



『誰にも声が届かず一人で叫び続けるのは恐ろしかっただろうが、もう泣くな。お前は家に帰れる』



 急に抱き上げられたことで驚いたのか一瞬泣き止んだ少年に、ウルベルトが話しかけている。しかしその声は届かない。……私以外には。


(……誰にも声が届かない恐怖、か……)


 少年には精霊が見えていなかった。ただ一人で泣き叫び、助けを求めても誰にも届かない。さぞ恐ろしい体験だっただろう。

 そしてウルベルトはその気持ちが分かるのかもしれない。誰にも声が届かない、その苦痛と恐怖を知っているから、なだめるように少年の背中を叩くその手が優しいのだろうか。



「……貴方は今から家に帰れるの。もう泣かなくていいわ」

 

「……かえれる……」


「ええ。家に連絡して、迎えに来てもらうわ。それまで一緒に待っていてあげるから」


「……うん……」



 その後は管理者のいる事務室へと戻り、エーケフ商会に連絡を送ると一時間もしないうちに迎えが来た。両親が揃って慌ててやってきたようで、息子の姿を見ると二人でしっかりと抱きしめてその無事を喜んでいた。



「ありがとうございます、ありがとうございます……まさか、貴族の方にここまでしていただけるなんて、何とお礼を申し上げてよいか……っ」


「ええ、本当に。……どのようなお礼をすればよいのか、ご教授願えますか」



 母親は息子を離さないように腕の中に閉じ込めて泣いている。先に冷静になった父親の方が謝礼についての話を出した。

 謝礼を求めてしたことではないし、この仕事に報酬を受け取っているのかどうかも分からない。ウルベルトはどう応えるのかと思ったら、彼はこくりとうなずいた。



『花園の改造には資金が必要だろうからそれを手伝ってほしい。それから最高級の日傘を一つ』


「……この花園の精霊は、子供の笑顔が好きなようです。可能なら花園の改築のために寄付をお願いできればと。子供がたくさん訪れる花園になれば、もう同じことは起きないでしょう」 



 ウルベルトの口ぶりから察するに、これは謝礼を受け取るような仕事ではないらしい。国王から任されている仕事のようなので、公共事業のようなものであり、報酬は国から支払われるのだろう。……どう考えても日傘は余計だったので伝えなかった。



「……ええ、そういうことなら、そうさせていただきましょう」



 エーケフ商会のトップであり、子供の父親である男性は笑顔で頷いた。しかしその目は笑っていない。内心では愛しい我が子を攫った精霊に思うところがあるだろう。それでもこの要望に頷けるのが貴族を相手にできる商人といったところか。


 両親に手をつながれて帰っていく子供を見送って、仕事をやり遂げたという実感が湧いてきた。関わる気などなかった仕事だが、自分にできることがあるのに困っている誰かのことを放っておくのは私の性格上不可能である。

 ならば今回のように遠回しに無理やり連れて来られるのではなく、自分から協力した方がいいと思えてきた。


(……この人も……きっと悪いだけの人ではないのよね。優しいところもあるみたいだし)


 泣き叫ぶ子供を抱き上げてあやしていた姿を思い出す。今日一日を共に行動したが、悪態もついていなかった。おかげで居心地悪い思いもしなかったし、むしろ精霊と対峙する時は心強く感じたほどだ。

 一人では精霊の要求を呑むしかできない私は、ウルベルトと居る時だけ彼らと交渉することができる。そしてそれは、ウルベルトにとっても同じだろう。

 どちらも一人では欠けた力。しかし合わせれば、他の誰にもできないことができるようになる。その力を使って誰かの笑顔を取り戻せたことに、誇らしさがないと言えば嘘になってしまう。



「ウルベルト様。……他にもお手伝いできることがあるなら、お手伝いいたしますよ」


『ああ、それはよかった。……ではこれも渡しておこう』



 今後、精霊の起こす問題があれば手伝ってもいい。そう思えた私だったが、ウルベルトから渡された高級な羊皮紙に書かれた文を見て小さく震えた。

 そこには国王直筆で、私をウルベルトの相談役に任命することが書かれており、つまりそれは、王命で私が彼の仕事を手伝うことを定める命令書のようなもので。



『お前が自分の意志でやりたいと言い出してくれてよかった。これで脅さなくて済む』


「ちょっと、前言撤回したくなるようなことしないでください……!」



 私の意思がどちらであっても逃げられないよう根回しをされていたことを知り、ふつふつと怒りが湧き上がる。だがウルベルトは私の怒りなどもろともせずに笑っていた。



『ははは。そうやって怒る顔も可愛いじゃないか』


「そういうことを言うのもやめてくださいますか……!?」


『悪態を吐くよりいいだろう? お前が望んだことだ』


「私は普通に話してほしいだけなんですが……!?」



 こうして私は口無し公爵ことウルベルト=ノクシオンの精霊事件解決を手伝う、相談役となった。……釈然としないが、そうなってしまったのである。

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