6話 誰もいないはずの部屋
「お嬢様、素敵な傘ですね。アクセントになっているラーレがとても可愛いです」
精霊が見える若い侍女、ユタはウルベルトから贈られてきた傘を見ながらうっとりと呟いた。精霊へ渡した傘の代わりにと贈られたものである。仕事で失ったのだから気にせず受け取ってほしいとのことだ。
傘を開くと内側に美しい刺繍が施された、とても凝ったデザインの傘だ。他人に見せる外側とは別に、自分だけが見ることのできる景色。ほとんど白い糸で刺繍されているのに、ラーレの花が一本だけ薄い赤の色で刺繍されていて目立つ。以前、ウルベルトが持ってきた花束のラーレも赤色だったのでそれを思い出した。
「お嬢様、ラーレの花言葉をご存じですか?」
「いいえ、そういうのには興味がなかったから」
「ラーレは本数で意味が変わるんですよ。1本のラーレは"あなたが運命の人"です。公爵様はお嬢様を愛していらっしゃるんですね」
ユタの言葉で私はふと、あの時の花束を思い出す。精霊に一輪を盗まれて、ウルベルトがとても落胆していた花束だ。残されたのは10本のラーレで、本来は11本あったはずである。
「……ちなみに10本だとどういう意味になるのかしら?」
「10本だと意味はないんです。9本なら“いつも一緒に”、11本なら“最愛”って意味がありますけど」
11本のラーレの花束に意味があるのなら、メッセージカードに書かれていた【私にとっての貴女】という一文の意味も変わってくる。
そうして次に贈られたこの傘の裏側の一本は、精霊に奪われた“11本目”なのか、それとも1本そのまま意味なのか。どちらと取られてもいいと思っているのかもしれない。……時間差で彼の意図したものを理解させられて、なんだかじわじわと恥ずかしくなってきた。そういう気障なことはしないでほしい。
「……この傘は使えないわ。しまっておいて」
「……こんなに素敵なのに、ですか……?」
「主人に口答えしてはだめよ、ユタ。場合によっては折檻されるわ」
「はい、申し訳ありません」
ユタはまだ未熟な侍女で、私は母から彼女をよく教育するようにと専属につけられた。
令嬢が嫁ぐ時は実家から専属の侍女を連れていくものだ。今までの私は社交界での立場もなく、まともな家に嫁げそうもなかったので、専属につけられた侍女の未来もつぶしてしまいかねないと特定の侍従を持たないようにしていたのだが、最近はウルベルトと親しいせいか「教育」という名目でユタを専属にされてしまった。母の思惑が透けて見える。
(……ウルベルト様はそこまで酷い方ではないようだけど、やっぱりいろいろと腹が立つのよね)
まるで外堀でも埋めるように両親を取り込み、噂の立ちそうな花園に連れ出し(これは現場なので致し方ない部分もあるが)、王命まで使って逃げられないようにした。しかも本当に行動が早い。それを有能とみるか、狡猾とみるかは人それぞれだろう。私は文句を言いたい。
(結婚に恋愛感情は必要なくても、信頼関係は必要よ。一生を共に過ごすパートナーなんだから)
だまし射ちのようなことばかりされて、信頼も何もない。もっと誠実な手段をとってほしいものだ。……贈り物には誠実さが見えるのに、何故他のことは裏から手を回すようなやり口なのか。
「お嬢様、今日は王城へ行かれるのですよね?」
「ええ」
「ノクシオン公爵様に呼ばれて、ですよね! おしゃれしていきましょう!」
「……ただの仕事よ。張り切らなくていいわ」
「でも……っあ、すみません」
先ほど注意されたばかりのユタは慌てて口を閉じた。そう、今日は王城へと呼び出されている。しかしもちろん、恋人同士の逢瀬などではない。
実は王城のとある部屋から異音がするのだという。それも封鎖され、使用していない二部屋から。皆気味悪がって近づかないし、重要な資料が保管された部屋もあるため調べようにも下手な人間も入れられない。ということで白羽の矢が立ったのが王弟のウルベルトである。そして助手の私も当然のごとく呼び出されたという訳だ。
この事件を手伝ってほしいという内容のウルベルトの手紙の端に「よろしく頼む」と別人の筆跡で一言添えられており、それが以前ウルベルトに渡された勅命書によく似た筆跡だったことに気づいたときは背筋が寒くなった。……断れるはずもない。
「できました!」
「……ねぇ、私の話を聞いていたかしら」
「はい! でも私は侍女としてできる限りの力を尽くす義務があります!」
考え事をしている間に化粧や髪型のセットが終わっていた。その鏡に映った自分が、普段の二割増しくらいには凝った髪型で愛らしい顔立ちにメイクアップされていることに気づき、それに言及して見ればこの返答だ。……この侍女、教育が必要な新米の割にはしたたかである。
しかしよく考えてみれば、王城に行くならそれなりの恰好をするのが妥当だ。ウルベルトに会うからではなく、城に行くからめかしこんだのだと思うことにした。
呼び出されたのは王城の中でも人気のない東側の塔の前。ここにある倉庫と別の場所にある資料室の二部屋から異音がするらしいのである。ユタと共にその塔の前に立ち、どことなく不気味な雰囲気を醸し出す扉を見つめた。……今のところその異音というものはしない。
『メルアン』
「ウルベルト様。ごきげんよ、う……本当にご機嫌よろしいですね」
聞き間違えようのない美声に名前を呼ばれて振り返ると、あまりにもまぶしいウルベルトの笑顔が目に入る。今日は顔を隠す面をつけていないせいか非常にまぶしい。
その後ろには前回花園に連れてきていた従者ともう一人、見慣れない人物の姿もあった。
『お前に会うのに機嫌が悪いはずがない。……これが仕事でなければもっと嬉しかったな』
「仕事でなければ来ませんが」
『ははは。……紹介しよう。記録係として同行する、書記官のゼアスだ』
仕事とはいえ密室に男女二人きりという状況は外聞が悪い。だからこそ記録係も派遣されたのだろう。城勤めの書記官が共に居るなら間違いなど起きようがない。記録係として同行する場合、彼らはすべての会話や行動を記し、それは信用される記録となるからだ。
「ゼアス=ノートンと申します。よろしくお願いいたします、ディオット嬢」
「こちらこそお願いいたします、ノートン様」
ゼアスはとてもやさしそうな顔をした中年の紳士で、丸い眼鏡の向こう側の青い瞳は柔らかく笑って私を見ていた。……他人からは大抵、偽耳令嬢として嘲りを込めた目を向けられる。こんなに好意的な目でまっすぐ見つめられると、落ち着かずにたじろいでしまう。
『事件の概要は送った資料の通りだ。目を通したか?』
「ええ、もちろん。……お仕事ですから」
『ならば話が早いな。この倉庫と――』
その時だった。突然、頑丈な錠によって閉じられた倉庫の扉が内側から激しく叩かれるように揺れ、中で何かが暴れまわっているかのようにドタンドタンと大きな音がし始めた。
隙間風が入り込んで聞こえるような音ではない。明らかに「何か」がいる。
『……このような音がこの倉庫と、中央地下の資料室からするわけだ。まずはこちらから調べようと思うのだが少し待った方がよさそうだな』
「そうですね、さすがに今この扉を開ける勇気はございません」
扉の向こうで起きている未知の事象。おそらく精霊の仕業だろうが、その理由は分からない。暴れまわる精霊の暴力に巻き込まれる可能性だってある。
ユタなどすっかり怯えて青くなっているし、ゼアスも引きつりそうな顔をしながらこのことを記録していた。……ウルベルト主従はとても涼しい顔をしているが。これが経験値の差だろうか。
『お前でも怖がることがあるのか、可愛いじゃないか』
「ッ……ですから、そういうことを言うのやめていただけませんか?」
『どうせ他の者には聞こえていないだろう?』
「聞こえていなくてもやめてくださいっ」
聞こえなければ恋人同士のように甘い言葉をかけてもいいなんてことはない。結局私には聞こえているので妙にむず痒いし、からかわれているようで少し腹も立つ。
そんな私の反応を見て恐怖が薄れたのか、むしろ微笑ましそうな顔をするユタとゼアスのせいでさらに居た堪れなくなる。……私はもう、この音が早く鳴りやむのを祈ることしかできなかった。
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