4話 花園の迷子


 ミルセナの街にある花園は貴族街と平民街の間に作られている。区域は分かれているが貴族と上流階級の平民が訪れる場所だ。

 高い生垣に囲まれた迷路もあり、恋人たちが人目を忍んで会う場所としてもよく使われる。子供ならば隠れる場所も多いだろう。……ただ、今回消えた子供は親の目の前で突然いなくなったため、迷子ではなく精霊の仕業と判断された。



『いなくなったのは貴族御用達の服飾品を扱うエーケフ商会の息子でな。庭木をすべて刈り取ってでも子供を見つけるように命じられて、花園の管理者が困り果てている』


「……言っておきますけれど、親子の気持ちと管理者の方のために協力するのであって、精霊と関わるのは二度とごめんですからね。これきりですよ」


『はは。それは構わないが、お前はきっと困っている人間を放っておけない。……だから今日、この場に来たんだろう』



 今日も今日とてウルベルトは機嫌が良さそうだ。私たちはそれぞれ一人の従者を伴い、並んで歩いている。隣を歩きたくはないのだが、そうでなければ会話ができないので致し方ない。

 ちなみに連れてきた従者は花束を任せようとして精霊に仕事を奪われた若い侍女だ。彼女は珍しく精霊が見える平民のため、精霊探しの役に立つかもしれないと思っての人選である。ウルベルトの従者は落ち着いた雰囲気の老紳士だが、精霊が見えるかどうかは知らない。


 現在私たちは平民側の区域を捜索している。貴族の区域だと立体的な造形に凝っているが、平民のための地区は広々とした花壇に同種を植えたりグラデーションを作っていることが多いようだ。それでも花の美しさが目を楽しませてくれることには変わりない。これはこれで趣がある。


(……こちらの区域なら他の貴族がいない分、まだいいかしら)


 私は今日の正午、苦々しい気持ちを抱えながらミルセナの花園を訪れた。すると顔の半分を隠していても美麗さを隠しきれないウルベルトが、花園の前で堂々と立ち訪れた人々の注目を集めていたのである。

 そんな彼に愛しい待ち人と言わんばかりの笑顔で迎えられた私は顔が引きつりそうになった。日傘を差した上に薄いレースで顔を隠していなければ、あの偽耳令嬢が口無し公爵と逢引していたと噂になったことだろう。……顔を隠して来て正解だった。



「ウルベルト様、申し上げたいことがあります。……二度と今回のように、騙し討ちするようなやり方はおやめください。はっきりと最初からこの事件の内容を伝えてくださればいいではありませんか。私がカードに気づかなければどうするおつもりだったのですか?」


『お前に断られるのが楽しくてつい、な。それにお前がカードに気づかずとも、片付ける際に使用人が気付く。そうすれば必ず主人に確認するだろう? どちらにせよお前には伝わり、ここに来たはずだ』



 たしかにそうだ。どちらにせよ事件の内容を知ってしまったら、私は行方不明の子供を放っておけなかった。

 だが何故ウルベルトにそれが分かったのだろうか。平民の子供などどうでもいいと放っておく貴族だって多いはずだ。



「……もし私が平民の子供を放っておくような人間だったら?」


『社交パーティーの時、皆の前でわざわざ私の口の悪さを指摘したのは他の令嬢のためでもあるだろう? それほど正義感の強いお前が、精霊のせいで帰れなくなった子供を放置するはずがない』



 全くその通りなので黙り込んだ。ウルベルトとそう多く言葉を交わした訳ではないのに、何故彼は私の性格をある程度把握しているのだろうか。


(いえ、私もある程度は分かっているわね。この人は口が悪くて性格もひねくれているわ。私が断れないのを分かっていて、こんなやり方で巻き込んで……やっぱり腹が立つわね……)


 私が手伝うのは子供とその家族と美しい花園の管理人のためであって、決してウルベルトのためではない。その辺りは勘違いしないでほしいことを伝えたら、彼は嬉しそうな顔で笑うだけだった。



『私はお前とこうして話ができるだけで満足だからな。お前の行動が私のためである必要はない。私が手伝いを持ち掛ければ、お前はまた他人のために来るだろうから、それでいい』



 ウルベルトは私に求婚し、私に愛を囁くと言っていた。しかし彼から感じるのはそういう類の愛情ではない気がする。

 どうやら彼は私との会話を楽しんでおり、話ができるならその内容は何でもいいと考えているのではないだろうか。それは愛でも恋でもない。……まるで親に話を聞いてほしい子供のような。


(ウルベルト様の声は、精霊の声。……なら、親にも聞こえなかったはず。そして……精霊と話せる訳でもなかったのよね……?)


 私はその瞬間にようやくバラバラだった情報が頭の中で組み合わさった。精霊とも話せないのなら、彼は本当に私以外の誰とも会話ができないのだ。文字を覚えるまでの幼少期の時間は、どれほどの孤独だっただろうか。……性格がひねくれるのも致し方ない気はしてきた。だからと言って他人に悪態を吐いていいはずはないが。



『ああ、精霊がいるぞ。話を聞いてみるか』



 ラーレの花畑の中に佇む精霊を見つけた。体中に花を咲かせているので花の精と呼ぶべきか。女性体で、儚げな美しさを醸し出している。

 ウルベルトのつぶやきに反応したのかこちらを見たその精霊は、目が合うと獲物を狙うハヤブサのような勢いでこちらに飛んできた。……植物の精霊は身軽で素早い動きをすることが多いので、驚かされる。



『助けて! 貴女、私たちの声が分かる噂の人間じゃない? 聞こえてるなら助けて、子供の様子がおかしいの!』


「助けて……?」


『……何を言っている?』



 普段なら一方的に精霊の要望を聞くことになるのだが、今はウルベルトが共に居る。精霊と対話を試みることができる、という状況に少しだけ希望が見えた。

 私が精霊の言葉をウルベルトへ伝え、ウルベルトが精霊へと話す。一手間掛かるとしてもそれができるのとできないのとでは大きく違う。

 


「子供の様子がおかしいから助けてほしいと言っています。その子供が例の子供か訊いてみてもらえますか?」


『助けてほしい子供というのは、人間の子供か?』


『そうよ、泣いてばかりで笑ってくれないの。私はあの子の笑顔が見たいのよ。どうしたらいいのかしら?』



 どうやら行方不明の子供で間違いなさそうだ。子供が泣いているのは分かるのに、何を言っているか分からないからどうしようもなくて助けを求めに来たらしい。

 精霊と人間の価値観は違う。子供が家に帰りたがっていることが、この精霊には分からないのだろう。



「子供を笑わせたいのに泣いてばかりいるから困っているそうです」


『それは…………まずは案内してくれるか? 私たちならその子供の話を聞ける』


『分かったわ、ついてきて!』



 私とウルベルトは精霊に手をがしりと掴まれた。そして強く引っ張られ一歩を踏み出した途端、景色ががらりと変わる。

 そこは美しい花畑だった。しかし花園の物とは違う。見渡す限りに色とりどりの花が咲き乱れ、風もないのにふわりふわりと花びらが舞う不思議な空間だ。……明らかに異空間、精霊たちの世界だろう。



「帰りたいよぉ……おかあさん……おとうさん……けほっ……」



 遠くからかすかに聞こえた声に視線を向ける。その花畑の中にしゃがみ込んでいる少年を見つけた。泣きすぎたのか声は掠れており、体を丸めて咳き込みはじめたので喉も傷めているかもしれない。私が少年に駆け寄るより先に素早く精霊が彼の元へと飛んで行った。



『まあ大変! また様子がおかしいわ! 治してあげなきゃ!』



 精霊は己の手のひらを小さな背中に当てる。ぼんやりと少年の体が光ったと思ったら、泣き声に元気が戻り、かれた声も子供特有の甲高い音に戻った。どうやら花の精霊の中でも薬草系のもの、治癒を得意とする精霊だったらしい。その口ぶりから察するに何度も子供を治療しているようだが、しかし。


(これではある種の拷問では……?)


 傷つく度に治されて、また泣き叫んでも同じことの繰り返しで、気絶することすらできないのではないか。日傘を放りだしてスカートの裾を持ち上げて走り、私もようやく少年の元にたどり着いた。



「もう大丈夫よ、助けに来たわ」


「……だ、だれ……?」



 少年は声を掛けられてようやく私の存在に気づいたようだ。私はその子を安心させるためベールをあげて顔を見せながら微笑んだ。

 本当は、まだ彼を助けられたと確信している訳ではない。私たちもこの異空間に連れて来られた以上、精霊の同意なしには出られないから。


(でも今ならウルベルト様がいる。……対話が、交渉ができるわ)


 普段は一方的な精霊の要求を呑むばかりで何もできない。そんな状態で精霊と対峙するなんて恐ろしい。しかし「耳」と「声」が揃っている今なら話は別だ。

 必ずこの子供を家へ、親の元へ送り届ける。そう決意しながら、子供の傍にぴったりと寄り添う精霊を見つめた。

 人間の道理を何も知らない精霊は、子供がひとまず泣き止んだことに喜んでいる。……本当に、道理を知らないだけで彼女に悪意はかけらもないのだ。



「ウルベルト様、仕事の時間ですよ」


『ああ、お互いにな』



 私の傘を拾っていたらしいウルベルトが、そっと私に日傘を差した。この空間は全体が明るいので遮る日光はないけれど、ほんの少しだけ作られた影にどことなく守られているような気がして、心強かった。


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