3話 断り難い依頼


 その日、ウルベルトはわざわざ王族を示す紋章入りの馬車に乗り、堂々と我が家にやってきた。腕にはラーレの花束を抱き、輝かんばかりの笑顔を隠す仮面もなく、太陽の光に照らされた銀の髪も合わさってあまりの眩しさに目が潰れそうだったため、正面扉から入ってきたその姿を見た途端踵を返したくなる。

 伯爵家に公爵閣下が訪れるのだ。両親と共に出迎えるのが礼儀なのでもちろん逃げられないが、私の思考を察したのか母からしっかりと腕を組まれて捕まえられた。……さすがの私でも本人を前にして逃げないのに、信用が足りない。



「ディオット家へようこそ、ノクシオン公爵。フィリップ=ディオットは貴殿を歓迎いたします」


『急な来訪を許して頂き感謝する、ディオット伯爵』



 ウルベルトが口を動かしているのはフィリップにも見えている。だがその声は聞こえない。父も笑顔ではあるが少々困った雰囲気を醸し出しているため、私は不本意ながらも間に入ることにした。



「急な来訪を許して頂き感謝するとおっしゃっていましたよ」


「ああ、こちらこそ。閣下のお声を聞くことができず、申し訳ない」


『いいや。……これが聞こえる貴殿の娘が特別なのだ。これ以上にない出会いに感謝している。今日も会えて嬉しいぞ、メルアン』



 明らかに挨拶以上のことを話したウルベルトの言葉を訳すように両親と本人から目で指示された。こんな言葉を訳して伝えるなんてただの苦行なのだが。

 しかし私より立場が上の三者から要望の視線が集まっては拒絶することもできず、渋々彼の言葉を繰り返した。……カリーナが「まあ」と嬉しそうに声をあげ、口元を扇子で隠す。こういう反応をされるだろうことは予想内であったし、だからこそ嫌だったのだが。


(このまま両親と話されたらなんだか……気づいた時には婚約が成立していそうだわ。早く引き離さないと)


 両親は高位貴族であるウルベルトに嫁げるならそれが娘にとっての最大の幸せだと考えている。これでウルベルトが両親に対し好青年のような姿を見せ続けたら、いつの間にか知らないところで婚約の手続きを進めるなんてことも起こり得るだろう。

 貴族の娘の結婚は、親次第だ。私のように悪評があり嫁ぎ先を選べなそうな娘にとって今回の話は本来幸運でしかない。両親からしても、私がこの話を嫌がることが理解できないのである。


(嫌なものは嫌なのだから仕方ないじゃない。……あの声で紡がれる暴言が、とても苦手なのよ)


 おそらくこの感覚は私にしかないものだ。ウルベルトの声と私の耳が特別だからこそ起きた現象。彼の声は魂に響くように感じる。だからこそ否定的な言葉は魂に響くように苦しくなってしまい、二度と耳にしたくない。

 最初に聞いたのが否定する言葉だったからこそ、その後どれほど好意的な言葉を掛けられても、受け入れがたいのだと思う。……つまり、第一印象が悪すぎたのだ。植え付けられた苦手意識はそう簡単には消えない。



「公爵様、二人で話したいことがございます。庭に席を用意しておりますので、そちらへどうぞ」


『ああ、お前と話すために来たからな。……それと、ウルベルトと呼べ。私も名前で呼んでいるのに、不公平だろう』


「……承知いたしました、ウルベルト様」



 不公平も何も私と彼の関係は最初から対等ではない。彼は国王の弟で公爵、私は社交界からつまはじきにされた名前に傷のある伯爵令嬢だ。

 あとは若い二人でと言わんばかりに両親から送り出され、ウルベルトを庭へと案内した。春の花が咲く庭園の東屋にティーセットが用意されている。数人の使用人が控えてはいるが彼らは平民なので、貴族からすればこれは男女二人の逢引とみなされるだろう。このお茶会が誰にも知られることのない家の中で本当によかった。



『この花を飾りたいんだが』


「……そこの貴女、この花を……」



 ウルベルトが持ってきた花束を使用人に飾らせようとしたのだが、私が命じるより先にその花束は取り上げられた。しかも取り上げたのは、庭に住んでいる植物の精霊である。

 細身の女性に近い姿で季節の花を纏ったような精霊は、テーブルの上に蔓のようなものを出現させると花瓶替わりにし、花束をうまく活けて飾った。それが終わると一輪だけを自分の頭に差し、一瞬で消えてしまう。

 声を掛けた使用人は仕事を奪われて固まっており、私も突然の出来事をただ茫然と眺めていた。その後ウルベルトの深いため息で我に返り、使用人には改めてお茶を淹れるように命じる。



「……そこの貴女、花はいいからお茶を淹れてくれる?」


「っはい……!」



 精霊の飾った花を挟んで私とウルベルトは向かい合わせに席に着いた。少し落ち着かない様子の使用人がお茶を淹れ終わり、会話の聞こえない距離まで離れたところで話を切り出す。先ほどの精霊の行動を見て思ったことだ。



「……ウルベルト様の声はやはり、精霊に聞こえるのですね。口にしただけで願いを叶えるなんて」



 私とは大違いだ。彼らは私の要求を受け入れてくれたことなどない。いつも一方的に自分たちの要求を押し付けてくる。

 ウルベルトと精霊の関係は、私よりもずっといいものなのかもしれない。少しその声がうらやましくなった。



『私は精霊ではなく使用人に命じたかったんだが……奴らはいつも勝手に報酬を取っていく。この花はすべてお前に贈った物なのに一輪盗まれた。おかげでいい気分が台無しだ』



 そういえばウルベルトの様子が今までで一番落ち着いている、というかむしろ落ち込んでいるように見える。伏し目がちになると長い睫毛が瞳に影を落とし、とても物憂い気だ。



『この菓子を持っていくのだろうと思っていた。……止めればよかったな。精霊は何を望むか全く予想できん』



 男性には敬遠されがちなはちみつたっぷりで甘みの強い焼き菓子を口に運びながら彼はぼやく。ウルベルトとしては報酬にこの菓子を差し出すつもりだったのだろう。精霊は話を聞く前に消えてしまったので、それは不可能だったが。



「前もって精霊と交渉すればよかったのでは?」


『あちらの声は私には聞こえないからな、会話にはならん。予想外の方法で願いを叶えたり、渡す気のないものを持っていかれたりすることも多い』



 意外な返答に驚いた。ウルベルトには精霊の声が聞こえているのだと思っていたが、どうやら違うらしい。彼と精霊のコミュニケ―ションもまた一方的で不便なものであるようだ。

 その声をうらやましいと思っていたことに少しだけ罪悪感を覚えた。……知らないことまで決めつけるのはよくないことだ。私は彼に悪印象を持っていて、穿った見方をしていた事に気づき反省している。私は彼の言動を悪いようにしか捉えられなくなっていたようだ。



『全く精霊というものは…………』


「? どうされました?」



 何かを言いかけたのに己の口を慌てたように手で塞ぐウルベルトの行動に首を傾げる。彼は軽く眉を寄せながら、小さく息を吐いた。



『……いや、悪態ではなくお前への愛を口にするんだったと思ってな。しかし癖というものは簡単には抜けない』


「それはそうでしょう。聞こえないからと聞かれてはいけないようなことを言い続けてきたせいですよ」


『逆だ。……誰かに聞こえればいいと思っていたんだ』



 それはどういう意味だろう。ばつが悪そうに漏らされた言葉の意味を考えてみてもやはり理解できない。……それだけ、私は彼を知らないのだ。まあ、他人を罵しる言葉を聞かせたい理由なんて想像できるはずもないが。



『そうだ、交際の件だが』


「お断りします」


『……話を遮られるのは新鮮だな。だがまあ、最後まで聞け。お前が嫌なら無理に関係を迫る気はない』



 これもまた意外な話で、私はついウルベルトをじっと見つめた。自分勝手な彼なら私の意思を無視して強引にでも話を進めるかと思っていたのに、意外と他人を思いやる気持ちも持っているのだろうか。


(……この人、本当はどういう人なんだろう)


 精霊の声を持つ公爵。しかしその能力は私が思っていたほど便利でもないらしい。ならば私がこれまで抱いていたイメージ像とは少し違ってくる可能性もある。悪態も、聞こえないから好き放題言っていた訳ではないと訳の分からないことを言っていた。……まだすべてを判断するには早いのかもしれない。



『私がお前との交際を望んでいるのは事実だが、お前にその気がないなら無理にとは言わない。ただ、私の仕事を手伝ってほしいと思っている』


「……仕事、ですか?」


『精霊との関係は利益ばかりを生むわけじゃない。問題も起きるのは知っているだろう? 私はそれを解決するよう、国王から命じられている』



 ただの伯爵令嬢に手伝える公爵の仕事などないと思っていたら、彼は精霊関連で特殊な仕事を任されているようだ。たしかに先ほどのように、彼の声に従う精霊の姿を見れば国王がその仕事を任せたくなるのは分かる。

 だがウルベルトによれば交渉ができるわけではない。彼には精霊の声が聞こえていないから。……そこまで考えてピンと来てしまった。

 


『実は困りごとがあってな、それを解決したい。お前の力を貸してほしい』


「嫌です」


『……これも嫌なのか?』


「私は精霊が嫌いです。……精霊のせいで、不名誉な二つ名をつけられたのですから。関わりたくありません」



 自ら問題を起こす精霊に関わりたいはずがない。しかも、苦手意識を持っているウルベルトと共にその仕事に取り掛かるなんて、精神的負荷が重すぎる。

 たしかに長く共に過ごせば彼についての考えも変わるかもしれない。今日だけでも少しは見方が変わった。しかしそれでもまだ、苦手だと思っていることに違いはないのだ。



『その二つ名も、私と共に仕事をすれば払拭できるかもしれないぞ?』



 ……その言葉には少し揺れた。偽耳という汚名を返上できる可能性はかなり魅力的だ。

 だが、本当にそれは可能なのだろうか。私だってウルベルトが精霊の起こす問題を解決していることは知らなかったし、他の者の耳にも入らないのではないか。苦労に見合わず、無駄骨に終わる可能性はないか。その間にウルベルトと共に行動していることを噂され、結婚から逃げられなくなるのではないか。

 ぐるぐると考えを巡らせ悩み、しばらくしてから絞り出すようにもう一度「お断りします」と呟いたが、ウルベルトは低く笑っていた。



『考えが変わるかもしれないからな。もしその気になったなら、明日、正午にミルセナの花園へ来てくれ』


「何を勝手にっ……行きませんからね」


『その花束にはあの花園でもちょうど見頃の花を使った。あちらの方が見ごたえがあるぞ』


「だから、行きませんってば……!」



 ミルセナの花園は恋人たちの逢引スポットとして有名だ。そんな場所に異性と二人で居るところを見られれば、恋人だと噂されてもおかしくない。

 私の意思を尊重するようなことを言いながら、やはり周囲の認識から固める気ではないか。それからしばらく押し問答を続け、最後まで断り続けたのにウルベルトは嬉しそうな笑顔のまま帰宅していく。

 彼を見送った後、庭でティータイムをやり直し甘いものを食べて気分を変えようと思ったが、そこに彼の持ってきた花束が残っていたことをすっかり忘れていた。


(これ、捨てさせたら怒られるかしら……枯れるまで飾っておくの?)


 精霊によって飾られた十本のラーレの花束を忌々しく睨んでいた私は、そこにメッセージカードが残されていることに気が付いた。


(……どうせ愛の台詞でも書いてあるんでしょうね)


 燃やす前に一応何が書いてあるか確認しようと手に取って、読み終えたそのカードを握りつぶした。……結論から言えば私は明日、花園に行くだろう。行かなくてはならない。


(絶対に文句の一つは言ってやるわ。こういうことなら、最初から言いなさいよ……!)


 メッセージカードには予想通り【私にとっての貴女】というよく分からない気障な一文が書かれていた。この花のように愛らしいとでもいう意味なのか知らないが、まあそれはどうでもいい。

 問題はそちらではなく、追伸の方だ。メッセージ自体よりも長く、そして重要だったのが腹立たしい。……悪人かどうかまでは断定できなくても、性格の捻じれたひねくれ者であるのは間違いない。



【PS:ミルセナの花園で行方不明になった子供がいる。精霊の仕業のようだが、私の声だけで上手く子供を取り戻せるかは分からない。隣に耳の良い令嬢でもいてくれると話は変わるんだが】


 

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