第2話 恋に恋するお年頃
魔を退け、人々を守り、心身を癒し、全てを清める。
それが神聖力を持って生まれた者の宿命であり、力ある人間は皆親元を離れ、神の子として教会に入ることが義務付けられている。
教会とは人々の祈りを天に届けるための場でもあるが、魔族から街を守るための防衛機関でもある。
神子は神の言葉を用いた聖歌を歌うことで、時に結界を展開し、時に魔族を殲滅させる。美しい歌声と清らかな外観を持っていながら、彼らは人が安全に生きるために居なくてはならない、守護者であり騎士でもあるのだ。
そして、その神子の中でも抜きん出た神聖力を持つ、最も優れた者に与えられる称号〝聖女〟。
その聖女が結婚をするということは、教会から抜け一人を愛し、神の子としてではなく人の子として一般的な人生を歩むということ。聖女の代替わりを意味していた。
先代の聖女も、先々代の聖女も、成人の儀終えて間もなく婚儀を行い、貴族の元に嫁いでいった。聖なる力を扱える者を後世に残すため、特に女性の神子は一定年齢を過ぎれば子作りに専念するのが当たり前である。神子の血を引く者は高確率で神聖力を発現させることができるからだ。
だから聖女であるアイリスが婚儀を執り行うこと自体は、なんら不思議ではないのだが──
「急すぎます!」
バンッ! と執務机を荒っぽく叩いて、モリアスが深い青の瞳を怒らせる。
派手な音と怒鳴り声に、彼の目の前に立つアイリスではなく、その隣にいた神子レイルがびくぅっと肩を跳ねさせた。
「し、司祭様……」
「……失礼。司祭たるもの、いついかなる時も厳粛でいなければなりませんね」
こほん、と一つ咳払いをして、モリアスは叩きつけた机の上に広げられた、教会宛の封書に目を落とした。
そこには聖女アイリスをぜひ我が妻として迎え入れたいという申し出と、もしも応じてもらえるならば通常の二倍以上の額を教会に献金すると書かれている。
「神子の中でも最も清い聖女を花嫁にという話を、アイリスの意向も確認しないまま一方的に唐突に……しかもこのような紙切れ一枚で申し込んでくるなど……っ!」
「確かに唐突な話ではありますが、アイリス様もご成人なされた身。お話自体に特に問題はないのでは……? 献金をしぶる貴族もいる中で有難い申し出な気がしますし、それに相手はあの、貴公子と名高いハイデン様ですよ……?」
アイリスの背中に隠れながらおずおずと進言してくるそばかす顔の神子から、モリアスは重たい感情をため息ごとなんとか飲み込みつつ、ふいと視線を逸らした。
(だから、尚のこと嫌なのだ)
貴公子ハイデン──その名を知らぬ者はおそらくこの聖都にはおらず、また、貴族多きこの聖都リサンチアにおいても〝貴公子〟の言葉が示すのはハイデンという男ただ一人と言っても過言ではない。
ハイデンは数いる貴族の中で最も見目麗しく、最も心優しく、神聖力こそなくとも最も神子に近い存在とまで言われている侯爵である。
困っている人がいれば相手が子供だろうと大人だろうと颯爽と助けに駆けつけ、かと思えば礼も受け取らず笑顔と共に去っていく。侯爵としての仕事も優秀。誰かの助けになればと、他の貴族より多めに教会に献金もしてくれる。
人を選ばず等しく助け、けれども驕ることも気障ったらしいところも一切ない。老若男女問わずに──しかしながらその容姿の淡麗さもあって、やや以上に女人からの人気が高い男。
容姿端麗、才色兼備。八面玲瓏とはまさにこのこと。完璧な貴公子にして、まるで理想の王子様。
そんな男が聖女をもらいたいと名乗り出てくれているのだ。しかも、教会に多額の献金まで約束して。誰もが納得する相手──否、この男の他に大衆が満足する聖女の嫁ぎ先などありはしないだろう。
どこからどう見ても、その結果に行き着くからこそ。
(気味の悪い……腹の中の見えない男だ)
モリアスは嫌悪感を堪えるように、ぎり、と奥歯を噛み締めた。
モリアスは昔から、このハイデンという男のことが薄気味悪く思えて苦手だった。欠点一つない完璧さが、どこか作り物めいて見えて仕方がなかった。
彼のことを考えると、言いようのない不快感が胸の内をざわつかせる。教会として、教会を守る司祭としては確かにハイデンの要求を断る理由がない。何かと資金不足になりがちな教会としては願ったり叶ったりですらある。しかし──
(こんな行け好かない男がアイリスの結婚相手だなんて……やはり認められない。せめて、アイリス本人が拒絶の意思を見せてくれれば……)
幸い、アイリスとモリアスは同い年ということもあり気心が知れた仲である。素直で人を疑うことを知らないアイリスであれば、モリアスの言葉をなんでも信じてくれるだろう。
そう気を取り直し、モリアスは自分の目の前、封書を見つめたまま呆然と言葉もなく佇んでいるアイリスにそっと声をかけた。
「ああ、アイリス……可哀想に。突然のことで驚いてしまっているんだね。こんな風に突然、きみの意思も尋ねず強引に求婚してくるなんて。相手がどんなに評判がよくても、女性を戸惑わせる男はよくない。この話は断ったっていいんだからね」
優しく柔らかく労り深く。微笑みかけたモリアスの前で、尚もアイリスは執務机に広げられた封書をじっと見つめたまま動かない。否──微かに震えていた。
「……てき…………」
「え?」
震える唇からこぼれた声にモリアスが問い返した次の瞬間、アイリスはバッと顔を上げてその表情を露わにした。キラキラと輝く瞳に薔薇色に染まった頬。彼女は、心底嬉しそうに笑っていた。
「素敵……! ハイデン様……なんて情熱的で雄々しいお方なのかしら……!」
「情熱…………えぇ!?」
この文面のどこをどう読んだらそんな解釈になるのかと、モリアスは貼り付けていた慈愛の仮面を取り落として慌てふためいた。もう一度書面に目を走らせてみても、そこには淡々と畏まった、もっといえば業務的な差し障りのない文言しか綴られていない。
「ど、どの辺りをどう読んだらそうなるんだい、アイリス……?」
「だって! 見て、ここ! 『本来であれば時間をかけて愛の程を伝えていくべきところ、想いの丈が募るあまり唐突な申し出となったことをお詫び申し上げる』……って!」
「うん、いや、それは、ただ聞こえがいいように言ってるだけでね?」
「しかも見て、ここなんて! 『アイリス様の可憐なお姿はもちろん、その心根の優しさやあたたかさは聖女という肩書き以上に私の心を射止め』……ですって! きゃーっ! なんて熱烈な愛の告白なのかしら、ハイデン様……!」
きゃあきゃあと黄色い声をあげ修道服のまま跳ね飛ぶアイリスに、モリアスはポカンと口を開けたまま、彼女の隣で苦笑を浮かべているレイルへと視線を移した。モリアスからすれば──というよりほとんどの人間からすれば、唐突な求婚にそれらしい理由をつけるだけのただの社交辞令、世辞と読み取れる言葉だろう。
「アイリス様は恋に恋してるところがありますから……」
「なんだい、それは」
聞き慣れぬ言葉にモリアスが問い返せば、フッとレイルは遠い目をして笑った。
「純真無垢なアイリス様は、恋はおろか男のことなんて、女人が好む
「ああ……」
作り物の恋愛しか知らぬアイリスは、真実と偽りを見抜くことができない。
聞こえがいいだけの安い言葉にここまで彼女が浮つくのは、皆がアイリスを愛するがあまりに甘やかし、大切に世俗から守り続けてきた結果なのだった。
「モリアス。私、決めたわ!」
紅潮した頬。疑うことを知らない澄んだ瞳。
希望にあふれる輝かしい表情に、モリアスは嫌な予感を覚えながら──しかしこれ以上アイリスを止める術を持たず──椅子に力無く腰掛けたまま、呆然と彼女の宣誓を受け止めるしかないのだった。
「わたし、ハイデン様と結婚するわ! 今すぐに!!」
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