第18話

 前髪を切った。

 特筆すべきことといえば、そのくらいだ。

 ――それなのに。


「丹下くんダンス前からしてたの!?」

「燧さんと付き合ってるんだよね?」

「いつから知り合いなの?」

「幼馴染ってホント?」

「てかライン教えてくんね?」


 ――その日登校すると、クラスの前で待ち構えていたらしき他クラスの女子に急に声を掛けられ、学祭効果をしみじみと実感する。

 しかし、クラスメイト(主に女子)は、懐疑的な目である。先日までの俺がどういうキャラだったかを知っているからだろう。

 わざと聞こえるように「ダッサ」「あいつ調子乗ってない?」なんて囁かれているのを聞いても、特になんとも思わない。なんなら、クラスメイトの方が正しい反応をしていると思ってしまったくらいだ。

 クラス唯一の友人も、教室に入ってきた俺を一瞬チラ見し、――そっと目を逸らした。


「浦部……」


 お前までそっちに行ってしまうのかと弱々しい声を漏らすと、浦部はもう一度こちらに目を向け、すぐに首を傾げ顔を背け、――驚愕に目を見開いて、がばっ、ともう一度俺を見た。


「え? は? ……丹下か?」

「そうだけど……」

「なんだそれ、イメチェンか?」

「そんなとこ」

「…………なんか、あれだな。高校デビューにしてはだいぶ遅いような気もするが」

「そうだな…………」


 それを言われるとその通り。

 髪を切ったのなんて、もうノリでしかなかったからだ。


 学祭最終日を終え、そのまま土日に突入した。

 しばらくダンスレッスンしかしていなかった土日が、ようやくフリーになったのだ。

 さて家でぐだぐだ過ごすぞと張り切っていると――、早朝からチャイムを鳴らしまくるかりんに朝8時から叩き起こされる。


 お前は疲れとか感じないのかよと呆れながら迎え入れると、計画を話された。

 曰く、『先輩改造計画』――だそうだ。


 入ったことのないオシャレな美容院に入り、髪を切られ、頭に何かを塗られ。

 足を踏み入れようとしたことすらないオシャレな服屋で着せ替え人形にされて。

 そんで、よくわからん生クリームまみれのパンケーキを頬張った。


 ――それだけで、もう夕方だ。何をするでもなくぐだぐだして過ごすはずだった休日は、あっという間に終わってしまう。


 して、家ではかりんの手料理を堪能して。

 日曜も押しかけてくるのか――、と思いきや、「お母さんに捕まっちゃったので、今日は無しで。ごめんなさい」と昼頃にメッセージが飛んできた。


 がっかりした、――わけではない。

 けれど、かりんが居なくて寂しく感じたのは事実で。


 月曜になると、美容院で教えてもらった髪型に挑戦したが、プロにセットして貰った時とは雲泥の差だったので、諦めて洗って落とした。

 早起きしたのに無駄になってしまったななんて考えながら登校すると――、他クラスの女子に声を掛けられたのだ。

 結局、俺のコミュニケーション能力ではまともな反応など出来なかったが、あちらも会話を求めていたという雰囲気ではなかったので、それで十分だったらしい。


「浦部は、……ダンスとか見てないもんな」

「ダンス? なんの話だ」

「……うん、お前はそれでいいよ」

「本当に何の話か分からんのだが……」


 すっとぼけてるわけではなく、本心で言っている。俺だって去年同じことを聞かれたら同じように答えていただろう。

 だから、浦部の反応が正しい。オタクが髪を切った、ただそれだけなのだ。


「というか丹下、お前昨日丸一日ゲームしてたろ。かりんちゃんはどうしたんだ」

「昨日は用事があったんだと」

「ほう? あそこまで甲斐甲斐しく世話してくれるかりんちゃんに、ねぇ」

「いやそりゃ用事くらいあるだろ、女子高生だぞ」

「これまでもなかったと思ってるのか?」

「どういう意味?」

「あった上で、お前を優先してたんだよ。でも昨日は、お前より優先することがあった、と」

「……そういうことになるな」


 そういえば母親に掴まったとか言ってたっけ。顔も見たことのない母親だが、以前の話だと3年ほどは一緒に生活しているはず。

 勝手知ったる――というほどでもないが、どういう人物かくらいは分かっているだろう。

 それにしても、美優が怖がっているように感じたのは、――まぁ美優からしたら父親の後妻だもんな。そこは仕方ないか。


「捨てられるのも時間の問題かね……」

「おい急に重い話にするのはやめてくれ」

「冗談だ」

「冗談に聞こえねえんだよ」

「いやいやいや、そもそもお前、あんな子が急に『彼氏出来たんでもう会えません!』とか言ってくると思うか?」


 何を言ってんだと言いたげな顔で問われ、頷こうとして止まった。

 ――かりんの気持ちを知っているのは、たぶん俺だけだ。もしかしたら友達くらいには話してるかもしれないが、それは知らない。

 だから、かりんに彼氏が出来る――なんてのは、想像していなかった。それより、俺に愛想尽かすか、世話をすることに飽きるかもしれない、と考えていたくらいだ。


「……あんま、なさそうだな」

「そういうこった。だからまぁ、安心しろ。それは本当に外せない用事だったんだろう」


 ぽんぽん肩を叩かれて、哀れみの目で見られ――、ようやく違和感に気付く。


「そうか。……慰めてんのか?」

「今気付いたか」

「悲しんですらなかったが……?」

「はぁっ!? お前それ、失恋したと思い込んで髪切ったわけじゃないのか!?」

「ちげーよ!!」

「…………そうか」

「そうだ」


 なんかとんでもない勘違いをされていたようだ。

 しかしまぁ、そう思われても仕方がない。確かに明らかにこれまでの1000円カットじゃ出来ない髪型なんだよな。お爺ちゃんにこのカットは無理だ。

 1年以上顔を見合わせてた浦部が一目見ただけじゃ俺と分からないくらいには、イメチェンに成功している。

 若干固い髪質のせいか、ワックスなんてなくても髪が垂れてこないし、あと視界が開けすぎてるのが新鮮で、若干視線が泳ぐ。普段こんな人に見られてたっけ?


 ――して、そんな話をしていると。

 どたどたと、廊下を走る音が聞こえ、浦部とそちらに視線を向ける。


「せーんぱいっ!」


 ――元気に片手を挙げ、まさに陽の化身たるかりんが、教室に現れた。


「おはよ」

「おはよーございますっ! はいこれお弁当、今日のは特製ですからね!」

「いつものは特製じゃなかったのか……?」

「いつも以上のかりんスペシャルってことで!」

「……楽しみにしておくよ。んで、かりん」

「なんですか?」


 まだ始業まで時間がある。しばらく居座ろうとしたのか俺を押しのけて椅子に座ろうとするので必死に耐え――、半分は死守した。体育会系には勝てん。


「昨日、大丈夫だったのか? ……怒られたりしなかったか?」

「怒られ……?」

「あ、や、なんもなかったらいいんだが」


 なんの話と言わんばかりの表情で返され、慌てて会話を逸らそうとする。――が、急ににたぁ、と笑顔を作るので、嫌な予感。


「大丈夫ですよ、先輩が気にしたようなことは、全然ありませんでしたから」

「そ、そうか。それならよかった」

「昨日はあれです、学祭のダンスパーティの件で、来賓の人からお父さんの事務所に問い合わせがあったみたいで」

「はー……、来賓? 事務所?」

「あっ、はい。お父さん、昔っからの政治家一族なんですよ。そんでちょっと顔広くて。珍しい名字だけどひょっとしてあなたの娘さんですかー、みたいな問い合わせがあったらしくて、昨日はその説明をしにいってました」

「……怒られたりは」

「しませんでしたよ。驚かれはしましたが」

「ダンスのこと、親に言ってなかったのか」

「言う必要性を感じていませんでしたので」


 こういうとこ異常にドライなの、ちょっとビビるんだよな。一応両親だろ、俺は一度も顔見てないけど、たぶんかりんは毎日顔合わせてんだよな。

 だからそのくらい話してるだろうと思ったので、意外である。

 まぁそれ言えば俺だって話してないけど、ここ最近父とした会話は「困ったことはないか」「特にない」――以上。しかもメッセージアプリ上でのやり取りである。


「でも、そうか。じゃあバレー部で活躍してた時は何も言われなかったのか?」

「あー……」


 なんとなく気になったので聞いただけだが、言いづらそうに頬を掻かれた。


「ここで言うのもアレなんですけど、古くからの政治家ってその、全体的にネットに疎い老人気質な人が多くて」

「まぁ、そんな印象あるな」

「そうなると支持者も同じで、新聞とテレビからしか情報を得ないような層なので……」

「……活躍してること、知られてなかったのか」


 こくり、と頷かれ、浦部はたまらず吹き出した。そして俺の方を指さして何か言いたげな顔を向ける。

 あれだな、「お前も同レベルじゃん」とか言いたいんだろうな。まぁそれ言われたら確かに俺もマジで知らなかったよ。ネットニュースサイトではトップを飾ってたりしたらしいがな。スポーツに興味なさすぎて視界に入ってすらいなかったぜ。


「でも、今回はちゃんと説明しましたんで!」

「そうか」

「将来を約束した人ですってちゃんと伝えました! 今度挨拶に来いだそうです!」

「待って!?!?」


 浦部に「良かったな」なんて肩をポンと叩かれ、べしんと払いのけた。


「えっ挨拶!? マジで言ってる!?」

「はい!」

「……えっと、待って。菓子折りとか持ってけばいい? 行ったら殺されたりしない?」

「しませんって。普通に興味あるだけみたいですよ」

「持たれたくねぇ……ッ!」


 心底興味持たれたくない。政治家一族ってなんだよ。絶対話合わねえじゃん。愛想笑いしか出来ねえよ。俺のコミュ力の低さ舐めんなよ。

 だが、まぁ、いつかは避けられなかった壁か。……でも早すぎない? まだ俺、高校2年生なんですけど……。


「そんな緊張しなくてもいいですって。お父さんにとっても後妻の子だから、後継者にとかは、……たぶん考えてませんし」

「たぶんって言った?」

「美優ちゃんが絶対政治家にはなりたくないって言ってるので、いつかは私の方に回ってきそうではありますが……」

「まぁかりんは政治家とか向いてるんじゃないか。知らんけど」


 かりん、コミュ力鬼高いしな。あととにかく顔が良いから、顔だけである程度の票は稼げるだろう。未だに選挙権すらないから知らんけど。


「ぶっちゃけ私もそう思います。でも政治家ってどうしても身内までマスコミに漁られること多くて。身内が何かやらかしただけで結構叩かれて辞職まで行くこともありますし」

「まぁそういうのよく聞くよな」

「……そうなると後々先輩にも火の粉がかかるかな、と」

「そうか。…………えっ?」


 あれ、そういう話になるの!? っていうかその、俺ただの高校生なんだけど、そこまで将来意識して炎上防止策とか考えないといけないの!? 浦部お前「頑張れよ」じゃねえよ他人事だと思いやがって!!


「一応聞きますが先輩、ネットで炎上したことないですよね? コンビニのおでん立ち食いした動画が出回ったり冷凍庫入ったり……」

「しとらんわ。自慢じゃないが、ツイートが拡散されたことすらないぞ」

「ホントに自慢になりませんね……」


 大会やインタビュー写真が出回りすぎて最早フリー素材のように扱われているかりんには理解出来ないかもしれないが、何も生み出さないただのオタクなんてそんなもんだ。

 別にSNSのアカウントに鍵かけて身内としかつるまないわけでもないんだよ。普通にネットで交流とかもするんだよ。それでも、炎上や拡散とは無縁だ。


「私の方は、名字変わるスパンが早すぎて過去遡ることは難しいと思いますけど、先輩の方はどうですか? 両親のお仕事とか、……反社ではないですよね?」

「反社ではないが、よく知らん。父さんはなんかの会社の社長らしいが。母さんは源氏名っつーのか? ずっとそれで活動してるからな。本名知ってる人はそう居ないだろ」

「あー……なるほど……」


 心当たりがあったか、かりんは静かに頷いた。

 して、会話が途切れたところで、浦部がふと口を開く。


「……というか、既に二人は結婚前提なんだな。もうちょっと先の話かと思ってたんだが、式には呼んでくれ」

「はいっ!」

「待て!? そういう話になるのか!?」

「いや、そりゃなるだろ。政治家の夫になるのか政治家そのものになる予定なのかは知らんが、結婚してかりんちゃんの家に入るのが前提の話してるだろ、今」

「…………そうなのか」


 確かに、なんか自然にそんな想像してたけど、言われてみるとおかしいよな。まだ付き合ってもない相手と将来のことまで話し合うことあるかよ。しかも高校生だぞ?

 しかし、ここで「そもそも俺達は付き合ってない」なんて弁解したら、非難囂囂となるのは間違いない。明らかに聞き耳立ててるクラスメイト多いしな。付き合ってもない女の子に毎日弁当作って貰ってるのかよコイツとか、そういう話になるだろ。クズ男か?

 だから単純に、今は将来のことより喫緊のことを処理すべきで――


「……かりん」

「なんでしょう?」

「挨拶ってのは、いつ行けばいいんだ」

「早ければいつでも、って言われてますが、心構えとかしておきたいですよね」

「あぁ、出来ることならあと2年は、――せめて卒業するまでは待たせてくれ」

「それは遅いですよー」


 あははと笑われ、冗談じゃなかったんだが、と項垂れる。

 ほら、2年後なら18になってるからな。結婚可能な年齢だ。大学にも行かなかったら働いてるはずだし、将来のことを考え出してもおかしくない。

 だから少なくとも、挨拶に行くべきは今ではない――のだが、そうは問屋が卸さないか。


「でも先輩、大学は行くんですか?」

「行きたいなら学費は出すって言われてるが、正直、な」

「やりたいことがない、と」

「それもあるが、大学なんて4年もあるだろ。ただでさえ勉強嫌いなのによく分からん勉強を追加で4年すること思うと、行かないで良いかなとは思ってる」

「そですか、んー…………」


 かりんは口元に指を当て、わざとらしく首を傾げる。えっ、その動作がマジで可愛い三次元女子おかしいだろ。なんならリアルで初めて見たかもしれん。


「お母さんに顔繋いでおけば、高卒でも就職先には困りませんよ?」

「えっ、マジで? ……あれ、父親の方じゃなくて?」

「お母さんで合ってます。お母さん、議員秘書ナンタラーな資格持ってて、それでお父さんと出会ったんですよ。今は事務所の人事とか、そういうのもやってますし」

「へぇ……」

「国会議員政策担当秘書資格、かな」


 浦部がスマホに視線を落としながら呟くと、かりんが「そうそうそんなのです」と答える。えっ今の何? 早口言葉? 国会議員しか聞き取れなかったんだが?


「合格率1桁%、日本でもトップクラスに難易度が高い国試の一つだ。公務員として雇われる国会議員の公設秘書で、政治家のブレーンにもなる役割だ。――知らんのか」

「知らんわ。逆に何で浦部は知ってんだよ」


 常識だが? みたいな顔で返され、苦笑いになる。当のかりんすらポカンとした様子で、どうやらそこまで難易度が高い資格とは思っていなかったらしい。


「そろそろホームルーム始まるぞー、他クラスの奴は教室戻れー」


 そうこう話してるうちに担任の先生が教室に現れたので、かりんは「すみません! また後で!」と叫ぶと風のように去って行った。

 予鈴まであと1分もないし1年はフロアすら違うが、かりんの健脚ならたぶん間に合うだろう。小走りで出ていく背中を見送った。

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