第17話
「俺、人生で賞状とか貰ったのはじめてかもしれん……」
着替えようとしたところ、どうせならこのまま学祭を回ろうと提案するかりんに付き従い、校内を散策する。荷物を置きにも行っていないので、賞状すら持ったままだ。
「そうなんですか? なんか普通に生活してたら貰えません?」
「いや貰えねーよ。毎日人助けでもしてんのか」
あははと笑うかりんに、なんだ冗談だったのかと嘆息。でもかりんのことだから本当に家に賞状とかトロフィーが大量にあってもおかしくないと思えるのが怖い。
そのまましばらく二人で何を買うでもなく校内を歩いていると、急に男子生徒に呼び止められて立ち止まる。
「たん……丹下!」
聞き覚えのある声。嫌な予感――振り返ると、そこには日下部が。
もう着替えていたようで、日下部は学生服だ。やっぱタキシードのまま歩いてると目立ったかな、なんか浮かれてるみたいに見えるし。いや実際浮かれてるんだが。
「な、何……?」
息荒くして近づいてきた日下部に、以前感じたような嫌悪感は感じない。お互いが無関心を貫ける状況であるならば、別に何の接点もないただのクラスメイトだから。もうかりんを狙ってる様子もないしな。
「……やっぱり、丹下か」
どこか納得したような日下部を見、意味が分からなかったのでかりんの方を見ると、自慢げな顔で日下部を見下ろしていた。
「用がないならもう良いですか?」
あっさりコミュニケーションを拒否したかりんに驚きつつも、日下部の様子を伺うと、俯いたまま「クソ……」と呟いていた。えぇ何、急に悪態吐くとか怖っ……。
「あ、あぁ悪い。確認したかっただけだ」
「確認?」
「ダンス、前からしてたのか?」
そう問われ、あぁさっきの話かと今更思い返す。
2曲連続で踊るというのは、かりんの案だった。ただ目立ちたいというより、折角覚えたのに1曲じゃ踊り足りないから、といった体力オバケの思考でしかなかったのだが。
義房さんのアドバイスによって、リーダーをかりんに任せることで基本のステップだけでも付いていけることが分かって、それを実践したのだ。
個人的には休憩を挟みたかったが、そうなると前二つと違って勢いのある後半のダンスを選ぶことになる――、というわけで、仕方なく2曲連続となってしまった。
――しかし、ここ1カ月は本当に地獄のようだった。運動不足なのも相まって、毎日逃げ出したくなったほどだ。
ダンスレッスンは毎日、学校が終わるとすぐにスタジオに向かって個別レッスン。土日はグループレッスンに混ざって練習。練習、練習、練習。初めの頃は毎日筋肉痛で死ぬかと思ったけど、それすらも考慮されてスケジュールを組まれる。
曲かけをして音楽に合わせるようになったのは最後の1週間だけだったのに、案外身体に染み付いたのか普通に踊れたのには驚かされた。
音ゲーが苦手で、自分にはリズム感なんてないもんだとばかり思っていたが、ダンスはリズムゲーというより格ゲーやカードゲームに近かった。良いタイミングで技を打ち込み、それを始点にコンボを繋げていくのだ。そう思えば、案外次の動きも分かってくるようになったので、意外である。
ほとんどの生徒は学祭での数分のためだけにここまで練習をやり込んでいなかったのか、無事最優秀生徒に選ばれた。それが目的だったわけでもないが、他人に認められるのは随分気持ちいいもんだな、と思えたのだった。
「練習始めたのは9月の途中からだから……」
「た、たった1カ月で……?」
「毎日、3時間くらい。土日は半日くらいスタジオに居たけど、そっか……たった1カ月か。長かったなぁ……」
「そうですか? まだまだ踊り足りませんけど……」
「それはかりんだけだろ…………」
「え? ……は?」
考えてみると、とんでもない時間だ。足の筋肉痛が辛かったのは最初の1週間くらいだけで、そこからは足も身体も腰も背中も全部が痛かった。なんなら今でも結構痛い。義房さんは「若いうちはそんなもんだ」なんて笑うし。
しかし、全然元気なかりんが「まだまだ続けますよ!」なんて言うので、泣き言をいうわけにもいかなかった。
正直なところ、もう1年くらい運動したくない。体育とかもう最悪だ。出来るだけ身体を動かさないで済むことだけしたい。まぁ普段から体育の時間、特に球技なんて存在感を消して端っこで小さくなっているだけなんだが。
「いくらかかったんだ、それ……?」
日下部が疑問を漏らし、ようやく気付いた。あ、俺スタジオ代払ってねえ。割とがっつり練習したけどいくらかかったんだ? 家庭事情もあって習い事の経験すらゼロなので、相場すら知らない。
かりんが「んー?」と首を傾げ、スマホを取り出すとスタジオの公式ページを見る。
「カップルレッスンが1時間8000円、かける3時間のかける30日くらいですかね?」
「えーと、……そんだけでも72万か。あとはグループレッスンもあるよな」
「そっちは1人1時間2000円みたいですね」
スマホに概算で打ち込むと、なんかとんでもない額になってきてるぞ。俺、一銭も払ってねえんだが、どういうことだ? 後払いだったりする? 出世払いに出来るかなぁ……。
日下部は割とドン引きした顔である。そりゃそうだよな、俺そんな全力でダンスパーティに挑むキャラじゃないし。その金額先に提示されてたら絶対かりん止めたし。
「義房さん、身内のレッスンにはお金取らないから大丈夫だと思いますよ?」
「……本当に?」
「本当ですって。スタジオの家賃だって実家持ちですし、そのくらいは融通利きます」
「そういう……。じゃあ、まぁ良いか……」
請求されないならそれに越したことはない。申し訳ないは申し訳ないが、いきなり100万払えって言われた方が困るしな。罪悪感を感じる程度で済むなら良しとしよう。
日下部が「足りないのは、時間と金と人脈と……全部かよクソ……」なんて呟いてるので、ごめん、という気持ちでぺこりと頭を下げた。
それが別れの挨拶に見えたか、かりんが「じゃ!」と告げ、俺の手を引くと早歩きで日下部から離れて行った。呼び止める声は、なかった。
今度は追いかけてくる者もおらず、終了時間までのんびりと会場を回っていると、知らない生徒からクレープを貰ったり、じゃがバターを貰ったりと、気付くと二人の両手が差し入れされた食べ物まみれになっていた。
かりん曰く、「友達とか知らない人とか、あとは会場でダンス見てた人かな」だそうだ。
なんというか、人生で他人から優しくされた覚えがないので驚きながらも、両手が埋まったあたりで流石に慣れた。きっと、普段の俺なら挙動不審になって相手に気味悪がられて終わりだったろう。今もかりんの隣で頭下げてただけだったが。
校内至るところに設置された簡易ベンチに座りながらそれを食べていると、ぱしゃ、とカメラのシャッター音が聞こえたので振り返る――女子が「きゃー!」なんて言って逃げて行った。
悲鳴かと思って落ち込んでると、かりんが「違いますよ?」と言う。
「あれ、先輩聞いてませんでした?」
「何を?」
「会場で結構キャーキャー言われてたじゃないですか」
「…………誰が?」
「先輩が」
「んなわけないだろ」
かりんが俺のことを好いてくれるのは、昔のことがあったから、ということで納得した。
だが他の生徒は違うだろう。女子に話しかけても、舌打ちされたりキモがられるだけだ。ちょっと髪型変わった程度で人気になるなんて自惚れてはいない。それに、だ。
「あんな人居た会場で、誰が誰のこと見てたかなんて分かるわけない」
「それが、人が自分見てるかどうかって、慣れると案外分かるもんなんですよねぇ」
かりんはそう言うと、じゃがバターを半分に割って頬張り、満足げな顔をする。まぁこんなの不味くなるわけないしな。
皿を渡されたので受け取り、残り半分を食べた。もう終了時間も近いからか若干冷めていたが、それでも芋とバターの相性が悪いはずもなく、バターの塩味が疲れた身体に染みわたる。
芋が口内に残ったままフランクフルトを齧ると、安物のはずなのにしっかり焼かれ焦げが浮かぶフランクフルトはケチャップやマスタードもないのにしっかり味がついているもので、口の中があっという間にドイツになった。芋とソーセージとビール以外のドイツ料理知らんが。
フランクフルトを咀嚼しているとかりんがこちらを向き「ん」と口を開ける。
――これ、あの、やれってか、
「…………」
フランクフルトを恐る恐る口に近づけると、まるで餌を待ちわびていた鯉のように顔が近づき、ぱくり、と齧り取った。――あぁ、やっちまった。
「先輩の味がします」
むしゃむしゃ噛み締めながらそんなこと言うかりんに、とりあえず空いた手でチョップ。今するのは肉の味だ。
なんてやり取りを近くのベンチに座っていた女生徒が見ていたようで、くすくすと笑われる。
知らない人に笑われるのキツいなやっぱり。平然と手ぇ振り返すかりんはすげえよ。
「踊ってる時は自信満々だったのに、なんか終わってみると普段通りですね」
「……そう言われてもな」
今は、まぁ疲れているが落ち着いてる。しかし、ダンス中は違った。
覚えたことを実践するため脳は常に記憶の引き出しを漁り続け、人にぶつからないよう動くためにステージ全体に意識を配り、誰がどこに動くか考慮した上でステップを踏み――とにかく考えることが多すぎて、ステージの外に気を配る余裕なんてなかったのだ。
なんなら他のカップルのことだって手足くらいしか見てないので、ダンスが終わってはじめて日下部の存在に気付いたほどである。
これ、表情作らないといけないサンバだと無理だったな。サンバ踊ってる生徒は、リズムもあって本当にみんな楽しそうに笑っていたのだ。俺じゃ常に無表情になるね。
「先輩」
「なんだ」
畏まった表情で、かりんがこちらを見る。
「
「…………もう少し待て」
「はーい」
少しだけ寂しそうな顔で外を見たかりんに、かける言葉が見つからなくて。
しばらく無言で食べ続けた。
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