第19話
美優が、母親のことを苦手と感じている理由を一目で察した。
――あぁこれ、キツいわ。
目付きが鋭く眼鏡を掛け、髪はびしっと後ろでまとめてシニヨンに。
ばっちりスーツを着込んだその女性が、かりんの母親――
高校生の母親にしては随分と若く感じるが、そもそも実子はおらず、かりんも連れ子なのだから年齢は然程重要ではない。
かりんから事前に教えられていた情報では、「仕事が出来て自立してるんで男性の力借りずに生きていける人なんですけど、惚れっぽくて飽きっぽくて、別れてもすぐ再婚しちゃうんですよね」とのこと。
――その情報から想像していた外見と、もう真反対で震えている。絶対違うって。絶対惚れっぽいとか嘘だって。男嫌いの完全独立型バリキャリだってこれ。
「あなた、名前は」
「た、丹下、
「きよし? 漢字は?」
「聖騎――、聖徳太子の、聖が一文字です」
思わず癖で「聖騎士の聖です」と口走りそうになり、慌てて訂正。なお「
どうして漢字を知りたがったのかは分からないが、かりんの母親は、ぼそぼそと何か呟いている。――上手く聞き取れない。
ここはかりんの父親、燧誠二の議員事務所。
あの豪邸から車で5分ほどの距離にあるビルの一室で、事務所には普通に働いている人も居る。まぁ平日の夕方だもんな。どう考えても顔合わせをするような場所じゃないよ。
そんなところに連れて来られた、学生服の俺。うん、明らかに浮いてるね。
どうやら、父親本人は不在らしい。
かりん曰く、スケジュールを見てあえて母親一人しか居ないタイミングを狙ったそうだ。そうなると事務所で働いている時間しかなく、こうなった、と。
「あなたが婿入りしたら、燧聖になるわね」
「え、えぇ、まぁ、そうなりますね、はい」
真顔で言われ、冗談なのかなんなのか分からず愛想笑いで返す。
あれか? フルネームが二文字は変とかそういう話? でもそれ言うとこの人だって『望』だから二文字だよね。名字が一文字な時点で、そうなる確率はまぁまぁ高いはず。
「せーくん、この子も『せい』だってー」
「えっ、ホントに~?」
望さんが声を上げると、どこかから声が返ってきて、――かりんの表情が変わった。
がばりと振り返り、部屋の扉を見る。――扉がばたんと開かれ、現れたのは恰幅の良い中年男性。歳は40後半といったところだろうか。
「お父さん!? なんでいるの!?」
「なんでって、望さんにトイレで待ってるように言われたからだけど……」
「お母さん!? どういうこと!?」
焦るかりん。どうやらそこに居るのが父親であるらしい。しかし、今日は居ない予定だったと聞いているので、はて、どういうことか。
「華凛あんた、せーくんのスケジュール見て今日にしたでしょ」
「……それが何?」
平然とした顔で返すが、しかし図星である。冷や汗がたらりと一滴流れた。
「そうすると思って、嘘のスケジュール書いておいたわ」
「なっ……、なんでそこまでするの!?」
「なんでって、ねぇ?」
夫婦二人が顔を見合わせ、頷き合う。
「「彼氏くん見たかったし……」」
「…………」
文句も悪態も出ず、苦虫を嚙み潰したような顔でかりんは大きく溜息を吐いた。
母親とも、たった3年の付き合い。父親はもっと短いはずだが、それでもかりんの性格を読み取ってここまでしてのけた――、うん、出来る人なんだろう。被害者が自分じゃなければなぁ!
「聖くんと呼んでも、いいかな?」
「は、はい」
「かりんとはいつからの付き合いなんだ? その、恥ずかしい話だが、そういう話は一度もしてくれたことがなくてね」
無精髭の残る顎をぽりぽりと書かれ、若干気まずそうに問われる。
――かりんの方を見ると、渋々頷かれた。なら答えて良いのだろう。
「小学3年生の頃から、です。アパートの隣に住んでて」
「そんなに!?」
「そんな前からだったの!?」
「6年の途中でかりんが引っ越したので、それから今年まで、――5年ほど会ってませんでしたが」
「「…………」」
二人が顔を見合わせ、無言で頷き合う。なんだろうなこのアイコンタクト。ブルートゥース接続でもしてんのかな?
「その頃のことは、少しだけ聞いてるよ。……ありがとう」
「いえ、そこまでのことはしてませんが……」
「してますっ!! されました!!」
つい否定を返すと、かりんが声を荒げた。
――両親の表情が、一瞬にして驚愕に染まる。きっと、かりんが感情を露わにするところを見る機会がなかったのだろう。
「……華凛ちゃんから見て、この人はどんな人なんだい?」
父親に問われ、かりんは俯いて答えた。
「先輩が居なきゃ、私はたぶん死んでました」
「「「…………」」」
それを嘘ではないと思えたのは、俺だけか、それとも二人も少しは知っているのか。
どちらにせよ、無言で返すことになる。迂闊に踏み込んでいい領域ではないと、誰しもが分かるから。
かりんのそれは、あながち大げさな表現ではないだろう。
食事は昼の給食一回。土日は、――分からない。食べてるところを見たことはない。絶食しているわけでもないので簡単には死なないかもしれないが、物理的な虐待は別だ。あれがエスカレートすれば、きっと――
「この人は、私の命を救ってくれた人です。だからお父さんもお母さんも、先輩のこと悪く言うなら絶交します」
「……おいかりん」
「止めないでくださいね。ここだけは、譲れませんので」
「…………そうか」
なら、かりんに任せるか。
もし付き合うなんて許さないとかそんな話になったら、きっとかりんは本気で家を出るだろう。
絶交というシステムが法的にどんなものかは分からないが、――家出とか?
ともかく、こうして宣言した以上、なぁなぁで流すわけにはいかない。許可か拒否か、両親はそのどちらかを選ぶしかない。
「……あんたが何考えてたのかは知らないけど、別に顔見たかっただけで交際を止めるつもりはないけれど」
夫婦を代表して溜息交じりに母親がそう告げると、かりんが「え、」と声を漏らす。
「そうなの!? だって――」
「だっても何も、あんたが適当な男選ぶはずないでしょう。ここに反面教師も居るわけだし」
「…………それはそうだけど」
「まぁ僕としても、君らのどちらかを後継者に、とかは、実は全然考えてないんだよね。たぶん僕も80くらいまで現役だろうし」
「そんなに!?」
「日本の政治家寿命は、寿命や病気で死ぬか、不祥事で議員辞職に追い込まれるか、そのどちらかしかないんだよ。定年というシステムは、政治家にはない。だから、跡を継ぐのは30年後の孫でもいい。というか――」
気まずそうに頬を掻いた父親は、ぼそりと告げた。
「あんまり早く政治活動始められちゃうと、選挙区とか支援者の取り合いが、ね。それで僕もお父さんと揉めたし……」
「「…………」」
「美優ちゃんか二人の子供、そのくらいでようやく後継者を意識するで間に合うんだよ。だからお二人の交際を止めるつもりはないし、今日来てもらったのも顔を見たかったからってのが本心。まぁ、しいて言うことがあるとしたら―――」
「したら?」
「子供産むのは、もう少し大人になってからがいいと思うよ。遊べるうちに遊んでおかないと、大変だからね」
「…………っ!!」
急に顔を赤くしたかりんが、「ばかっ!」と叫ぶ。うーん、なんのことだ。
しかし何かを分かっているような顔をして、両親二人は顔を見合わせ微笑んだ。
「じゃ、あんたらはとっとと帰って。こっちは仕事溜まってんだから」
「……はい」
「これから、よろしくお願いします」
深くお辞儀をし、事務所を出た。
ずっと静かに話を聞いていたであろう、事務所で働いていた人たちの、苦笑が聞こえた気がした。
事務所を出て、車は呼ばずに歩くことを決め、駅まで歩く道すがら。
「……あの、」
「奇遇だな、俺も言いたいことがあった」
「…………先輩から、どうぞ」
「付き合ってる前提だったんだが」
「…………」
「そういう話だったのか」
こくり、と頷かれ、「そうか」と小さな溜息が漏れた。
まぁ、そうだよな。ただの友達なら親の前に連れて来いとか言われるわけないよな。
「その、そう説明するしかなくて、……勝手なことして、ごめんなさい。まだお返事も聞いてないのに」
「いや、いいよ。なぁなぁに誤魔化してたのは俺の方だし」
「…………」
また、しばしの静寂。
何を言って欲しいか、そのくらいは分かっている。
――まだ覚悟が決まらないとか、もうそういう段階ではないんだ。だから――
「後で、話すよ」
「……っ! はい!!」
満面の笑みを向けたかりんは、俺の腕を抱いて、しがみつくようにして歩く。
いつものスーパーに到着し、食材を物色している時に気になって、ふと質問をした。
「なぁ、なんでスーパーだけはかりんが払うんだ?」
外食の時はそうではない。コンビニとかで軽食を買う時だってそうだ。
それなのに、何故かスーパーでの買い物はかりんが全額支払っている。何度か金を押し付けようとしたが、普通に拒否されるので諦めた。
明らかに、食材の段階で買い物をする時だけ、意志を持って俺に払わせようとしていない。それには理由があると考えていたが、これまで聞いていなかったのだ。
「これは、お礼だからです」
「お礼?」
「56万と3500円」
「……知らんぞそんな大金。宝くじでも当てたのか」
「先輩が、私に奢ってくれた金額です。……あっ、ごめんなさい日ごとの金額は適当で、
「待て、なんの数だ」
「小学3年生から6年生までの3年と少し、先輩が奢ってくれた回数ですよ」
「…………メモしてたのか」
「いえ、普通に数えてました。頭の中で」
「…………」
素直にドン引きである。ちょっと怖いよ。
しかしまぁ、スーパーの食材分だけ支払う理由は、なんとなくそれで説明出来そうだ。納得出来るかは別として。
「というかそれ、俺が払ったが俺の金ってわけでもないんだが」
「元々は誰の財布に入ってたお金かなんて、そんなの関係ないですよ。私に奢ってくれたのは先輩なのであって、他の誰かではありません」
「……それは、そうだが」
「それに私の財布に入ってるお金、誰のお金だと思います?」
「バイトとかしてないから、お小遣いってことになるのかな」
まぁ結構お小遣いくれそうだよね。豪邸住んでるし。政治家だし。
「今のお父さんです。ちょっと額は言えませんけど、そのお金で食材を揃えて先輩の料理作ってます。ほらこれなら、先輩と変わりませんよね?」
「へ、屁理屈だ……っ!」
ちょっと驚きの屁理屈だよ。確かに親から貰ったお小遣いで他人に飯を奢るという、やってることだけは一緒なのにこの、屁理屈感はなんなんだ。
だが、屁理屈であろうと、納得できなかろうと、自由に使えるお金を自由に使ってるだけに過ぎない。それが誰の稼ぎがなんて、奢られる側が気にすることはないのだ。
「私はそれを返し終わるまでは続けるつもりでした。でも先輩的には、私にばっか払わせるの嫌なんですよね」
「そうだな」
「……なら、余った生活費はしっかり貯めておいてください。新しい銀行口座でも作ってそこに入れておけば、使わないで済むんじゃないですか?」
「新しい? いや今の口座じゃ駄目なのか?」
「だって……、二人で暮らすことになったら共通の銀行口座欲しいじゃないですか」
「…………うん?」
この子は定期的に飛躍した話をするね。ちょっと流されるとこだったよ。
「……まぁ、それは追々、な」
「あっ誤魔化した! 誤魔化しましたね先輩!?」
「そりゃそうだろ……」
溜息交じりに答えたが、まぁ、疑問は解消出来たし、よしとするか。
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