第20話
(うーん、人間の感情を理解するためのプログラムがないのは痛いな)
二人の会話に時折茶々を入れながら、司は誰にも聞こえない溜息を吐いていた。
肉体を持たない司は、睡眠どころか休息という概念そのものがない。24時間365日、常に何かしらを考えて過ごしている。
それも、常人の数千、数万倍の処理能力を用いた思考だ。
そんな演算能力をもってしても、司はシェリーのことが上手く認識出来ないでいた。
レイやクレアのような人物については80%程度は推測出来る感情が、ことシェリーやファルケになると20%程度しか分からなくなるのだ。
(思考が複雑だから――なんて単純な理由じゃない。恐らく精神性、思考パターンそのものが旧世界人を基準とした人間からかけ離れすぎている。なら、人間以上に高度な知性を持つ動物の一種、そう考えた方がマシかもなぁ)
しかし、司の意識をそちらに変革したところで、彼女らの思考パターンを正確に読み解くことは出来なかった。
――数万回に及ぶ思考を経て、堂々巡りを続けている。
『そういえばシェリー、前話してたこと聞いてみて。レイ達がグレムリンに治療されたって話。ちょっと反応が見たい』
シェリーはクレアに聞いた話などすっかり忘れており一瞬目が泳いだが、すぐに思い出したのか「あぁ」と小さく呟いた。
「ファルケって、友好的なグレムリンに会ったことはある?」
「友好的? んー、友好的かは分からないけど、敵対しない個体には何度も会ったわよ」
「敵対しないって?」
「そのままよ。こっちを明らかに認識してるのに襲ってこない個体。初めて見た時は気持ち悪くて試しに遠くから頭撃ってみたけど、それでも反撃してこなかったのよね。もしかしたら壊れてるだけなのかもしれないけど、そっからも年に数回は見てるかな?」
「へぇ……」
『うんうん』
「突然何? グレムリンにも何らかの、――人間を排除する以外の意思があるって話? その銃もグレムリンに貰ったってさっき言ってたけど、そのこと?」
ファルケは雑談しながら突撃銃の整備を終え懐に置いて、次は回転式拳銃を解体しながら問うた。まるで心当たりでもあるかのような口ぶりに、司は内心驚いていた。
「ううん。増援部隊の例の二人、一度グレムリンに負けたけど治療されたことがあるって」
「……へぇ?」
ファルケの目が一瞬だけ濁るように見えたのを、司は計器の故障と認識した。――およそ、
「それも、ほとんど死んでるような重症がすっかり治ってたんだって。信じられる?」
「うーん、信じるも信じないも、結局それが
「……他にも居るんだ?」
「そう。まぁ、荒唐無稽な噂話の一つよ。そういうの、シェリーの世代はしなかった?」
シェリーは一瞬だけ視線を空に向けたが、小さく首を振る。
「……そっか。私に言えることがあるとしたら、――瀕死の人間を治療出来るような設備があったなら、妹に使わせてやりたい、ってことくらいかな」
突然ファルケから湧いてきた理解出来る感情に驚きつつも、司は静かに言葉を待つ。
「妹さんのために、戦ってるんだっけ」
「うん。アタシの徴兵に1年の休息期間がないのはそういうこと。2人分働き続けるなら許してやるって、10年くらい前に言われててね」
「10年……」
シェリーは、そう呟くと10年前の自分のことを考えていた。4歳当時のことなので記憶は曖昧だが、物乞いに混ざって地面に座り込んでいたことだけは覚えていた。
少しだけ懐かしい気持ちを覚え、それは自分に要らない感情だと溜息で流す。
ファルケの出自――ドゥルイットという部族と帝国の間には、数十年続く確執があった。
ゲリラ戦を得意とする部族で、グレムリンの占拠する遺跡に住みながら併合を阻み続けていたドゥルイットだったが、ある日帝国は、併合のためにとんでもない作戦を立案する。
――グレムリンの同士討ちだ。以前からグレムリンには特殊な縄張り関係があると調べていた帝国は、ドゥルイットの住まう遺跡に、別の地域からグレムリンの大部隊を連れて行った。大勢のセルウィーを犠牲にして。
総じて身体能力が高く、人間離れした特殊な能力を持って生まれることもあるドゥルイットの戦闘能力は非常に高く、小さなナイフ一本で完全武装の正規軍人を切り刻むほどの力を持っていた。
帝国はそれを恐れ、妬み、何があろうとセルウィーに落としてやろうと、それが叶わぬのならば殺しつくしてやろうと計画し、実行に移した。
いくら身体能力が高いドゥルイットといえど、グレムリン同士の大規模抗争に巻き込まれるのを避けたのか、彼らが身を隠していた都市から離れようとしたところ、正規軍人が襲い掛かる。それも、小さな都市を一つ壊しつくすほどの大火力をもって。
結果、子供達の盾になって戦おうとした大人は皆死に、戦闘能力の低い子供だけが捕えられ、セルウィーの烙印を押すことに成功した。それに何の意味があるかも考えず。
(はぁ、なんでこんな話しちゃったんだろ)
ファルケは、極力この話を誰にもしないようにしていた。
それでも、子供時代にぺらぺら話していたこともあり、セルウィーの中で噂になっていることを知っていた。どうやらシェリーは知らなかった様子であるが、別に気持ちのいい話ではないのだ。
話を終わらせようと思ったが、シェリーが聞きの姿勢になっていることに気付き、つい話を続けてしまう。
「私はまだ小さかったから、セルウィーになった頃のことはあんまり覚えてないの。妹は、あの頃まだ4歳だった」
「4歳?」
「そういえば、今はシェリーと同い年ね」
だから少しだけ親近感が湧くのかなと考えたが、シェリーは不思議そうな表情をしていた。
「でもそうなると、計算が合わないよね? 妹さんが徴兵されるのは私と同じなら2年前のはずでしょ? でもファルケ、ずっと前から休息期間がないって聞いてるよ」
「あぁ……
シェリーは、少しだけ冷たい目で小さく頷いた。その瞳が語るのは同情――ではない。恐らく、
「でもその約束、守られるの?」
不思議そうに問いかけてくるシェリーは、理解しないからこそすぐ本質に気が付く。
「ううん。――守られなかった」
あれは、最悪の日だった。
ファルケは休息期間がないとはいえ、一日も休暇がないというわけではない。
任期満了から、次の部隊に編制されるまで数日は都市で過ごす余裕がある。そこで妹と住んでいる貸家に会いに行ったら、そこに妹は居なかったのだ。
――その時まで、本当に最悪の人間が居ることを、ファルケは知らなかった。
「ある日帰ると、妹は居なかった。徴兵されたのよ。全く、笑えるわよね」
「……え?」
ノービスが約束を守るはずがない。
――それを知ったのは、3年前のあの時。でも、私はまだ生きている。あの時交わした契約に縛られて。
「アイツらは一人でベッドから起きるのすら大変なアタシの妹にファティマを着せて、戦わせたの。……一年待っても、妹は帰ってこなかった」
「じゃあ、ファルケは――」
「そう。私には休息期間を返上して戦い続けるって契約だけが残されてる。だから、あなたみたいな子を見ると、少しでも長く生きて貰いたいって思うのよね」
ここまで話したのは、同期でも数少ない。
どうしてシェリーに話してしまったかと言えば、きっとそれは彼女が本質的に理解していないから。絶対に同情されないと、分かっているから。
(シェリーは天涯孤独の身。――家族のことを考えたこともないのよね)
ファルケは、シェリーのことをほとんど知らない。雑談だって、遠征部隊に配属されてからの移動中や、戦闘の合間合間に少しだけ話したくらいだ。
だから、ファルケにも理解出来なかった。
家族と愛情によって生まれ育ったファルケと、生まれたときから誰にも愛されてこなかったシェリーの二人は、きっと同じ感情を覚えない。
(そんな子に話しても、理解されるはずがない。まぁ、聞くつもりがなさそうなら話すのやめるけど、理解出来ないにしては聞こうとしてるのよね)
ファルケの違和感は最もだ。理由は単純な話――シェリーは、
セルウィー皆そうといえばそうなのだが、それに比べても他人と会話すらほとんどしてこなかったシェリーにとって、他人の話というのは総じて興味深いものなのだ。
――ただし、司は理解しがたい面倒くさい言い回しに加え、普通ならば言い淀むような嫌らしいことを遠慮なく言ってくるので、司の会話に関しては娯楽とは考えていないのだが。
「アタシの部族には、少しだけ変わった力があるの。お父さんは、超感覚って呼んでたわ」
これ以上話せることもないなと判断したファルケは露骨に話を逸らしに行ったが、シェリーは先程までとは違って、少しだけ楽しそうな表情になる。
「超感覚?」
「そう。たとえばアタシは輝臓を持ってないのに、マナを感じ取る力があるの。シェリーにもそういうの、あったりしない?」
シェリーが行った先程の不可解な射撃は、ドゥルイットの持つ超感覚のようなものだったのではないだろうか。ファルケはそう考え質問したが、シェリーは何のことだか分からないといった表情をすると、静かに首を横に振った。
(誤魔化しているようには見えない。本当に、何のことだか分からないって顔ね)
マナを持つノービスなら、意識から、口から、態度から、全てほんの少しだけマナの揺らぎを感じるので、嘘をついたらなんとなく分かる。
だが、マナを持たないセルウィー相手だとそうもいかない。これまでの経験と、相手の感情を理解することで、虚実をはかるのだ。
「そう。ごめんね、なんか不思議な銃の撃ち方してたように見えたから」
「……あぁ、そういうことね」
シェリーは質問の意図をようやく掴めたような表情に変わったが、再びファルケには疑問が浮かんできた。
(この反応、心当たりがないこともないのよね。じゃあ、なんで私から話を振った時にあんな、全く理解出来ないみたいな顔をしたの?)
ファルケの疑問は、しかしここまでだった。
『ファルケ! D25の製造工場から――なんか出てるッ!』
それは、周囲の探索をしていたウィルスからの通信だった。
「ウィルス!?」
『おいおいおい、嘘だろ……?』
「ウィルス! どうしたの? 何が出てきたの!?」
切羽詰まった様子のウィルスは、声にならない声で小さく呻くと、静かに呟いた。
『…………あれは、
その声を最後に、ウィルスからの通信は来なかった。――もう、二度と。
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