第13話
(な、何あの子!?)
並び順が変わり、曲芸のような移動をするシェリーを後方から見ているのは、クレアだった。
地上を走れば良いのに、どうしてかあえて危険な場所を通っているのだ。それがレイの視界に入らないためということに、彼女はしばらく気付けなかった。
だが、それにしても異常な動きだ。背負っているリュックの重量は分からないが、横倒しになり脆くなったビルの壁面を走ると、一歩ごとに陥没し足元が崩れていく。それでもシェリーは足を止めず、足場が崩れるより前に足を動かし軽やかに進んでいった。
先頭が暴走特急だった先程までとは違い、皆の巡行速度を知るレイが先頭を走っているので、速度は随分と落ちている。だがそれでも、地面に足を触れず、笑いながら空を舞い、全く遅れることなく走り続けるシェリーのことが、クレアは理解出来なかった。
(普通に走っても良いでしょ!?)
その疑問は最もだ。レイを出来る限り刺激しないことを選択した司の指示を知らない以上、クレアの中のシェリー像がどんどんおかしな存在になっていく。シェリーに他人を慮る感情があるのかないのか、それすら分からないのだ。
実際のところ、シェリーにもそういった感情はあるが、無視をしているだけである。
「……え?」
曲芸のような壁走りから別のビルに飛んだシェリーは、若干驚いた表情をしながらこちらに銃口を向けた。
(……しまった! この角度だと、シェリーさんが見えるところに居るのは私だけ……っ!)
空に居るシェリーが地上を走る自分に銃口を向ける意味を一瞬にして
「きゃっ!?」
――シェリーが放った銃弾は、クレアの耳元で着弾した。クレアにではない。
「ぐ、グレムリン!?」
空中で被弾し肉体を四散させたのは、人の頭くらいしかない小型グレムリンだった。
小さな羽根が三枚ついた特殊な形状のグレムリンが砕け散るところを見て、シェリーはクレアを狙って外したのでなく、最初からグレムリンを撃つつもりだったことを察する。
(私、あの子のこと全く信じていないのね……)
クレアを狙うグレムリンの存在に気付いていたシェリーは、ギリギリのところで援護してくれたのだ。
シェリーが援護しなければ、今頃グレムリンの腹部に生えていた鋭利な刃で、クレアの首は地に落ちていたことだろう。
「ありがとうシェリーさん。どうして分かったの?」
クレアは全体通信でなくシェリー個人を対象とした通信で感謝を述べる。
どうしても聞いておきたかった。確かにグレムリンにしては小さく人型でない個体だったが、クレアの観測機器が一切反応しないとは思えない大きさだったからだ。
それなのに、シェリーは存在を認識していた。それも、自身よりずっと前から。
『私はずっと気付いてたけど、あなたも気付いて放置してるんだと思ってた』
「……ずっと?」
『うん。レイ……さんが撃ったグレムリンの腹から出てきてた。あと30体くらい居る』
「さ、30!?」
思わずマイクに向けず叫んでしまうクレア。そして、シェリーの言葉の意味を遅れて理解したクレアは、慌てて全体通信に切り替えた。
「皆! 観測出来ない小型のグレムリンが近づいてる!」
『どういうことだ!?』
「理由は不明! 目視は――出来ないかもしれない! なんとか自分で対応して!」
そう、今シェリーが言ったことが事実なら、30はこの増援部隊のセルウィーの数と同等だ。クレアに向かってきた個体はシェリーが落とした。だが恐らく、他の個体は皆を狙っている。
『今7体目を落とした!』
その報告をしたのは、先頭を走るレイだった。先の個体は見たところ近接武器しか装備していなかったので、近接戦闘を主とするレイにとっては蝿にも等しい存在だったのだろう。
(標的の選別をしてる……? いえ、レイの脅威度を知ったから? ということは――)
これまで遭遇したグレムリンのパターン、ギガースの腹部に内臓されていた小型飛翔グレムリン、散発的になった襲撃、それらの情報から、クレアは仮定ではあるが結論を出す。
「ここのグレムリンはネットワーク型の可能性があるわ!」
クレアが叫ぶと、皆の息を飲む声が通信越しに聞こえた。
通常、グレムリンの個体は同じエリアにおいても情報通信を行っていない。全てが製造時、または出撃時の設定に則って戦闘を行うのだ。
その理由は明らかになっていないが、通信により放出される微弱なマナを人間側の観測機器で探知され、位置や数を知られないようにするため、という説が有力である。
しかし、稀にネットワーク型のグレムリンが存在する。それは常時情報を送受信しあうため情報伝達にラグがなく、またリアルタイムで変動する状況への対応力も高い。
(親機を倒したレイだけを狙うならともかく、これまでほとんど銃を撃っていない私も狙われていた。つまり最低でも脅威度の想定と、こちらの通信傍受はされてると考えて良い。私が指揮官ということを情報の送信量で察してる? でもそうしたら――)
考えながら情報端末を操作していると、視界が突然暗くなった。
ビルの陰から飛び出してきた人型グレムリンに対し、手元を見ていたクレアの反応が僅かに遅れる。
だが、グレムリンの右腕から伸びたブレードがクレアを刻むよりも、ブレードの付け根に着弾したシェリーの弾丸がブレードを粉砕する方が速かった。
『その銃は飾り?』
シェリーの指摘に、クレアは顔を赤く染める。情報端末ばかりを見て自分の身を自分で守ることすら放棄していた時代、エレインに言われたのと一字一句同じだったから。
「ご、ごめんなさい! 気を付けるわ!」
『気を付けて』
右腕のブレードを失っても、グレムリンはクレアに対峙したまま左腕のブレードを展開する。加熱を始めた超高温のブレードからジュッと空気が焼ける音が鳴るのとほぼ同時、クレアは横跳びをしながら突撃銃の引き金を引いた。
命中精度を犠牲にして威力を高めた強装弾を装填したクレアの突撃銃は、通常であれば対グレムリンで必須とされるフルオート射撃機能がない。
その代わりに引き金を一度引いただけで3発の弾丸が連射されるバースト射撃機能があり、至近距離で放たれた3発の強装弾は、比較的装甲の薄いグレムリンの左腕部を粉砕する。
もうシェリーからの援護はないだろうと覚悟を決め、立ち上がって銃を構えるクレアだったが、しかし現実はそうでない。
再び聞き慣れた破砕音。勿論、クレアの強装弾とは違う。これは、シェリーの援護射撃だ。
慌てて銃弾が命中したであろう後方に首を向けると、刃を展開させた小型グレムリンが再びクレアの首を狙って飛んでいたところだった。流石に、二度目はおかしい。
「……っ!」
クレアは。人型グレムリンとの戦闘を一旦中断して逃げることを選択した。足止めのため対峙したグレムリン脚部の噴射孔に射撃を行い、命中すら確認せず走った。
腰にぶら下がっていた情報端末を片手で取ると、銃を握ったまま操作し驚いた。
「エラー!? 何が起きてるの!?」
周囲観測を続けているはずの情報端末から、グレムリン接近時の警告音が一切鳴らなかった理由はすぐに分かった。警告機能がエラーを吐いているのだ。
「レイ! そっちに観測情報は飛んでる!?」
『漏れはあるが、大部分は飛んでる――はずだ!』
その返事を聞いて、先頭を走る彼に更なる負担を掛けてしまっていたことに気付き、後悔する。もっと早く気付いていれば――
「ど、どうして直らないの!?」
故障、そんな文字が頭に浮かぶ。
クレアの情報端末は特殊なもので、通信用の無線機能と周囲観測用の情報端末を兼ねている。以前とある手段で入手したこれが壊れたことなど一度もなかったが、現在は明らかに見たことのない複数のエラーが発生している。
元の持ち主よりも使いこなしている自信のあるクレアだったが、それでも製作者ほどに詳しいわけではない。
一度リセットしようかとも考えたが、クレアの観測情報を頼りにしている仲間たちのことを考えると、数分かかるリセットをこの場で行うのはリスクが高いと判断した。現時点では、全く観測出来ていないわけではないからだ。
「シェリーさん! もし余裕があったら、私の周囲に居るグレムリンを教えて貰って良い!?」
『別に良いけど……』
シェリーは多少面倒くさそうな声でそう答えたが、今もまさに曲芸のような動きで遺跡を走り回る彼女にそんな余裕があるとはとても思えない。だが、実際には、クレアを援護する程度には余裕があるのだ。
壁走りをしながら耳元に手を当てたシェリーは、一瞬だけこちらを見た。
『ずっと並走してる小型が5、今上を通った私を無視して瓦礫の下に隠れてるのが2』
情報端末の観測情報と照らし合わせる。そのどれもが、クレアの端末には表示されていない。
(……どれもないわ。でもレイは漏れはあるとしか言わなかった。じゃあここまで酷いことになってるのは私の周囲だけってこと?)
『さっきから飛んでる小さいのが粉撒いてる。それで妨害されてるんじゃない?』
「粉……?」
クレアはそう呟くと来た道を戻り、シェリーに破壊された小型グレムリンを拾い上げた。
ブレードに触れないよう気を付けて見ていると、確かに腹部の下からキラキラとした金属粒子が零れているのが分かった。
とはいえ、手に持って凝視しなければ見えないほどに小さな粒子だ。シェリーには、遠方からこれが見えていたということだろうか。
(マナを微量に纏わせたチャフで観測を妨害してる……? だから小型が多いところだけ観測出来てないってこと……?)
クレアは初めての事象に対しても、瞬時に正しく理解した。しかし、そうなると新たな疑問が浮かんでくる。シェリーだ。
(ならシェリーさんは、どうやって私の周囲を観測してるっていうの……?)
先程質問をした時、シェリーはほんの一瞬だけこちらを見てから答えた。その前の援護の時だってそうだ。観測機器でなく、
(あのゴーグルに常時観測データを送信してるとしても、私の端末と同じ状況になってるはず。なら目視だけで対応しているかと言えば、……考えたくないわね。それより観測能力が段違いに高いって考えた方が無難かしら)
――異常である。だが、シェリーの観測能力に関して言えば、クレアの認識は誤りである。
シェリーの観測能力は、電力に依存している。マナの影響など最初から受けていないのだ。マナと電力で規格が全く違う以上、同じ方向性の妨害は効かないというだけの話だった。
それに加え、シェリーが気付かなくとも司が気付く。戦闘中の司はシェリーの集中力を落とさないようあまり喋らないようにしてはいるが、アシストは欠かさないようにしている。
「へっ?」
シェリーの方に意識を向けたまま走っていたクレアが、とんでもないものを見た。
――明らかにシェリーが、空中でジャンプしたのだ。
「今飛んだわよね!?」
その光景を見たクレアが思わず叫んでしまうが、華麗に二段ジャンプを決めたシェリーが空中で頭を下に向け、銃を撃つことでようやくカラクリに気付く。
(まさか、滞空していたグレムリンを踏み台にしたっていうの……!?」
同じ個体であるならば、確かに小型のグレムリンは兵装を近接武器である腹部のブレードに依存している。
羽根に接触しないようブレードの角度は下向きで、上部に兵装はない。それはクレアでも分かったが、だがそもそも上部ではグレムリンを浮かせるほどに鋭利な羽根が高速で回転しているのだ。
ピンポイントに羽根のないところを踏まなければ、脚が羽根に巻き込まれて切断されるかもしれない。そんなリスクを背負ってまで必要な行動だったのだろうか。
(つくづく理解不能ね……)
クレアは溜息を吐くと、地面に手を擦るようにして手に砂を纏わせる。それを後方に向けて思い切り振ると、周囲に砂粒が舞った。
「そこっ!」
たとえグレムリンが観測を妨害し、仮に目視出来ないステルス状態であろうが、存在を消しているわけではない。そこに存在し、そして風を掻きまわす羽根があるのだ。
砂粒が舞えば、必ず場所が露見する。クレアはそれを見、目星を付けた場所に射撃を行った。
装甲に命中する鈍い音と、飛び散る破片。ショットガンのような範囲攻撃ではないが、3点バーストの命中率は通常の単発射撃とは比べ物にならないほど高い。装填されている弾が全て強装弾ともなると、小型グレムリンなら身体のどこかに被弾しただけで致命傷である。
「次!」
再び砂を投げ、射撃。走りながらそれを繰り返し
*
「今のは流石に心臓に悪いからやめて……」
『ごめんごめん、でも出来たでしょ?』
「それはそうだけど……」
溜息をしながら返すのは、二段ジャンプを決めて心臓が早鐘を打っているシェリーである。
司に指定された移動ルートの通りにビルの貯水槽を飛び越えたシェリーは、貯水槽で見えなかった着地点を見て本気で引いた。そこに何もなかったからである。
シェリーは、司がミスをしたのだと本気で考えた。
だが、跳んでしまった身体を止めることなど出来ず半信半疑で指定された着地点に足先を伸ばすと、何もないはずの空中で何かに触れる感触があったので、そのまま思い切り踏みつけて再び跳んだ。
そこには、ステルス状態で滞空し、シェリーの接近を今か今かと待ちわびていた小型グレムリンが居たのである。
まさか貯水槽を飛び越えてくるとは思っていなかったグレムリンは、無防備な上部を踏みつけられたが、羽根に影響はなかったのでシェリーに追撃をしようとし、しかし空中で姿勢も整えないままのシェリーに弾丸を叩き込まれ、金属片と化した。
――しかし、これまでのように一撃で仕留めず、一度踏んづけてしまったのが運の尽き。
『シェリー、敵の動きが変わった。周囲のが全部シェリーの進行方向に集まってる』
「……なんで?」
『たぶんだけど、脅威度を周囲に送信したんだと思う』
「…………そう」
心当たりがあるシェリーは、静かに頷いた。
ここに来てから、自分を狙っていたグレムリンを一撃で倒さなかったのは、先程踏み台にした一体だけだ。即死した他のグレムリンと違い、踏みつけられた哀れなグレムリンは、仲間に危機を伝える余裕があった。
――つまるところ、司の遊び心が引き起こした悲劇である。
シェリーはそれに気付いたが、司を攻めることはなかった。ここからの状況が危険ならば司は必ず言う。だが、実際言ったのは進行方向に集まっているという
つまりそれは、シェリーが普段通りでも対応出来ると信じているからなのだ。
「移動はこのまま?」
『そのままで大丈夫』
ゴーグルに表示されたグレムリンの数は、およそ30体程度だろうか。周囲からシェリーの進行方向に向けて集合したような配置なので、幸い全てが前方だ。
シェリーは最も近い距離でこちらに銃口を向けるグレムリンに対し、銃口を向けるより前にゴーグルの遠視機能によって焦点を合わせ、その後に腕を動かし、銃の
これを傍から見ると、銃を止めず身体も止めず狙いも付けず撃った弾が何故か命中するという現象が起きる。銃に備え付けのスコープでなく、ゴーグルで照準を定める利点の一つである。
当然この動作には慣れが必要だし、視線による照準補正に慣れていないシェリーが司のアシスト無しで動きながら行うと、100%の命中率とはならない。だが、シェリーの視線の動きや身体の向きから計算して焦点を合わせる司が居れば、必中となる。
「……え、このまま?」
『このまま』
シェリーの移動速度は速い。あまりに速いが、先導していた時に比べると遅い時速65キロ前後である。だが、相手が足を止めて待っているとなると話は別だ。
距離を一瞬で詰めてしまい、半数ほどのグレムリンを倒さないまま飛び越えてしまう。
「んー……」
シェリーは壁を走りながら銃を後ろに向け、首もそちらに向けて唸る。
流石に進行方向と逆で、身体を向けずに射撃を行うのは難しい。
ゴーグルの遠視機能や司による支援がなくとも100メートル程度の距離までなら命中させられる技術はあるが、それは銃をちゃんと構え、脚を止めて撃った場合の話だ。
ゴーグル無しの素の状態で、更に立体的に動きながらともなると、顔をそちらに向けてゴーグルで焦点を合わせなければ、今のシェリーには難しかった。
『じゃあ、おまけね』
司はそう言うと、これまで実戦で封印していた機能を解禁した。
「訓練の時のやつ!」
それは、銃口から伸びる赤いラインだ。
実際に銃口から投射されているのではなくゴーグルに投影しているだけだが、そのラインを見れば引き金を引いた時何に当たるか、照星を見なくとも分かる。
これは身体に銃の癖を教え込む訓練の際に使っていたもので、司の演算能力を用いて導き出される驚異の命中補正能力だ。
当然、ただでさえ射撃技術のあるシェリーにそんなものが合わされば――
「17。ここまでかな」
足を止めることなく、追いつきそうなグレムリンに弾丸を叩き込み黙らせたシェリーは、少しだけ嬉しそうな顔で笑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます