第10話
コンテナを出てからの戦闘は、およそ10分程度であった。
撤退していくグレムリンの背中を見送り、久し振りの戦闘を終えたシェリーは緊張の糸が抜け、座り込んでしまった。
『お疲れ。ちょっと体力が足りなかったかな?』
「無茶言わないでよ……」
シェリーの訓練は、半年間に詰め込んで行われた。故に、所々抜けているところがあるのだ。
それは、指揮能力であったり、戦闘中の休み方、共闘している時の動きなど、頭や体だけでは覚えられない、実体験に依存する部分である。
その点、ここに集まっているシェリー以外のセルウィーは皆20歳前後で、戦場に出て生きてきた時間がシェリーに比べると遥かに長い。チームワークであったり、抜き方であったりは、明らかに彼らの方が上手であった。
「皆、5分休憩したらどう動くか決めましょう』
クレアの声を聞いた者は同意を示し、余裕のある数人が立ったまま周囲警戒を、残りが座り込み休憩や銃の整備を行う。
戦闘終了後というのに統率の取れた動きに、シェリーは素直に驚いていた。
『シェリーが一緒に戦ってきたのは、12歳の子ばっかだからね』
「うん、意外。案外ちゃんとしてるね」
『そうだね。正直意外だ』
彼らは今に至るまで都度5回――5年は徴兵を経験している。
徴兵されてすぐ遠征という形で死地に向かうことはなくとも、そこは強くなれなかった者は決して生き残れない戦場である。
シェリーの数倍の期間その世界に身を置いてきた彼らは、実はこの国のセルウィーの中でも相当上位に入る腕の持ち主である。そんな歴戦のセルウィーらをもってしても、此度の遠征部隊への増援というのが死地への片道切符であることに変わりなかった。
個人の戦闘力が1から50になろうが、敵が1万であったなら誤差ということだ。
故に、大群を撃退したにも関わらず、皆の表情は明るいとは言い難い。
ここでは死ななかったが、これから先で死ぬかもしれない。いいやきっと死ぬだろう。そう考えているからこそ、彼らは明るく振舞えなかった。結果、先程シェリーに強く当たってしまったのだろう。
「めんど」
色々と思うことはあったシェリーは、それを飲み込んで無難な言葉を吐き捨てた。
シェリーが目を瞑って俯いていると、クレアの端末からアラームが鳴る。
「駄目ね。やっぱりオペレーターには繋がらないわ。補給トラックは戦闘前に逃げて、今どこに居るかは分からない。大方グレムリンに襲われたんでしょうけど……」
休憩を終え、再び円陣を組んで集まる。中心に居るのはクレアだ。
彼女が指揮を執ることを誰も拒否しなかったことから、普段からそのような振舞いをしていたことが分かった。
「じゃあ、これからどうするかは俺達が決めて良いのか」
「なら帰りたい」
「俺も帰れるなら帰りてえなあ」
「死にたくないしね」
数人が思い思いのことを口にする。皆の反応が終わるのを待ち、クレアがぱちんと手を合わせて言った。
「これは私一人が決めて良いことじゃなさそうね。17キロ先にある遠征部隊との合流地点を目指すか、それともなんとかして帰るか、皆の意見を聞かせて」
クレアの問い掛けに皆が顔を見合わせる中、シェリーは誰よりも早く手を挙げた。
「シェリーさん、どうぞ」
「帰るって言っても、どうやって? 帝国から200キロは離れてるから、この装備で歩いて帰るのは難しいと思うけど」
「……そうね。ただ、このあたりの地図データなら私が持ってるから、軍が作ってる中継地点の場所が分かるわ。それでも、一番近いところでも50キロ先。歩けない距離じゃないと思うけど、遠征部隊との合流地点の方が近いのは間違いないわね」
『50キロ……前に飛行船で上から見た感じだけど、とっくに廃墟になってたと思うよ』
「そこ、もう使われてないみたいだけど」
司に教えて貰ったシェリーがそう言うと、クレアは少しだけ驚いた表情になる。
「ありがとう。私はその情報を持ってなかったわ。なら、他の場所はどうかしら。えぇと……都市からは少し離れるけど、北北西67キロ先にもあるわね」
『そっちは無事』
「そっちは大丈夫だって」
「…………ねぇシェリーさん、あなたは一体、どこの誰と話してるの?」
そう言って、クレアはシェリーに疑いの目を向ける。
つい先程オペレーターと連絡が取れないと言ったばかりなのだ。なのに、シェリーはまだ誰かと通信を繋げたままでいる。ならそのオペレーターは、一体どこに居るというのか。当然の疑問だ。
「ツカサ」
「そのツカサさんは、どこに居るのかしら?」
「…………遺跡の中」
シェリーが観念したか、それだけ小さく返すと、全員が息をのむ音が聞こえた。
「それなら本国と繋がらない状況で通信が途切れていない理由も分かったわね。ところで、これから向かう先に居たりする?」
「居ない。もっと遠い」
「じゃあ、ツカサさんの通信を私に繋いでもらうことは出来るかしら?」
そう問われたシェリーは、露骨に嫌そうな顔をしたが、即答せず熟考した上、口を開く。
「嫌」
「……そう、なら良いわ。変なこと聞いてごめんなさい」
意外にも、クレアはあっさり引き下がった。
『ん? 別に良かったけど』
「私が嫌なだけ」
『そう』
司も別にクレアと話したいことがあったわけではないので、どちらでも構わなかった。それでも、シェリーが話させないと選んだのなら、その意見を尊重する。
実際のところ、シェリーの通信機はとうに司が掌握しており、シェリーに気付かれないように勝手にクレアと話すことも出来る。しかし、司はそうしなかった。
「他に意見はないようだから、多数決を取りましょう。まず帰りたい人、手を挙げて」
クレアの宣言に、およそ半数のセルウィーが挙手をした。
「じゃあ、合流地点に向かう人」
レイとシェリーを含め、残りの半数が挙手をする。
別に、ここで挙手をした皆が死にたいわけではない。帰る方が安全というわけでもないのだ。
帰るならば中継地点までの67キロを徒歩のみで行軍することになる。先程と同じ規模の大群が攻めてきた場合、次は誰かが死ぬかもしれない。次は誰かの弾がなくなるかもしれない。その緊張をひたすら維持したまま200キロ以上離れた国に戻ることが、果たして可能なのか。
ならば、合流地点に向かい、遠征部隊と共に任を全うした方が、帰れる確率は高くなるのではないだろうか――そう考えてしまうのも無理はない。
「一応言っておくけど、レイが行くなら私は合流地点に向かう方に票を入れるわ。でも、帰りたい皆を無理矢理連れてくつもりもない。いっそ、部隊を二つに分けましょうか? 勿論、帰る皆には地図データを提供するわ」
そう言われ、最初に手を挙げた者は顔を見合わせる。数人が相談をしたが、どうやら遠征部隊への合流を全員で目指すことを決めたようだ。
皆が、ちらちらと準備を整えるシェリーの方を見ていた。
彼らがシェリーを見る目は、コンテナで会った時のような好奇な目ではなくなっていた。それは心強い味方を見る目――
周囲を警戒しながらの17キロ徒歩行軍は、普段以上に時間がかかる。司による観測を用いて、一度も接敵しない想定で導き出された到着予定時間は、実に6時間後である。
駆動鎧用のエネルギーパック残量を気にし、出力を抑えて歩く者が多いのも原因であろう。
しかし、彼らに高出力を強制するわけにもいかない。エネルギーパックをどれだけ持ち込んでいるかも、駆動鎧のエネルギー効率も戦闘可能時間も、皆それぞれ違うからだ。ならばこの場合は、最も足の遅い者に合わせるのが集団を維持するため適した行動である。
「シェリーさん、隣良いかしら?」
皆を置いていかない程度に先頭を歩いていたシェリーの隣に、クレアが並んだ。
「何か用?」
「ちょっと気になったんだけど――どうして街に居たのか聞いても良い?」
「どうしてって、皆も同じでしょ」
シェリーがつまらなそうに返すと、クレアは「ううん」と首を横に振る。
「私の
「……で?」
「ふつう、記録が止まる時は死亡か帰還が書かれてるはずなの。でもあなたの項目にはそのどちらも書かれていない――となると、途中で帰ってきたことになるのよね。あと半年、遠征が終わらないはずの部隊から」
確信の目でクレアはそう告げた。シェリーは露骨に嫌そうな表情をし、司に対応を相談することに決めてイヤーカフの耳元をコンと小さく叩いた。
『ヘルプ承りました。クレアの言うことは
「どういうこと?」
シェリーの視線から、自身への返答でなくピンマイクに話しかけたと気付いたクレアは、黙ってシェリーの瞳の動きを追っていた。司がどこに居るか探ろうとしたのだ。
だが、まさか背中に背負われているとは考えていないため、進行方向の後方という読みは大きく外れる。
『ローカルに保存されてるって言ってたけど、実はネットワーク上――ってあぁ、このへんはまだ教えてなかったか。実はまだ都市と連絡が取れる状態なのかも、ってことだね』
「あぁ……」
シェリーはそれを聞いただけで、一瞬にして目の色を変えた。――敵を見る目になったのだ。
脳にスイッチを作って戦闘時とそうでない時を切り替えるよう教育したのは司だが、あまりにも当然のようにそれを切り替えたものだから、止めて良いものなのか一瞬だけ躊躇した。
「それ知って、何がしたいの?」
引き金を引くことなく、しかし銃に手を掛けたシェリーは、冷たい声でそう言った。
「興味本位よ。別に言いふらすつもりもないわ」
「そう。なら答える。途中で帰ってきたのは本当。言えるのはそれだけ」
「……分かったわ。雑談ついでに、もう一つ教えて貰っていいかしら?」
塩対応にもめげず会話を続けようとするクレアに対し、シェリーは小さく舌打ちで返す。司が『お行儀悪いよ』と言うが、態度は変えなかった。
「さっきのギガースを倒した弾は、まだ撃てるのかしら?」
「……撃てる。補給無しなら3発くらい」
「補給って、マナのこと? エネルギーパックがあればもう少し撃てるの?」
シェリーは首を横に振って返し、背中を指した。
電磁投射砲の動力は、マナでなく電力である。背中に背負った司の端末から給電すればまだ使えるが、それをすることで今の司の寿命は間違いなく短くなる。新宿に戻れない現状では出来る限り温存しておきたいとシェリーは考えていた。
それでも、撃たなければ倒せない相手が居たら、迷わず使う。戦闘中にもったいない精神を働かせては死ぬと、新宿では嫌というほど教えられてきたからだ。
「……なら、次からギガースが出てきたら私達で対処するわ」
「出来るの?」
「えぇ、こう見えても大物狩りにはそれなりに慣れてるの。でも、さっきは助かったわ。シェリーさんに倒してもらえなかったら、私が手を止めて加勢するしかなかったから」
素直に感謝を述べられ、シェリーは呆気にとられた表情になった。クレアが嘘を吐いているようには見えなかったからだ。
通常弾頭で光子防壁を臨界させる難易度を、シェリーは嫌というほど知っている。司による訓練はどのような状況でも戦えるように、という部分に重点を置いていたから、電磁投射砲を失った時に他人の銃を使って戦う訓練も重ねていたのである。
――それは、司によるサポート無しでも万全に戦えるようにするため、ということに、シェリーは薄々勘付いていた。けれど、それを司には伝えなかったし、司は言わなかった。
「でも、シェリーさんは凄いのね」
「……何が?」
「私があなたの歳の頃は、ずっと怖くて逃げだしたいと思ってたの。今ではもう、出来ることも出来ないことも分かったし、昔みたいに泣くことはなくなったけど――」
司のような自分語りが始まりそうだなと内心溜息を吐いたシェリーだったが、それはそうとしてクレアには自分にない能力があることも認めていた。
故に、強制的に会話を中断しようとはしない。だが目も向けず非常に面倒くさそうな表情で「そう」としか返事をしないシェリーに対し根気よく話しかけるクレアの方も、傍から見たら充分変人である。
「それに私、一度グレムリンに負けたことがあるの」
「どういうこと? 死ななかったの?」
「どういうことなのかは分からないけど、私にもレイにもグレムリンに負けた記憶はあるのに、気が付いたら都市の病院に居たの。戦場で倒れてるところを救助されたらしいわ」
『……ふぅん』
今の話の流れで司が反応したことに驚いて表情を変えたシェリーだったが、クレアはその反応を見て話を聞いてくれていると勘違いし、説明を続ける。
「私達は身体に異常がないどころか、怪我すらなくなってたの。……レイなんて、右腕が吹き飛んでたはずなのに」
「……記憶違いなんじゃない?」
「私もそう思いたいわ。けど、うぅん、私は腸(はらわた)が飛び出す瞬間を、今でもはっきり覚えてる。身体が少しずつ冷たくなって、痛いって気持ちすらなくなっていくあの感覚をね」
『それ、グレムリンが治療したんだろうね』
「グレムリンが?」
再びクレアでなく司に反応したシェリーだったが、司が今も自分の話を聞いていることなど知る由もないクレアは、その反応を自分に向けたものだと勘違いしていた。
「えぇ、私もそう思ったわ。……レイは違うようだけど」
『それが正しいね。四肢切断まで治療したとなると、そこに居たのは人類に好意的なグレムリンだった可能性がある。――
司がまた心にもないことを言い出したなと、シェリーは小さく溜息を吐いて答える。
「記憶違いだと思い込んだ方が良いでしょ。レイ……さんの方が正しい」
先の戦闘でクレアやレイのことを
「……私もそう思うわ。錯覚だったとか、幻覚だったとか、そう考える方が正しいって。それに、このことを上に報告したら、一か月くらい研究所に閉じ込められちゃったわ」
『はは、それもそうだ』
「それに関しては、ノービスの方が正しい」
シェリーは、クレアが語っていることが嘘ではなく、幻覚や錯覚でもないことに気付いている。司と出会って、旧世界の異常さをこの時代の誰よりも理解していたからだ。
センスの光る新兵でしかなかったシェリーをたった半年で成長させた育成方法も、ナノマテリアルによってあらゆるものを生み出す技術も、
「ふふ。シェリーさんにもそれを言われると、困っちゃうわね」
「……どうして?」
「私からしたら、セルウィーに時折生まれると言われている特異種――つまりあなた達のことを研究した方が良いと思うの。そうすれば、今より少しはマシになると思うから」
「……そういうものでしょ」
「そう、そういうものなの。この世界は、私達セルウィーを効率よく殺すための処刑場。私達が普段何を考えて、何が出来るのか、何も知られないまま、ただひたすら殺され続ける――最後の一人がこの世から居なくなるまで、ね。シェリーさん、おかしいと思わない?」
「何が?」
同意を求めたクレアは、同意しないシェリーに少なからず違和感を覚えていた。
シェリーには力がある。そして、クレアにもシェリーにはない力がある。戦闘面ではシェリーに及ばないクレアだが、しかし口を開くタイミング、相手の視線や呼吸、瞬きといった本人の隠しきれない所作から、相手が何を考えているかおおよそ見当がつくのである。
そんなクレアをもってして、ここで同意しなかったシェリーは明らかにおかしい。
実際シェリーも、以前ならここで同意していた。けれど、ノービスよりおかしな存在と交流を持つようになったことで、ノービスの思想や言動が理解出来るようになったのだ。
他人の思想に納得出来るかは別として、自分でない存在も何かを考え生きているのだと、ようやっと理解した。
「
溜息交じりにシェリーの口から出たのは、クレアの想像もしていない言葉であった。
「……どういうこと?」
「都合がいいところに敵が居るから
「だから、それがおかしいと思わないの!?」
「
クレアは理解出来ないシェリーの言動に震える身体を押さえ、言葉を紡げずにいた。
「みんな最善を尽くしてるつもりでも、実際のところそれが最高率ってわけじゃない。私もグレムリンもノービスも、それは同じでしょ」
そう言い切ったシェリーの価値基準は、クレアには、いいや、この時代のセルウィーの持ち合わせていないものだった。そして、司の受け売りというわけでもない。
殺害効率の話を司からされたことはあるが、それを自分で理解し解釈し嚙み砕き咀嚼した結果導き出された、シェリー独自の思考なのである。
クレアがシェリーを見る目が、明らかに変わっていた。お姉さんぶっていた先程までとは異なり、明らかにシェリーを明確な意思を持つ一つの個体だと認識した表情だ。
――ようやっと気付いたのかと、シェリーは言葉を続けた。
「理解出来ないのは、セルウィー同士だってそうでしょ。あなたは私が今何を考えてるか分かるの? どうして
「……っ!」
「おい、言い過ぎだ」
話を聞いていたのか、後方の少し離れたところを歩いていたレイが小走りで近づいてきてそう言った。
言葉はシェリーに向けられても、その目はシェリーでなくクレアを見ていた。
それを見て、シェリーはレイを過小評価していたな、と認識を改めるのであった。レイのような人間はこういう時、暴言を吐いた側を諫めるのだろうな、と考えていたからだ。
「一応聞いておくけど、同意したらどうするつもりだったの? お仲間にでもするつもりだった? 私は嫌よ。自分より弱いと一緒に居たら私まで弱くなる。私だって死にたくないもの」
『んー、シェリーも良い感じに性格悪く育ったねぇ』
嬉しそうに笑う司の声を聞いて、シェリーは大きな溜息を吐いた。
明らかに自分より性格がねじ曲がっていて、
そんなシェリーの様子を見たレイとクレアは、怪訝な顔をする。こうも性質が違う人間がどうして先程まで隣で戦っていたのか、本心で分からなくなったからだ。
「……お前は強い。強いだろうが、
「それで充分。私は国のためでも家族のためでも仲間のためでもなく、ただ自分が今日生きるために最善を尽くしてるの。先輩だからって偉そうに諭さないでよね」
年齢だけで偉さが決まってしまうのなら、7000年前から生きている司が一番正しいことになってしまう。それだけは口に出さず、シェリーは二人を見る。
「きっと、あなた達は楽しかったのよね。仲間と絆を深めて、仲間の死を乗り越えながら成長して、少しずつ実力がついて頭もよくなっていく――そんなの、
――シェリーは、司と出会う前から
誰も信じられず、誰も認めることが出来ず、何も知ることが出来ないまま死ねと命じられたシェリーの世代は、夢や希望など持っている者の方が少なかったから。
徴兵とは、即ち死である。銃を持っただけの
ノービスは、シェリー世代のセルウィーに成長など求めていなかった。腕があって足が生えてれば、別に頭も命だって要らないと思われて、そういう風に使われてきた。
「手も足も頭だって、
シェリーは、司に出会わないまま一年目を生き残ってしまった。普通ならとっくに死んでるはずの状況を、
――そう、だからこそ、ファルケの生き方に憧れたのだ。ファルケの戦い方に憧れたのだ。1にもなれない、0でしかないセルウィーを生かすよう自ら最も危険な立ち回りをし、休息期間も放棄して、言葉でなく行動で指針を示す彼女の生き方に、シェリーは憧れていた。
決して、徒党を組んで粋がってるクレアやレイとは違う。シェリーにとってファルケとは、言葉でなく行動で生き方を教えてくれた、生きるという分野の先生なのだ。
「口が達者になるだけで、頭が良くなるだけで強くなれるのは、そういう場所(とこ)だけよ。少なくとも
二人は、何かを言おうとして口を開き、そして閉じるという動作を繰り返す。
レイもクレアも、シェリーに返す言葉が出なかった。こうも価値観が違う人間が同じ
彼らは下手に知恵がついたからこそ、ノービスという強大な理不尽に立ち向かうべく、皆で協力出来ると考えていたのだ。そんな彼らにとってシェリーの思考はセルウィーのものでなく、グレムリンに近いものであった。
「今この瞬間私があなたに銃口を向けたら、どうするの? お話で解決する? 友好的に会話の出来るグレムリンが居たら、あなたはそれにも銃口を向けるの?」
「……そ、それは」
「そんなもの居ない! 居るはずがない!」
「じゃあ、どうしてあなた達は今も生きてるの? 本当は分かってるんでしょ。あなた達二人とも、
「信じられるわけないだろ!? 相手はグレムリンだ! 俺たちの、――敵だッ!!」
「そう。じゃあ、私もあなたの敵よ」
感情のまま叫ぶレイに、冷たい目をしたシェリーは静かに銃口を向ける。口調も脈拍も正常通り、司の指示もなく、彼女は本心でレイを敵だと認識した。
(ふぅん……こうなるか)
驚いたのは、レイとクレアだけでない。黙って話を聞いていた司もだった。
シェリーの思考回路が明らかにおかしなところに繋がれているのは、出会った時から気付いていた。けれどそれは環境によって作り出された後天的なもので、他の環境に置くことで変わる可能性があると踏んでいた。
――だがそうではない、そうではなかったのだ。
「ど、どうして……どうして、そうなるの?」
泣きそうな顔をしたクレアは、シェリーの腕にしがみつくようにしてレイから銃口を遠ざけようとする。
――しかし、旧世界の科学技術の粋を極めて作られた駆動鎧で姿勢を制御しているシェリーの腕は、常人が素手で押したところで銅像のようにピクリとも動かない。
「理解出来るものが仲間なら、私とあなたは仲間じゃない。仲間じゃないものが全部敵なら、私とあなたは敵同士よ。違うの? さっきはそう言ってるように聞こえたけど」
「そ――そうじゃ、そうじゃないの! 私達は、きっと分かり合えるのよ! だって――」
涙を滲ませながら叫ぶクレアを、シェリーは見下ろすようにして言う。
「同じセルウィーだから? どうして同じだと思ってるの? 生まれた時から親は居なくて、誰も何も信じられず、一人でゴミを漁って生きてきたことはある? 12歳になってようやく死ねると思ったら、
「あるはず! あるはずなの! そうじゃなかったら――」
「悲しすぎるって言いたいの? 私からしたら、あなた達が心底楽しそうに生きていて羨ましいわ。夢も希望も目標もあって、仲間と強大な敵に立ち向かうなんて考えながら生きていられるあなた達は、よほど恵まれた環境で育ってきたのね」
シェリーが狂ってしまったのは、司のせいではない。
死ぬために存在した人間が、死を乗り越えてしまった。そうなると、そこに生まれるのは自らの死を知らぬ怪物である。既に死んだ身である司と波長が合ったのも当然と言えよう。
もし司と出会ったのがシェリーよりも上、レイ達の世代であったなら、司の行動は変わっていたはずだ。協力を求めるのではなく、都合よく利用しようとしただろう。
シェリーは、司が
「私は、自分のために生きてる。あなた達のために生きてるわけじゃない」
司に協力するのも、自分を救ってくれた恩を感じているからだ。
シェリーは司に頼めば都市から、帝国という檻から逃げ出すことも出来た。けれどそれをしなかったのは、最善のつもりで最効率を選べていなかったから。
司とファルケから受けた恩を返す。それは、自分のために生きると語ったシェリーの行動指針からは外れている。だが、それも込みでシェリーは自分のためだと思っている。
自分が受けた恩は、生きているうちに返す。皆の代わりに生き残ってしまったから、皆の代わりに恩を返す。最後までファルケと戦ってきた者が、彼女を慕って死んでいったように。
「お前は――」
ようやく言葉を紡いだレイが、しかしこの後の言葉を発して良いのか悩んで俯いた。
「何?」
「……俺の、――いや、
「さぁ? それはあなた達が決めることなんじゃない? 少なくとも、今ここで無駄話を続けてたらそのうちそうなるかもしれないけど、遠征部隊に合流する目的が同じなら協力するわ。目的が違うというなら――知らない」
最後の言葉は、氷のように冷たい目と一緒に送られた。
その言葉を聞いたレイは、一瞬だけ、かつて会ったどんなノービスやグレムリンよりも恐ろしい存在に出会ってしまったのだと、静かに確信する。
「……分かった。俺達は後方を警戒してるから、前方は任せる。おいクレア、下がるぞ」
言葉も発せず、クレアは引きずられていく。
彼女の肢体を強調する特注の駆動鎧は、だらしなく手足を垂らし運ばれていくクレアにとっては、ただの飾りでしかなかった。
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