第5話

『よし、なんとかなったか』


 遠くからグレムリンを操作していた司はそう呟いた。実は犬型グレムリンは、機体スペックにおいて人型を凌駕していた。にも拘わらず、あえて苦戦を演じていたのである。


 人間は負けている方を応援する性質があることを、司はよく知っていたからだ。

 スペックに物を言わせ、遠距離から狙撃で仕留めることも出来た。しかしそれをしていたら、シェリーは犬型への警戒を解かなかったに違いない。だが苦戦し、切り札を使ってやっと倒せた姿を見れば、犬型への警戒度を多少緩めると判断していた。

 犬型が主砲として装備していたのが火薬で弾を飛ばす実銃でなく、電力で弾丸を飛ばす電磁投射砲レールガンだったからこそ、威力や連射性能を落とし苦戦を演じることが出来たのだ。


『あとは――あれが人であることをくらいか』

 機械的に生成された仮想体――つまりプログラム上の存在でしかない司だが、時折神頼みのような思考に至ることがあった。

 それは、ネスティに搭載されたAIが人間の人格を忠実に再現しようとした結果、神という架空の存在を明確に認識しているということに、表面上の人格である司は気付いていない。



 近寄ってきた犬型グレムリンが、まるで動物かのような仕草でシェリーに身体を預けてくるので、野良犬を相手にした時のように首元であったり、脚の付け根であったりを撫でていると、犬型は何かを見つけたのか首を横に向ける。

 シェリーが釣られてそちらを見ると、そこには不可解な物体が存在した。


「……グレムリン?」


 それにしては小さい。シェリーの頭よりも小さな物体が、羽根プロペラを使って滞空していた。ほとんど無音で、手の届く範囲に来るまで接近に気付かなかったほどだ。


『や、英語は通じるかな?』


 声を発した飛翔物に対し、シェリーは悲鳴を上げる間もなく反射的に銃を構え――


『危ない危ない。撃ったら寄ってきちゃうよ』


 から触手のようなアームが伸び、シェリーの手から銃がひょいと奪い取られる。


「え」


 一瞬にして唯一の武器を奪われ、困惑のあまり手が泳ぐ。

 それが今から約7000年前の旧世界において、無人航空機――ドローンと呼ばれていた機械であるということを、シェリーは当然知らなかった。

『こんにちは、Helloハロー你好ニーハオBonjourボンジュール안녕하세요アンニョンハセヨ、どれか分かる?』

「な、何? 何なの!?」


 ドローンから、機械的に生成された男の声が多国語の挨拶を繰り返す。

 混乱の中、ひとまず銃を取り返そうとぴょんぴょんと跳ねるシェリーをドローン越しに見た司は思案していた。シェリーがネスティに保存された言語に共通点のない言葉を喋っているからだ。

 つまりそれは、言葉でのコミュニケーションが不可能ということに繋がる。


「…………何なのあなた?」


 数分格闘した末、銃を取り返せないことを確信したシェリーは、自分の行動が恥ずかしくなりある程度落ち着いてきたのか、ぷかぷかと浮かぶドローンに話しかける。

 ドローンがすぐに自分を襲わないことから、少なくともこれまでのようなグレムリンではないと判断したのだ。


 ドローンはシェリーの周囲をくるくる回り肉体のスキャンを行うと、腹部の投影機プロジェクターを使い、シェリーの姿をビルの壁に投影した。


「は? え? なにこれ私?」


 デフォルメ化された自分の姿が鏡のように壁に映っていることに困惑した様子のシェリーは壁を触り、ただの壁だなと指を見る。

 司の時代に流行っていた映像やアニメーションといった概念は、それから7000年が経過したこの時代には存在しない。

 ドローンによって映し出されたシェリーの映像アニメーションはしばらくシェリーと同じ動きをしていたが、突然動きを変えた。肉体を持たぬ司は、肉体言語で話そうボディランゲージをするにも素体を必要とするのだ。


「私? シェリーよ」


 自身を指さした映像を見、困惑しながらもシェリーは答える。

 彼女が名乗ることの出来る名は、物心つく前から知っていた、シェリーという名である。

 もしかしたらその名は別人の名かもしれないが、それならそれで構わないと考えていた。


「えぇっと……どこ? 心臓、は左だっけ。……肺? あ、もしかして輝臓?」


 次に映像が指したのは、胸の中心から少し下である。

 解剖学など習っていないシェリーは人体模型など見たこともないが、内臓が身体から零れる死体をいくつも見てきた経験によって、臓器の大体の位置は知っていた。

 尊き血の持ち主――帝国で『ノービス』と呼ばれる支配階級には、先程司が指したあたりに手のひらサイズの真っ黒い臓器がある。

 それが輝臓と呼ばれる臓器で、それを持たないセルウィーがマナを扱うには、人工的に作られたエネルギーパックを必要とする。


「私にはないわよ。だから、こういうのを使うの」


 ゴーグル用の小型エネルギーパックを取り出しドローンに見えるように掲げると、ドローンは銃をシェリーに返し、代わりにエネルギーパックを受け取った。


『なんだろこれ、液体っぽいけど、屈折率から考えたら気体に近いか? ただ昔から存在していた元素に該当するものは無し。んー……臓器と同じような分子構造に見えるな』

「……何言ってるか全然分からないんだけど」

『そのうち分かるようになるよ』


 司は、シェリーが呟く言葉を一字一句聞き取り、新たな言語パックを生成していく。

 未来での活動を前提としていたネスティには未知の言語に対応するための言語パック生成機能があり、数分間会話するだけで、ある程度の日常会話を行える程度には新言語を習得できるのだ。


『ん、オッケー。君はシェリー、間違いない?』

「え、帝国語話せたの?」

『言葉は今覚えたとこ。テイコクゴ――それはえっと、君の生まれ故郷の言語で間違いない?』

「……そうよ。ノービスって支配階級の人間が作った、クソみたいな国よ」

『んー、たぶんだけどシェリー、口悪いよね』

「悪かったわね。私達は教育を受ける権利すら与えられていないの」


 司は、シェリーの視線の動きや話す単語の数、喋り方や感情の動きを読み取ることで、彼女について少しずつ理解を深めていった。


「……それで、あなたはグレムリンなの? あなたみたいに喋れるグレムリン、初めて見たんだけど、この遺跡では普通だったりする?」


 シェリーがしきりに発する『グレムリン』という単語に対し、司は存在しない首を傾げるような感情を抱く。

 新言語パック『帝国語』でなく、旧世界言語である英語で聞き取ることが出来てしまったからだ。


(『グレムリン』――イギリスの伝承にある、機械を動かす妖精を指す名詞だ。それが7000年経て、自動で動く機械そのものを指す言葉に変わったのか……?)


 シェリーは、自動的に動く機械全般を指してグレムリンという言葉を使っているようだ。

 飛行船を「飛ぶグレムリン」、犬型のものを「犬型のグレムリン」と呼ぶことから、種族名や個体名でなく、『動物』のような大分類として使われている単語であると司は判断した。


『そうだね。君の言うところのグレムリンで間違いない。ただ、他に同じような個体が居るかと言われたら、ノー。少なくともここ、新宿には居ないと思う』


 そう答えながらも、司はシェリーにどこまで喋って良いかを考えていた。司にとって、シェリーは初めての来訪者ではない。しかし、ではあるのだ。


(にしても、グレムリンか。あながち的外れってわけでもないのかもな)


 口には出さず、司は思案する。シェリーの発言からして、グレムリンとは間違いなく彼女ら現代人類の敵である。

 現時点で司に対する敵対意識は持たれていないようだが、それでも彼女以外の人類が同じように思ってくれるかと言えば別である。


「シンジュク? それがここの地名?」

『そう。人が住んでたのは大体7000年前。日本に残された最後の都市、新宿だよ』

「な、7000!? ってことはやっぱりここ、前時代じゃなくて旧世界の遺跡なの!?」

『えっと、その区分は知らない。知ってる限りで良いから教えてくれる?』

「……分かった。まず――」


 簡単な単語を用いて、シェリーは司に解説してくれる。

 とはいえ、シェリーがあえて簡単な言葉を使っているのでなく、単純に彼女には学がなく難しい言葉を知らないだけということに、司はとっくに気付いていたのだが。



 現在は、西暦で数えること9120年。それだけは、ネスティが一秒も途切れることなく数え続けていた時計によってあらかじめ認識していた。


 今から500年ほど前の時代を、この時代の人間は『前時代』と呼んでいる。

 シェリーの認識では前時代がどのくらい長いかは分からなかったが、彼女の語る遺跡の様子からして、繁栄していたのはおよそ2000年間ほどと推測される。

 前時代は世界の変化に適応するためかマナという特殊な燃料を体内に持つ者が生まれた時代であり、司の認識する創作上の魔術と大差ない技術が確立されていたのだという。

 しかしマナを持つ者は左程多くなく、何らかの要因で再び世界が滅んでしまった。そして前時代の生き残りによって作られたのが、今の時代のようだ。


 そして、『旧世界』と呼ばれるのは前時代より昔。マナという概念が生まれるよりも更に前の時代を総括しているらしいが、どれほど前かは分からないという。

 ネスティにおける最後の管理者は2072年まで記録されているが、それから司が生み出されるまで一度も管理者は更新されていない。

 故に司はてっきり機械文明が滅んだのかと思っていたが、ここが旧世界の遺跡ということをシェリーが認識出来なかったということは、似たような都市が他にも存在するということになる。

 ナノマテリアルによる自動修復機能が他の都市にも搭載されているのか、それとも単純な話、司の時代よりも後に作られたから形を保っているのかのどちらかは分からないが。


『シェリーが暮らしてる都市は、こことは違うの?』

「全然違う。ノービスが暮らしてる区画は違うんだろうけど、私が住んでるようなところは、建物は大抵一階建てでレンガ造りよ。こんな固い壁、首都の外壁以外で見たことないもの」

『……なるほど。ってことは一から科学技術を作ったわけじゃなくて、使いやすいところを拾い集めただけってことかな』


 空白を埋めることは出来なくとも、推測することは出来る。歴史とはそういうものだ。

 ネスティを作れるほどの時代においても、数百年前の歴史は断片的にしか残されていなかった。

 2000年以上前ともなると、それはもう神話の領域だ。世界が終焉を迎えなかったところで、7000年に及ぶ正確な記録が残っているはずもない。


「それは私には分からないけど……。あなたはその、旧世界から生き残ってるんじゃなくて、作られたばっかのグレムリンなの? 話してると人にしか思えないんだけど」

『うん。身体はないし、自立して動くから、帝国語における広義のグレムリンで間違いない。まぁ、元は人間だったんだけどね』

「…………え?」


 司の返答を聞いて、シェリーはしばらく言葉を失った。

 この時代において自発的に動く機械全般がグレムリンと呼ばれるならば、ネスティによって生成された仮想体である司は、間違いなくグレムリンに分類される。

 しかし、その言葉を口にしたことに、司自身が一番驚いていた。


(人間って自覚あるのか、俺)


 司は、自身がネスティに保存された戸張司の記憶領域を用いて再現された仮想体であると自覚している。

 にも拘わらず、司は自身を人間だと認識してしまっているのだ。


(っかしーな。そう思えるはずないのに、なんでそう思うんだ?)


 司の意図しないところでAIが自己進化したのか、それとも司以外の人間の手によって何らかの情報が書き込まれたのか。それを調べるのは、今でなくとも良いだろうと判断する。


「……えっと、ちょっと待って。私が馬鹿だから分からないのかもしれないけど、……グレムリンは、皆元々人間だったの?」

『あー……この話の流れだとそうなるか。ごめん言葉が悪かった。元人間なのは俺だけで、他は最初からただの機械だよ』

「キカイ……?」

『機械を示す帝国語はあるかもしれないし、ないかもしれない。たとえば、シェリーが住んでるところに、人が触らなくても勝手に動いてるものがあったりしない?』


 混乱しているシェリーに更に難解な質問を投げかけたことに司は遅れて後悔したが、シェリーは空を仰ぎしばらく考える。


「あるけど、それだとマナで動くものしか浮かばないわ」

『あー……そのマナが分からないんだよなぁ。たぶん合成燃料の一種なんだろうけど、体内でそんなの生成出来るなんて――』


 司は考えてしまった。? と。

 しかし、口には出さない。現代の支配階級が人間ではない異生物の可能性なんて、到底考えたくもないからだ。


(俺からしたら、シェリーこそが人間だ。ただ現代においてシェリーは被差別階級セルウィーで、マナとかいう謎燃料を使える支配階級ノービスが存在する。

 そうなると、前時代に作られた、または偶発的に生まれた新人類がを名乗ってる……? 気色悪いなぁ)


 ドローンへ音声は通さず、吐き捨てるように司は呟いていた。


『あれ、でもセルウィーの方が数は多いんだよね?』

「実際は知らないわよ。ノービスの顔見るのなんて徴兵されてる間くらいだし」

『……徴兵、ねぇ』


 シェリーの年齢は、身長から考えると中学生くらいだろうか。

 名前の通り日本人でなく外国人の顔付きなので判断は難しいが、ネスティ内の画像認識プログラムは、シェリーを13歳から15歳の中南米人種ラテンアメリカ系と判断している。

 当然、7000年前の人種区分など機能するはずもないが、この年齢の女性が徴兵されるとなると、旧世界の基準ではよほど末期――男子が全て死んだ後の国くらいだ。


「えっと……ずっと聞きたかったことがあるんだけど、そろそろ聞いていい?」

『うん? どうぞどうぞ』

「私、こっから帰れるの?」


 ようやく聞けたというシェリーの表情を見、それを聞かずにずっと会話を続けていたことに司は驚きつつも、彼女に返答をする。


『帰れるけど、条件がある』


 司にもし人の姿があったら、よほど醜悪な表情をしていたことだろう。

司の姿など知らないはずのシェリーは声色だけでそれを察し、頬がピクリと震えた。

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